○はじめに 振出寮は山岸巳代蔵の晩年の構想から始まった。 その後ほどなく山岸巳代蔵は亡くなられたので実現はされなかった。 実際に実現したのは、ほぼ三十年後、実顕地で開設された。 わたしは、そこで中心になって関わってきたこともあり、知っている限り…
○広島原爆忌の前日5日、宮城県気仙沼市長が打ち上げ漁船「第18共徳丸」の保存断念を表明していた。 それは私には、おそらく広島の子どもらが、その『誓い』において述べた心と対極にある決断だと感じた。くり返すが、そこにはこうあった。<――だから、あ…
○8月は暑いだけでなく重い。例年の原爆記念日から終戦記念日に至る一連の流れ、がである。 68年も経っているのである。マスコミは「風化させてはならない」と例年と同じく語り続ける。そして世代交代という次のぺ―ジを示すのである。 しかもマスコミは「…
○親しくしているBさんの<ヤマギシの交流の場>の提言を読んで、改めて私にとって「ヤマギシ」について考える機会となった。私は、現実顕地で活動している人たちとも交流しているし、離脱者や深く関わった当時の青年たちとも交流を重ねている。現実顕地で活…
(2)イデオロギーと「人として」の意味 前回紹介した門田隆将「死の淵を見た男」の記述の中で私が最も共振したのは、巻頭にあった以下のセンテンスだった。 「本書は原発の是非を問うものではない。あえて原発に賛成か、反対か、といった是非論には踏み込…
○親しくしているBさんから次のメッセージがありました。 《FBでヤマギシというグループ作りました。山口さんのヤマギシの広場のFB版みたいなものですが、是非山口さんの知見もお聞かせくださいませ》 そこで、大事なことだと思うこともあり、簡潔に現在…
○述懐、という言葉が浮かんだ。これまで書いてきた論考とか、随想とか、手記でもない何か。このところそのようなスタイルに収まらないようなものが溜まってきたような気がする。だが、捌け口が見えない。それはこれまでなかったいろんな人との交流の中で、新…
○すでに随所で間接的に触れているが、感動体験(生成体験)とは人間にとって、人生にとって、いいかえれば教育にとっても何なのか、についてここでもう少し視野を広げて述べておきたい。 それは先回最後に紹介した「蕩尽は聖なるものを呼び起こし、『全体的…
○先回の主旨は、子どもは遊ぼうとして遊んだわけではなく、何をやっても遊びだった、ということである。 しかし遊び自体は子どもとは区別すべき概念である。そのことを矢野氏は「(子どもには)自分が遊んでいるというより、遊び自体が生き物のように自己展…
○矢野智司本かじり歩き (3)子どもの遊び領域 「贈与と交換の教育学」より *『愛児へのおくりもの』について 先回、矢野本の「ボランティア」についての記述から体験学習の意味を考え、さらにそこからそれほど予測できたわけではないが、ヤマギシの学育、…
矢野智司本かじり歩き(2)感動とは教えることができない 「贈与と交換の教育学」より 先回、「感動体験」と言いうるもののおおよその枠組み、構造を探ってみた。今回はその少し外延を考えてみたい。 先回のキーワードの一つは、「深い感動は言葉にはならな…
〇福井さんが昨年死去されて1年が経ちました。 私のやれることとして「福井正之記録集1」をつくり、何人かの方には読んでいただけたようですが、もっとも嬉しかったのは、奥様から電話があり、感謝のこもった心が伝わってきて、先ずはよかったなと思いまし…
※『わが学究 人生と時代の “機微”から』の2018年6月に、【(62)人生と人間の〝再構築〟――夫婦のこと】【(63)われら元〝種族〟の「人生再構築」について】を掲載している。この2編は実顕地離脱後の「人生の再構築」について述べている。 - ◎人生と人間の〝…
※『わが学究 人生と時代の “機微”から』では、2017年9月に、【(12)難しい本はまずルーズに読む イリイチ訳者註】【(13)「自立共生」のイメージを深めるための数編の引用】に続いて【(14)「使用価値」だけの、金の要らない社会の現存】を掲載している…
※2017年8月に、ブログ『自己哲学第2章 反転する理想』から『わが学究 人生と時代の “機微”から』に変えて、改めて自分の仕事をふり返った。その第1回、2回の記録である。 - はじめに (1)自分の仕事 ブログを始めるきっかけになっているのは、ソロー『森の…
