※『わが学究 人生と時代の “機微”から』の2018年6月に、【(62)人生と人間の〝再構築〟――夫婦のこと】【(63)われら元〝種族〟の「人生再構築」について】を掲載している。
この2編は実顕地離脱後の「人生の再構築」について述べている。
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◎人生と人間の〝再構築〟――夫婦のこと 2018/6/19
このところ私は実顕地をどう見るかの「総括」の視点とは別に、自分自身を「2000年時の実顕地からの脱退とその後の人生と人間の〝再構築〟」の観点で考える機会が増えてきました。その最大の達成は「北試」との出会いとその表現でした。それに伴ってたしかにわが人生の見直し可能部分が増えてきました。しかし誰しもそうなるかどうか? やはりそれとはちがった、むしろ正反対の世界を感じてこられた方もおられるようです。
その方をCさんとしておきますが、以下にその趣旨を支障のない程度に要約します。
「実顕地を離れることで自由になると思っていたが、かえって実顕地30年の過去を突きつけられた。幾度過去に戻れたら、やり直せたらと思ったことか。生物や人間の歴史に照らせば女(メス)は子育て、男(オス)はそれを支え守ることだと思うが、実顕地では子を産むことは制限され、育てることは子離れの大義のもとに奪われた。男は本来家族を守ることなのに家族を顧みず、仕事や他の人に目がうつり、離婚した人も多い。山岸さんが一体の最小単位と言った家族がないがしろにされたと思う。」
Cさんが取り上げた問題は、「夫婦」のことでした。夫婦とはおたがい不満はあっても共に子を育てるというところで助け合いつながってきた。ただ「私たち」にはそんな体験がどうも少なく、「同じ部屋で暮らした」とはいえ記憶があまり蘇らない、というのです。
私は一読、思考が止まってしまいました。どちらかといえば微妙な、個人差のある、しかも集団生活とはいえそれほど情報が流れるテーマとは違います。しかしだからといっておそらく実顕地での夫婦なら誰しも直面した問題だったのではないか。これまで子育てと学育、学園の、それに伴う親子のことではずいぶんいろんな角度から考え論議されてきたと思います(もっともこの間私にとって多くはブログ、Facebookの世界で)。しかしそれらと密接してくる「夫婦」のことは当然等閑にはできないでしょう。
私は自分の個人的体験(おそらく誰しもこの分野では個人的体験しかない)では、実顕地離脱後はいっぱいケンカもしてきたが、いっぱいくっつき合ってもきた(涙と笑いの)世界です。たしかに実顕地時代はそういう体験は薄味だったと思う。研鑽学校などで理屈は聞いたがそれ止まり。しかし村外に出てからは死に物狂いの、生き延びるエネルギーだけで、夫婦共に育てられたところがある。
ただこのCさんの〝個人的体験〟も実はすでに実顕地の「総括」として、さらに広く共同体のありようにも触れている重要な問題提起として受け止められると思います。山岸巳代蔵さんは、実顕地における夫婦・家族のこのような実態を想定されていなかったのであろうか?
それとまた小説のことになりますが、私は改めて北試時代の自分たちの夫婦のことは鮮明に蘇ってきたと思います。仕事に疲れて眠りに落ちる寸前の夫婦の会話がちゃんと書いてある。実はCさんは「過去が蘇るのがつらいので、本は読めません」と伝えてきたのです。おそらくそのようなCさんにとって私の北試体験を読んで下されば、と薦められることのようには思えません。やはりCさんの心中深く、〝悪夢〟とは逆のなにかが蘇ってくる可能性はないのでしょうか?
・Yさんのコメントから:これは重要な提起ですねえ。「実顕地集団の構造」と「個人・家族の暮らし」の関係を思い出すと、実に重要なものを希薄にしていたように思えます。あの構造は家事や個的生活の苦悩や貧困から解放し、ムラ人たちの愛和の暮らしを豊かにする意味が大きかったのだと思いますが、同時に夫婦でつくりあげていくもの、家族で深めていくものを疎外していたように思えます。六畳一間も固定化されていましたし、夫婦・家族で旅に出るとかコンサートに行くとか、そういう方向性は、否定的に固定化されていて、その象徴的な言葉が、提案に対する「やめときましょうか」でした。だれがどのように決めたのか、本人の願望抜きの研鑽なしの一方通行のしくみが参画者の精神に与えていたものを考える問題提起だと思います。
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◎われら元〝種族〟の「人生再構築」について 2018/6/26
小説のエピローグの最後を、私は「これからの余生に寄りすがれる記憶は何もなかったと思っていたのである。しかしまったくそうではなかった」と書いて一挙にジ・エンドに向かった。種明かしをすればそれが別海「睦みの里」(いいかえれば北試がそのモデル)の記憶だった。いうなればこれは「この世に思い残すことはないのか」という私の問いかけへの答えである。
