広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎山岸会誕生(新・山岸巳代蔵伝⑭)

第五章 〝われ、ひとと共に繁栄せん〟
1 山岸会誕生
 和田義一が養鶏を全国に普及するための会を山岸に持ちかけ、和田、藤田菊次郎、山下照太郎、山岸の四人が会結成についての話し合いを始めたのが一九五三年(昭和二八)の一月中旬。それから会発足まで二ヵ月の間に、時と場所を変え結成準備会議は三九回に及んだ。

 その過程で、新しい養鶏を普及する趣旨の会であるから、この養鶏の創始者の姓をとって「山岸式養鶏普及会」とすることに衆議一決した。

 このとき、特に大事な提案があるからと、山岸が考えている組織とその趣旨・方法についての文案を提示した。

「養鶏普及会は実に結構なことであるが、私の体験からも、また若い頃から考えつづけた私の考えや、社会の実情からしても、養鶏普及会だけの会であり活動であればじつに危険で、むしろそれなら初めからこんな会を作らない方がよかったと気づく時が必ず来ると思う。その上皆さんも感じていられるように、これは実は鶏であって鶏でない。本当は鶏も含めた根本的な不可欠の大事なものがあると私は考えるのだが」

 それが一同の共鳴共感を受けることになり、是非普及会と同時に並列的に結成しようということになり、その会の名は藤田の発案によって山岸会ということに決定した。

 それでいよいよ結成の日を三月一六日と定め、当日向日町の林田定三宅で発起人二十数名が集まって、山岸会並びに山岸式養鶏普及会が誕生したのである。
 初代会長は和田義一、定例の養鶏専門研鑽会は毎月一六日に決まる。


『全集第一巻』の補遺に〔山岸会と山岸巳代蔵〕で、それまでの経過を簡潔に記録してあり、抜粋してあげる。

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山岸会と山岸巳代蔵
山岸会誕生まで
 山岸会は、「理想社会」実現を目的とし、有志によって結成された会である。だが、その名称から、山岸巳代蔵がつくった会であるとみられがちである。ここでは、事実から、その経緯をある程度、明らかにしたい。

 山岸巳代蔵は一九〇一(明治三四)年八月滋賀県蒲生郡老蘇村で生まれた。子どもの頃より社会のあり方に疑問をもっていたが、一九歳の頃(一九二〇年頃)から、「本当の理想社会」の究明、人生の理想についての探究を始め、以後約三年間は、それのみに没頭していたという。

 一九二二(大正一一)年、山岸は、偶然養鶏に出会い、それまでに究明した理想社会組織のあり方を、鶏に応用実験すべく、郷里に帰って養鶏法の確立に着手した。その後、三十歳(一九三一)の時に、京都に居を移し、以後二年間は養鶏法の確立に打ち込んだ。

 一九四四(昭和一九)年、自らが究明した「理想社会」及びその実現方法を著述する仕事に専念すべく養鶏を廃業。しかし戦後、年とともに生活が厳しくなり、一九四九年(昭和二四)自活のため農業を始めた。稲作も手掛けるようになり、それまでに確立した養鶏法と稲作その他の農業とを組み合せて一体とした「山岸式農業養鶏」を組み立てた。

 翌年九月、ジェーン台風で、一区画だけ倒伏せずに見事に立ち揃っている山岸の水田を、当時京都府の農業改良普及員をしていた和田義一が「発見」し、それをきっかけに山岸式の農業養鶏法が世に紹介されるようになった。和田義一に引き出されて、山岸自身も、京都をはじめ、大阪府枚方など、各地で講演するようになり、山岸式養鶏法が普及し始めた。その中から、山岸の思想に共鳴し、その養鶏法の普及を願う人々が集まって、会の発足を準備しはじめたのである。


山岸会の誕生
 山岸会及び山岸式養鶏法普及会の発足に尽力したのは、和田義一、藤田菊次郎、山下照太郎、林田定三、伊藤正一らである。

 和田らが、山岸式養鶏普及のための会発足について、山岸の意見を尋ねたところ、山岸はその趣旨に賛同したが、その際、養鶏普及のための会だけではなく、理想社会の実現を目的とした会組織も同時につくることが不可欠であると述べ、そのための会の発足を提案したという。

 そして、一九五三(昭和二八)年三月一六日、京都府向日町の林田宅に発起人二十数名が集まり、和田義一を初代会長として、山岸会と山岸式養鶏法普及会が同時に発足することとなった。

 山岸会の名称は、藤田の発案によるが、後年山本英清が山岸巳代蔵に聞いたところによると、「それは私の姓をとったのではありません。

 山岸会の山は高い理想をあらわし、岸はその山の岸、いいかえるとふもとの周辺のことで高きをのぞんでこれに近づき登ろうと努力し実践する人の集いをあらわしたもので、私は山岸会名をそう理解しています」(一九六二・六・五『ヤマギシズム』、〈山岸会と山岸さん〉より)とのことであるらしい。

 同年一〇月、山岸式養鶏法普及会は、山岸式養鶏会と改称、会長役を廃し、藤田菊次郎が初代の総務に就任し、本部事務局は、京都府向日町の藤田宅に置かれた。また、一九五五年八月、山岸式養鶏会は、山岸会の一部門として、山岸会養鶏部と改称された。


山岸会の趣旨と会旨
 山岸会の趣旨は、山岸巳代蔵が原案を提案し、発起人がそれに賛同して、会の趣旨として採用された。本巻収録の『山岸会養鶏法』にも掲載(一八三㌻)されているが、再掲する。

