矢野智司本かじり歩き(2)感動とは教えることができない
「贈与と交換の教育学」より
先回、「感動体験」と言いうるもののおおよその枠組み、構造を探ってみた。今回はその少し外延を考えてみたい。
先回のキーワードの一つは、「深い感動は言葉にはならない」ということになると思う。今回はその延長として「感動とは教えることができない」ということになりそうである。
したがってその方法としての直接体験(ないし二次的にはその体験自体を表現しうる文学作品の味読も)が推奨されるだろう。ここでいうまでもなく私が秘かに期しているヤマギシの「学育」や「実学」のテーマにもフィットする。
(注―ここでいう「感動」とは広義の意味での感動で、死者への疑似体験も含めていわゆる脱自体験をすべて含む。もっともこれについては、矢野氏は作田啓一にならって調和的な合一体験を「エロス的体験」、不安、恐怖、怖れを伴う体験を「タナソス的体験」として区別している。)
*体験学習としてのボランティア
「教える」ということに関連し、考えやすくするために問題をあえて学校における<体験学習>という次元に絞ってみる。矢野テキストの関連部分を引く。
「ボランティアの精神を教えることは困難である。物事には教えることが困難なものが多数ある。愛することは教えることができないように、人間の価値の根幹を形作っているものの多くはそうである。それは<体験>によって学ばれるだけである。」
ボランティアとは唐突かもしれないが、東京都では2007年度より都立高校に「奉仕体験活動」が必修教科として導入されているようである。これはボランテイア体験学習を学校の授業に取り入れたいとする中教審の答申(2002年)から始まった。
この流れはIT機器によるバーチャル(仮想現実)体験の隆盛に伴い、子どもらに直接的な生きた体験を与え、「思いやりの心や勤労の大切さを教える」として企図されている。
何とも息長く根深い願望だが、こういうのはバーチャル以前、私がヤマギシ学育に関わっていた30年以上前からの世間や教育界のかなりの層の願望であった。
ただ事がここまで制度化されると私にはなんとも言いがたい違和感を覚える。そもそもこの「体験を与え」とか「思いやりの心や勤労の大切さを教える」ということ自体が私にはマユツバ臭いと思わせてしまうが、だからこそ改めて「ボランティアの精神とは何か」と考えざるをえない。同じく矢野氏の言を借りる。
「ボランティア活動とは、相手からの一切の見返りを期待しない純粋贈与であり、歓待なのである。ボランテイアの精神が、自発性と無償性にあるというのは、この贈与性を基にしているからである。」
「普段、日常生活では、私たちは自己を防衛するために、自己を開いて相手に差しだしたりはしない。しかし、ボランティア活動では、贈与として自己を差しだすため、その瞬間、自己は無防備に他者に向けて開かれる・・・」
ここで矢野本の中心理念である「贈与」というキーワードが出てくるがあえて説明しない(できない)。
さらにこの後段の部分を矢野氏はボランテイア活動の「バルネラブル(無防備)な状態」、あるいは「純粋贈与の冒険的性格」と説明する。
私が思い返すのは、先回の「鉄棒」の<足が上ってゆく/おお 僕は何処へ行く>という未知への世界への恐れと期待の緊張瞬間であった。これこそが感動というものが奔出しやすいぴったりの環境ではなかろうか。
ただそのようなボランテイア活動が教師の評価の対象とされ、卒業要件とまでになれば、その精神が別の要素・手段へと容易に変質するのではないか。おそらくあらかじめ準備された現場で、それらしい外見を演じてくるようなことになりがちだとすれば、それは<ボランテイアの体験>とは言いがたい。
もっともそれをしも校内では体験できない新鮮な体験ではあるから、なにがしかの感動もあり身に付くこともないとはいえない。ただその本来の精神からすれば、せいぜいまがい物を単位のために「経験」してきたということになりそうである。