こういう内にこもったような遠慮がちの物言いは、この人生(といっても現在に近接する)ってのはかなり不遇な「特別な人生」だったという自己認識からである。それも思い返せば「退職金なしのスズメの涙の援助金」とか、「穴ぼこだらけの年金」とか、「学校は行ってたけど高卒資格も付かないよ」とか・・・仲間内では話せても、ちょっと世間には口外しにくいことばかり。この世にこれに近い人生も少なくはないが、ちょっとその状況が特異すぎる。しかもこういう状況にあったのは私だけではない。事情に詳しい人の話では「この7年間で千数百人がムラを出た」ということらしい。これならおそらくちょっとした社会問題になっていてもおかしくはない。しかしかれらはなぜか「自分を責めるのみ」の寡黙な人々だった。
したがって私がここしばらく「人生と人間の再構築」なるフレーズを用いてきた、その直接の現場は、「みなさん、そろそろ還暦を迎え、それぞれの人生をふり返って・・・」なる一般論ではまったくない。これはまさにある特別な〝種族〟につきまとう特別な物語なのである。その特別の中にかれらは「理想を目指して奮闘してきた」人々だったことを伏せるわけにはいかない。ちなみに『私はカルトに生まれました』というコミック本は、まさにその特別な〝種族〟の子ども版であったし、だからこそそれなりに世間の耳目を集めることになった。
その「特別」とは色々あろうが、その出発(離脱)がほぼ西暦2000年前後に集中していることである。そこには実にドラマチックな場面が想定される。例えば沈没しかかった大船からからまずネズミの群が脱走するようなイメージ。そして現在はその時からはや18年を経過している。したがって私のいう「人生の再構築」といっても実はその大半の物語は終わりを告げ、ほとんどの人にとって「何を今さら」の話ばかりであろうと思う。かれらは今ではその構築された土台上でさらなる基盤づくりに集中しているのかもしれない。
私はそれに水を差す気はほとんどない。私がこういうことに首をつっこみだす気持ちは、数年前からの実顕地「総括」の習性とは、まるでちがう。私は「これからの余生に寄りすがれる記憶」を探して、それを発見できたと思っている。いうまでもないがそれが北試の大地であり、牛であり、人間たちだった。もちろん遡れば北試以前の自分もあるが、そこは現在の自分にもっとも感覚的に近い。そしてそのことを書き表しているうちにそこに発見があり、無理のない人間の日常があり、歓びがあった。それが力になって、私自身の「人生の再構築」が始まりつつある。それは従来の後ろ向きの悔恨ではない前向きの構想なのである。それが人生終盤77歳にしてようやっと間に合ったのだから、いわばツイている。
もちろんこの「人生再構築」のイメージには、普通は何らかの不遇な事故的なものが出発点になり、その調査反省が始まるのがこの世の常であった。7年前の大震災が、さらには70年前の戦争が言上げされ語り伝えられる。それぐらい問題事変とその反省見直しには、長い時間的落差が付きまとうものであるようだ。そしてそこにはどうしても倫理的義務的な重さとにおいが漂ってしまう。特に組織、運動体の総括はどうしてもそうなりやすい。もちろんそういう部分は排除できるものではない。
ちなみに先回紹介したCさんの場合、「子育ての再構築」の観点でふり返ってみると、それに不可欠な夫婦の相互協力の基盤がもはや存在できていないという悔恨につながる。私などが昔幼年部関連でかかわった「子放し親離れ」理念の負の影響が相当にあったと慚愧するしかない。これは悲劇であり、そこに道義的倫理的な問いかけが生まれるのもやむをえない。
そういうことも含めその全貌と可能ならばその「本来のありよう」(といってもその「本来」の安易さを十分吟味しながら)がどこかで幻視されないだろうか――――そういうねがいを込めて、私は「人生の再構築」構想をイメージする。そうなってくるとどうしても不可欠なのは、「人間」の観点だと考える。いいかえれば「人生と人間の再構築」ということになるだろう。
この観点でもこの〝種族〟は特別なのである。いいかえれば山岸巳代蔵理念を「真実」として出発しながら、この集団は随所でその理念を裏切ってきた。いわばヤマギシ理念を掲げながらその変節にも、おそらく大半の人はほとんど無意識に手を貸してきたのである。端的に言って、あのような学育での子どもらへの個別研と体罰を山岸巳代蔵が肯定するはずがない。
私はいまでも山岸巳代蔵理念は「真実に近い」と思っている。ただもはやかつてのように「真実」という語を信仰的な断定に使えるはずがない。そして現在われらはもっと自由である。それぞれの人生の再構築の過程で様々な体験を増やしてきた。巳代蔵体験もその過去の一つになりつつある。そこから「人間ってのは・・・」という感覚、感度をかつてより深いニュアンスで(皮肉も含めて)身に着けてきていると思う。それを時によって寄せ合えば、独りで考えるよりはさらに深まる。本の虫もいてもいいが、本の虫だらけでも困る。
しかしこの「人間」ということばはなんと表すには難しいことか。聖者も悪魔も同時に表す実に複雑奇怪な言葉なのである。カギカッコを何重にしたとしてもその真意は表わせない。しかし私はあの2000年時、数百人もの人々が〝種族〟現場から逃れ出たとき、「ここは人間の住むところではない」という思いを忘れるわけにはいかない。私はその自分の「人間」感度を信じている。
思いがけないことだが、私は最近内田樹『ローカリズム宣言』を読んで、以下の記述の中に「人間」を見出した。
「商品と貨幣のやりとりというスキームでしか人間社会で起きていることの意味を考量できないものは、厳密には人間ではないのです。人間にしか共同体は作れない。」(74p)
そこに表示された裸の「人間」が僭越ながら私を捉えて離れない。