〈山岸会趣旨〉
 自然と人為、即ち天・地・人の調和をはかり、豊富な物資と、健康と、親愛の情に充つる、安定した、快適な社会を、人類に齎すことを趣旨とする。

(一)方法
 本会の趣旨を実現するために、全世界の頭脳・技術を集合する研究機会を設け、それを実践する。
(二)方向
 ①物理・化学・科学
 心理・哲学・教育・宗教史・文学
 技術・芸術
 産業・交流・その他及び社会・政治総てに携わる学者・実際家に、各々の持ち場に専念し得るような環境を造り
 ②学問と実験を基として、凡ゆる物資を空気・水の如くに容易に使用し得るよう、豊富に生産し
 ③物資の豊満により、物の争奪の世界を無くし
 ④学問と実験を基として体質を改造し、疾病を排除し、外観実質共に優秀なる子孫が生まれ
 ⑤自己の延長である同属子孫の幸福と繁栄を招来せん、との目標を同じくする全世界の人類間に、提携と同属愛の優美な心境を造り
 ⑥物心両面共に他を侵す必要なき、協力社会を指向する。

〈山岸会会旨〉
〝われ、ひとと共に繁栄せん〟
 私達は、諸事を考え行うに当り、その正確さを期するために、それの判定に、この会旨をもってします。
その思い為すことが、果して終局に於て、自己を含めた社会の永遠の幸福・繁栄に、資するものであるか、どうかを検討し、一次的(自己一代、及び自己の周囲のみの)目前の結果にとらわれないように、心しております。



 山岸式養鶏会と山岸会
 山岸会と山岸式養鶏会との関係については、『会報三号』の「解説・ヤマギシズム社会の実態(一)・山岸巳著」のまえことばに、「6.山岸会と山岸式養鶏会との関連」として次のような一節がある。

〇山岸会と、山岸式養鶏会とは、混同され易いが、既に会の趣旨として明示されています如く、山岸会はその趣旨に掲げている、理想社会を目指すもので、いろいろの立場から、いろいろの方法手段を以て、実現を図っているのです。
……中略……
 山岸式養鶏会も、そうした目的達成のための一環として、それを具現化する役割をなすもので、養鶏そのものは、全体経済面の一小部分に過ぎず、社会構成の上からも、一般から見て関心は薄いのですが、こうした顧みられない一隅からでも、社会全体を動かす始動力となることが出来るのです。

 本養鶏会は、ただ鶏を飼って、経営経済を良くするばかりが目的でなく、社会機構を革新し、社会気風を改善して、物心共に豊かな理想社会を創り、人類の幸福を最終目標としておりますから、技術の向上・普及、経営の協力と相互援助、共栄精神の具体化等、行動方向が皆その目標に集注し邪道へ外れないよう心掛け、機構・制度もそれに合致し、養鶏法そのものが、及び会そのものが、既に理想社会の縮図に組みたてられてあります。

 この養鶏法を間違いなく行い、会の真目的に副って活動することが、即ち山岸会の趣旨を実践することになり、世界人類に幸福社会を齎すことになります。
山岸式養鶏会は、山岸会の一つの組織体で、密接不離の関係にあり、単に養鶏のみ切り離して経済行為に終ることなく、自他の物的、精神的、繁栄に資するものです。
……後略……
 ※「解説・ヤマギシズム社会の実態(一)」の全文は、全集第二巻に掲載してある。
          ☆

 山岸会趣旨には、自然と人為を並べてあるが、自然の中で生物・無生物等それぞれ違った機能を持っているものであるが、人間もまた人間独特の特異な機能を持っているわけで、広義に云った場合は、自然と人間を並べるものでないと思うが、その自然の中に於て、人間としての機能・行為と自然との関連を抜き出すために、並列のような形態をとったものである。

 人間として、人間のみが行える部分を最大、有効に生かして、人間の正常健康な生き方をするために、それと共に宇宙・自然万物とも正常健康に調和を保ち合い、そして自然・諸事・諸物も最大に生かし合って物を豊満にし、正常な調和を保つこと自体が健康であり、諸事・諸物とも人間同士も云うまでもなく、真の愛を心として繋がり、活かし合い、心も安らかに、生命・生活も安定した、快適に暮らせる世の中にして、世界中の人が一人残らず、永久に仲よく楽しく暮らしていこうとする趣旨である。

 それには、古今東西の人間の知恵、真正な愛の心、真理に即応した考え方を能(はたら)かして、全世界の頭脳・技術を持ち寄って研鑽するものである。
(『山岸会事件雑観』「ヤマギシズムと山岸会」―山岸会趣旨)

〝われ、ひとと共に繁栄せん〟について、山岸会が出している英文のリーフレットでは、
 I,a part of nature ,do my best to prosper with all men ,the sun and the soil.
と紹介されている。

 つまり、「私は自然界の一部分として存在している。その私は私なりに最善をつくして、すべての人々、太陽、大地とともに栄えていく」という意味合いになる。
「自然」は「おのずからそうある」ことで、人為的なもののない状態をさす。

 人類は自然界の何らかの関連作用で生まれてきて、寺田寅彦が、
「あらゆる植物や動物と同様に長い長い歳月の間に自然のふところにはぐくまれてその環境に適応するように育て上げられて来たもので」(『日本人の自然観』)

と述べているように、自然と人間を切り離すことはできないし、同列に並べることもできないが、その自然界の中で、人としての最大限の本分を尽くして、あらゆるものと調和を保ち合いながら共に繁栄していこうとする思想である。

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「引用文献」
・〔山岸会と山岸巳代蔵〕→『全集第一巻』の補遺(二〇〇四年五月)
・「解説・ヤマギシズム社会の実態(一)」→『全集第二巻』(一九五四年一二月)
・『山岸会事件雑観』「ヤマギシズムと山岸会」→『全集第三巻』(一九六〇年四月)
・『懐想・メーポール』かばくひろし(山本英清)→『全集・第一巻』(一九六一年四~一〇月)