すなわち始めに取り上げたように「ボランティアの精神を教えることは困難である」。いいかえれば感動を教えることは困難である。ならば逆に返してそのボランテイアの感動とは何か? それについては自ら体験するしかないことであるが、少なくともそのおおよその枠組み、構造(これはもちろん「体験」自体ではない)をこの書から学ぶことができる。
*感動と学びは「純粋贈与」から始まる
「ボランテイア活動は、<経験>ではなく<体験>なのだ。ボランテイア活動の<報酬>は、本来なら有用な事柄に費やされるはずであった時間やエネルギーを、有用性の回路から離脱したところで蕩尽するところから生じる喜びである。
有用な関係からの離脱とは、日常の規則にコントロールされているシステムから抜けでる自由な<体験>となる。
ボランテイア活動は、自己からはじまり自己に回帰する<経験>ではなく、自己を差しだし自己が消滅する<体験>である。
言い換えれば、この贈与の瞬間とは、主体が贈与交換のように交換の外部に立って、贈与をなしているのではなく、反対に贈与のうちに主体は溶解しているのである。
したがってそこでもたらされる喜びは、贈与交換に見られるように、贈与の返礼が贈与者に回帰する喜び、すなわち自己の名声や威信が高められる喜びなどではなく、自己と世界との境界線を破壊され、事物化していた自己が至高の次元に開かれた喜びなのである。」
ここではのっけから<体験と経験の本質的な相違>についての展開がある。これについて矢野本ではあらゆる感動体験(=脱自体験)の随所にくり返されるが、私にはスカッと落ちないものが残る。
感覚的には了解できるのだが、それを自己表現できる自分の言葉を見出せないもどかしさがある。そういうのは与えられた言葉を借用しながら、時を待つしかない。
ともかくこれまで可能な限り、外部情報を遮断し、自己感覚で考え組み立てるという思考習慣をベースにしてきた私が、このところ違った次元で考えだしているからである。
いいかえれば私が自己感性のみでは知りえなかった未来や世界については、まずそれをそのまま受け取り、熟読玩味するしかない。これについてはいささか取り扱いが面倒だが、私に外から<贈与されたもの>という新鮮な感覚が力になる。
それはさておき、というか微妙に通底するが、ここで展開されている論理は、これまで取り上げた鉄棒や遊びや、死についても基本的には同質のものである。
ただここで新たに目に留まるのは、<それも贈与なんだ>という認識である。この認識によって私のなかにはらりと落ちるものが出てきた。すなわち<教える><教えられる>という次元を超える何かである。
<体験は教えられない>、それは然りである。ならばその体験はどこから来るのか? それは自己の「外」からであるにちがいない。それは出会って後、すなわち体験してからでないと了解できない。そこで初めて「贈与」という認識と感覚が生まれる。それは俗にいう<教えられた>という感覚に近いかもしれない。
逆にいえば、その外から来るものにはおそらく「教える」という意図はない。自然や事物や人間がありのままの姿を顕わしているだけである。それに成り代わって<教える>と称するのはおそらく傲慢だし、教えるという働きかけだけで当事者の感動を損ない、捻じ曲げるだけに終わりやすい。
ただ既述のように「人間の価値の根幹を形作っているもの」以外で<教えられる>範疇に属する部分についてのみ教育技術、教授方式が成り立つだけである。
もっとも特に教育とは呼ばない日常的な生活上の知恵についても、矢野氏は「純粋贈与」の領域に入れている。
「純粋贈与という生の技法を身につけるには、他者からの見返りを求めない贈与を受けた<体験>が不可欠である。そのように考えてみると、私たちはすべて人から贈与された<体験>をもっていることに気づく。
私たちは寄る辺なき者として生まれ、食事の世話から排便の処理に至るまで、なにからなにまで人によって与えられた時間を過ごしたのではなかったか。純粋贈与された者が、純粋な贈与者となるとするなら、私たちは潜在的にすでに贈与者になるための準備がなされているのである。」
「ところで、その人はどのようにして自転車の乗り方を学んだのだろうか。やはり練習のとき誰かがその人の傍らについていたのだ。私たちの学習の多くは、このような他者による無償の贈与から成り立っている。そして多くの場合、最初の贈与者は親や家族である。
