振出寮
○振出寮との関わり その頃のわたしは、昼間は豊里実顕地の第二次製品部の牛精肉部門で仕事をしていたし、予備寮の世話係など他のこともしていたので、主に夕食前後、車で30分程の振出寮のある東部実顕地にいき、打合せ・研鑽会などして、夜中に豊里Gにある居…
○実顕地での振出寮 1992年5月12日に「参画者振出寮」は始まる。テーマは「振出に戻る」。99年2月まで続く。その間ずっと係として関わっていた。 振出寮では、わたしはリーダーとして、中心的な役割を担っていて、ここで行ったことの責任はおおかた…
○ヤマギシズム生活実顕地と振出寮 振出寮の構想が出てくるのは、各地に「ヤマギシズム生活実顕地」造成の機運が高まってくるにつれてである。 1960年10月に、保釈中にもかかわらず和歌山県の下六川の杉本雄治宅に出向いて、一体経営から本当の一体でや…
○はじめに 振出寮は山岸巳代蔵の晩年の構想から始まった。 その後ほどなく山岸巳代蔵は亡くなられたので実現はされなかった。 実際に実現したのは、ほぼ三十年後、実顕地で開設された。 わたしは、そこで中心になって関わってきたこともあり、知っている限り…