広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎『福井正之記録集1』完成のお知らせ

○経過
福井さん逝去後、福井さんとはメール交換も含め手元にかなりの記録や未刊行小説原稿などがあり、私のやれることとして記録集の作成を考えました。

まず試作品を作り、それを見直すとともに遊びに来た元学園生などに見てもらいました。
その後、校正や見直しを繰り返し、先日完成しました。

福井さんとは当時の実顕地の捉え方の違っていることは多々あります。
それぞれのおかれた環境や今まで身についた心の世界も違っているので当然だと思います。

だが、様々な角度から考察することが大事であるという認識で、忌憚なく対話を重ねてきました。
その当時(1980~2000年)の実顕地の課題点を考える際の貴重な資料になると思っています。
また、離脱者のその後についても参考になるように思います。

本作品は販売を目的としたものではなく、吉田光男『わくらばの記』と同様、ブログ製本サービス「MyBooks.jp」の力を借りて造った手づくりの記録集です。
関心のある方は連絡ください。

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本文【目次】
福井正之さんのこと/福井さんのブログについて/福井さんのお便りから/
福井正之の処女詩集「今浦島抄」/詩集「詩と断章、の領分」/
わが初期ジッケンチ論/ジッケンチって何だったのかな?/
私の初期実顕地総括・経済の観点から/
ジッケンチの学育を考える➀/ジッケンチの学育を考える②/ジッケンチの幼年部を考える/
<まちがいごと>への根本的対処が歴史を変える/元学園親との対話から/
ヤマギシ離脱前後の理念から実感へ/いつまで過去にこだわるのか/
自分の仕事とは/「使用価値」だけの、金の要らない社会の現存/わが人生の再構築/
書評『追わずとも牛は往く』ー労働義務のない村でー/
書評:『「金要らぬ村」を出る…』/書評:『息子の時間』を読んで/
「問い直す」(吉田光男さんに呼応して)/「あとがき」/

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「あとがき」より
『福井正之記録集1』は、福井さんの多岐にわたる関心ごとの中で、もっともエネルギ―を注いだヤマギシ関連に絞って編集した。

私はヤマギシの実顕地について次のことを思う。
数多くの失敗というかお粗末なこともあったが、ある意味では、一つの特色のあるコミューンであり、今でも少なからず影響があり、社会状況からも、実顕地・ヤマギシ会は、共同体として様々な角度から考察していくに値するものがあるとも考えている。

福井さんは実顕地について次のように述べている。
〈私見によればヤマギシは、家族を超えた人間共同の生活体を現実に形成し、産業・生活・教育・福祉等にそのかなりの可能性と限界を示唆したと見える。またそのような可能性を孕んだ質でなければ、私など数千人が希望と理想に燃えることができなかったはずである。その全貌・実態のいわば<失敗学的>解明・考察によっては、社会や歴史への貢献、すなわち功の部分をも数多く明示しうるのではないかと秘かにねがってさえいる。〉
(「試論―実顕地とは何だったのか、1」2008/11福井)

私もヤマギシの実顕地の可能性や<失敗学的>解明・考察は大事だと思っている。
「失敗学」とは失敗の原因を究明し、同じ愚を繰り返さないようにするためにはどうすればよいか、という方策を追求・探求する学問であり、さらに、こうして得られた知恵を社会に広めることで似たような失敗を起こさないための方策も探求する学問である。
(以下略)