広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎(49)問い直す⑧<オールメンバ―研>の行動について

〇先回クレーマーのことを取り上げたのは、確かに現在の必要からであった。これまでわがパート職場でかなり面倒だったクレームの主要問題が今春一挙に解決し、あれっていったい何だったのと見直す余裕が生まれた。そのことを私なりに整理しておきたくなったのは、なんといてもあんなのは二度とはごめんだというシビアーな印象が残ったからである。

 ところでそれについてのコメントに返事を書いているうちに、私の意識は一挙に2000年のヤマギシ時代に逆行してきたのである。

 さよう、あれこそはこの駐輪場クレームの数百、数千倍に匹敵する巨大クレームであった。あのマスコミ、反対派をはじめとした大小様々な批判、非難、抗議の火炎に包囲されながら、ムラの対応はほとんど無策とは言わないまでも、とった措置はかえって火に油を注ぐものでしかなかった。いわば<外部クレームに対する逆クレーム>はほとんど不発だったのである。その中ではマスコミ各社への反論電話、投書が主たるものだったが、ただそれ以外でやはり蘇ってくるのはあの反対派への直接の働きかけだった。

 それはたしか<オールメンバ―研メンバー>の総決起的研鑽会で決議されたことである。私もそこに参加して「おいおい、そこまでやることなのか」と半ばおののきながら、みなといっしょに手をあげていた記憶がある。「無理暴力を通さずに、智恵と理解の研鑽で」の言葉は今も直蘇ってくるくらい骨身に沁みていたはずであった。だが、そこではそれに反することを決行することに賛同していたのである。しかし私にできたことは、新聞社支社に出向いて抗議の意思を表明してくることしかなかった。その後、この流れによる反対派(元村人)への直接の暴力行使で、マスコミに取り上げられたケースがあった。

 このことについて私は以前にも触れていると思うが、ここ1年くらいではHPでの「反転する理想」のテーマの中で書いた。特に告白的というわけでもなく、私に関わる事実として。この<告白>云々をもう少し突っ込んでおくと、この事実はたしかに私にとって<黒い汚点>であるにもかかわらず、これまで少しあっさりしすぎていたのではないか気になっている。事実遇った過誤はあれこれ躊躇してもしようがないという思い、あるいは平気を装っているのかもしれない。私の長い孤独がそれを当たり前にしていたとも思う。

 こういう突っ込みが私に中に生まれたのは、いうまでもなく吉田光男さん語録『わくらばの記』にある「問いへのさらなる問い」に触発されてきたからである。同じあの場に居合わせた人は私だけではない。かれらはどう考えているのか。そのことについて公表できる人だけでなく、いない人もいると思う。私が公表できるのは、自分では一応誠実だと考えてはいるが、そのことについてなにがしかのシビアーな理由を抱えて、沈黙せざるをえない人もいるかもしれない。いわばそうした全体がこの事件の全情況であり、同時にこのことへの究明への糸口になりうる。

 そして今回のわが職場でのクレームのことである。私はいささかナイーブになっているのかもしれないが、妙に因縁的な感覚に襲われる。この駐輪場でのクレーム事案にぶつかっていなければ、私はこの場でオールメンバ―研のことなぞ書かなかったであろう、と。それも普通なら過去のそのこと自体から直接書いていたはずだが、今回は私の目前で経過していた<現在>が過去のあの事態を呼び寄せたという感覚がある。

 私自身はそれほど違和感があったわけではないが、「過去との対話」は一貫して私のメインテーマであった。しかしいうまでもないが、現実は進行する現在の波が過去をどんどん遠ざけていく。この必然的な困難のただ中で過去に照準を合わせ続けることは、ある意味で普通ではない。しかし私のレベルでは到底及ばないことだが、例えば日中戦争時の戦場の実態究明を今も続けている人の存在とその意義は、単なる歴史研究以上の計り知れないものがあると考える。

 ところが今回はいささか趣を異にする。起こったのは目前の現実が過去に直通したこと、それはいいかえればあの過去の事実は現在に類似したモデルを持ちうるということ(あるはその逆)でありうるかもしれない。私がその現在について考えたことは、私自身の「正しさへの感度」がいかに弱いかという発見だった。あのクレーマーたちがぶつけてくる熱い主張にいわばヘドモドしていたのである。雇用者としての「立場」もあったにしても、それを超える。 

 そのことを私はまず同僚からも感じられる「見え透いた〈正しさ〉には必ず〝裏〟があると思う習性」として押さえてみた。それはしばしば何もしないことの言い訳につながる。さらにこれに関連する、「正しさ」理念よりはずっと内発的な「心の真実」(レアリティー)に依拠してきた、これまでの私の思考習性を意識している。そしていまそれらに加えて2000年当時のあの時の<躊躇と随順>(「無理暴力を通さず・・・」に反することへの躊躇的賛同)が蘇るのである。

 いわば、あれは「不都合な真実を隠蔽するために」「目的のために手段を択ばない」決意の表明だった。そのことについてわずかに私が容認できるのは、貧苦のためにそうせざるをえない場合である。ムラを出て以降それに近い状況に見舞われなかったとは言わない。しかしそこまで追い込まれてはいなかった。しかしあの決意が生じた時点ではだれも飢えてはいなかった。

 それならばなぜ? それでも絶対に守り抜かねばならなかった理想があったから? そこまで画き得ていたならば私のあの躊躇は何? しかしおそらくそこまで画き得た人がいたはずである。そして私はその彼に最後は従ったのである。

 これまで考えたことの繰り返しかもしれない。しかしどこかで考えたことのない新たな片鱗に触れるかもしれない。ともかく「問いへのさらなる問い」に向けて考え続けることを已めるわけにはいかない。2017/7/1

◎私意尊重公意行➂(鶴見俊輔「言葉のお守り的使用法」など)

※「私意尊重公意行」に限らないが、実顕地の「機構と運営」に関するヤマギシズム独特の言葉について、鶴見俊輔「言葉のお守り的使用法」などから考察する。

【説得的定義と「言葉のお守り的使用法」と実顕地】から
〇鶴見俊輔氏の考察に「言葉のお守り的使用法」があります。
「言葉のお守り的使用法とは、人がその住んでいる社会の権力者によって正統と認められている価値体系を代表する言葉を、特に自分の社会的・政治的立場を守るために、自分の上にかぶせたり、自分のする仕事の上にかぶせたりすることをいう。このような言葉のつかいかたがさかんにおこなわれているということは、ある種の社会条件の成立を条件としている。もし大衆が言葉の意味を具体的にとらえる習慣をもつならば、だれか煽動する者があらわれて大衆の利益に反する行動の上になにかの正統的な価値を代表する言葉をかぶせるとしても、その言葉そのものにまどわされることはすくないであろう。言葉のお守り的使用法のさかんなことは、その社会における言葉のよみとり能力がひくいことと切りはなすことができない。」とし、お守り的に用いられる言葉の例として、「民主」「自由」「平等」「平和」「人権」などを挙げている。(※『鶴見俊輔集3 記号論集』筑摩書房、p390)

 ヤマギシズム)実顕地でいえば、「研鑽、一体、調正、本当の仲良し、~が本当、私意尊重公意行、理----」などがあります。その言葉をお守りのように身につけることで、あたかも自分が体得しているかのように錯覚し、その言葉や表現を用いて論をたて人々の説得の道具にするような使い方をしている人、が少なからずいたのではないかと思っています。

「研鑽」の限らず、その頃の実顕地は説得的な「お守り的言葉」の使用に闌けていたと思います。その言葉の一つひとつを吟味することなく、自らの感性に照らすことなく、安易な使いかたをしていた。むろん私も例外ではありません。

 このことは特定の理念を掲げた集団にはよく見られることで、その集団内でしか通用しない言葉で語りがちになります。学術分野、健康分野、教育分野などにも感じます。

 鶴見俊輔は『定義集(ちくま哲学の森 別巻)』の解説で、〈「説得的定義」とスティーブンスンの呼ぶものは、数学や自然科学にも少量ふくまれており、社会科学や歴史学においてはさらに大量、そして日常生活で使われる言語では野ばなしで使われている。政治や広告では、説得的定義の本領が発揮される。〉と述べています。

 「説得的定義」「言葉のお守り的使用法」は、その頃の実顕地を語るための一つの視点になると思っています。また、情報化の激しい現社会の留意しておきたい課題だと考えています。

【指向性の強い観念と実顕地のこと】から
〇次に、実顕地の目指す方向への強い指向性のある言葉として、「提案と調正」「私意尊重公意行」という運営の根幹となる表現に触れる。
「私意尊重公意行」は実顕地独特の言葉である。
 おそらく、理念提唱者の山岸巳代蔵がそこに込めた意味合いは、一人ひとりの意思を尊重し、研鑽の持続で、公意(だれもが納得するような一致点)を見出し、まずはそれで実行し、さらに繰り返し研鑽で確かめつつ、よりいいものを見出していこうという意味あいである。

 その言葉は山岸自身の問題意識を背負っていると思われる。その発した言葉の奥底の心や問題意識まで迫っていかないと、その隠された大きな意味をとらえることが出来ず、浅薄なとらえ方に陥ってしまう。実際このようなことを実現するのは容易ではないと思う。

 私が所属していた頃の実顕地では、個人の意思は一応大事にしますが、実顕地のあるべき方向で、それに相応しい人たちで考えるので、その判断に任せて、出た結論に従ってください。というような感じだった。

「提案と調正」も、共に同じ土俵でとことん話し合い検討するというよりも、提案する人と調整する人とにくっきり分かれていて、結局は調整する人にお任せするというような「調正」の意味とかけ離れたものとなっていた。

 このようなことになっていたのは、専門分業の「任し合い」という考え方もあるだろう。
 他の部門の人たちの言動について違和感を覚えても、ことさら異を唱えることを控える。あるいは、何か深い考えがあってそうしているのだろうと、実顕地の目指している方向や中心になって進めている人たちへの根拠のない信頼などが、「任し合い」の負の要素を引き出していたと思われる。

 また、自分たちはかってないような素晴らしいことをしているという根拠の全くない倨傲などもあり、実顕地独特の観念にくもらされて、個人的な感覚や感情による違和感を覚えたとしても、積極的にとことん疑問を解消しようとしない体質もあったのではないだろうか。
 勿論すべての人には当てはまらないが、特に積極的に運動を進めていた人、調正を担っていた人に、目立つ傾向であったように思っている。私のことを振り返っても。

 実顕地について述べてきたが、理想を掲げた集団や政治結社の多くに、あるいは「反戦使い」にすら、多かれ少なかれ共通した体質を感じるときもある。特に大声で自説を叫んでいる人を見ると、いたたまらない気持ちが出てくる
 その組織特有の表現、言葉を使うことによる、意識、認識過程の変容と、それに伴って、その組織の進む方向に合わせたような感覚になっていくこと。
 ことさら「正しい、本当の、真の」というような表現を多用し、その集団独自の表現が目立つと、内容を吟味する前に嫌な感情が出てくる現在の自分がいる。

参照・本ブログ◎指向性の強い観念と実顕地のこと(2015-09-28)
・◎説得的定義と「言葉のお守り的使用法」と実顕地(2019-04-16)

◎私意尊重公意行について②(山岸巳代蔵伝から)

〇『山岸巳代蔵伝 ―自然と人為の調和を―』12章から
 ここで、思想的な集団における総意の形成について考えてみる。
 ある種の思想的な集団にとって、組織の活動の広がりにともない、一人ひとりの自由意志力による総和というよりも、管理維持的な要素や能率的な欲望が色濃く出てくるようになる。
 そのことから、特定の力のある人が運営面において影響力を発揮するようになり、その体制が固定化していくと、推進的な立場の人が自説補強的思考法になり、その組織の方針を徹底化しようと、他者を従わせようとするし、構成員自らもそこに合わせるような傾向も出てきがちになる。
 また、それを批判する人々による権力闘争的な動きも出てくる。結局、組織の方針に合わない人が排除され、ますます、その組織の現状維持的な体制が強固なものになっていく。
 そうすると、意識的にも無意識的にもそのようなベクトルが強く働くようになり、この傾向が特定の人だけではなく、組織を維持する全体の気風にまで発展するようになる。そうなってくると、一人ひとりのもっている活力がそがれ、ひいては組織全体の活力が失われることになる。思索というのは、常に、現状の枠組に収まりきれないところから芽生えるのである。

