広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

自分の仕事とは(福井正之記録⑯)

※2017年8月に、ブログ『自己哲学第2章 反転する理想』から『わが学究 人生と時代の “機微”から』に変えて、改めて自分の仕事をふり返った。その第1回、2回の記録である。

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はじめに (1)自分の仕事
  ブログを始めるきっかけになっているのは、ソロー『森の生活』とごく最近『虹色のチョーク』を読んだからでした。

   ソローには、あの長い物語の中に「欲しいだけのスイートコーンを獲って茹で、塩味で食べる」なんていう文が不意に出くる。思わず唾が出てきました。19世紀半ば「人の生活を作るもとの事実」と向き合って生きたソロー。

  またもう一つは、障がい者7割によって成り立つ「チョーク工場」の物語です。1960年に初めて二人の障がい者が雇用され、50年もたてばこんなにもなるんだという感動。やはり人間ってすごいやというのか。その主人公大山さんのどこから湧くのか、尽きることのない<理想感度>を感じました。

 自分の体験も含め、理想を掲げながらその多くが破綻しさってきた歴史。批判や反省も大ありですが、ソローや大山さん(たち)が人生や社会の〝機微〟から手繰りよせたホンモノ性を、もっと「学究」したいと思いました。

(1)自分の仕事
  こういう言い方は何かしら「――めいている」とも思うが、私は奇跡的な出会いというものを信じる人間である。いやいつしかそうなってきた。といってもしょっちゅうではない。やはりやめるわけにはいかない旅の途次、いくつかの目印めいたものが見え始め、そのまま途切れてしまう方が多いが、不意に全体の眺望が浮かび上がるこもある。

   知友Yさんが自分のブログで以下の文章を紹介されていた。それはソロー『森の生活』からの引用であり、一読私も久しく求めてきた世界がそこにあると感じた。このところ自己存在観(自分とは何者か)に照準を合わせつつある私には、恰好の問題意識「自分の仕事とは何か」に、ずばり直面する本質的な内容だった。そしてYさんがここ十数年歩んできた試行―自己実現の過程に、おそらくこのソローへの傾倒があるのではないかと思った。
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  「すべての人々をして、自らの仕事に専心せしめよ。そして本然の自己たるべく努力せしめよ。

  何故に我々は、こんなにめちゃくちゃに成功を急ぎ、めちゃくちゃに事業をやるのだろうか? もし一個の人間が自分の友だちと歩調を合わせていないとすれば、それはおそらく彼が異なった鼓手の太鼓を聞いているからだろう。それがどんな調子のものであろうとも、どんなに遠く彼方のものであろうとも、彼をして自ら聞く音曲に歩調を合わせて行かしめよ。リンゴの木や、樫のように急いで肥料を施すことは、彼にとって重要事ではない。彼は自らの春を夏に変えることができようか。自ら本然的に適合する事態が未だ到来しないならば、いかなる現実をもってそれに代え得るか? 我々は幻想的な現実に難破せしめられることを望まないのだ。苦労八百して青ガラスの天界を頭上に築くべきか? たとえそれを完成しようとも、なおも我々は遥か上方の霊妙なる真の展開を、まるでガラスのものは無きが如くに、必ず凝視するであろう。」
 (ソロー『森の生活』宮西豊逸訳1950年)
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  私がこの表現に強く共鳴するのは、世の中の「理」というものはそのようになっているのではないかという事実、現実に圧倒されてきたからである。普通の世間情報からしても、農人がその田畑に、教師がその子どもらに、職人や料理人がその練達に、学者がその学理の究明に注がれる力量は、人生の総てを賭けたなまじハンパなものではない。おそらく山岸巳代蔵さんもその重要さは充分知悉しておられたのではないかと推測されるのは、あの「学問・頭脳優待」の発想からである。

「自らの仕事への専心」「本然の自己への努力」とはおそらく長い人生の過程そのものであり、おそらく様々な実際上の誘惑を超えても貫かれてきたものであろう。その観点で自分を厳しく見直してみれば、いわば「参画」なるものによって揺らぐとは、若年は別にしても人生や仕事についてそれだけ腰が据わっていなかったといってもいい。したがって「幻想的な現実」に依存してきた分だけ、その本来の道への「専心と努力」は空費されてきたのだと感じてしまう。したがってその「難破」は必然だった。

(主題ではないが、この文中の「異なった鼓手の太鼓」については鶴見俊輔さんも注目され、そこから一つ太鼓に呼応したファシズムや戦争の問題を抉られてもおられるようだ。私はここでずばり読み込んでしまうのは、やはり参画した生活体の体制のことで、あそこはおそらく「異なった鼓手の太鼓」の音にはかなり鋭敏な環境だったと思う。) 
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  ところでここでぶっ飛ぶが、ざっと半世紀以上前の私の学生時代の寮生活に遡る。というのは私の旧友たちの葬儀が増えだしたこともあって、会うとすぐ昔話が始まり、元自称文学者や音楽家や革命家たち(いずれもその卵)が気炎を上げる。そこで言わずと知れて見えてしまうのは、人生の終わり近くになって最後に残る悔恨であり、それは結局この趣味というか「自己興味」にかかわることなのである。

