2021-04-01から1ヶ月間の記事一覧
第四章 日常の総ての現れはもとの心の顕れ 1 農業改良普及員和田義一との出会い 一九四四年に向島に移転してからは、家の傍の池を利用して多数のアヒルを飼って、海軍機関学校へ食糧補給として納めたりして生計を立てていたが、ほどなく終戦となる。 敗戦に…
(第三章 社会や人生のあり方を根本的に究明することが先決) 5 鶏にも豊かな生活を 山岸巳代蔵の論考『山岸式農業養鶏について』が一九五四年『愛農養鶏』に発表されたとき、「愛農会」(愛農救国を理想として全国に拡がっていた団体)では「ナマクラ養鶏」…
(第三章 社会や人生のあり方を根本的に究明することが先決) 4 「山岸式養鶏法普及会」と「山岸会」 1950年9月、ジェーン台風が京阪神を中心に猛威を振るう。あたり一望倒伏田の中、稲が見事に立ちそろっている山岸の耕作田を発見したのが、台風被害の…
(第三章 社会や人生のあり方を根本的に究明することが先決) 3 根本問題から究明しなければ、永続する養鶏は成り立たない 一九三四年九月に室戸台風にあって鶏舎は大損害を受け、それを機会に下京区の台風で倒れた養鶏場を買って移転することになる。その頃…