 山岸の提唱した「私意尊重公意行」という理念がある。
 事件後の『ハイハイ研鑽について』の中で、次のように述べている。

「固定不動の教義によらないで、みんなの意志を織り込んで公意志を見出し、それをまたみんなで改めて進展していく――公意に絶対服従」、「公意は個人の意志の集積であり、個人の意志によって変更できるものである」

 この論考では、「少数の異見こそ大切に」とか、「多数の暴力」の危うさが語られ、組織・機構のあり方が論じられていて、興味深いものがある。
 だが、みんなの意志をどのようにして総意にしていくかの方式が、特定の人たちに委ねられているとしたら、排他的になりかねないと思う。

 吉本隆明が、『中学生のための社会科』の「国家と社会の寓話」の中で、ヤマギシ会についても触れていて、そこで「自由な意志力」と「公共性」について言及している。
「個々の『自由な意志力』の総和をのみ『公共性』と呼ぶ。『自由な意志力』以外のもので人間を従わせることができると妄想するすべての思想理念はダメだ」とし、現代社会はどこかに高度な管理システムを含んでいて、そのことは不要なのではないが、「被管理者の利益と自由の最優先」の原則が貫かれていることが肝要であるとしている。

 私も大よそこれにくみするし、山岸の観方にも重なってくるものがあると思われる。
 高度管理技術が普及した社会で、国家や地域社会に限らず寡民による小社会でも、その公共性をどのように形成していくのか。管理側が政策決定して住民が従う方式ではなく、そこで暮らしている人々の自由意志力によって総意が形成されていくための方式はどうあったらよいのか。また、個々の自由意志力を優先するとは、「公の意志」とはどういうことなのか、などの究明・実践が現代社会での大きな課題となっているのではないだろうか。

◎私意尊重公意行について①(『わくらばの記』から)

※先回福井正之さんが言及している「私意尊重公意行」はヤマギシズム独自の表現で、おそらく山岸巳代蔵が産みだした言葉だと思う。そして、実顕地の機構と運営の中でも根幹をなす考え方と思っている。そこで「私意尊重公意行」について、しばらく取り上げていこうと考えている。
 まず、吉田光男『わくらばの記』から見ていく。

.〇吉田光男『わくらばの記』から
〈3月26日〉
 確か「中日」の論評だったと思うが、内山節氏が「公」という考え方が今の時代に必要だと書いていた。ちょうど私自身、「公」の思想について考えていた時期だったので共感を覚えた。

 ヤマギシではこの「公」の思想は出発当初から大事にされてきて、研鑽学校では「私意尊重公意行」がテーマとして用意されてきた。だが、2000年以降、このテーマに違和感が生じてきて、一部には公然と反対の声を上げる人も現れ、何となく中心テーマになりにくいような感じになってきた。その理由は、「公意」というものがその時々の実顕地の方針に合わせることだとする雰囲気があったためではないかと考えられる。鈴鹿問題や裁判問題を通じて「公意」を「押し付け」と受け取っていた人たちが結構いたのである。

 しかし、本来「私意尊重公意行」という考え方は、そんなものではないだろう。このテーマを考えるさいの重要なポイントは、「公」と「私」の関係をどうとらえるかにかかっているように思う。つまり、「公」と「私」を対立概念としてとらえるか、共通概念としてとらえるか、である。

「私意尊重」というのは、一人ひとりの「私」が納得しないうちは「公」が成立しないということである。だから山岸さんは「一人でも反対のあるうちは結論は出さずに次に持ち越す」と言っている。

 しかし、実際の運営上では、大多数が賛成し少数の反対者があった場合に、「みんなが賛成しているではないか」と有形無形の圧力がかかる場合が多かった。「それが調正所の方針だ」とか「研鑽部の誰それがそう言っていた」とか、そう言われるとそれに賛成できない自分はイズム理解が浅いのではないか、とかえって自分を責める方向に向かってしまう。自分の「私意」を自分自身が尊重しないことにもなる。振り返ると、そうした動きに私自身が陥ったり、逆にその動きを推進していたのである。これは戦中の「滅私奉公」と同じで「私意尊重」ではなく「私意抹殺」につらなる。

 本来のヤマギシの「公」は、あくまで「私」を尊重し生かすものでなくてはならない。「公」と「私」は対立するものではなく、「私」がやがては「公」に高まり、それに含まれるようになる。もともと「公」とされる考え方も、最初は誰かの「私意」にすぎなかったものが、同調する人が増えて「公」になったのである。その意味で調正所の見解といえども、それは調正所の「私意」に過ぎない。研鑽を経て「公意」にまで高める努力を怠ってはならないのである。

 しかし、日々動いている現実の活動体にあっては、何日もつづけて議論に明け暮れるわけにはいかない。そこで、「とりあえずこれでやってみて、その結果をまた研鑽しよう」と、一時保留を含む公意が成立することになる。だから、「公意」といっても絶対的なもの、永続的なものではなく、たえず振り返り、反省、検討を加えるべき対象である。

 山岸さんは、公意に関して次のような発言を残している。

「公意そのものが、いい加減なものだとしてかからんと、危ない。……『まあまあ』で『せめて』というのが入るのやぜ」

 公意は参加者全員の一致によってのみ成立するのである。しかし、その一致が雰囲気に押されたものであったり、多数に呑み込まれて成立するものであったりする場合もある。あるいは、単に反対でないというだけのものかもしれない。だから、山岸さんはこうも言っている。

「意見が違うならば、なおさら寄って話し合う。しかし同意見の時は、なおなお注意する。みんなの意見が一致した時は最も注意すると、こうなるのと違うやろか」

 研鑽学校のパネルの最後には、「公(おおやけ)に生きる私の生き方」というテーマがあった。ここでいう「おおやけ」は、実顕地での思考・行動様式としての「公」というだけでなく、社会全体、世界全体を通じての「公」であって、人間の人間としてのあるべき生き方・あり方を意味するものと思われる。内山節氏の言う「今の時代に求められる公」とは、そういうものではないかと思った。

〈3月27日〉 
 昨日は「公」と「私」について考えたが、もう少し蛇足を加えるならば「公」と「私」は相互に移行したり転化したりするものだと考えられる。例えば、戦中の「滅私奉公」などという当時の公的スローガンは、今では一部ウルトラ右翼以外には見向きもされない。逆に敵対思想として摘発された個人主義が、公的思想として支持されている。

 このように「公」と「私」は時代状況によって変わるものであるが、いかなる時代にも変わらぬものが「公(おおやけ)」という考え方・生き方ではないだろうか。磯田道史氏の『無私の日本人』を読んでいると、そんな感じがしてくる。

〈4月27日〉
  前に私意尊重公意行を考えたところで、私意の尊重がないところに公意は成り立たない、と書いた。しかし、私意が尊重されるためには、私意というものがはっきりと成立していなければならない。当りまえの話ではあるが、いつ、どこでも、自分の意思・感情・欲求等を自由に表明できるかと言えば、事はそう簡単なことではない。村の歴史、自分の来し方を振り返ると、特にそう思うのである。

「こんなことを言ってはまずいのではないか」
「流れに逆らうようだから出さんとこう」等々。

 こういう自己規制のようなものが働いて、自分の意見を出さないことがずいぶんあった。これは私だけでなく、多くの村人の心理を捉えていたように思う。だから、どの研鑽会もいわゆる公式発言が多く、中身の乏しい面白くないものになっていたのではないか。

 これは一人ひとりの問題でもあるが、根本は自己規制を促すような村の気風の問題である。調正所を中心とする指導部門が、テーマを通じて「これが正しい考え方だ」と方向づけると、どうしてもそれに沿って考えようとし、本心とは別の意見を出すことになる。個の自立が妨げられ、それをまた一体と勘違いしていた。しかし、個の自立がないところに同化はあっても一体はない。つまり、個のないところに私意は存在しないし、したがって公意も成立しない。私意尊重公意行も成り立たない。 

〈4月28日〉
 ヤマギシの中で私意の表明を妨げていた言葉に「ひっかかり」と「我執」がある。
 まず「ひっかかり」であるが、自分の中に何か納得できないことや疑問などが生じて、それが解消されない状態、それが「ひっかかり」であろう。これは誰にでも起こりうることで、それが物事を考える出発点になる。しかし村では、ひっかかることはこだわることであり、良くないこととされてきた。こうした先入観の下では、自分の思い悩むことなどはとうてい出すことができない。それは解消されずに個人の内部に蓄積されることになる。そして、ひっかかったり、こだわったりすることは、我執として否定されてきた。そうなると、自分が一番思い悩み、考え、解決したい問題が、闇に葬り去られることになる。本当はそのひっかかりこそが、研鑽さるべき最大のテーマの筈なのだが……。

 2000年問題以降、ずっと悩み、考え続けてきて、ようやく悩み、ひっかることこそが、自分が真正面から取り組むべきテーマなのだと気づくようになった。これを研鑽態度の問題や我執外しといったことに解消することはできない。それは、研鑽のないごまかしの世界に人を導くことになる。なぜならそれは、ひっかかっているという自分の事実・実態を認めないからであり、事実・実態を認めないところに真実はないからである。

参照:◎吉田光男『わくらばの記』(6)(2018-04-03) 
◎吉田光男『わくらばの記』(8)(2018-05-03)

◎ (48) 問い直す⑦ <自発的自己抑制>の構造(福井正之)

〇先回、いうなれば「自分以外の何者かになろうとする」願望について考えたが、そこで私は「今ある自分の姿」とは何かが改めて問われたように思う。その過程で、私はどちらかといえば単刀直入に問題に当たってしまう自分の性急さのようなものに気づかされてきたが、吉田さんにはいろんな情報に目配せしながら手順、段階をしっかり踏む慎重さがある。そこにこそ問い直しがくり返しでなく、深まっていく要因があると改めて感じる。「自分」という言葉に関わりがある「私意」について触れた以下の輪述もそうである。 

〈前に私意尊重公意行を考えたところで、私意の尊重がないところで公意は成り立たないと書いた。しかし、私意が尊重されるためには、私意というものがはっきり成立していなければならない。当たり前の話であるが、いつ、どこでも、自分の意思・感情・欲求等を自由に表明できるかと言えば、事はそんな簡単なことではない。(中略)

「こんなことを言ってはまずいのではないか」
「流れに逆らうようなことは出さんとこう」等々

 こういう自己規制のようなものが働いて、自分の意見を出さないことがずいぶんあった。これは私だけでなく、多くの村人の心理を捉えていたように思う。だからどの研鑽会もいわゆる公式発言が多く、中身の乏しい面白くないものになっていたのではないか。

 これは一人ひとりの問題でもあるが、根本は自己規制を促すような村の気風の問題である。調正所を中心とする指導部門がテーマを通じて「これが正しい考え方だ」と方向づけると、どうしもそれに沿って考えようとし、本心とは別の意見を出すことになる。個の自立が妨げられ、それをまた一体と勘違いしていた。しかし個の自立がないところには同化はあっても一体はない。つまり個のないところ私意は存在しない。私意尊重も公意行も成り立たない。〉(112~113p)

 私も当時の自分の私意についての理解について、まったく同様のものを感じていた。私はムラ出後それを単なる自己規制というよりもっとシビアーに「自発的自己抑制、いいかえれば自己感情への自らの意識的ないし無意識的抑制と捉えなおしてきた。ただ当時は全く逆にそれを指導部門に沿っていく<自発的自由の実践>だとみなしていた節がある。

 もちろんそれも純粋な完璧さはなく、そこになんらかの無理があったことは、のちにそのことをイヤーな虫唾が走るような嫌悪として、いやでも思い出さざるをえなかったからである。私もかなり長い間常連だった「経営研」その他の研鑽会(ムラでは〝上級〟と見なされていた)なるものの場面や雰囲気は、今でもありありと思いだしてしまう。忘れようがないのである。そこでは

〈リーダー格の誰かが言いだすと、ほっとしたような首振りがさざ波のように広がるのだった。その沈黙の原因はいうまでもなく自分の発言がその場の“正解”として肯定されるか否かの不安があったからである。こういう“自己検閲”がくり返されると、本来真意を吐露すべき研鑽会では“フン詰まり”状態となり、その場の“正解”なるものに合わせ続けているうちに、自分の本音は何だったのかすらぼやけてくるのである。〉(「ジッケンチとは何だったのか、1」)

