○先回の主旨は、子どもは遊ぼうとして遊んだわけではなく、何をやっても遊びだった、ということである。
しかし遊び自体は子どもとは区別すべき概念である。そのことを矢野氏は「(子どもには)自分が遊んでいるというより、遊び自体が生き物のように自己展開していく」と強調していた。ならばその先どんな課題が生じるか。少々お先走りだが、私は先回すでに次のように言明している。
<5歳児からもう少し長じて、一般に子どもらが<指導>され、努力したり、頑張ったりして初めて、作業や学習が遊びから分離する。しかしその分離が幸福かどうか。いうまでもなくその遊び次元で、ずっと作業や学習を続けられる人もいないわけではない。そこに子どもらから人間としての根源的な課題を問われているような気がする。>
*文化の生動的展開、その渦中での遊び
この小文の問いへの考察は後に譲るが、まず押さえておきたいのは遊びとは子ども固有のものでなく、大人も遊ぶのだということである。
したがってそれは人間全体にとって遊びとは何かという根源的な問いの前に立たされることになる。
巨大な歴史的考察になるが、矢野氏によれば、『中世の秋』『ホモ・ルーデンス』の著者であるホイジンガは「文化はその根源的段階では遊ばれるものであった」として、古代の祭祀、詩、音楽、舞踊、知識・英知、法律ですら遊びの中で生まれ発達した、という。矢野氏はそれを次のよう解説する。
「ここでホイジンガが言おうとしているのは、誤解されているように文化の発生の起源が遊びにあるといったことではない。
文化が文化として人間の生に力を与え、生動的に展開しているときには、それは遊び(過剰な体験)なのだといっているのである。
文化は遊びの形式のうえに築かれ、遊びとして発達したとするなら、労働のように行為の外部の目的に縛られない自発的で能動的な生成としての遊びこそニヒリズム克服の可能性があるに違いないとホイジンガは考えたのである。
・・・遊びは生成の可能性として私たちの前に開かれている沃野のひとつなのである。そしてこのように生成とのつながりで文化を捉え直すとき、文化のエッセンスともいうべき学校で教えられる各教科の意味も、いままでとは大きく変わることになるだろう。このとき、教育自体にも天と地が入れ変わるような劇的な展開が生じることになる」220p
ニヒリズムとは当時のニーチェの時代批判から来るものらしいが、それはともかくここで矢野氏は遊びを「過剰な体験」と捉えていることである。
ここで復習を兼ねて確認すれば、「遊びはもともと有用性の秩序を否定し、エネルギーを惜しげもなく過剰に蕩尽する自由な行為である」(矢野)。
またさらにその遊びの位置はスポーツ、自然探索、芸術作品の鑑賞等、文字通り自己を対象「世界」に没入させる感動体験と同列のものでもある。矢野氏はそれを「生成としての教育」の根幹に置いたが、ここではその教育という枠を外して、「生成としての遊び」あるいは「生成の可能性」という表現を用いている。
*無償労働と《働かざる者食ってよし》の世界
ここで改めて専門家の力を借りて歴史を遡ってみる必要も感じるが、私も実はそういう体験をしていたのではないかという記憶が蘇る。
すなわち「文化が文化として人間の生に力を与え、生動的に展開しているとき」のことである。
唐突かもしれないし、自分でも意外な感もあるが、私はそれをヤマギシ実顕地草創期の実感として想い出すのだ。
その当時存在した依拠すべき<文化>とはまず山岸先生の言葉と「特講」しかなかった。その頃私たちはほとんど何もない大地に種を植え、そのささやかな収穫を次への生の持続と<生成>へとつないでいきつつあった。
私には今でも不思議でならないのは、あの別海番外地における北海道試験場のわずか2年の物語を、あれから二十数年も経ったジッケンチ離脱後、拙いなりに書きあげていたということだった。
その『働かざる者食ってよし』という奇妙なタイトルの長い小説ができたのは、メモ的な記録はほとんどないのに昔の記憶が蘇ってきたからである。おそらくあの頃、私に贈与された<生成体験>が脳髄にまで播種されていたのかもしれない。
いいかえればあれこそかなりの部分で「遊び体験」ではなかったろうか。
「有用性の秩序を否定し」たわけではないし、結果を無視したわけではない。そんな余裕は何もなかった。しかしそのような枠内であっても、あの全力投球、<釈迦力><韋駄天走り>の日々こそ「エネルギーを惜しげもなく過剰に蕩尽する自由な行為」だったと思い返されるのである。
幼年部の子どもらが、有用性に頓着なく(いわば有用性の否定)遊びに専心専念したことが、結果として有用性にもプラスしていた例を思い出していただくだけでいいだろう。
しかもそれを可能にした状況的な背景として、ボランティア以上の<代価なしの無償労働>へのメンバーの献身があったのである。その自発性が際立つのは、それは誰もが労働を強制されない《働かざる者食ってよし》の環境だったからである。
事実、当時は仕事に出ていなかった若者がかなりいたのである。このような見返りのない、労働といえない労働は、理想・目的への献身も含めて、まずは自己目的であり、かなりはスポーツ的、時には祝祭的な遊びとして現象していたように思う。