   特に十代でそういうものに出会い、いろんな障害や多少の道草も経て、結果として最後にはそれ専心に磨いてきた<順当な>人生というか、そういう人の<幸福>をどこかで羨望するのではないか。それは何千回何万回と繰り返しても飽きないものだし、死ぬまで続けられるものも多い。それがあったからこそ難局を乗り越え、場合によっては食っていける可能性もなかったわけではない。だからどこかでその道を絶たれた<恨み>というものはかなり根強いと感じてしまう。

   私の場合はようやっと六〇歳で書くことの醍醐味というものに目覚めた。ただその主たるテーマがその参画の総括なんだから何ともいただけないが、経過し肉感してきたわが時間というものを無にするわけにはいかない。逆にこれこそ取材の要らないわが<宝>なのだとも思いかえしてきた。 そのことを「霊妙なる真の天界」まではいかないが、もう少し高みから照射してみると、参画なんて「自分の真からやりたい」ことへの感度がどこか鈍っていたと考えざるをえない。ただ私の場合、その運命的原因は子ども時代から存在したことは、前に触れたことがある。
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  とはいえ残念ながら、時代はいまだ「食うために働かねばならない」というくびきを脱することができない。私のような高齢者でもパート労働があることで、なんぼ救われていることか。その点私らの親たちが、ともかく子どもらを飢えさせないためにやってきた必死の奮闘は凄いものだった! 今のような「自己実現」も「人生上の課題や仕事」なんぞは、夢のまた夢のお笑い草であったろう。

   そこでしみじみ効いてくるのは、かつては時代の先駆的思想家と見なされていた吉本隆明の以下の語りである。

「結婚して子供を生み、そして、子どもに背かれ、老いてくたばって死ぬ。そういう生活者をもしも想定できるならば、そういう生活の仕方をして生涯を終える者が、いちばん価値がある存在なんだ。」
(『生きていくのに大切な言葉 吉本隆明74語』
   2017/7/31

(2)暮らしをつくるもとの事実 ソローから
  先回「自分の仕事」について書いてみて、その根幹に置いたのは趣味、自己興味に関わる「自分にとって面白いこと」だった。それは私の年来の持論からすればどんな形であれ、その人固有の「自己表現」だとみなしうる。それは必ずしも衣食の道としての「職業」とは限らない。そうはしたいが、普通にはまずそうならないことが多い。

 ところで、ここでソローという人にもう少し立ち戻る。というのは、かれは若年でその生計と趣味と仕事を見事に一致させる試みを実現しているのである。それは、あの眠気覚ましのパンチのような「すべての人々をして、自らの仕事に専心せしめよ・・・・・・」というフレーズの実態、背景にもなっている。
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 ソローは19世紀半ばマサチューセッツ州コンコードのウオールデンの森に、一人で自分の家を建て、耕し、釣りをして、27歳からの2年2か月を暮らす。かれはそのわけを次のように書く。
(今泉吉晴訳『ウオールデン 森の生活』文庫上226p ,2016年小学館初版)。

「私が森で暮らしてみようと心に決めたのは、人の生活を作るもとの事実と真正面から向き合いたいと心から望んだからでした。生きるのに大切な事実だけに目を向け、死ぬ時に、じつは本当には生きていなかったと知ることのないように、生活が私にもたらすものからしっかりと学び取りたかったのです。」

「優れた絵を描き、彫像を掘る、創造の能力は良きものです。けれども人が生きて、描き、練り、暮らしを良くする芸術ほど、栄光ある芸術はないでしょう。日々の生活の質を高めることこそ、最高の芸術です。」

「つまり私は、簡素に賢く暮らせば、地球で自分の身を養っていくのはなんら辛いことではなく、楽しみと信じており、経験からもそうと確信しました。このような暮らしは、簡素な国の人には、今も生きる目的そのものです。」
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 書かれていることはなにも難しいことではない。「生活を作るもとの事実」という。「暮らしを良くする芸術」という。要は食物、住居、衣服、燃料などとその中身のこと。ただその実現の実際は私には想像不能である。私はここで、最初以上の、二度目のパンチを食らってクラクラしたようだ。ともかく驚くのはその成し遂げた事実である。

「私は、5年を超える歳月を自分の手で働いて生きた経験から、一年につき六週間ほど働けば、暮らしに必要なあらゆる代価をまかなえることを発見しました。」

「以上の通り私は、避難場所を手に入れたい学生が払う今の家賃の一年分で、一生使える家を建てられることを発見しました。」

 ソローという人の賢明さというのは、その高遠にして切実な哲学にあるばかりでなく、どうもその眼高手低の手堅さにあるようだ。建設費から食費、衣類、日雇い収入、農産物の売り上げ等、私などが苦手とする家計処理がきちんと出てくる。
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 ここでその数字を挙げる余裕がないが、ソローと出会っての驚きの一つは、かの鶴見俊輔さんが『身ぶりとしての抵抗』(2012年)の始めの方で、かれのことを7pにわたって取り上げていることだ。しかもその経費の数字もろとも。なぜなのか?