  いや、ぼやけるどころではなかった、自分の<本音>すらなかったといってもいい。なんでそんなことになってしまったのか? それももはや信仰者に限りなく近い、いやちょっとちがう節もある。想い出そうとしているうちに、ふと「自由からの逃走」ということばが過った。検索してみるとファシズムの心理学的起源を明らかにしたとされるエーリッヒ・フロムの名がある。名前は著名だが読んではいなかった。語録を探ってみる。

「個人的自我を絶滅させ、耐え難い孤独感に打ち勝とうとする試みは、マゾヒズム的努力の一面に過ぎない。もう一つの面は、自己の外部の、いっそう大きな、いっそう力強い全体の部分となり、それに没入し、参加しようとする試みである。」(『自由からの逃走』)

  ヤマギシはたしかにナチズムではない。発端も、背景も、構造も異なる。しかしある局面で、いわば全身的にかかわってきた私という個の内面で、なんと近似的なのだろうと思わせる。かのアウシュビッツですら精神的自由があったことは『夜と霧』等によって知られた事実である。しかし<心物豊満>といわれる社会のただ中で、逆の心象が見出されるのである。これは辛い。しかし残念ながら、この反転は私のなかでもう何度もくり返されてきた。したがって私はここで舞い上がってはおれないし、そういうふうに見えてくる場の冷静な解析が不可避である。

「孤独感に打ち勝とう」「マゾヒズム的努力」といってもどうもピタリではない。しかし私がのちに思い返された「自発的自己抑制」とは、マイ自我を抑え込もうとしたマゾヒズム的な努力以外の何かだろうか。それが当時そう見えなかったとすれば、それを「自発的自由の実践」とみなす自己粉飾(メッキ化)が成功していたからだと思う。そしてその鼓舞要素となったのは、「力強い全体の部分となり、それに没入」するという日々だったはずである。

 この背景にあるのは、吉田さんご指摘のようにムラの気風とそこでの<調正>指導部門の方向付けの大きさだった。私がそこに見たのは、はじめはそれほど気づかなかった組織の上下感覚の拡大だった。いわゆる特講以来、研鑽会での通例の感覚は、自分を放ち晒し他のそれを受け入れる「一列横」の同志の対等・平等の感覚だった。しかし起こったことは、研鑽会参加者のA、Bの区分け、<見守られているから、監視されているへ>という上下感覚、メンバー間の自他隔離等々、きわめてドラスチックなものでそんな曖昧なものではなかった。 

 しかし、なぜそれを受け入れてきたのか? 私は機会があるたびにそれらの疑問を記述してきたが、どうも一般論で自分の置かれた場の制約を越えてはいなかったと思う。したがってフロムのいうマゾヒズムについては充分思い当たるが、その動機として「孤独感に打ち勝とう」とする動機は生まれなかったと推測する。それなりに身内的な仲間はいたから。しかしそういうシビアーな孤独体験のあるメンバーもいたはずだと思う。そのことも考え、もっと厳密に問い直してみると、私にも「上から認められたい」という欲求はあった。それこそ実はわが孤独感の発条だったのではないかと気づく。

  これらの現実経過は、「私意尊重公意行」の理念(理想)から照らし出してみると、どんなことになってくるのか。<私意抑圧、上意行>になっていなかったのであろうか。しかもその欲求や感情のみではない「私意」を見つめ直す試みは、放棄されることで容易に消滅していくのではないだろうか。そういうことへのこだわりは、しばしば我執だとみなされる集団では特にそうなりやすい。

 そして「私意尊重公意行」の世界はどうしても全体主義的イメージは感じにくいが、あの集団からはどうもその匂いがしてくる。自動解任がほとんど機能しなくなっていたからばかりではなさそうだ。2017/6/16

 参照:◎吉田光男『わくらばの記』(8)(2018-05-03)

◎百万羽子供研鑽会について

※ヤマギシズム社会の運営の根幹をなす研鑽会について、吉田光雄さんは指標のごとく取り上げています、私も同様に思っています。ここに「百万羽子供研鑽会」について書かれた記録を 二編の論考から抜粋しました。

〇「山岸巳代蔵の思想についての覚書➀」から
 研鑽会について、もっとも簡潔に要点を言いあらわしたものとして、『百万羽子供研鑽会』から「研鑽会」の個所を抜粋する。

・「研鑽会は、先生やおとなの人、みんなに教えてもらうものではありません。また、教えてあげるものでもありません。自分の思っている考えをそのまま言って、間違っているか、正しいか、みんなの頭で考えます。ですから、先生が言うから、みんなが言うから、お父ちゃんが、お母ちゃんが、兄ちゃん、ねえちゃんが言うから、するから、そのとおりだとしないで考えます。(中略)
 本当に自分も良くなろうと思えば、みんなが良くならなければ、自分が良くなることが出来ませんから、みんなが良くなることは正しく、そうでないものを間違いとしてきめていきます。そうして、みんながそうだとわかるところまで考えてきめます。その中で、そうでないと言う人や、わからないと言う人が一人でもいれば、みんなでもっと考えます。
 こういうようにして、一つ一つみんながそうだと言うところまで考え、正しいことを実行していきます。間違っていたらすぐあらためます。
 そこで、人がしないからしない、あの人に言われるからしない、あの人がするから自分もする、というのでなく、人のことを言わずに正しく考えて、自分から進んでするのです。
 こうして自分自分が考えて、正しいことを実行していくのですから、ごまかさずに、だまさずに、わからないことはわからない、知らないことは知らないと言って、だれの言うこともよく聞き、一生けんめいに考えます。そうして何事をするにも、自分だけのことでなく、みんなのこともよく考えて、正しいことは、先ず自分から実行して、みんなが仲良い、住みよい社会にしていきます。(『全集三巻』『百万羽子供研鑽会』p356より)」 

 この資料は、後の実顕地構想につながる「百万羽科学工業養鶏」の建設で、参画者が子どもなどを伴って一家で参画してきたころ、子どもたちも増えてきて、そこで使用されていたようだ。

 全集刊行にあたって、山岸巳代蔵の著述についてできる限りもらさず掲載するように心がけた。だが、相当山岸が関与したと思われるものも、署名がないもの不確かなものについては参考資料として掲載するようにした。

『百万羽子供研鑽会』は、山岸の関与が相当濃いものだと思われるが、その意を受けて他の人が作成したものを吟味してできあがったのかまではわからない。わたしは山岸の著述の一つとみなしていいと思っている。

 この資料を読んで、「研鑽会」のようなよく説明しようとするとギクシャクした表現になりがちな概念を平易な日常生活語で子どもにもわかる表現ができるのだなと思う。中学生ぐらいになってある程度論理的に考えられるようになれば、どのような人にも考えることができるように表現するのは、優れた思想の条件だと思う。勿論そうでないからといって、優れた思想ではないとはいえないが。

・「研鑽会は、先生やおとなの人、みんなに教えてもらうものではありません。また、教えてあげるものでもありません。自分の思っている考えをそのまま言って、間違っているか、正しいか、みんなの頭で考えます。」

・「そうして、みんながそうだとわかるところまで考えてきめます。その中で、そうでないと言う人や、わからないと言う人が一人でもいれば、みんなでもっと考えます。こういうようにして、一つ一つみんながそうだと言うところまで考え、正しいことを実行していきます。間違っていたらすぐあらためます。」

・「こうして自分自分が考えて、正しいことを実行していくのですから、ごまかさずに、だまさずに、わからないことはわからない、知らないことは知らないと言って、だれの言うこともよく聞き、一生けんめいに考えます。そうして何事をするにも、自分だけのことでなく、みんなのこともよく考えて、正しいことは、先ず自分から実行して、みんなが仲良い、住みよい社会にしていきます。」

  資料から三か所を取り出してみたが、これは子どもに限らず、大人にとっても「研鑽会」になっていく必要条件である。むしろ観念漬けで縛られている大人よりも、子どものほうが素直に受け取れるかもしれない。あえて述べると、ヤマギシズム運動に限らず、異質な人たちと暮らしていく社会生活においても、このような心のあり方で生きていける、話し合いができるのは大きなことだなと思っている。


〇「元学園生の手記を読んで 吉田光男」から
 ヤマギシの学育という考え方は、子どもを育てる上でもっとも大事な考え方だと思う。「教え育てるのではなく、子ども自らが学び育つ」ようにする。そのためには大人は、教えない・導かない・枠にはめない・個々の能力が個性に応じて伸びるようにする、その環境を用意し、見守る。これは大変大きなテーマであり、世話をする大人の大変な能力と情熱を必要とする。子どもは一人ひとり違っている。体力や能力が違うだけでなく、何よりもその一人ひとりを形成する心の宇宙が異なっている。大人ももちろんそうであるが、子どもは自分の心の宇宙で物事を感じ取り、理解し、それを広げることも、狭めることも、歪めることもする。大人と違って、子どもの宇宙はまだ柔らかくたくさんの色に染め上げられていない。しかも、個性があって、一律ではない。

 こうした子どもたちを世話しようとすれば、大人は自分たちの考えで子どもを律することなどできることではない。導くよりも何よりも、世話係はまず子ども一人ひとりを知り理解する努力から始めなければならない。子どもに教えるのではなく、子どもに学ぶことが学育の出発点なのだと思う。しかし、これは口で言うほど簡単なことではない。また、配置で誰でもができることではないだろう。それだけの能力と情熱と感受性を備えていなければならない。学園にはそれをやりぬくだけの人材は用意されていなかった。しかし、何よりも問題なのは、学園の方向が学育理念とは懸け離れたものになっていたことである。 

 学育理念について最初に書かれた資料がある。山岸さんが書いたと言われている「百万羽子供研鑽会」という子ども向けの研鑽資料である。その資料は、次の言葉で始まっている。

「研鑽会は、先生やおとなの人、みんなに教えてもらうものではありません。また、教えてあげるものでもありません。自分の思っている考えをそのまま言って、間違っているか、正しいか、みんなの頭で考えます。ですから、先生が言うから、みんなが言うから、お父ちゃんが、お母ちゃんが、兄ちゃん、ねえちゃんが言うから、するから、そのとおりだとしないで考えます」

  この文書には昭和33(1958)年8月の日付があり、春日山に百万羽が発足した当初、参画者の子どもたち用に書かれたものとされている。ここに言われている「先生やおとなの人」という言葉は、「学園の係や村の大人」と言い換えることもできる。つまり、係の言うことも「そのとおりとしないで考える」ということである。学育や学園という仕組みができる前に、学育の考え方が既にはっきりと示されていたのである。

 しかし現実は、学育とは全く違った指導・育成の方向にいってしまった。おねしょをしたら裸にして立たせる、あるいは水をかける。個別研と称して狭い部屋に閉じ込め、反省文を書かせる。しかも自由に書くはずの作文に「こう書け」と言わんばかりの指示を与える。こうした指示や体罰は、「教えない、自ら学び・育つ」という学育とどこに一致するところがあるだろうか。押しつけ・強制・体罰は、本来ヤマギシズム学育とは無縁のはずである。

 「子供研鑽会」資料には、続いてこう書かれている。

「みんながそうだとわかるところまで考えて……その中でそうでないと言う人や、わからないと言う人が一人でもいれば、みんなでもっと考えます。
 こういうようにして、一つ一つみんながそうだと言うところまで考え、正しいことを実行していきます。間違っていたらすぐあらためます。
そこで、人がしないからしない、あの人に言われるからしない、あの人がするから自分もする、というのではなく、人のことを言わずに正しく考えて、自分から進んでするのです。
 こうして自分自分が考えて、正しいことを実行していくのですから、ごまかさずに、だまさずに、わからないことはわからない、知らないことは知らないと言って、だれの言うこともよく聞き、一生けんめい考えます」(全集三巻)