その姿は<無償労働>の理念は残ってはいたものの 、<一体理念による自己規制・相互規制>によってかなり形骸化していた、後のジッケンチでは考えられないものであった。
*実顕地、その躍動から停滞へ
そのいわば文化的生成力が、私にまざまざ刻印されていたのである。ただその想起に唐突性、意外性が付きまとうのは、そこに思い込みによる錯誤があるかもしれないという危惧が残るからである。
いうまでもなく私は長いことジッケンチの変質や過誤の問題にこだわってきた。したがってその初期的特殊状況でのいわば<生動的な展開>を理想化することに、ある躊躇を感じるからである。
しかしここで改めて矢野氏の論考によって与えられた照明によって、あの時期は只事ではなかったと再確認せざるをえない。
しかし断っておくが、この<生動的な生成の力>がある時期、ある集団に奔出していたからといって、それは成功という結果をもたらすかどうか不明である、というよりそれはそのような結果とは無関係である。
そのエネルギーが悲劇に向かって蕩尽されることも充分ありうる。
ここで着目しているのは、心が躍動する「生成としての遊び」自体である。したがってその結果評価とはまさに、効果・有用性の評価であって、「労働のように行為の外部の目的」に忠実に沿った上での事実評価に待つしかない。
そして事実は、後にその草創時の<蕩尽的非現実性>に危機感を感じたメンバーが、おそらくその効果・有用性の観点から「経営研」を組織し、実顕地造成に乗りだして成功していったのである。
その過程にも確かに<生動的な生成の力>がオーラのようにつきまとっていた。さらには学園創設期もそれに当たるだろう。その<生成の力>は起動しはじめ高揚していくと、しばらくして<世界>の壁が亀裂し、動かざる山が動きだしたという気がしたものである。
それが嵩じてジッケンチの膨張とその悪弊につながっていった。自由で闊達な研鑽方式が既定目的への<取り組み>に変わり、労働や作業の効率性が重視され、思考が定形への拝跪となり、したがって同時に組織が階層化し、躍動が停滞と化していったと感じられてしまうのである。
*日常性としての遊び
<生成としての遊び>はこのような特殊な集団においてのみ現われるものではない。あのリオのカーニバルなどは、極めて蕩尽的性格が濃厚だが、それはあらゆる祝祭に共通するものである。
また個人においてもしばしば現われる。いうなれば<自己最高>の躍動の瞬間である。それは結果としての「最高」と誤解されそうだから、日常的にも現れるものでもあると断っておきたい。
すなわち未知の世界に触手を伸ばし、何ものかを創造しようとする過程、その成否不明のドキドキするような時間こそ、遊びというものの醍醐味が実感されるのではないだろうか。私の場合、それを最も感じるのは<好きな道>だと思い込んでいる、物を書く過程である。
この稿の最初に「努力したり、頑張ったりして初めて、作業や学習が遊びから分離する」「遊び次元で、ずっと作業や学習を続けられる人」という文を掲げたが、これはこれまでの考察を踏まえれば少しばかり註釈がいる。
おそらくどんな努力や頑張りも無味乾燥のそれのみで継続されるものではない。そこで対価や代償がもとめられがちであるが、そこでたしかに「作業や学習が遊びから分離する」ように見える。しかし「遊び次元で、ずっと作業や学習を続けられる」場と人は存在しうるのである。
ただし、「遊び次元で」という意図性を抱いた途端、遊び心は消滅しないともかぎらない。遊びはどこまでも遊びによって遊ばれるものらしい。そこらへの微妙な勘所というものは、おそらく経験の積み重ねもないとはいわないが、少しばかり違うような気がする。
遊びの鉱脈というものはどこにもあるが、どこにもないようである。いつもどこでどんなふうに出会ってしまうのかは、出会ったあとでも謎のようだ。
遊びのもっと簡易なものとして<散歩>がある。それを矢野氏の記述から見つけた時、私はある安堵感を覚えたものである。
「散歩では、道程はどこかに到達するためのものではなく、一歩一歩の歩みそれ自体が目的となる。そのために私たちは道ばたに人知れず生きている草花を見つけたり、移りゆく季節の繊細な変化を感じることができる。
本来なら有用な事柄に使用されるはずであった歩行行為は、目的地を持つことなく、どこにも到達しないという無用性によって破壊される。歩みの道具的性格が否定され、歩みは私のものとなり、反対に私は純粋な歩みそのものとなることができる。
・・・このように有用性に回収されないエネルギーの濫費の瞬間には、私たちは『企図の観念』から離脱し、『事物の秩序』を破壊し、そのことによって世界との十全な交流が開かれている。
つまりここでは蕩尽は聖なるものを呼び起こし、『全体的人間』に立ち返る体験となる。それが祝祭はもとより、供犠や贈与、散歩や遊びがなぜ人間にとって魅力があるかの理由なのだ。」210p
ここでは私には未消化な観念も登場するが、その解明を楽しみに以降の稿も続けたい。(続)
(2014・5・29)