広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎山岸巳代蔵全集・第一巻

◎山岸巳代蔵全集刊行にあたって
 人として、この世に産まれたからには、「幸福に生きたい」というのが、人間誰しもの望みであり、それを願いながらの日々の営みと言えるだろう。
それゆえ、真の幸福を求めてやまない多くの思索や実践が、人類の歴史の中で、時や場所を超えて幾重にも積まれてきた。
しかし、「本当に幸福に生き得た」という人が、いったいどのぐらいいるだろうか。また、自分は幸福だと思っている人がいたとしても、それが、子々孫々変わりなく続く揺ぎないものだと、言い切ることができるだろうか。

 ここに、一つの思想がある。
 誰もが幸福に生きることは何も難しいことではなく、「幸福が当たり前で、一人の不幸な人もいない社会は人間自身の知恵と力によって必ず実現し得る」という信念を抱いていた、山岸巳代蔵の思想である。

 一人ひとりは、「幸福でありたい」、「争いなどしたくはない」と心の底では望んでいるのに、なぜ仲違いしたり、反目しあったり、しまいには同じ人間同士での闘争にまで至ってしまうのだろう。
山岸は、そんな人と社会のあり方に疑問を持ち、「人生の真の姿とはどのようなものか」、「本当の社会とは何か」と、真理の究明に自らのすべてを注ぎ込んで理想社会の実現を目指した。戦争の世紀とも云われる二〇世紀前半のことである。

 そして、思索の中から一つの考え方を見つけ出し、〝ヤマギシズム〟と名づけた。同時に、その考え方を通して、「誰もが幸せに生きられる社会」を齎すための理念や具体的方法も、数多く提唱していくことになる。

 その一つのかたちである「山岸養鶏」が戦後の日本農業界において一世を風靡する中、山岸巳代蔵の思想に触れ、それに共感を覚えた人達によって山岸会が結成され、その後、様々な活動が行われていった。山岸の没後、活動は時代と共に移り変わり、農業面のみにとどまらず、流通、教育、環境など多岐にわたって展開され、日本国内はもとより世界各地にも伝播していった。

 だが一方で、かたちとなって現われた姿を、〝ヤマギシズム〟そのものと受け取り、誤解してしまうということが、実践しようとする人にもままあったし、周りからもそう見られがちであった。目に見える部分ではなく、どうしたら皆が幸せに暮らせる社会になるだろうか、本当に人間らしい生き方とは何だろうか、と探究しつつ実践する一人ひとりの中に、その精神が息づいてきたのだろうが……。

 今ここで、私たちは改めて出発点に立ち返り、考えてみたい。はたしてヤマギシズムとはいかなる考え方なのだろうか。そして、山岸巳代蔵がその生涯をかけて究明した思想は、その到達した世界は奈辺にあるのだろうか、と。

 それには様々なアプローチが可能であろうが、私達は、提唱者である山岸自身の著作や講演記録、口述記録などから、なんとかその本質を読み取ることができないだろうかと考えた。

 ところが、山岸自身はかなり多くの文章や記録を残しているにもかかわらず、その提唱した考え方や思想、哲学、具体的実現方法等を知ることのできる資料は、わずかしか世に出ていない。
山岸会会員ですら、その著作の一部しか知らないし、まして、それらがまとめられて公刊され、一般の目に触れたり、研究対象になるといったこともなかった。

 そこで、私たちはまず、山岸巳代蔵の著作・講演録・私信・その他の記録等の資料を整理し、公刊することから始めることにした。それによって、自分たち自身や、現在山岸会活動に関わっている人のみならず、広く世界の学者・研究者・実際家へ、研究資料として提供しようと考えたのである。

 山岸自身が何を考え、どんな社会を描いていたかを、その著作や記録といった「文字」から正確に読みとることは、難しいことかもしれない。
また、人の一生や社会は生きたものであり、その本質や妙味、肝心なところは、どれだけ言葉を並べても、表現できないものなのかもしれない。

 ただ少なくとも、本全集の刊行によって、この思想が広く様々な人々の目に触れる機会が増えるであろう。そして、公正な批判・検討の対象となることで、〝ヤマギシズム〟の解明が進み、誰もが希求してやまない、ほんものの幸福社会、仲良い住みよい社会を齎す一助となすことができれば幸いである。
  二〇〇四年三月
  山岸巳代蔵全集 刊行委員会

