※『思想の科学』に掲載された「子ばなれと親ばなれ』は、後の「ヤマギシズム学園」に繋がる親たちや熱心なヤマギシ会会員、および『幸福学園』設立運動に共鳴する教育関係者などの気持ちと共通するものが多々ある。 - 『子ばなれと親ばなれ』 二、自由への旅…
「はじめに」 2017年12月にブログ「広場・ヤマギシズム」を立ち上げた。 それは、ヤマギシズムのことを考えていける一つの広場と考えている。また、後の研究者などに繋げればいいかなとも思っている。戦後生まれたコミュニティー・共同体の規模、現在まで続…
○吉田光男さんの『わくらばの記』で最初の頃、特に「学園」のことについて触れている。 《2月9日:私たちは、学園を遠い過去の問題として片づけずに、たえず現在の問題として振り返らずには、自分自身を前に進めることはできない。》に始まり、次のように展…
○ある元学園生と様々なことを交信する機会があり、いろいろのことを考えた。 当時の「ヤマギシズム学園」(1980年代、90年代)の暴力「殴る」などの話だ。当時の学園を推進していた人やその人らを支えていた世話係は、そうすることが学園生にとってよかれと…
◎第七巻について この巻には、『正解ヤマギシズム全輯』に関わる山岸の著述、口述録、研鑽会記録などを収録した。 著述・口述録は、一九五九年秋頃から一九六〇年春頃までのもので、研鑽会記録は一九六〇年二月~三月に行われた、『正解ヤマギシズム全輯』の…
○ある元学園生と様々なことを交信する機会があり、いろいろのことを考えた。 その中で、山岸さんが「感謝なし」と書いたことが間違いのひとつかもしれませんとあり、その後の連絡で、山岸巳代蔵の『人間の知能』にでてくる「感謝のない生き方-----」の一節が…
「私意尊重公意行」など、実顕地・ヤマギシズム社会独特の言葉遣いについて、鶴見俊輔「言葉のお守り的使用法」などから考察する。〇鶴見俊輔氏の考察に「言葉のお守り的使用法」がある。 「言葉のお守り的使用法とは、人がその住んでいる社会の権力者によっ…
◎第六巻について 山岸巳代蔵全集第六巻には、第五巻に引き続き、「ヤマギシズム理念徹底研鑽会」(理念研)の後半にあたる、第五回(一九六〇年一〇月)から第九回(一九六一年四月)までの記録及び、同時期のその他の記録類をまとめて収録した。第四巻に収…
◎第五巻について 山岸巳代蔵全集第五巻には、一九六〇年七月から一九六一年三月まで、九回にわたって行われた「ヤマギシズム理念徹底研鑽会(「理念研」)の記録のうちの前半部分、第一回(七月)から第四回(九月)までの記録を収録した。 本全集は、第四巻…
◎ヤマギシの<失敗学的>考察6 鶴見俊輔氏は様々な角度からヤマギシズム社会の可能性と危惧することを度々述べている。 この稿では、ヤマギシズム運動誌『ボロと水』第1号所収の「ヤマギシズムの本質を探る」での鶴見俊輔氏の発言を見ていく。『ボロと水』…
◎第四巻について この巻に収録した文書は、一九六〇(昭和三五)年秋頃から、翌一九六一年五月に旅先の岡山県興除村(現岡山市)で山岸巳代蔵が逝去するまでの、八ヵ月足らずの間に語られた口述録及び研鑽会記録等である。 この時期、山岸自身は、三重県の津…
○吉田光男『わくらばの記』は、失敗学的考察をするに際して一級の資料だと考えている。 「なぜ、と問うことを続けている。」というのが『わくらばの記』に一貫して流れている特徴だと思っている。 本書は、食道癌による入院前の2015年12月25日から書き始めて…
◎第三巻について この第三巻に収録した山岸巳代蔵の著作や口述、その他の記録は、一九五八年から一九六〇年前半にかけてのものである。 一九五六年一月に「山岸会特別講習研鑽会(特講)」が始まり、それを受講した会員が増えるにしたがって、山岸会の支部は…
○わたしと同時期(1975-2000頃)に活動した方で、そのような観点で考えていた人で思い浮かぶのは、実顕地に所属しながら亡くなられた吉田光男さんと、実顕地離脱後とあれはどういうことだったのかと問い続けて亡くなられた福井正之さんの二人の方をまず思う…
◎ヤマギシの<失敗学的>考察3 ○「失敗学的」考察の動機について ヤマギシ会はある程度社会的な影響をもたらしていて、そこから生まれた「ヤマギシズム実顕地」は共同体として注目され、そこに関わった人、関心を抱いた人もかなりいます。私はそこに27歳か…