 学園問題を論ずるときに、よく学育理念そのものがおかしかったのだ、という人がいる。しかし、決してそうではないだろう。学園のあり方・運営が、学育理念と懸け離れていたことが、躓きのもとになったのだと思う。そして、こうした躓きのもとは、学園世話係や学園事務局だけにあったのではない。本庁をはじめとする当時の指導部門、そしてその方向を無条件で信じ支持して学園運動を展開してきた私たち村人一人ひとりにその大元がある。したがって、“自分は関係なき第三者”という立場を装って、学園世話係の責任だけを追及する人もいたが、そこからは問題の本質が浮かび上がることはないだろう。

 しかし、学園世話係の多くが、学園生から恨みをかっていたのは事実である。学園出身者の一部には、仲間同士で集まると、「あいつだけは許せない」と今でも言っているそうである。よほどひどい仕打ちや暴力を振るわれたのであろう。そういえば、学園崩壊が始まった2000年前後に、「あいつが実顕地に戻ってきたらボコボコにしてやる」と息巻く子どもたちがいたと聞いたことがある。その係は実顕地の外に緊急避難して、遂に村に帰ることがなかった。そしてまた、当時の多くの世話係や学園関係者は、いま村を離れている。自分が、自分たちが行ってきた学園運動が何であったのかを振り返ることなしに。これは悲しい。

 参照:◎山岸巳代蔵の思想についての覚書➀(2016-10-08)
   ◎元学園生の手記を読んで 吉田光男(2013-10-30)

◎(47)問い直す⑥ なぜ自分を偽るのか?(福井正之)

〇「イズム、イデオロギーなるもの」への問いかけは私にとってかなり根が深い。今回はイズム体系全体への受容のこともあるが、より身近な日常的なジッケンチの「イムズの言葉」の受容、吸収の過程について取り上げる。それも吉田さんの以下の記述に出会ったからである。 

〈前に私は、「自分が自分であろうとするよりも、自分とは違う何者かになろうとしていた」と書いた。自分が自分であるよりない存在なのに、なぜ自分以外の何者かになろうとしていたのか。
 自分は自分が卑小な存在であることを知りながら、それを素直に認めたくなかったのだ。本来の自分ではない存在であるかのように自分を示そうとして、自他を偽るのである。しかし他は偽れないので、結局は自分を偽り通すことになる。
 教養主義や向上志向などもその表れだ。そして参画してからは、例えば「あるべき姿があるはずです」というテーマの「あるべき姿」に自分を見せかけようとする。テーマに向き合いとりくむのではなく、見せかけの方に力を入れるのだからバカな話だ。しかし、これは私だけのことではなく、多くの村人にも見られた傾向である。(中略)
 人間は今ある自分の姿をそのまま認め、そこから出発する以外にない。自分を隠す、自分を飾るということは、他の評価によって自分を位置づけようとする、風まかせ、波まかせの実に不安定な生き方に他ならない。〉(30p)

  この文章はどうも表現は易しく解りやすいが、考えだすとよくわからないところがある。しかしどうも見過ごすわけにはいかない肝心なことに触れているような気がする。

「自分が自分であるよりない存在なのに、なぜ自分以外の何者かになろうとしていたのか」という問いである。少々漠然としているが、思い当らないこともない。

「自分は自分が卑小な存在であることを知りながら、それを素直に認めたくなかったのだ」とは少々ドキリとする。自分のことも含めてお書きであれば、よくもこうはっきり書かれたものだ。言われるまでもなくよくあることである。おそらく無意識の習性にまでなっているはずだ。韜晦とか自己欺瞞とか。

 <な―にちっぽけな人間ですよ>と卑下、謙遜しながら、逆にそのことで自分をもっとよく見られたいとねがっているのだから厄介なことだ。それだけではないが、そこから「偽り」が始まるというのである。「自他を偽る」ということが。<いやそれは飛びすぎだよ、人間の日常的な習性だよ>とも言いたいが、論理的には人間の「偽り」の発生源と見なされても致し方ないとも思う。

 この指摘がコワいのは、「しかし他は偽れないので、結局は自分を偽り通すことになる」というところまで届いていることである。「自分のことを自分が一番知っている」はずなのに、自己欺瞞の部分が自己イメージのかなりの部分を占めることになって、そのまま自分を認知してしまっていることもないとはいえない。

  どうも大それた話になってくるのだが、それにふさわしくまず事例も「教養主義や向上志向」のことになる。ところが例えば教養主義や向上志向」のどこが問題なのか? <教養主義>はたしかにいかがわしいと感じることもあるが、私には向上志向がそうとは考えにくい。ただそれも度を過ぎると問題が多いと思う。

  しかしこのことをいったん<ことばの外部注入>という観点で捉え直してみると、別の巨大な問題群が登場する。いわゆるイデオロギーの受容の日々の主たる営みは、まさにその「教養主義や向上志向など」と密接しているのである。その淵源は私の場合少年時代から始まるもので、以前に吉田さんが自分の少年時代の回顧から「いつも自分以外の何者かになろうとしてきた」と述べられている(19p)ところは私にも大いに思い当たる。

 私は少年時から抱え持ってきた鬱屈した意識から<解放され救われた>と感じたのは入学した大学での学生運動によってだった。それからマルキシズムが私のバイブルになった。その内実は運動もあったが、学習会、読書などのいわば<外部注入>の部分が大きなウエイトを占めた。偉大な世界思想に触れるという感激とともに。

  それは結果的に<疑似救済>でしかなかったと総括できたが、そのイデオロギー性から離脱できたわけではない。その後より<土着的庶民的イデオロギー>としてのヤマギシに<幻惑>してしまった、というのが私の参画の経緯であった。その問題意識は前々回の論考「問い直す④」の中でも書いたが要点をくり返す。

 〈「大事なのは他人の頭で考えられた大きなことより、自分の頭で考えた小さなことだ」(村上春樹)/“私の思想”とはどうもその小さなことに関わりがあるようだ/でもこれまで「他人の頭で考えられた」ことがいっぱい詰まっていて/それ以外のことはぼんやりしている〉(「今浦島抄」)

 ある意味で悔しいが、私はマルクシズムからの離脱過程と同じことをヤマギシの離脱の場合にも考え出していたのである。しかしヤマギシには「特講」というものがあったはずではないか。あそこで私は初めて自他融合の境地というものが、そうしようと努力しなくとも自己内に存在しうることを発見したという感触を得た。それも頭で考える疑似インテリの私などとちがって、自分に向き合って先に開けていった人々に触発されつつであった。

 参画して後、私が期待していた「特講的けんさん」の場はどこにもなかった。研鑽学校や生活法などの研鑽会はほとんど<注入IN>の場だった。特講のように自分に向き合いながら「出し合い、探り合い、気づき合っていく世界」(いわば表出OUT)ではなかった。

 ところで吉田さんが次に取り上げているのは、参画してからの例えば「あるべき姿があるはずです」のテーマのことである。私はこのテーマについて最初は真理・真実を直接言わないある謙虚さを感じたが、次第にその<思わせぶり的な理念信仰>の感触に嫌気がさしてきた覚えがある。それも「テーマに向き合いとりくむのではなく、見せかけの方に力を入れるのだから」というのは重々思い当たる。

  そして締めくくりとして吉田さんは次のように提示される。「人間は今ある自分の姿をそのまま認め、そこから出発する以外にない」と。このことばは重い。しかもよく解っているようで解らない。

〈今ある自分の姿をそのまま認め〉の「今ある自分の姿」とは何か?
 さらに「自分が自分であろうとする」とは何か?

 はっきりしてくるのは、それについて私はしっかり考えつめたことがないということである。参画時、あんなにも「われ、ひととともに」の「われ」、「我当然執抹殺」の「我」に着目しながら。先回紹介した吉田さん自身の記述の中の、「それにもかかわらず、みんな自分は自分だとわかったつもりになっている」が念頭に浮かぶ。

  イズムの言葉を吸収しひたすらそれに合わせていく生活。そのように強いさせてきたジッケンチの組織構造もなかったとは言わないが、吉田さんはそれによって自ら埋没し隠していった<個の主体性>の貧弱を俎上に置かれていると思う。その「われ」を何とかして回復すること、それは「みんな」や「だれか」の世界ではない。 

 「自分の思っている考えをそのまま言って、間違っているか、正しいか、みんなの頭で考えます。ですから、先生が言うから、みんなが言うから、お父ちゃんが、お母ちゃんが、兄ちゃん、ねえちゃんが言うから、するから、そのとおりだとしないで考えます。」(「百万羽子供研鑽会」より)

  子どもにすら解りそうな表現が、なんと困難なことだろう。どこかでそうしてしまった<偽り>が累積してきたというしかない。(続く)2017/6/6

参照・◎吉田光男『わくらばの記』(3)(2018-02-17)
  

◎山岸巳代蔵の描く「真実の世界」

※山岸巳代蔵がヤマギシズム社会はどのような社会なのか述べたなかで、もっともよく現れているのは『ヤマギシズム社会の実態』の「一 真実の世界」の「各々真実の自分を知り、それぞれが真実の生き方の出来る社会を、ヤマギシズム社会としているのです。」と私は思っている。 
 
『山岸巳代蔵全集』刊行の終了に伴って、その手引きとなるようなものの必要性を覚え、全集刊行・編集の過程で明確になった事実経過をふまえ、俯瞰的な観点から伝記形式にまとめた『山岸巳代蔵伝―自然と人為の調和を―』の「第六章」に私の見解を載せた。
 以下にその一節を掲載する
 
〇第六章 各々真実の自分を知り、それぞれが真実の生き方の出来る社会

1 ヤマギシズム社会の実態について
『会報3号』に、山岸巳代蔵は『ヤマギシズム社会の実態』として、「解説ヤマギシズム社会の実態(一)」、「知的革命私案(一)」、「知的革命の端緒・一卵革命を提唱す」の三論文を発表した。これらの論文は、それまでのような、養鶏の経営や技術の中に山岸の思想や哲学や方法論を織り込んで発表するものでなく、山岸の考える理想社会(ヤマギシズム社会)の構想やその実現方法を、包括的に、具体的に、初めて正面から発表したものである。極めて短時間のうちに綴られたものであるが、青年期に構想しその後再検討を加えてきたものが端的に提案されている。この論文が発表された背景には、山岸式養鶏会の全国への急速な拡がりがあり、社会的にも山岸の思想が受け容れられる素地ができてきたという確信があったのではないかと思われる。
 これらの論文はその後、『ヤマギシズム社会の実態―世界革命実践の書』という一冊の本としてまとめられ、発表から約一年後に開催される「山岸会特別講習研鑽会」の研鑽資料として使用された。そして現在に至るまで、一三版を重ね、今もなお「ヤマギシズム特別講習研鑽会」において使用されている。その中の第一章概要「真実の世界」を見ていく。

一 真実の世界
 ヤマギシズム社会を、最も正確に、簡明に、云い現すものは「真実の世界」であります。幸福社会・理想郷・天国・極楽浄土等呼ばれるものも、言葉の上では、これと同じ意味を寓した場合が多いでしょうが、実態においては、他の云われる社会との相違は、極端なものがあると思います。
しかしまた私も、真実の世界の謂(いい)として、便宜上それらの言葉を用いますが、仮や、ごまかしや、空想的なものでなく、絶対変わらない一つ限りのものを目指しています。
人間社会のあり方について、一つの理想を描き、それが実現した時、またその上に、次の理想が湧いてくるなれば、先のは真実の理想社会でなかったということです。
 幸福についても、真の幸福と、幸福感とがあり、真の幸福は、いつになっても変わらないものであるが、幸福感は、場合によりでありまして、ある人には、ある社会ではいかにも幸福に思っていても、他が迷惑したり、中途から不幸に変わるなれば、真実の幸福でなかったことになります。
不幸な人が一人もいない社会、いつまでも安定した幸福社会が本当のものです。
誰の心のうちにも、社会組織にも、うそ、偽りや、瞞着の無いことが肝要で、判らないことを、架空的な、こじつけ理論で組み立てた社会等は、やがては崩壊する惧(おそ)れがあり、真実の世界ではありません。
 物財を求めていたものが、財産を掴んだ時や、地位・名声を望んでいた人が、それを得た時、無上の幸福を感ずることがあったとしても、それが安定した真実の幸福と云い切ることは出来ないでしょう。
 また何一つ病気にもならない健康体で、働けてあることは、幸福条件の一つとは云えましょうが、これも場合によると、病身の人より不幸のこともありますから、真実の働きをしているかどうかを、知らないと意外のこともありましょう。
 農業者が真の農人でなかったり、商人が真の商人でなかったり、政治・教育・宗教家が真のそれでないこともよくあることです。工場等でも、組織そのものにも、間違ったものがありますが、各々の立場において、真実、それに自己を生かすことによって、闘争等絶対に起るものではなく、かえって工場は繁栄し、自己を豊かにします。妻は妻、夫は夫、子に対しての親は親として、間違いない真の生き方があります。
 各々真実の自分を知り、それぞれが真実の生き方の出来る社会を、ヤマギシズム社会としているのです。