○第一巻の編集を終えて
 山岸会創設五〇周年を期して、昨(二〇〇三)年五月、山岸会全国集会が開催された。そのときに、山岸巳代蔵の著作を何とか形にして世に発表し、広く全世界の幸福を希求する人々の研究材料として提供できないだろうか、という話がもちあがった。思えばそれが、「山岸巳代蔵全集刊行委員会」の始まりだった。
その話が、具体化したのが昨年九月のことだった。

 はじめての会合がもたれたとき、「第一巻を来年の五月に出そう」という話で一致した。何しろ、山岸会の創設期を実際に体験されている人には、亡くなられている方も多い。生前の山岸巳代蔵を直接知る人も、年齢を重ねられている方が多く、時を経るにしたがって、貴重な証言を得る機会が少なくなっていくのである。

 刊行委員会の仕事は、そういった方々への取材や確認に基づいて、さまざまな著作や資料の蒐集・確認・整理をしながら、それと並行して、整理されたものを順次刊行していくということになった。そして、それには、第一巻をできるだけ早く形にし、刊行の趣旨を知ってもらうことが肝要であると考えた。当初思っていたよりもはるかに手のかかる作業だったが、幸いなことに多くの方々の協力を得ることができ、第一巻を出せるところまでこぎつけることができた。

 山岸巳代蔵の著作の中には、これまでに何らかの形で発表されたものも多い。しかし、半世紀も前の掲載誌を保管されている方は少なく、写し間違いや誤植もある。編集過程で変わっていると見受けられる文面もある。元の原稿がないものがほとんどなので、どのように整理し、訂正を加えたらよいか、判然としないところもあった。判断がつきかねて、その旨を註として記した箇所もある。

 山岸巳代蔵著と思われるが、確実な根拠もなく、どうとも判定できない文章もあった。できるだけ確実を期したいが、収録されないことによってそれらが日の目を見ないのは惜しいという意見も多く、山岸の著作である可能性が高いと思われるものに関しては、参考資料扱いにして収録することにした。

 編集にあたっては、著作そのものの中から真意を汲み取り、思想を研究できるように、原文の流れを損なわないことを第一とした。その範囲内で、読みやすさを図るため、漢字や仮名遣いなどは、できるだけ現代の表記に改めた。また、意味が通りにくいと思われるところでは、句点や読点の位置などを修正した。さらに、時代や社会的な背景をある程度つかめるように、註釈をつけたり、年譜を作成したりすると同時に、同時代の資料をいくつか収録した。

 それらを一つ一つ検討したり、事実の確認をしたりしながら、この刊行委員会で集約した見解によって編集を行った。検討の足りない部分もあると思うし、間違いの含まれている可能性も否めない。もし間違いがあればご指摘いただき、正しい情報があれば、ぜひ刊行委員会までお寄せいただきたい。それらの意見をきいて、さらに検討を加え、正しさを期していきたい。具体的には、このホームページにて、新たに分かった事実や、訂正を随時掲載することで、補完していく所存である。

○第一巻について
 この巻には、一九五三年(昭和二八)から一九五四年(昭和二九)九月までに、山岸巳代蔵が発表した著作を中心に収録した。

 山岸巳代蔵の思想は、養鶏や農業にとどまるものでなく、人間の幸福や社会のあり方の理想を追求し実現しようとするものであろう。しかし、戦時下という時代の制約もあって、山岸は当初、自分の思想を鶏に適用して山岸式養鶏法を組み立てた。それが非常に画期的な省力養鶏で、短期間に効果のあがったこともあって、山岸の思想本体そのものよりも、その具現体の一つである「山岸養鶏」が戦後の農村を中心に急速に広まった。そうした関係上、特に初期の著作は、養鶏に関連したものが大半である。山岸自身の思惑としては、山岸式養鶏法の断片的な技術のみが広まり、それを中途半端に取り入れて、一時的には経済的成功を収めても、結局は失敗に終ることを懸念し、山岸式養鶏法の精神・経営・技術をも含めた総体を何とか多くの人に伝えようとしたようである。

 本巻冒頭に収録の、『山岸会養鶏法』は、こうした背景で一九五四年二月に出版された、山岸最初のまとまった著書である。それと前後して、篤農家の集まりである「全国愛農会」により山岸式養鶏法が紹介され、その発行誌である『愛農養鶏』に山岸の文章が連載された。また、農村への農業技術普及や精神運動を展開していた「愛善みずほ会」発行の『みづほ日本』にも連載の場が提供された。いずれも養鶏にまつわる著述であるが、山岸の思想が色濃く反映したものとなっている。

 さらに、同年四月には、山岸式養鶏会の機関誌『山岸式養鶏会会報』が創刊され、「獣性より真の人間性へ」を発表。九月発行の会報二号では「獣性より真の人間性へ(二)」「会の性格と運営について」など、山岸の思想を直接綴った文章も次第に発表するようになる。