※『回顧―理念ある暮らしその周辺』の➂⑬に再度掲載された。このブログは『時空遍歴』からの転載。「時空遍歴」について福井氏は次のように述べている。 〈現在の私は認識の基本軸において、過去は同時に未来および現在であり、その逆も真であることをしっかり…
※『回顧―理念ある暮らしその周辺』の⓺⑦に再度掲載された。このブログは「回顧」とあるように過去のブログ、特に最初の頃は『時空遍歴』からの転載が多い。 この記事は、ジッケンチ離脱前後のヤマギシ的理念から生活実感への足掛かりとなる記録である。 - ◎<…
※『回顧―理念ある暮らしその周辺』(92)(93)で、経済の観点から実顕地について述べている。これは(45)で述べた村岡到氏の著作に触れての実顕地総括論である。村岡著について2013年3月に【村岡到「ユートピアの模索」から示唆されたこと、特に『生存権…
※『回顧―理念ある暮らしその周辺』(67)(68)で、「ジッケンチって何だったのかな?」という問いかけをしている。 文中に〈2000年時実顕地離脱について、私は長いことあれは<恥ずべき逃亡>のような負い目を抱いてきたが、近時実はそうではなく「出発」だ…
※これから順次掲載する福井正之記録は、自費出版した『福井正之記録集1』に掲載したものである。なお福井さんのブログでも読むことがでできる。〇『回顧―理念ある暮らし、その周辺』では、㉜~㊳まで「わが初期ジッケンチ論」を掲載している。ジッケンチにつ…
※「元学園親との対話から」は、2013年に記録した【<ヤマギシ学育>って何だったの?】の中で記述したものである。 内容は、①<自責の念>のその先、②<事実としての被害>と自己責任、③わが子との対話から始まる。となっている。 この論考は学園親からの声…
※ブログでは『福井正之記録集1』からヤマギシの実顕地の課題について考えていくつもりですが、同時に、福井さんの論考を掲載していきたいと思います。 しばらく2014年頃述べている「矢野智司本かじり歩き(1)~(5)を紹介します。 - ○矢野智司本かじ…
※『回顧―理念ある暮らし、その周辺』では、㉜~㊳まで「わが初期ジッケンチ論」、㊴で「ジッケンチ学育」に触れ、㊵~㊸まで「幼年部」について述べている。2019年12月の記録で、ここでは「幼年部」をあげる。 そして、㊵~㊷までは【ジッケンチの学育を考え…
○経過 福井さん逝去後、福井さんとはメール交換も含め手元にかなりの記録や未刊行小説原稿などがあり、私のやれることとして記録集の作成を考えました。まず試作品を作り、それを見直すとともに遊びに来た元学園生などに見てもらいました。 その後、校正や見…
※これは、2013年に記録した【<ヤマギシ学育>って何だったの?】の中で、元学園生のIさんの手記「ヤマギシで生まれ育って、今、思うこと」を読んで、吉田光男さんが投稿した【<学育><研鑽>の本質から考える】に呼応して書いたものである。 ここでは最…
※これは、「試論―実顕地とは何だったのか、1」「試論ジッケンチとは何だったのかⅡ」2009)の第3部として書かれたもので、別の論考でも再々取り上げている。前半部分は「ジッケンチの学育を考える①と重なるので割愛する。 - ◎<試論>ジッケンチとは何だった…
※『回顧―理念ある暮らしその周辺』㊴で「ジッケンチ学育」を掲載している。ジッケンチ学育については、2010年に<試論>ジッケンチとは何だったのか 第3部 <ジッケンチ学育>外論 を書いている。この記録は<ジッケンチとは何だったのか〉の三部構成の第3…
※『回顧―理念ある暮らしその周辺』では、度々「詩」を取り上げている。2021年5月30日から6回に亘り「わが詩集」、3回に亘り「詩論集」を掲載している。そこに「詩と断章、魂の領分」「今浦島抄」のなかから数編掲載されている。私のノートに、詩集「詩と断…
※福井さんはヤマギシのジッケンチに限らず、数々の考えさせる論考がある。その論考は、ご自分が暮したジッケンチの各課題に引き付けて考察したものが多い。その中から随時紹介する。 なお、これは、ブログ『わが学究 人生と時代の “機微”から』の2019年2月…
○福井正之氏の新ブログ『回顧―理念ある暮らし、その周辺』の9月6日に、〈⑯「今浦島抄」から わが初発の感覚と認識〉が掲載された。 その詩集「今浦島 抄」について、思うことを書いてみる。 福井さんは1976年35歳の時、独特の理想を掲げた山岸会の初期のころ…