◎第五巻について 山岸巳代蔵全集第五巻には、一九六〇年七月から一九六一年三月まで、九回にわたって行われた「ヤマギシズム理念徹底研鑽会(「理念研」)の記録のうちの前半部分、第一回(七月)から第四回(九月)までの記録を収録した。 本全集は、第四巻…
◎ヤマギシの<失敗学的>考察6 鶴見俊輔氏は様々な角度からヤマギシズム社会の可能性と危惧することを度々述べている。 この稿では、ヤマギシズム運動誌『ボロと水』第1号所収の「ヤマギシズムの本質を探る」での鶴見俊輔氏の発言を見ていく。『ボロと水』…
◎第四巻について この巻に収録した文書は、一九六〇(昭和三五)年秋頃から、翌一九六一年五月に旅先の岡山県興除村(現岡山市)で山岸巳代蔵が逝去するまでの、八ヵ月足らずの間に語られた口述録及び研鑽会記録等である。 この時期、山岸自身は、三重県の津…
○吉田光男『わくらばの記』は、失敗学的考察をするに際して一級の資料だと考えている。 「なぜ、と問うことを続けている。」というのが『わくらばの記』に一貫して流れている特徴だと思っている。 本書は、食道癌による入院前の2015年12月25日から書き始めて…
◎第三巻について この第三巻に収録した山岸巳代蔵の著作や口述、その他の記録は、一九五八年から一九六〇年前半にかけてのものである。 一九五六年一月に「山岸会特別講習研鑽会(特講)」が始まり、それを受講した会員が増えるにしたがって、山岸会の支部は…
○わたしと同時期(1975-2000頃)に活動した方で、そのような観点で考えていた人で思い浮かぶのは、実顕地に所属しながら亡くなられた吉田光男さんと、実顕地離脱後とあれはどういうことだったのかと問い続けて亡くなられた福井正之さんの二人の方をまず思う…
◎ヤマギシの<失敗学的>考察3 ○「失敗学的」考察の動機について ヤマギシ会はある程度社会的な影響をもたらしていて、そこから生まれた「ヤマギシズム実顕地」は共同体として注目され、そこに関わった人、関心を抱いた人もかなりいます。私はそこに27歳か…
※「失敗学的考察」をブログに投稿してから、様々なコメントや意見があり、テーマからも様々な方の思いがあり、その一部を適宜記録していこう考えている。 その中から「ヤマギシグループ」に投稿された武和さんの記録を一部転載する。 武和さんは自ら立ち上げ…
○「はじめに」 2022年12月に亡くなられた福井正之さんの遺稿集の位置づけとして翌年『福井正之記録集1』を自費出版した。 その「あとがき」に次のように書いた。《私はヤマギシの実顕地について次のことを思う。 数多くの失敗というかお粗末なことも…
○第二巻について この巻では、一九五四年一二月に発行された『山岸会・山岸式養鶏会会報・第三号』(以下『会報三号』)に掲載されたものから、一九五八年二月に発行された『快適新聞第四三号』に掲載されたものまで、約三年間にわたる、山岸巳代蔵の著作や…
◎山岸巳代蔵全集刊行にあたって 人として、この世に産まれたからには、「幸福に生きたい」というのが、人間誰しもの望みであり、それを願いながらの日々の営みと言えるだろう。 それゆえ、真の幸福を求めてやまない多くの思索や実践が、人類の歴史の中で、時…
〇「様々な方面からの要望から始まった『山岸巳代蔵全集』一巻~七巻刊行と関連資料編を編集し、山岸没後50年目の2011年8月に、刊行委員の8年に及ぶ活動は一応終了することになる。『全集』は、山岸の記録に関して、分かる範囲での述録や関連資料をまとめ…
○私はどうも理念というものに弱い人間だった。したがって人生のかなりの部分をそのように生きてきた。個々の理念ではなく<総合的な理念体系>、すなわちマルクシズムとヤマギシズムによって。ヤマギシではそれを「イズム」と略称していた。その個々の内容と…
○振出寮との関わり その頃のわたしは、昼間は豊里実顕地の第二次製品部の牛精肉部門で仕事をしていたし、予備寮の世話係など他のこともしていたので、主に夕食前後、車で30分程の振出寮のある東部実顕地にいき、打合せ・研鑽会などして、夜中に豊里Gにある居…
○実顕地での振出寮 1992年5月12日に「参画者振出寮」は始まる。テーマは「振出に戻る」。99年2月まで続く。その間ずっと係として関わっていた。 振出寮では、わたしはリーダーとして、中心的な役割を担っていて、ここで行ったことの責任はおおかた…