  山岸が養鶏に関わったのは約二十年に及ぶが、心身ともに養鶏に打ち込んだのは、その間わずか二年に過ぎなかったという。山岸の本業は、一貫して、真理及び理想社会の探究、そしてその実現のための知的革命の理念と方法の模索であった。このことは、巻を追うごとに理解を得られると思う。

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 ※2004年5月4日、故山岸巳代蔵の43回目の命日を期して、山岸巳代蔵全集・第一巻が刊行されました。
 この全集は、真理の究明に自らのすべてを注ぎ込んで理想社会の実現を目指し、ヤマギシズムという考え方を提唱した「山岸巳代蔵」の著作や口述記録、座談会記録などを初めてまとめて出版するもので、この出版を通じて、山岸巳代蔵の思想・哲学およびその描いた理想社会実現の具体的方式が広くさまざまな人々の目に触れ、客観的な研究・検討の対象となることを趣旨としています。
 全集に掲載した見解や情報は常に更新して、最新の情報を提供することができるようにしたいと考えており、その媒体としてホームページを活用することにしたものです。
 さまざまな方々からのご意見をお待ちしています。
2004年5月 山岸巳代蔵全集刊行委員会・事務局

○目次
 ◆ 山岸会養鶏法 農業養鶏編
  本書は幸福の書
  序
  改訂に当りて
  ヤマギシズム社会式養鶏法
 一 特別解説
  1 本書を読みとり兼ねる人に
  2 この養鶏法を批判する人に
  3 現状に満足している人に
  4 頭の悪い人のために
  5 私が貧乏しているように誤解する人に
  6 山岸三号種について
 二 総論 養鶏産業の重要性
 三 事業態による分類とその将来性
 四 産業養鶏の分類
 五 目的生産物から見た部門とその概要
 六 本養鶏法の沿革
 七 農業養鶏とは
  農業養鶏の使命
  農業経営の一環としての農業養鶏
  副業養鶏は永続しない
  農法と養鶏の関連性鶏糞と農業経営
  肥料問題の解決農業養鶏の強靭性
  経営上の弱点  技術面の弱点
  余剰労力と人間生活
  山岸会養鶏法の一貫性
  人類生活に花を贈るもの
  物心共に満ち足りた協力社会へ
  農業養鶏の真髄
 八 農業養鶏には
  技術よりも経営を、技術・経営よりも根本原理を先に
  堆肥熱育雛推奨の理由
  生魚屑養鶏を排する理由
 九 失敗の実例とその原因
 十 山岸会とは
 十一 体験発表
 十二 結 び
 補遺・『山岸式養鶏法 農業養鶏編(前編)』より
 ◆山岸式農業養鶏について
  ナマクラ養鶏の真髄
  真理追究から発した養鶏
  自ら墓穴を掘る
  ――無制限の増羽による半専業化は危険
  病災は内より ――鶏舎の作り方について
 ◆山岸式養鶏法の実際
  稲と鶏(一)
  稲と鶏(二)
  稲と鶏(三)
  農業養鶏の目標
  ニューカッスル病について
  鶏舎
  【参考】山岸養鶏古参者どのへ
 ◆獣性より真の人間性へ
  獣性より真の人間性へ(一)
  獣性より真の人間性へ(二)
 ◆山岸式養鶏会会報・創刊号より
  ○米を一粒も輸入せずして満腹する法
  ○会員諸氏に図る
  ──会の技術と私の技術の公開について
  ○本会の現状を検討しましょう
  【参考】高槻のお母さん
  【参考】無資本から五○○羽養鶏へ
  【参考】 技術を統一しよう
  運営の方法を研究しよう
  【参考】編集後記
  【参考】何故雛を寒さにさらして訓練するのか
 ◆山岸式養鶏会会報・第二号より
  ○会の性格と運営について
  ○孫会員・孤独会員・無籍者を無くしましょう
  ○籠を編むに竹を使う男
  ○難解な私の言動
  ○山岸式養鶏法
  【参考】 ことばと真理 
  【補遺】 山岸会と山岸巳代蔵
  【資料】山岸会創設期の記録から
  ①山岸式養鶏会生い立ちの記/和田義一 
  ②本部研鑽会記  
  ③懐想・メーポール /かばくひろし
  ④八年前感激のめぐりあい/座談会記録
  第一巻の編集を終えて
  【資料】山岸巳代蔵年譜・山岸会年表
  〈付録〉山岸巳代蔵 著作・口述等 資料目録
  用語・人名解説
  索引