広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

新山岸巳代蔵伝

◎山岸会誕生(新・山岸巳代蔵伝⑭)

第五章 〝われ、ひとと共に繁栄せん〟 1 山岸会誕生 和田義一が養鶏を全国に普及するための会を山岸に持ちかけ、和田、藤田菊次郎、山下照太郎、山岸の四人が会結成についての話し合いを始めたのが一九五三年(昭和二八)の一月中旬。それから会発足まで二…

◎山岸会結成前の山岸巳代蔵(新・山岸巳代蔵伝⑫)

第四章 日常の総ての現れはもとの心の顕れ 3 たった一人でもよい、ほんとうに聴いてくれたら 日本の終戦直後の経済状況は、領土の四四%を喪失、住宅・工場・輸送設備の著しい損耗、海外復員者・引揚者約六百万人、戦後賠償負担と惨憺たる状況からの出発で…

◎山岸巳代蔵の本領(新・山岸巳代蔵伝⑪)

第四章 日常の総ての現れはもとの心の顕れ 1 農業改良普及員和田義一との出会い 一九四四年に向島に移転してからは、家の傍の池を利用して多数のアヒルを飼って、海軍機関学校へ食糧補給として納めたりして生計を立てていたが、ほどなく終戦となる。 敗戦に…

◎「ナマクラ養鶏」とは(新・山岸巳代蔵伝⑩)

(第三章 社会や人生のあり方を根本的に究明することが先決) 5 鶏にも豊かな生活を 山岸巳代蔵の論考『山岸式農業養鶏について』が一九五四年『愛農養鶏』に発表されたとき、「愛農会」(愛農救国を理想として全国に拡がっていた団体)では「ナマクラ養鶏」…

◎『山岸巳代蔵全集(第一巻)』について(新・山岸巳代蔵伝⑨)

(第三章 社会や人生のあり方を根本的に究明することが先決) 4 「山岸式養鶏法普及会」と「山岸会」 1950年9月、ジェーン台風が京阪神を中心に猛威を振るう。あたり一望倒伏田の中、稲が見事に立ちそろっている山岸の耕作田を発見したのが、台風被害の…

◎根本問題から究明しなければ、永続する養鶏は成り立たない(新・山岸巳代蔵伝⑧)

(第三章 社会や人生のあり方を根本的に究明することが先決) 3 根本問題から究明しなければ、永続する養鶏は成り立たない 一九三四年九月に室戸台風にあって鶏舎は大損害を受け、それを機会に下京区の台風で倒れた養鶏場を買って移転することになる。その頃…

◎社会や人生のあり方を根本的に究明(新・山岸巳代蔵伝⑦))

第三章 社会や人生のあり方を根本的に究明することが先決 1 一定の師がなく、型がなく 二一歳から郷里で小規模の養鶏をはじめた。この頃について千代吉は、 「実に熱心なもんやった。いつ寝ていつ起きるのか皆目見当つかんことやった。わしがいつ起きても仕…

◎科学性と精神(新・山岸巳代蔵伝⑥)

3 山岸と近江人の「商い」のセンス ここでは、山岸と近江商人との類似性という観点に絞って見ていく。山岸の「商い」のセンスは卓抜したものがあった。 近江商人については渡来人説が有力である。滋賀県の湖東地方(近江商人輩出の地でもあり山岸の生地でも…

◎青春彷徨と、その時代背景(新・山岸巳代蔵伝⑤)

2 青春彷徨と、その時代背景 この稿では山岸巳代蔵の青年期二〇歳前後の社会状況をみていく。 『山岸会養鶏法 農業養鶏編』「六 本養鶏法の沿革」(一九五四年二月)は次の記述から始まる。《六 本養鶏法の沿革 ・月界への通路 私は一九歳の時、或る壁にぶ…

◎徴兵検査をうける。(新・山岸巳代蔵伝④)

第二章 人間の生活は一生を通じて遊戯であり1 何しにこんなところへ来んならんかな 一九二一年二〇歳の時に、郷里に帰って徴兵検査を受けた。検査場は近江八幡、検査の結果は乙種であった。それに関して語っている発言は山岸らしいものである。《------もう…

◎煩悶青年として(新・山岸巳代蔵伝➂)

第一章 理想は方法によって実現し得る4 ある壁にぶつかり、苦悩の内に一生かけての仕事を始める 一九一六年(大正五)、山岸は一五歳で高等小学校を卒業し、学校の募集に応じて京都の今出川にある大橋商店という絹問屋に奉公に出る。しかし罵り合い喧嘩が絶え…

◎「優柔不断」の人として(新・山岸巳代蔵伝②)

第一章 理想は方法によって実現し得る3 優柔不断が本当 先の「子供の時分を想い出して」の文中に、熟慮断行と優柔不断について述べている。そこに、「少年期に一見優柔不断に見えるような恥ずかしがりであったらしいが、熟慮断行の人になろうとしていた」と…

◎熟慮断行と優柔不断と(新・山岸巳代蔵伝➀)

〇『山岸巳代蔵全集』刊行の終了に伴って、その手引きとなるようなものの必要性を覚え、全集刊行・編集の過程で明確になった事実経過をふまえ、俯瞰的な観点から伝記形式にまとめ、『山岸巳代蔵伝―自然と人為の調和を―』を2012年に刊行した。 その後、ヤ…