『ヤマギシズム社会の実態』は、本文だけで六万字余、B5版百ページほどの冊子である。おそらく十日間位で書き上げたと思われる。山岸の頭の中にあった理想社会の構想が迸(ほとばし)り出たのだろう。
「真実の世界」の項は、「解説ヤマギシズム社会の実態(一)」の「まえことば」に続いて最初の章にある全体の骨子となる部分である。「真実の世界」の具現方式として、「知的革命私案(一)―人情社会組織に改造」」では次のように述べている。

 ここに三つの方法がある。
 その一つは、その限界を定めて、お互いにその線を越えないこと。
 今一つは、他を侵すことの浅ましさ、愚かさを気づくこと。
 他の一つの方法は、有り余って保有していることの、無駄であり、荷厄介になるほど、広く豊富にすることです。

 私はこの三案を併用すべしとしますが、そのうちで一番重点を置き、他の二案を欠いても、この一法だけは外すことは出来ないと思う案は第二案で、即ち幅(はば)る辱(はずか)しさに気づいて、他に譲り度くなる、独占に耐えられない人間になり合うことだと決定しています。……これこそ無理のない自然の真理であり、ヤマギシズム社会の基本となるものであり、他の二案が如何に完璧であっても、これがない社会は、無味乾燥・器物の世界に等しく、潤いのない造花の社会です。
しかも、他の二案よりも容易に出来ることで、今すぐでも、資金も設備も資材も製品も、新しく造らなくとも、今あるままで、不平も不満も、紛争も犠牲も、強奪も侵犯もなくして、にこやかな真実世界になります。
 以上の述べ方は、物の世界に偏しているやに解釈されやすいでしょうが、物質のみについての突っ張り合いを指してのことでなく、心の対人的持ち方、特に人と人との社会連繋の、切ることの出来ない真理性に立って、完全社会の要素として、人情の必要性を云ったのです。

 人は、人と人によって生まれ、人と人との繋がりによらねば、自己を次代に継ぎ、永遠に生きることは絶対に不可能で、その関連を知るなれば、自己一人限りとの考えは間違いなることが解り、お互いの間に愛情の含まれるこそ、真理に相違なく、今の社会的欠陥の最大なる原因は、国と国・官と民・業者と業者・団体と団体・人と人とが離れ、相反目していることにあり、政治・経済機構も大改革されますが、そのいずれにも相互関連があり、この条件を必ず重大要素として組織し、総親和社会への精神革命を必要とする所以(ゆえん)です。

 これは後に展開する「金の要らない楽しい村」の、親愛の情を絶対条件とした村人の基本となる流儀である。「容易に、今あるままで」とあるように、日本の村・部落のもっている特質に焦点をあてた守田志郎が、
「他を絶対に侵さないという強い強い自制力をもっている」、「侵さずつくり、侵さず食し、人間の値打ちをみずからのなかにためこんでいく、そのいいしれぬ激しさのなかに小農のもつ人間的本源性を見る思いなのである」(『日本の村』)
 と、照らし出した村人のあり方に重なってくる流儀であり、人情味あふれる日本の小さな生活区域で、いくらか見ることのできる流儀ではないだろうか。またこの度の東日本大震災で、このような気風がいくつかの小区域で滲み出ていたのではないかと思われる。
 社会では様々なコミュニティがつくられ、模索されているが、人間愛を基調とした社会気風と共に、この流儀が最も基本的な原則になるのではないかと、私は思っている。

「解説ヤマギシズム社会の実態(一)」は未完となっている。山岸には、力を注いでいたが未完となっているままの論考がいくつかある。その著作類には、推敲(すいこう)を重ねて繰り返し書き改めていたものと、この書のように未完ではあるが一気に書き上げたものがある。
山岸会の展開に応じて、山岸の考え方を包括的に打ち出したものであり、その時点での、山岸の生々しい息づかいが随所に感じられるものとなっている。
「状勢の展開につれて、機を見て断続的に、具体的に、解説しましょう。理解ある協賛により、実践しながら完結できれば幸いとします」(「まえことば―零位よりの理解」)とあるように、実践の書であり、ヤマギシズム社会への提言の書でもある。

「体から生(いのち)がさよならしたら止めるとして、悠々と綴っていたが、糊ゆえの百姓、百姓ゆえの鶏と、ペンだこが鍬だこと交替し、生まれて初めての、あかぎれの手を見る詩人? になっているところへ、本会が産声を上げての、てんてこ舞いの今日です。こせがれ泣くし飯(まま)焦げるで、どっちつかずの昼夜(ねるま)なしには、頭がふらふらになりました。……文章も」    (「知的革命私案(一)―革命提案の弁」)

「私は私としての理想を描き、理想は必ず実現し得る信念の下に、その理想実現に生きがいを感じて、明け暮れる日夜は楽しみの連続です。家が傾こうが、債鬼に迫られようが、病気に取りつかれても、将来誤った観方をする人達から、白州に引き出されようとも、先ずこのよろこびは消えないで、終生打ち続くことでしょう。欠点や間違いに対しては、正面から指摘されることを待っています。」(「まえことば―自己弁明」)

 山岸は「永遠に変わらぬ」「永久に責任を持つ」「揺ぎない幸福世界が実現される」などの言い方をすることもよくある。しかし、どこまでも「私には、こう思える」の連続で、あくまでも現段階での「観方」であって、そうした観方や表現を採用することによって、一つの視点を指し示そうとしていたのではないかと思う。
 山岸の思考法は直観型である。感覚が事実性を追求しようとするのに対し、直観は事実そのものよりも、その背後にある未来への可能性に注目する機能である。
その独創性は想像力の豊かさに負うものであり、データの豊富さに伴って精密度を増す自然科学的推論の場合とは違って、それをみる山岸の構想力、閃きによって思考が組み立てられていく傾向がある。

参照・本ブログ◎各々の立場において、真実、それに自己を生かす(2017-12-20)
  ・◎『山岸巳代蔵伝―自然と人為の調和を―』の刊行(2015-02-05)
  ・◎山岸巳代蔵伝 ―自然と人為の調和を―(2015-02-06)

(46)問い直す⑤ イズム、イデオロギーへの嫌悪と見直し(福井正之)

〇 <自己存在観>(自分を知る)に関わるテーマBと<真理(真実)観>(ヤマギシ批判=自己批判)テーマAの統合などという少々大仰なテーマを打ち出したところで、また吉田光男さんの文章に舞い戻る。吉田さんの場合Aが主題であって私のような区分けは特にないようだが、Bの表現も随所に顔を出す。もう<統合>などと言わなくとも、A主題のなかに自在に組み込まれているようだ。

「わくらばの記」終りの方で息子さん一家の訪問を受け、お孫さんから「鋭い質問」を受ける場面が印象的だ。

〈――じゃあ、幸せって何か。

「その質問に全部答えることは難しいが、最近考えたことを言うと、自分を知るということが大事な一歩かと思っている。宇宙の話を聞くと、宇宙空間に存在する物質やエネルギーはほとんど未知なるものと言われている。その90パーセント以上は、不明の物質やエネルギーで、それを暗黒物質とかダークエネルギーと言っている。同じように、人間の心の宇宙もわかっていない。つまり、人は自分が何者であるのかもわからぬうちに、一生を終えることになる。それにもかかわらず、みんな自分は自分だとわかったつもりになっている。じゃあ何を以って自分だと思っているかというと、自分以外の何か――例えば財産とか名誉とか地位とか知識とか――そういうものが自分だと思っているのではないか。しかしそうした自分以外のもので自分を幸せにはできない。それでは、おじいちゃんは自分がわかっているかと聞かれると、とうていわかっているとは言えないけれど、わかっていないことが分かったとは言うことができる。だから自分の心の中を旅する努力をしているが、それが楽しい。そこに生きがいを感じている」

 そんな話をして、たぶんよくはわからなかったと思うが、真面目に答えたことの何かは伝わったかもしれない。〉(251p)

 私は感嘆した。若い頃のイメージでいえば「ここに人生の教師がいる!」という感動に近い。お孫さんとはいえ一人の真摯な若者に向き合ったときの老学究の心の緊張がよく伝わってくる、臨場感あふれる表現だ。しかも宇宙科学的真理からの導入のように、私には到底できないようなスケールの大きもある。そのベースにある吉田さん自身の心の喜びや生き甲斐を通して、私が縷々述べながら果たしえなかった<自己存在観>のリアリテイーを見事に表現していただいたような気がする。

 直ちに思い出されるのは、記憶の細部は不鮮明だが高等部「学究」があった頃のことである。新島淳良さんがたしかマルクスの「剰余価値」や「疎外された労働」について語り、それに興味津々食いついてきた学園生の存在だった。そしてその「学究」が停止されたとき、本庁にその疑義を問いかけに行ったメンバーがいたことを知ったのも、ごく最近のことだった。当時<実学一本で行く>というその世界知というものに無頓着かつそのどうしようもない発想の貧しさにおそらく愕然としたであろうが、私にそれ以上何かしたという記憶はない。

 ともかくそのことを踏まえながら、吉田さんのA主題<真理・真実>に立ち戻る。吉田さんのいろんな切り口が覗かれるが、たとえば私には最も解りやすかったのは、鈴鹿の資料『asone 一つの社会』への疑問である。

〈納得できるところ、同調できるところはたくさんある。しかし疑問は残る。それも根本的な疑問である。疑問というのは、「もともと」とか、「本来」という言葉で言い表される中身だ。「人間本来の姿=幸福」・・・「もともと安心安定」「無いのが本当」 (中略) 私は今「本来」も「もともと」も棚上げして、自分のあるがままの姿を見つめ直すことに重点を置いている。「真理とされるものから出発する思想は、一種の原理主義になりうる。〉(135~136p)

 このような発想は前述した私自身の2000年当時の<真理観>にも符合し、私はそこから「わが全心身で嗅覚でき、かつ実感できる真実」に依拠するようになってきた。しかし私はそれを全肯定しているわけでなく、それも容易に一種の<実感信仰>になりやすい。改めて吉田さんの論述の厳密な手つきに感銘する。 

 しかしそれよりも何よりも私の最大の関心は、いわゆる「イズム」という表現で括られる世界のことである。私はそこをまず保留状態というか、この<善にも悪にも変貌する得体の知れない>思想へのある種の嫌悪感からそれをすっ飛ばして、「いったいこの自分とは何なんだ」という問いに直接向かった。こういう「正体不明のイズムなるものに取りつかれてしまった自分」という形容をつけながら。

 私も吉田さんと同様、マルキシズム(私たちのような年齢であれば誰しも心当りがあるであろう)というイデオロギーに執着した前歴がある。私はそれに懲りてとことん愛想尽かしをしてきた分野だったはずである。にもかかわらず内容はちがえ「○○イズム」に再帰してしまった。しかも私とちがって吉田さんはなおイズムへの希望を失っていない。

「思想が思想として成立するには、それが世界性を持ち得るかどうかにかかっている。世界性とは、普遍性である。一つの考え方、一つの論理が、何ものかを代表するイデオロギー性を持ちうるとしても、ある地域、あるグループ、ある時代を超えて通用する普遍性を持ちえないとすればそれは思想にはなりえない。」(125p)

 吉田さんはそのように問いかけながら、かつ山岸さん自身の、人々の誤解、キメつけによる宗教・信仰・盲信形態への恐れを紹介される。その上で、さらに自らの従来の信じキメつけへの反省にもふれながら、以下のようにまとめられる。

「ヤマギシズムが思想としての世界性を持ち得るかどうかは、決めつけのない前進無固定の、研鑽形態の思想として、私たちがヤマギシズムを再生しつづけることができるかどうかにかかっている。」(127p)

