○親しくしているBさんの<ヤマギシの交流の場>の提言を読んで、改めて私にとって「ヤマギシ」について考える機会となった。
私は、現実顕地で活動している人たちとも交流しているし、離脱者や深く関わった当時の青年たちとも交流を重ねている。
現実顕地で活動している人たちも様々な思いがあり、離脱した人々もいろいろなケースがあり、「ヤマギシグループ」メンバーの記録を読んで、考えさせられることもいくつかある。
離脱者の中には、ヤマギシのことは一切触れたくない人や糾弾を重ねている人もいる。
また、ヤマギシのことよりも今の活動や関心事に力を注いでいる人たちもいる。
どちらかというと私は「広場・ヤマギシズム」にも力を入れているが、今の関心事の方に比重がある。
10年程「村」で暮らしたBさんは《色々ありましたが、今では貴重な経験をさせてもらえたと思います。》という。
これについては他の方からもよく聞く。
「ヤマギシグループ」メンバーの記録を読むと、いろいろなことがありながら、何かしら関わっていき、グループに参加している人もいるかと思う。
山岸巳代蔵や実顕地について、今の貴方はどう思っているのかと問われることもある。
先日、「ヤマギシズム」を根本否定されているK氏から、貴方は「ヤマギシ」に対し根本肯定と根本否定のどちらなのかと尋ねられた。その質問に、次のように考えた。
〈「ヤマギシ」に限らず、たいがいの事柄を、根本肯定と根本否定と一刀両断に分けることはしないように私はしています。たいがいの事象には、根本肯定と根本否定では割り切れない面があり、まして、山岸巳代蔵、山岸会や実顕地についても同じように考えています。〉
なお、私が豊里Gで中心メンバーとして活動していた頃の1980年頃~2000年頃までの実顕地の失敗やお粗末なことについて、あのことはどうだったのか、その現象がその頃の実顕地構造の何に由来するか、様々な角度から考察することが大事だと思い、これまで「広場・ヤマギシズム」に私なりに書いていた。
ささやかでいいので、これからもそれを続けたいと考えている。
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<ヤマギシの交流の場>
https://www.facebook.com/groups/334119399658056