 鶴見さんの考え方の元にあるのは、「戦争反対の根拠」への問いかけであり、それを「理論ではなく生活のなかに根を持つ」ことに置いた。そしてソローの試みを次のように評価する。

「――現代の社会の複雑なルールを一度は、もっと単純なルールに戻して考え直すべきなのだ。そうでないと、われわれは、今偶然にわれわれをとりまいている社会制度に引きずってゆかれるだけになる。われわれは、現代社会のまっただなかに、ひとりひとりが、自分ひとりで、あるいは協力して、単純な生活の実験をもつべきだ。そこがそのままユートピアになるというのではなく、現代の権力的支配にゆずらない生活の根拠地として、思想の準拠わくとして必要なのだ。」(35p)
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「ユートピア」という言葉ですぐヤマギシを連想させられてしまうが、私は1973年の特講を受けた前後の自分のことが不意に蘇ってきた。当時私は高校の社会科教師として、担当していた世界史の導入部分で<実習>を取り入れていた。それはほんの真似事だったが、火おこし、織物づくり、土器・石器づくり、竪穴住居などのいわゆる「暮らしの考古学」だった。ほとんどの生徒は喜んだが、受験で世界史を選んだ生徒にはぼやかれた。

 いうまでもないが歴史は政治史中心の暗記物でいいはずがない。このような危惧はソローも感じていて、「たしかに大学は、若者に教養を教授し、実習で鍛えもします。ところが肝心の、人が生きるための知恵と方法は教えません」という。

 先回私は一生かけた「自分の仕事」という観点で、「参画」について否定的な見解を述べた。その気持ちは今も変わらないが、ここで私に自分の参画動機の重要な部分が蘇ってきた。それはこの<実習>の先に描かれる教育改革の展望だけでなく、生活・暮らし全体の社会革命につながるユートピア志向も込められていた。私はその導入の「特講」だけで参画につながったわけではない。

 その象徴的な帰結は、私はムラ離脱後北海道試験場をモデルにした少々長い小説を書かざるをえなかったことである。私のジッケンチ参画のほとんどは肯定しえない慙愧の時間になるが、ただ別海のあの、簡素だが生活智に満ちた、老若男女対等の人情とそこでの子どもらの佇まい、その世界こそは唯一に残されるべき希望への記念碑だと感じる。

 他方あの学園での<学育―学究―実学>のなんとも貧しすぎる<戯画>に、ソローを読めば読むほど打ちのめされる。かれは「人は言葉の初歩を学んだら、直ちに最高の文学作品を読めばいいのです」とも記している。元学園生によるコミックエッセイ高田かや『カルト村で生まれました。』(文芸春秋社2016)よれば、主人公はそれを内緒で実行していたのである。
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 歴史的時間というものは、なんと不条理、不親切なものだろうか。それはまったく自分寄りにはできていないことを痛感しつつもそう思ってしまう。ソローの記録の初版本は1854年に出ており、日本でも1950年に宮西豊逸訳が出ている。もし私が参画前にソローに触れていれば、おそらくちがう人生を歩んでいたのではないかと想像したくなる。

 ソローは「共同」を否定してはいないが「数少ない例外」だと考え、「前に進めるのは、何事もひとりで始める人です」と述べている。そして今あまりにも遅きにすぎる(私の発見が)が、鶴見さんから「ひとりひとりが、自分ひとりで、あるいは協力して」という微妙な含意を知らされるのである。

 ソローは随所で人々が「働きすぎる」と評しており、それが直ちに山岸さんの「なるべく働かないための研鑽」にも通じる。あの時期はまさにソローのいう「何故に我々は、こんなにめちゃくちゃに成功を急ぎ、めちゃくちゃに事業をやるのだろうか?」と問いたくなる環境で、そんな世界に問い、自分自身に問う「崇高本能」の営みは生まれようがなかった・・・・

 ただこのことの解明は、私たちの親が「働きすぎてきた」歴史の解明と克服の課題にもつながってくると思う。
 2017/8/6

追記)ソローを単なる<生活功利主義者>と見なされないように――
・大学の学位授与式で、聖書とは逆に「週一日働き、あとの六日は自分のために使う」と宣言した。

・奴隷制度と戦争に抗議するため、人頭税の支払いを拒否して投獄。また黒人奴隷のカナダへの逃走を助けた。