  何という苦渋に満ちた語りであろうか。私には、申し訳ないが言葉つきは優しくともこれは<鬼のような頑強な執念>にも聞こえる。その表れの現実をどこにも確認しようのないただ中で、(他のどこかにあるのかもしれないが)ただ存在しうるのは吉田さん自身のその語りのことば(魂)とその可能性だけである。私のなかでもすでにそのことばない。以下は私の<ぶっちゃけ>開き直りである。 

〈たぶん私は「転向」したのである。(中略)そもそも理想、大義、真目的なるものへの参画と称し、人生の総てを最初から(あるいは中途からでも)自縛・他縛するようなことは、どこか虚偽があると思うようになった。その流れは必然的に子どもの未来をも束縛するのだ。そういう簡単な真実を知るのに、私には二度の挫折が必要だった。一度目は学生運動、二度目はヤマギシ。よっぽど大バカでも三度目はない。普通人にとっては、そこまでできるほど人生は長くはない。〉(「ジッケンチとは何だったのかⅡ」)

  急いで(私の中では長い時間がかかっている)註釈を入れれば、この「転向」とはあの時期ではごっちゃだった<ジッケンチ>イズムからであって、必ずしもヤマギシズムからではないと思い返している。しかもこのようないわば<私的な>ことは、公開せずとも私自身が黙って巷に消えていくだけで充分なことであろう。私がここでいまだ山岸さんの語りやイズムについては一知半解でしかないが、あえて言上げしたいのはやはり吉田さんが死守(かつ死後守)もされてきた「真なるヤマギシズム」であり、なかんずくその「けんさん」の真実の可能性である。何も一同会して語り合うことばかりが「けんさん」ではない。 

 私のいわばこういう<屈折した>志向には、なにがしかの偶然が伴ってきたと感じる。あの<ジッケンチからの逃亡>は当時は強いられた偶然だったが、その前にはたしか幼年部拡大推進マシーンと化した自分の疲労感と徒労感がびっしりこびり付いていたはずである。おそらくムラ離脱後の無我夢中の精神的営為がそのことを<わが必然>と化してきたと得心する。前にも触れたようにそのことに後悔はないが、吉田さんの心の営みにはどこか深い敬意と魅かれるものを覚える。その吉田さんも長い間特講や研鑽学校の係をやってこられたいわば<偶然>が、現在の自(他)究明へと熟成されてきたのかもしれないという必然を感じてしまう。ふと浮かんできたのが、ずっと死ぬまでアテネの広場を離れることなく問いかけ続けてきたソクラテスのことだった。

  おそらく人は死してのち心近くにあった人に、またこれまで以上の何かを呼び覚ます。このお孫さんへの語りを読み返してみると、「おじいちゃんは自分がわかっているかと聞かれると、とうていわかっているとは言えないけれど、わかっていないことが分かったとは言うことができる」とある。これこそ「無知の知」ということなのではないか。あらためて「けんさん」を人類の普遍的古典智からも捉え直すことができそうな気がしてくる。(続く) 2017/5/30

参照・◎吉田光男『わくらばの記』(9)(2018-08-13)
  ・◎吉田光男『わくらばの記』(10)(2018-08-13)
  ・◎吉田光男『わくらばの記』(17)(2019-02-13)

◎「なぜ と問いつづけていく」「問い直す」という生き方

※福井正之さんは吉田光男さん逝去を受けて、10回に亘る「問い直す」のテーマで論を展開している。「なぜ、と問うことを続けている。」というのが『わくらばの記』に一貫して流れている特徴だと思っている。
 私が『「なぜ と問いつづけていく」という生き方』の表題で記録したものを改稿採録する。

〇吉田光男さんから受け取りたいと思っていること
『わくらばの記』は、食道癌による入院前の2015年12月25日から書き始めている、年明けて、84歳の誕生日の1月3日に次の記録がある。

〈『1★9★3★7』はずしりと重い。しかし、逃げるわけにはいかない。これを読むと、自分が書いている「学園問題」についての手記は、チンケで底が浅く、とうてい書き続けることができなくなった。もっと自分に向き合わなければ、書く資格も意味もない。
 辺見庸は、「なぜ」と問うことを続けている。物事の重要性は、説明や解明にあるのではなく、問うことであり、問いつづけることの中にこそ存在する。説明、解明、解釈、理論づけ、……それらはそれ以上の究明を放棄するときの弁明にすぎない。終わりのない過去を、つまり現在に続く過去に区切りをつけ、ごみ袋に詰めて捨て去るときに用いるのが、説明であり解釈である。説明の上手下手は、ごみ袋が上物か屑物かの違いにすぎない。〉(「わくらばの記」2016年1月3日)

  2017年3月頃からまとまった思考が困難になってきて、思考の断片をノートに書き綴ったものを「断想」という名でまとめた。その中で、「問い続けること」について述べている。

〈*大きく問うものは、大きく考え、小さく問うものは、小さく考え、問うことのないものは、何も考えない。ただ、この問うということは、批判したり、攻撃したり、反対することではない。批判・攻撃・反対は、すでに何がしかの結論をもってそうするのであるから、そのときにはもう問うことも考えることも止めている。問うとは、ただただ問うことである。問い続けることである。その過程で何がしかの結論を得ることがあったにしても、それは〈とりあえず〉の結論であり、疑問符つきの結論にすぎない。〉(『わくらばの記』-「断想」2017年3月)

 
「なぜ、と問うことを続けている。」というのが『わくらばの記』に一貫して流れている特徴だと思っている。

 何か大事だなと思えることを、「問い続ける」ことは、その対象をあらゆる角度から見つめると同時に、それを見つめる自分の見方・考え方、さらにはその見方・考え方を下支えしている深層の心理までをも調べていくことの果てしない連続となるのではないか。

 基礎的なことを探求している科学者などは、ほぼ対象をつぶさに探り、あるいは実験をしていくことである程度究明していくことが可能だが、人間や社会のもろもろのことを探求していくには、外にある対象に向かう力とともに、内なる自分の見方、心の在り方に向かう力が同時に働いていくことが必要だと思う。

 
 何かを考え始めるのは、ある種の驚き(戸惑いなども含めて)から出てくる。対象が何であれ、自分の心の反応から生じるのだと思う。その驚きを、通り一遍の解釈でやり過ごしていくことが多いのだが、その場合、驚きの新鮮さは日常生活の中で失われていくことが多い。

 最初の驚きから、「なんなんだろう」と問い続けることで、視界がぐっと広がっていき、そこからさらに問い続けることで、自分の見方、考え方を見直す端緒となり、持続した課題となっていく場合もある。いずれにしても、自分の心のありようが、問い続けていくときの起点となるのではないだろうか。

 人は、自分の見たいようにしか見ようとしない、聞きたいようにしか聞こうとしないもので、これはいいも悪いも、そのような傾向があり、普段はそれで円滑に生きていける面でもある。
 だが、深く問う、探る、調べるときには、その自分のもっている傾向に対する自覚が伴っていかないと、思いたいように思うことになり、問い続けるとはなりにくいのではないだろうか。

 
 このことについて、御自身の心の状態に引き付けて吉田さんは問いつづけている。
〈最近つくづく思うことは、事実と認識とのズレという問題である。どうしても認識は、事実のずっと後にやってくる。
 例えば90年代末に、村は学園問題でマスコミからの総攻撃を受けた。特にテレビでは日本テレビが、週刊誌では「週刊新潮」が、「ヤマギシの子どもたち」についての報道を繰り返した。これらの報道にはかなりの悪意が含まれてはいたものの、真実の部分も少なからず含まれていたように思う。しかし私たちは、それを認めようとはしなかった。認めるようになったのは、ずっと時間が経過してからである。
 私たちは、やはり事実そのものを見るよりも、自分の見たいようにしか見ようとしないものなのだ。その事実がどれほど真実であろうと、それがその時の自分にとって受け入れがたいものであれば、それを拒否しようとする無意識の心理が働く。そして、こうした無意識の心理が働いていること自体を認めようとしない。自分の認識の経過を振り返ると、そのことが痛いほどよくわかる。しかもまだ、その誤りやすい認識の罠から抜けきることができないでいる。だから山岸さんが、どれほど研鑽しても「である」と断定できるものはなく、あくまで「ではなかろうか」とする以外にないのだ、と言っているのだろう。〉(『わくらばの記』―「病床妄語」2016年2月20日)

 
 日常の暮らしでは、ある段階で、一応「こうではなかろうか」と、それをもとに動いていくことも多いだろう。そういう場合でも、そこに何らかの余白を残し、疑問符をつけておき、いつでも見直しできる、やり直しできる心のゆとりが必要だなと思う。
 だが、このことについては大事だなと思っていることについては、問い続けることが肝要ではないだろうか。

 晩年の吉田さんは、「問い続ける」ことが生き方となっていたように思う。
 今の私にとって、とても困難なことではあるが、このことを心においておきたいと思っている。

 それには、わからないことをわからないままに問い続ける知性の耐久力、理解不能なものをいまのじぶんの理解可能な枠に押し込めようとしない心の在り様が大切ではないだろうか。

参照:◎吉田光男『わくらばの記』(1)(2018-01-17)
   ◎吉田光男『わくらばの記』(4)(2018-03-03)
   ◎吉田光男『わくらばの記』(20)( 2019-05-09)

◎自己とはなんだろう

※吉田光男さんは『わくらばの記』のなかで、随時「自分とはなんだろう」と自問している。

・本ブログの吉田光男『わくらばの記』(3)より。
〈2月5日:前に私は、「自分が自分であろうとするよりも、自分とは違う何者かになろうとしていた」と書いた。自分は自分であるよりない存在なのに、なぜ自分以外の何者かになろうとしていたのか。
 自分は自分が卑小な存在であることを知りながら、それを素直に認めたくなかったのだ。本来の自分ではない存在であるかのように自分を示そうとして、自他を偽るのである。しかし、他は偽れないので、結局は自分を偽り通すことになる。
 教養主義や向上志向などもその表れだ。そして参画してからは、例えば「あるべき姿があるはずです」というテーマの「あるべき姿」に自分を見せかけようとする。テーマに向き合い取り組むのではなく、見せかけの方に力を入れるのだからバカな話だ。しかし、これは私だけのことではなく、多くの村人にも見られた傾向である。
 会員時代はよく会っておしゃべりしていた女性たちが、参画後は会ってもお互いに素知らぬ顔をして通り過ぎる、といった光景がよく見られた。これは「あるべき姿」にとらわれて、本心からの会話を成り立たなくさせていた結果だと思う。
 人間は今ある自分の姿をそのまま認め、そこから出発する以外にない。自分を隠す、自分を飾るということは、他の評価によって自分を位置づけようとする、風まかせ、波まかせの実に不安定な生き方にほかならない。

・本ブログの吉田光男『わくらばの記』(18)より。
〈夜中に目覚めたときなど、ふと自分はなぜこんな文章を書いているのだろうか、と考えることがある。去年の1月以来だからだいぶ長いことになる。文章としては拙いし、考えていることも侏儒の戯言に過ぎない。何人か読んでくれる友人知人がいるからという理由もあるが、そうした知友に甘えて書いているだけであれば、貴重な時間を奪うだけで申し訳ないし、自分にも嘘をつくことになりかねない。出発は、ガンになったことをきっかけに、自分を見つめなおすことにあった。何もしなければ、時間の流れにただ流されるだけで一生を終わってしまう。流されながらも、自分が何者でどこから来てどこへ行くのかを見つめなおしてみたい、そのために書き始めたはずである。あくまで、自分のために書き始めたはずである。昨夜、ふとそのことを思った。〉

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〇人間の体は、親から受け継いだDNAに加えて、今までの食生活や環境によってつくられてきた腸内細菌や微生物との共生によって自分の身体が成り立っている。生命現象など細胞内の要であるミトコンドリアも真核生物の細胞小器官で他生物由来のものである。
 また、他の生き物を食べて、タンパク質などの栄養を取り入れることで生きながらえてきた。現在の地球生態系は、生命体が互いに角逐し合い、共存し合いながら維持してきたものである。
 
『多田富雄コレクション1、1免疫という視座―「自己」と「非自己」をめぐって』の「ファジ―な自己」の中で、多田は次のようにいう。 (※ファジ―fuzzy:あいまいなさま)