※「失敗学的考察」をブログに投稿してから、様々なコメントや意見があり、テーマからも様々な方の思いがあり、その一部を適宜記録していこう考えている。 その中から「ヤマギシグループ」に投稿された武和さんの記録を一部転載する。 武和さんは自ら立ち上げ…
○「はじめに」 2022年12月に亡くなられた福井正之さんの遺稿集の位置づけとして翌年『福井正之記録集1』を自費出版した。 その「あとがき」に次のように書いた。《私はヤマギシの実顕地について次のことを思う。 数多くの失敗というかお粗末なことも…
○第二巻について この巻では、一九五四年一二月に発行された『山岸会・山岸式養鶏会会報・第三号』(以下『会報三号』)に掲載されたものから、一九五八年二月に発行された『快適新聞第四三号』に掲載されたものまで、約三年間にわたる、山岸巳代蔵の著作や…
◎山岸巳代蔵全集刊行にあたって 人として、この世に産まれたからには、「幸福に生きたい」というのが、人間誰しもの望みであり、それを願いながらの日々の営みと言えるだろう。 それゆえ、真の幸福を求めてやまない多くの思索や実践が、人類の歴史の中で、時…
〇「様々な方面からの要望から始まった『山岸巳代蔵全集』一巻~七巻刊行と関連資料編を編集し、山岸没後50年目の2011年8月に、刊行委員の8年に及ぶ活動は一応終了することになる。『全集』は、山岸の記録に関して、分かる範囲での述録や関連資料をまとめ…
○私はどうも理念というものに弱い人間だった。したがって人生のかなりの部分をそのように生きてきた。個々の理念ではなく<総合的な理念体系>、すなわちマルクシズムとヤマギシズムによって。ヤマギシではそれを「イズム」と略称していた。その個々の内容と…
○振出寮との関わり その頃のわたしは、昼間は豊里実顕地の第二次製品部の牛精肉部門で仕事をしていたし、予備寮の世話係など他のこともしていたので、主に夕食前後、車で30分程の振出寮のある東部実顕地にいき、打合せ・研鑽会などして、夜中に豊里Gにある居…
○実顕地での振出寮 1992年5月12日に「参画者振出寮」は始まる。テーマは「振出に戻る」。99年2月まで続く。その間ずっと係として関わっていた。 振出寮では、わたしはリーダーとして、中心的な役割を担っていて、ここで行ったことの責任はおおかた…
○ヤマギシズム生活実顕地と振出寮 振出寮の構想が出てくるのは、各地に「ヤマギシズム生活実顕地」造成の機運が高まってくるにつれてである。 1960年10月に、保釈中にもかかわらず和歌山県の下六川の杉本雄治宅に出向いて、一体経営から本当の一体でや…
○はじめに 振出寮は山岸巳代蔵の晩年の構想から始まった。 その後ほどなく山岸巳代蔵は亡くなられたので実現はされなかった。 実際に実現したのは、ほぼ三十年後、実顕地で開設された。 わたしは、そこで中心になって関わってきたこともあり、知っている限り…
○広島原爆忌の前日5日、宮城県気仙沼市長が打ち上げ漁船「第18共徳丸」の保存断念を表明していた。 それは私には、おそらく広島の子どもらが、その『誓い』において述べた心と対極にある決断だと感じた。くり返すが、そこにはこうあった。<――だから、あ…
○8月は暑いだけでなく重い。例年の原爆記念日から終戦記念日に至る一連の流れ、がである。 68年も経っているのである。マスコミは「風化させてはならない」と例年と同じく語り続ける。そして世代交代という次のぺ―ジを示すのである。 しかもマスコミは「…
○親しくしているBさんの<ヤマギシの交流の場>の提言を読んで、改めて私にとって「ヤマギシ」について考える機会となった。私は、現実顕地で活動している人たちとも交流しているし、離脱者や深く関わった当時の青年たちとも交流を重ねている。現実顕地で活…
(2)イデオロギーと「人として」の意味 前回紹介した門田隆将「死の淵を見た男」の記述の中で私が最も共振したのは、巻頭にあった以下のセンテンスだった。 「本書は原発の是非を問うものではない。あえて原発に賛成か、反対か、といった是非論には踏み込…
○親しくしているBさんから次のメッセージがありました。 《FBでヤマギシというグループ作りました。山口さんのヤマギシの広場のFB版みたいなものですが、是非山口さんの知見もお聞かせくださいませ》 そこで、大事なことだと思うこともあり、簡潔に現在…