贈与のリレーはいつも気がついたときにはすでに始まっており、そのことに気づくことなく、私たちも贈与のリレーの一員となっている」
親や家族が最初の「贈与者」である、とは私には新鮮な認識であり、同時に最適な表現であると思う。ここまできてようやっとヤマギシの「学育」や「実学」がある部分射程に入ってくる。
*ヤマギシ「学育」について
「教えない 学び育つ」とは私には昔懐かしいヤマギシ「学育」についての表現である。ただこれについてはこれまでしっかりした解説がなかったために、最新の村岡ヤマギシ本でも浅薄で的外れな反応を引き出しているのは致し方のないことであろう。
そこにはおそらく当時の関係者は私も含めて指導者権威主義というものに随順し、<理念というものに対する誠実さ>が乏しかったと言わざるをえない。
実際には「教えない」では一向に進まない日常的営みに対して<教えないとは、指示しないということではない>とやらの曖昧な弁解のままに、高尚な理念は理念として外向けに飾ったままであった。それは何も学育理念に止まらない。
そのうち進行したのは<個別研>や体罰など、全てとはいわないが普通の学校でも滅多に存在しえない<強制教育>に堕していたのである。しかしそのような結果はむしろ「教えない 学び育つ」理念の逸脱から来るもので、その教育理念として真価ははっきりあると考える。
一つは、従来から「教えない」ことによる子どもらの自発的な学びへの欲求が期待されるという側面である。それについては私も「ジッケンチ論3、学育外論」において、以下のように記している。
「ヤマギシでは教育に対して<学育>を対置するが、その真意はいたずらに<教えないで待つ>を奨めているわけではない。それが成り立つ条件として、子どもらの意欲、仲間の存在が不可欠であり、さらに付け加えればそこに私は<学への企み>というものがありうると考える。」
ここには、日常生活感覚ではすぐに動いてくれない子どもらへの苛立ちも見てとれるが、仮設実験授業的な<企み>も含め、もっともっと待ちうる知的な人間環境がありえてもいいはずだったのではないかと思う。
二つめは、ここでいう「感動は教えられない」ということでは明らかに、そうである。教えられないから「教えない」。ヤマギシ学園の農業「実学」においては、おそらく初めは学園生に多くの感動を巻き起こしたであろうことは推測に難くない。これこそどんな学園生でも一時は体験したであろう<自然からの純粋贈与の喜び>だった。
その感動は演劇や合唱においても充分に表現されていたと思う。それはおそらく現行のボランテイア体験学習など及びもつかない学園の<宝>であったにちがいない。
ただ問題だったのは、そのように子どもらの感動を大事にしていた集団が、いつしか学園のジッケンチ経営体系への組み入れや作業効率優先、おまけに暴力や体罰などが取りざたされるように事態まで生じるに至った。そのことに思い致すと、今も私の目元は熱くなる。その過程はまるで謎である。しかし謎ではない。はっきりした理由があるはずである。
そうならないために踏みとどまるべきだったのは、まさにその子どもらの感動体験とその意味を、その子固有の人間形成における深い認識として黙って根づかせる、という視点と対応ではなかったろうか。
それはなにも農業だけとはかぎらない。したがって作業だけさせていれば安心というものではない。山岸先生も「子どもは農作業に使わない」趣旨(赤本)を述べられているが、その精神と子どもらの感動体験の尊重とはどこかで呼応するような気がしてならない。
そこで子どもらの日々の心の記録としての「日記」や「子ども研鑽会」への周到な着目が欠かせなかったと考える。残念ながら、それらがしばしば係に対する子どもらの自己防衛的作文や発言に成り下がっていたことは、しばしば耳にすることである。
さらにその方法としてその体験自体が表現された芸術・文学作品を鑑賞し、また自己表現しようとする営みももっと推奨されてもよかったろう。そのような実践を私は寡聞にしてあまり聞いてはいない。(以下連載予定)
(2014・4・29)