〈意識の「自己」は身体の「自己」の上に成立し形成される。その身体の「自己」を決定している最大のものが免疫系であることは異論がないと思われる。〉
 〈近代の免疫学は、免疫系とは、もともと「自己」と「非自己」を画然と区別し「非自己」の侵入から「自己」を守るために発達したシステムと想定してきた。そんなに厳格に「自己」を「非自己」から峻別している事実があるとすれば、その判断の基準は何か。そして免疫系が守ろうとしている「自己」とはそもそも何なのか。というのが免疫学の問題の立て方だった。〉
 ところが、〈「自己」は「非自己」から隔絶された堅固な実体ではなく、ファジーなものであることが分かってきた。それでも一応ウイルスや細菌の感染から当面「自己」を守ることができるのは、むしろ奇跡に近い。
 免疫学はいま、ファジ―な「自己」を相手にしている。ファジ―な「自己」の行動様式は、しかし、堅固な「自己」よりはるかに面白い。〉
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「非自己」の侵入から「自己」を守るために発達してきたとされる免疫機能だが、実はその「自己」があいまいで、「非自己」との境界は後天的にシステム自体が作っていくものであることが免疫学の最先端を踏まえて語られる。
 多田をはじめ、現在の免疫論の考えかたは、真の〈自己〉は〈非自己〉の延長線上にあり、その〈非自己〉との関係のしかたによって、〈自己〉が成り立つという。つまり、内なる〈非自己〉の存在なくして〈自己〉はありえない。
 免疫機能に限らず、自分のからだは、現実には私の意のままにならないことからも、意識でとらえた精神的な自己、人格的な自己も、つきつめて考えていくとあいまいなものではないのか。

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 実顕地という特異な環境にいると、そこに大きく影響されながら自己を形成することになる。私の場合も、やらされていたということはほとんどなく、大方は納得の上で、自分のこととして行動していた。離脱してみて、かなりそこの気風に染まっていたなと思っている。
 また、ことさら「自己とは何か」というような問いは立ててはいない。時折立ち止まって、なんで自分はこのことをしているのかと問い直すことは大事にしている。

 福井さんは「自分とはいったい何者なのか?」という問いをたてる。〈その出発点は私の場合、ジッケンチを離れたからこそ生まれた認識だった。〉と述べる。
 晩年の吉田光男さんは、実顕地で暮らしながら、ある程度そこに距離をおいて「自分はいったい何をしようとしているのか」と真摯に自問されていた。
 
参照・吉田光男『わくらばの記』(3)(2018-02-17)
  ・吉田光男『わくらばの記』(18)(2019-03-05)
 ・ブログ・日々彦『ひこばえの記』◎自己とは何か(多田 富雄『多田富雄コレクション 1』から)(2018-01-23)

(45)問い直す④ 「人生」への眺望を組み込んで(福井正之)

※福井正之さんは吉田光男さん逝去後、『わくらばの記』や吉田さんの論考などから、ご自分に引き付けて、「問い直す」というテーマで10回に亘って論を展開し、自身のブログに発表してきた。
 随時それを取り上げながら、主にそれに関連したこと、及び、そこから派生してくる実顕地、ヤマギシズム運動を見ていこうと考えている。


〇 先回は、わが「実感できる真実」からの典型的な発想事例を紹介した。ただ私のメインテーマは「問い直し」である。しかしその問い直しに入る前に、もう少しその対象の全貌を明らかにしておく必要がある。それはやはり<真理観>と対置してきた<自己存在観>のことになる。その特徴は、これまでの私にとって「かなり開き直ったともいえる方向」への転身として一応釘を刺しておいた。

 それはもちろん「実感できる真実」の流れであるが、「自分とはいったい何者なのか?」という問いに関わる。ただもちろん一挙にそうなったわけではない。その出発点は私の場合、ジッケンチを離れたからこそ生まれた認識だった。ムラを離れていなかったら、そういう問いは生まれなかったであろう。その発端は「村―町」運動で寄り合ったGメンバーとの交流だった。ここで私は初めてこの間メンバーが抱えていた様々な「本音」に出会った。G内でのこれまでの習性や警戒感が外れたせいもある。私はこれこそ(かつて夢には見たが出会ったことのない)「幸福研鑽会」ではないかと実感していた。...

 ここでその内容に触れるゆとりはないが、私にはそこはその後の思索や究明の坩堝であり源泉のような場になっていた。その活動は2年近くで挫折したが、そこから以降私のなかで胚胎してきた問題意識は<自分のいた場への同調と違和感><自分を知りたいという欲求><「私の思想」の模索>ということになるだろう。それに当たる表現をいくつか紹介しておきたい。やはり詩形式が簡明だろう。


〈わたしはどこに居たのか/(中略)おそらくそこが息苦しく空気が薄ければ/空気がまともにある場を 探すだろう/たまたまそこを降りてみると次第に楽になる/そこまで来て初めて私の居た山の/酷薄な高さを知るのだ/「きみがイギリスしか知らないとしたら イギリスを知らない」(『今浦島抄』―距離)

〈社会を変えようとするなら自分が変わること/しかし今は自分を変えようとは全然思わない/その前にもっと自分を知りたいのだ/自分を知るとは/たぶん自分の変わらないところを/明らかにすること/(中略)
 精神といい自我という/それらはなにゆえに/かくも執拗に問いかけてくるのか?/お前はなにもので/お前の本当にやりたいことはなにか、と/たとえ生活や生命が十二分に満たされても/満たされずうごめくそれら!〉(同上―自分を知りたい)

〈――「大事なのは他人の頭で考えられた大きなことより、自分の頭で考えた小さなことだ」(村上春樹)/“私の思想”とはどうもその小さなことに関わりがあるようだ/でもこれまで「他人の頭で考えられた」ことがいっぱい詰まっていて/それ以外のことはぼんやりしている/そのなにかが蘇るために/貧しく不安多くともあえて別居し、いまだなにもない小さな部屋の表札に/番正寛と記す〉(同上―私の思想)


 このような表現は私の数編の手記的小説とともに2003~5年頃のマンション住込み管理員の暮らしの中で<噴出>しているが、これは私の人生にとってもただならないことだった。これまでも人生の岐路に立って考え抜いてみたことは幾度かあったが、文章表現として一貫できたのは初めてのことだった。

  ただそれも前述のようにムラを「離れた」というより、そこから<逃亡した>人間だったという自覚が大きかったと思う。やはりそこが「息苦しく空気が薄かった」という危機感が先行し、それはどうしても「強いられた」という感覚として残る。このことはたびたび思い返すが、吉田さんがジッケンチに留まりながらも、なぜあのような広闊な思索と究明が可能になってきたのか、に想いを馳せざるをえない。そこではそれこそ直接的な様々な不条理や違和感に包囲されていたであろうに。

  私はそこから直ちにジッケンチ批判の方向に進んだわけではない。ふり返ってみればその方向は、私が2008,9年の「ジッケンチとは何だったのか」論考以来のことである。ただそれでも最初のHP(2012年)のタイトルが、以前の感覚を引きずった「挫折体験と自己哲学」だった。その後の物を書いてきた動機は、ヤマギシ批判を織り交ぜながら罪責感、自己批判、自己決済、清算等々の、誰しもちょっと身を引きたくなるような、おどろおどろしい内容だったと思う。

 その間、吉田光男さんから個別研についての「元学園生の手記を読んで」(2013年)の重厚かつ示唆的な論考を頂いた。特にその中で紹介されていた山岸語録に触れ、私はジッケンチと山岸さんを一応分離して考えるようになってきた。そもそも青本とジッケンチとは内容を異にする部分が多々あり、またそれ以来吉田さんやYさんのような『山岸巳代蔵全集編集』に関わってきた人の知見に触れる機会が増えてきたからでもある。

 さらに昨年初頭世に出たかやさんコミックへの衝撃は大きく、HPタイトルを「反転する理想」に変更した。この間の私の認識の基調は、やはりヤマギシは「正しくなかった」、同時にそれとほぼ一体だった私は「正しくなかった」という認識、いいかえればより<真理観>(真実観といってもよい)に近くなってきたと思う。それもわが「実感できる真実」からであった。そのことは厳密にいえば吉田さんも同様だろうが、やはり彼の広範な知見と究明による真実表現ということでは学ぶべきところが大きい。それは吉田さんが一貫して問い続けてこられた内容であり、その「問い直し」についての吉田さんの深刻な反省を、困難ではあるが可能な限り受け継ぎたいと考えている。

 経過説明に時間を取って恐縮だが、ようやっとここで私自身が「問い直し」たいと考えてきた主題に入る。それは私がこの間ずっと着目しながらも、なかなか胸にすっと落ちるような了解には至らないテーマだった。すなわち私のなかで割り切れないのは、この課題はあの2003~5年ごろの「自分とはいったい何者なのか」という究明とはどのようにかかわってくるのかという問いである。そのわが<自己存在観>に関わるテーマBとヤマギシ批判=自己批判テーマAとはたしかに一線を画しているようでもあるが、そこにどうしても深い連関を意識せざるをえない。そしてその方法としてAは「究明」(情報、学理の吸収IN)といってもいいが、Bはやはり「表現」(自己表出OUT)になると考える。

 そこで大雑把な連関感覚をあげてみると、ムラ離脱当初の<自分のいた場への同調と違和感>とか<「私の思想」の模索>の中では、もうすでにAの意識は自明のことだった。またそのAの究明のただ中でもBの「表現が慰謝と救済になりうる」という感覚がついて回っていた。そこにはもちろん「人生」のにおいが漂っている。つまり巨視的に云えばヤマギシも私の人生の中の一コマであるし、逆にいえばヤマギシ的(ヤマギシに限らないが)社会構想の中で個々の人生は不可欠な要素でもある。

  このような機微を含めた問題群が私の「問い直し」の主題になる。大胆とも粗雑ともいえるかもしれないが、私が企てているのはこのAとBとの統合である。これまで幾度か取り上げているが、成功したとはいえない。(続く)
 2017/5/25

参照・本ブログ◎「元学園生の手記を読んで」 吉田光男 2013-10-30

◎山岸巳代蔵の思想、真理について

※わたしが持っている資料や『山岸巳代蔵伝』から山岸巳代蔵の著作を随時紹介していこうと考えています。なお、『山岸巳代蔵全集』は大きな図書館にはあると思うので、原文および関連するものはそちらを調べてください。


〇『正解ヤマギシズム全輯 第二輯』「愛と愛情の関連」
4 保ち合える真理こそ、愛の無測・無限・無形の力
 これから取り上げる「保ち合いの理」は山岸らしい特徴ある世界観で、山岸の宇宙・自然観であり、この「保ち合いの理」は「一体観」「愛情観」などの理念へとつながる。

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〈宇宙、天体、太陽、地球、月等を含む星と星との保ち合い。地球も太陽もどの星も、何ら強固な不動のものに固定していない。空間に点在するのみで、安置の場所もなく、固定した軌条もないのに、時間・距離をほとんど正しく自転・公転等を正しく律動している。この不安定状態の中で安定状態にあることは、引力か磁力か、相互の何かの作用によって保ち合っているためだと思う。
 相互間に、力の測定も契約も、宇宙創生以来なされていないだろうし、各々自律的に、他との関連作用によって、無識の中にそれぞれの場を得ているようだ。即ち、契約も、掟・命令も、指導も、守らねばならないとする軌範もないにもかかわらず、少しも逸脱がない。約束もないのに、正しく保ち合えるもの。保ち合える真理こそ、愛の無測・無限・無形の力だと思う。与えるものでもなし、求めるものでもない。権利も義務もない。領空・区画もない。意志も意欲も思想もない。感情もない。大小軽重の差もない。熱も光も音もない。冷たくもない。温かみもない。念もなし。しかして、宇宙万物何物も作用している。愛の作用のない個は成り立たない。
 真理とか、保ち合いとか、愛という文字・言葉そのものでもない。理論でもない。力というより、保ち合いの作用。中心がどこにもない。頂点がない。特例・特定がない。(『正解ヤマギシズム全輯 第二輯』「愛と愛情の関連」)〉

