※『回顧―理念ある暮らしその周辺』(67)(68)で、「ジッケンチって何だったのかな?」という問いかけをしている。 文中に〈2000年時実顕地離脱について、私は長いことあれは<恥ずべき逃亡>のような負い目を抱いてきたが、近時実はそうではなく「出発」だ…
※これから順次掲載する福井正之記録は、自費出版した『福井正之記録集1』に掲載したものである。なお福井さんのブログでも読むことがでできる。〇『回顧―理念ある暮らし、その周辺』では、㉜~㊳まで「わが初期ジッケンチ論」を掲載している。ジッケンチにつ…
※「元学園親との対話から」は、2013年に記録した【<ヤマギシ学育>って何だったの?】の中で記述したものである。 内容は、①<自責の念>のその先、②<事実としての被害>と自己責任、③わが子との対話から始まる。となっている。 この論考は学園親からの声…
※ブログでは『福井正之記録集1』からヤマギシの実顕地の課題について考えていくつもりですが、同時に、福井さんの論考を掲載していきたいと思います。 しばらく2014年頃述べている「矢野智司本かじり歩き(1)~(5)を紹介します。 - ○矢野智司本かじ…
※『回顧―理念ある暮らし、その周辺』では、㉜~㊳まで「わが初期ジッケンチ論」、㊴で「ジッケンチ学育」に触れ、㊵~㊸まで「幼年部」について述べている。2019年12月の記録で、ここでは「幼年部」をあげる。 そして、㊵~㊷までは【ジッケンチの学育を考え…
○経過 福井さん逝去後、福井さんとはメール交換も含め手元にかなりの記録や未刊行小説原稿などがあり、私のやれることとして記録集の作成を考えました。まず試作品を作り、それを見直すとともに遊びに来た元学園生などに見てもらいました。 その後、校正や見…
※これは、2013年に記録した【<ヤマギシ学育>って何だったの?】の中で、元学園生のIさんの手記「ヤマギシで生まれ育って、今、思うこと」を読んで、吉田光男さんが投稿した【<学育><研鑽>の本質から考える】に呼応して書いたものである。 ここでは最…
※これは、「試論―実顕地とは何だったのか、1」「試論ジッケンチとは何だったのかⅡ」2009)の第3部として書かれたもので、別の論考でも再々取り上げている。前半部分は「ジッケンチの学育を考える①と重なるので割愛する。 - ◎<試論>ジッケンチとは何だった…
※『回顧―理念ある暮らしその周辺』㊴で「ジッケンチ学育」を掲載している。ジッケンチ学育については、2010年に<試論>ジッケンチとは何だったのか 第3部 <ジッケンチ学育>外論 を書いている。この記録は<ジッケンチとは何だったのか〉の三部構成の第3…
※『回顧―理念ある暮らしその周辺』では、度々「詩」を取り上げている。2021年5月30日から6回に亘り「わが詩集」、3回に亘り「詩論集」を掲載している。そこに「詩と断章、魂の領分」「今浦島抄」のなかから数編掲載されている。私のノートに、詩集「詩と断…
※福井さんはヤマギシのジッケンチに限らず、数々の考えさせる論考がある。その論考は、ご自分が暮したジッケンチの各課題に引き付けて考察したものが多い。その中から随時紹介する。 なお、これは、ブログ『わが学究 人生と時代の “機微”から』の2019年2月…
○福井正之氏の新ブログ『回顧―理念ある暮らし、その周辺』の9月6日に、〈⑯「今浦島抄」から わが初発の感覚と認識〉が掲載された。 その詩集「今浦島 抄」について、思うことを書いてみる。 福井さんは1976年35歳の時、独特の理想を掲げた山岸会の初期のころ…
※福井さんから送られてきた2021年正月の年頭所感、2018年自家出版『追わずとも牛は往く』を刊行し、3年目の年頭所感です。○福井正之「年頭所感」から ✱自分の人生ということでは、前半はヤマギシ実践、後半その反省記述で、一生ヤマギシ漬けになりました。そ…
〇福井さんのブログは「ビジョンと断面」に続き、2014~2016年までブログ『時空遍歴』を立ち上げ、『自己哲学第一』『自己哲学第2章 反転する理想』と続き、2017年に『わが学究 人生と時代の “機微”から』に続く。『わが学究 人生と時代の “機微”から』は、…
○昨年12月23日福井正之さんが死去されました。享年81歳です。 奥様の美千代さんからの連絡によりますと、しばらく前から大腸癌で入院していましたが、本人強い希望で2か月程前に家に帰ってきて、その後は福祉・医療関連などの方々の支援により穏やかに暮…