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 これは『正解ヤマギシズ全輯』の一つとして、山岸にとって大きな問題意識のあった「愛と愛情の関連」のメモからのものである。同内容のものが多少表現を変えていくつか書かれている未完の一節である。この「保ち合いの理」は、「愛と愛情」だけではなく、一貫して流れているもので、人類一体観、夫婦一体観などの一体観の基盤となる観方である。
 個々別々のものが寄り集まって一体になるというものではなく、この世に存在するあらゆるものが、保ち合いの理によって成り立っているという自然全人一体観である。
『山岸会養鶏法』に、「空気や水や草や塵芥(じんかい)が、卵に変わる自然の根本妙手を知ろうとしませんか」との一節があるが、あらゆるものは無縁の関係性(縁)によって生じているという観方であり、同一の論理を共有するから一つになるというような一体ではなく、文化や思想や人種など異質な要素があろうとなかろうと、生きとし生けるものすべて、生物であろうと無生物であろうと、存在すべてがもともと一体であるという観方である。
(『山岸巳代蔵伝」第七章より。※『山岸巳代蔵全集」第七巻所収)


〇『山岸養鶏の真髄』「真理から外れて、真果は得られない」
 出発点においても、その過程においても、真理に即したものでなければ真果は得られない。また、小さくても本質的なものが実れば、燎原(りょうげん)の火の如く、おのずから世界中に拡がっていくというのが山岸の基本的なコンセプトである。
 山岸の思想の根幹となる考え方に、「真理から外れて、真果は得られない」がある。

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〈栗の実を稔らそうとするには、一個の本当の栗の実を土に捨て、芽がふき、根を張り、幹をのばし、三年、五年を待たねばなりません。実からすぐに実が生まれるものでなく、小さい本物の実を得るためには、直接用のない枝葉まで繁らさねばなりません。
 この文章も、実を急ぐ人には廻りくどいでしょうが、求められる物とは縁遠くて、不必要に見える部分も根であり、枝葉、幹ですから、山岸養鶏の真髄を会得する上に、最も重要欠くことのできない条件として、気永に一句も余さず読み、かつ役立てていただきたいです。そして枝にたわわに成り下ったからとて、木に攀(よ)じ、痛いイガに触れる無理しなくとも、実は自然のままにはぜて手に帰するように、実を実を、利を利を、と余り焦らなくとも―焦らない方が、労少なくてよい実が得られます。
 真髄さえ掴めばすべてが簡単に解り、いちいち手を下さなくとも、苦労知らずに、年ごとに豊かな秋の稔りが満喫できます。
 物には順序があり、踏み外さない途を知ってから進むことで、この養鶏法では言われるまま、説かれるままに、自分の考えもみんなと共に研究して練り直し、ただ一筋に素直に進むことが真髄です。
 自己断定で一足跳びに幼稚園から大学へ行こうとしたり、横道へ外れては失敗します。永久に続く、動かぬ真理の一本の途を、一歩一歩踏み締めて行くことで、この道こそ安全保証が出来ますし、責任を持って推奨するに足るものです。
(『山岸養鶏の真髄』「真理から外れて、真果は得られない」)〉

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(『山岸巳代蔵伝」第十二章より。※『山岸巳代蔵全集」第二巻所収)

◎「広場・ヤマギシズム」と『山岸巳代蔵伝』から

※ 阪神・淡路大震災から25年、今年は特に、記憶・教訓を継承する重要性を語る論調が目につく。
 振り返って私が25年余所属した実顕地を離脱してから20年近くたつ。

 吉田光男さんの『わくらばの記』は、2016年1月に食道癌で長期入院することになり、それ以前から心においていた、〈ヤマギシに関連して、自分が向き合わなければならないテーマについて、これから書き続けてゆくつもりです。黙ったままであの世に持って行くよりも、正直なところを書いておくほうが良いのではないかと思ったからです。〉
 とあり、それが本随筆の底流にある。
 
 私もそれに近い思いがあり、2017年12月にブログ「広場・ヤマギシズム」を立ち上げた。
 そこに次のことを書いた。

〈理想を掲げたヤマギシズム運動、実顕地の影響の大きさを考えると、第三者的な視点による研究、真っ当な批判の類は、はなはだ少ないと思う。そこで、関心を抱く人や研究者などの究明や学びに役立つような資料・記録館などをつくれないものかと思っていた。
 この度いままでのブログなどを整理する中で、個人的なブログでは限界があるにしても、ささやかなものしかできないが、「広場」として立ち上げてもいいかなと思った。
 まず、自分が思っていることを発信することが基本原則だと思う。
それに加えて、わたしが持っている資料や『山岸巳代蔵伝』、吉田光男さんの『わくらばの記』などの記事も生かしていきたいと思っている。〉

 今年は、それにも気をおいていきたい。

◎「真理観」について(吉田光男『わくらばの記』から)

〇吉田光男さんの『わくらばの記』は、2016年1月に食道癌で長期入院することになり、それ以前から心においていた、〈ヤマギシに関連して、自分が向き合わなければならないテーマについて、これから書き続けてゆくつもりです。黙ったままであの世に持って行くよりも、正直なところを書いておくほうが良いのではないかと思ったからです。まとまり次第お送りします。〉と、随時メールで送られてきたものを、編集した。

『わくらばの記』は、食道癌による入院前の2015年12月25日から書き始めている、翌年1月18日の入院前には、「真理観」およびそれを志向する心の働きについて書いている。

〈(1・5):青本の一番最後に「全世界の頑固観念・我執を一時も早く抹殺しよう」という文章が載っている。この文の冒頭で山岸さんはこう言う。
「自分の目から見て逆に見えること、間違いに見えることでも、批評・批判・非難を口にすべきでなく、そんなに思う時は、自分が批評・批判・非難などできる自分であるかどうかを、まっさきに検べることである。」
 この文章を今まで何回読んできたことだろう。言っている言葉は誰にでもわかるのに、その中身はほとんど理解されていない。いや、私自身は理解してこなかった。字面だけの常識的な理解しかしてこなかった。
 他を非難することは、無意識のうちに自分を正しいと位置づけることであり、その瞬間に過ちの地獄に落ちる。実顕地の歴史の中で、これまで数々の間違いを犯してきたが、それは自らを正しいと位置づけたことから始まったのだ。例えば――
「実顕地は真実の世界」
「ヤマギシの生産物は本物」
「世界でただ一つの真実の学園」……
 これらのスローガンは、無言のうちにこう言っていることにほかならない。
「実顕地以外は偽物の世界」
「山岸以外の生産物は偽物」
「ヤマギシズム学園以外は偽物の学園」
 他を非難する意識無しに、他を非難し、夜郎自大に陥ってしまって、しかもそれに気がつかない。謙虚さの欠片もない。そのことにずーっと気がつかなかった。

〈(1・6):自分を正しいと思いたい願望、これは根強い。あるいは正しくありたいという願望、あるいは正しいところに身を置きたいという願望、これも強く自分を捉えていた。
 そして実顕地が真実の世界であり、正しい存在であるならば、そこに身を置くことは正しい在り方であり、その真実の世界を推進(指導)する本庁なり研鑽部なりの方針に沿うことは正しい在り方である。…… 
 こうして、研鑽は名ばかりの会合となり、上から出されるテーマを理解するためだけの集まりとなった。正に真理は上から降りてくるのである。こうした大衆心理がピラミッド組織を下支えする。「特別人間はいない」「長のいない組織」のはずが、いつの間にか特別人間をつくり、長や指導者を生み出した。
 こうした誤りを、いま実顕地は克服したであろうか? あるいは、自分たちは、そしてまず自分は克服したといえるだろうか。〉

〈(1.13):よく自分たちは「真理から見れば」とか「真理から外れないように」とか、あたかも真理を我が手中にしているかのような言動をしてきた。これほどの思い上がりを、天人共に許すはずがない。
 有限で愚かな人間が、時空を超越した真理なるものを把握することなど不可能であり、ましてその真理から物事を見、判断することなどできるはずがない。人間のできることと言えば、間違いや過ちから謙虚に学び、少しずつ方向を改めてゆく以外にない。そのためには、過ちを過ちと認め、間違いを間違いと認める勇気が不可欠である。しかしこれが意外と難しい。認めたがらないのである。こうして真理の方向からますます外れてゆく。〉

 そして18日から105日に亘って入院する。その後度々それについて言及している。
 ここでは現在につながる記録を上げる。

〈〈7月×日〉:Mさんからもらった鈴鹿の『asone 一つの社会』を読み始める。納得できるところ、同調できるところはたくさんある。しかし、やはり疑問は残る。それも根本的な疑問である。疑問というのは、「もともと」とか「本来」という言葉で言い表される中身だ。
「人間本来の姿=幸福」
「病気のない健康体であることが本来の姿」
「生まれて間もない赤ちゃんは……人間本来の姿」
「もともと安心安定」「無いのが本当」
「スタートが一つ。最初から一つ」
 これまで実顕地で言われてきたことと、それほど変わらない。それをやさしく、わかりやすい言葉で解説している。
 しかし最近私は、この「本来」「もともと」という言葉に、強い疑念を持つようになった。この言葉は、「真理」と同じ意味で使われているから、もしこの言葉に疑問を出そうとすれば、「お前は真理に楯突くのか」と言われそうで、「はっ、はあっ」とひれ伏す以外になくなってしまう。しかし、「真理」と「人間が真理と考えるもの」とははっきり違うものであり、「人間の考える真理」はあくまで頭の中の存在であって、それは真理であるかもしれないし、真理でないかもしれない。いわば、真理という実像に対して、「真理と考えるもの」は仮像にすぎない。この仮像をもって「本当」とし、これをすべての物事の原点としてしまえば、自分の今の姿、実態との開きを何によって埋めるか、そこにうそ偽りが入り込む余地が生じないだろうか。2000年以来、私がもっとも苦しんできた問題は、そこにあった。私はいま「本来」も「もともと」も棚上げして、自分のあるがままの姿を見つめ直すことに重点を置いている。
「真理とされるもの」から出発する思想は、一種の原理主義になりうる。だから鈴鹿を離れた人は、「スタートが一つ、最初から一つ」の出発点から外れた人、「最初から一つではなかった人なのだ」と切り捨てられることになる。
 私には、鈴鹿にも、鈴鹿を離れた人にも、何人かの親しい友人・知人がいる。みんなそれぞれが、人々の幸せを願い、何らかの活動をしている。何が真の幸せに結びつくのかはわからないが、それぞれの生き方は尊重したいと思っている。だから、このような疑問や異論を提起することはどうかとも思ったのだが、疑問は疑問として正直に語る方が大切だと考えて書いてみた。〉

〈〈7月×日〉:昨日はEさんに送り迎えしてもらって、豊里の資料研に出た。そこで、Sさんの「本来」「もともと」と表現されていることの中身をどう考えるか、と問題提起してみた。あまり深まることはなかったが、最後にEさんが「そう考えられるが、どうだろうか」と発言した。まあそのへんが一つの落としどころかと思うが、もっと各人で考え続けたいテーマである。しかし、考え続ける人は少ないだろうな、とも思う。実顕地の研鑽会は、その場かぎりで終わってしまい、考え続ける習慣というか持続性がない。そのことがどういうことかは、また別のテーマであるが。〉

 わたしの場合、自分の主張として真理についてほとんど発言したことはないが、「本来」「もともと」などは使いたいときがある。表現としては「だと思うが」という類のニュアンスを込めているつもりだが。
 科学の欠かせない要素に反証可能性がある。
 そこから、自分が考えていることはどこまでも仮説で、他の見方を検討する余地や、自分のとらえ方を見直す態度があることにつながる。
「今の段階では自分はこのように見、考えるが、どうだろうか?」という心の態度だ。
 人間の究極の問題として、自分がまちがっているという可能性は、科学的に考えて排除することはできないと考えている。

 鶴見俊輔は、次のように言っている。
「私はI am wrong だから、もしそれらから「おまえが悪い」といわれても抵抗しない。この対立においては、結局決着はつかないんですよ。私がYou are wrongの立場に移行することはないし、You are wrongは私の説得には成功しないから。」
 ※(鶴見俊輔『言い残しておくこと』より)

参照:本ブログ・吉田光男『わくらばの記』(1)(2018-01-17)
吉田光男『わくらばの記』(10)(2018-08-13)
日々彦「ひこばえの記」・「間違い主義」と「アブダクション」について(1)(2016-02-13)