広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

私の初期実顕地総括――経済の観点から(福井正之記録⑬)

※『回顧―理念ある暮らしその周辺』(92)(93)で、経済の観点から実顕地について述べている。これは(45)で述べた村岡到氏の著作に触れての実顕地総括論である。

村岡著について2013年3月に【村岡到「ユートピアの模索」から示唆されたこと、特に『生存権保障社会』論について】で述べている。

最期に参照として、2013年に訪れた、村岡到氏『ユートピアの模索-山岸会の到達点』について、吉田光男さんも私もブログで度々取り上げていて、そこからも一部見ていく。

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◎私の初期実顕地総括――経済の観点から(上)2020/10/5
(旧記載 ㊺村岡ヤマギシ論、空想的社会主義との現代的接点)
 前置き――このところ私には不思議なというか奇跡的なことが起こる。探しまくってきて見つからなかった原稿が再発見される。いうまでもないが私は、文章は大量に書く癖にその保管(特にPC、DVDでの)がずさんだからというしかない。頭も目も悪くなってきているんだから当然ではあろうが、私には何か奇跡のように感じてしまう。

 今回の最大の発見は前回紹介した<高橋和己『邪宗門』についての記述>であり、さらに今回続けて発見できた上述の文書である。それもブログの読者のどなたかのしかけだろうが、ブログ読者ページに記載されていたのである。おそらく考え方で私に近いだれか配慮してくれたものと思う。ずっと<村岡論>として記載され、しかもブログのはじめの方で掲載されていたものだから、私は気づく機会がなかったと思う。

 私はこれまで確かにいろんな総括文を書いている、他は忘れてもこれだけは忘れえない、私が現在で最も肯定できる総括文である。ただ当時の実顕地紹介を目的とした村岡書を切口にしたため、その意識が先行した。

 本文(序)
 当時例の「係りの暴力」「子どもへの作業強制」「洗脳集団」等のマスコミ攻勢に対して、ヤマギシの対応は「事実誤認」「誤解・曲解」等の防御一辺倒の印象だった。私も指摘されている実態のかなりは事実であろうという負い目によってほとんど何もできなかったが、心中もっと真っ当で賢明な対応はできないものかと歯噛みもしていた。

 のちになって考えたのは、間違った事実は事実として自己批判的にはっきり認め、他方私たちの<存在真価>(「レーゾンデートル」と言ってもいい)をはっきり打ち出しながら、今はそれへの未熟な過渡にあることを真摯に説明するしかなかったのではないか、ということである。

 そのいわゆる<存在真価>に当たるものは実は<学育>ではなく<経済>ではないのかというのが、その時の私の遅すぎた気づきだった。村岡氏の「無所有経済組織」論はそのことを鮮明に思い出させたのである。 

(1)       
 その前に問題の学育面のことだが、ジッケンチの子どもらの朝食摂取の容認、高等部生の通信制ないし全日制入学、実親の子育て参加(夕食を共になど)などの変化が2000年前後に集中しており(175p)、その種の情報に疎かった私には意外に早かったという印象がある。村岡氏はこれを「改善」と明記しているが、私はその表現に苦い思いを禁じえない。

  なぜならそれは、これまで頑固に貫いてきた路線からの<後退>であるが、そこに組織の生存をかけたあからさまな政治的対処(それを即断できた人材がいたということ)があったと推測される。この頃から実顕地メンバーの大量離脱が始まったこと(私の実質的離脱は1999年)を勘案してもいい。いうまでもなく、そのような大事をメンバーの大衆的研鑽によって断行したわけではなかろう。

 ところでヤマギシがマスコミ等によって社会的に糾弾された2000年前後の事態について、村岡氏の評価はどうか。この部分についての村岡氏の記述は、「逆風」「成功ゆえの眩惑やおごり」「勝って兜の緒を締めよ」等の評言に終始しており、具体的ではない。

 この間の実態については、私も自分のHP等で縷々書きつないできたし、元教育誌の編集者であり、ヤマギシ会員でもあった知友の言を借りてもいい。彼はヤマギシのありようとして「思考の他立化」「感性の画一化」「組織の官僚化」「全員一致の欺瞞」「意志の上意下達」「学究(文化)の軽視」「科学的思考の不足」と厳しく評している。そしてこのことの<負の蓄積>がいかにマスコミ攻勢等の外圧に弱かったかも如実に示されたし、以降のヤマギシ大量離脱の原因になってきたことも疑いない。  

(2)
 そこでまたその「経済」の問題にもどるが、それは実に世人だれもが感じる驚きだったろう。いわゆる「無時間」の理念では、「出勤や退勤の時間が決まっていない! 自分の都合に合わせて出勤する」と村岡氏が感動的に述べている。また<一つ財布>「無所有」の実態となると、まさに驚嘆すべき内容だった。体験者のわれらこそ当たり前すぎて改めて説明に困るくらいだが。

 だからそのような社会に日常的に当たり前に暮らしていた私たち参画者からすれば、その<驚き>にこそ驚くだろう。逆にいえば、われらヤマギシストこそ社会主義者が想定したような<真価>にあまり気づいていないノウ天気ぶりだったということになる。何しろ村岡氏からすれば私有財産否定、共産主義社会実現を目指しながら夢見記述し展開してきた空想世界が、現実そこに存在していたという事実だったろう。

 したがってマスコミ攻勢とともに、そのメンバーが一時に大量に離脱しはじめたのは村岡氏にとって信じがたいことだったはずだ。ともかく離脱者にとっては<無所有経済組織の真価>どころではなかった。かれらは理念的には終生生活保障のシステムを承知しながら、あえて大不況真っ只中の競争社会に逃れざるをえなかったのである。

 しかし村岡氏はその取材によって、ヤマギシの現実の問題点を承認しつつも「経済」の実態については「社会主義理念の現実化」を実感できたであろう。この二面性は実は私と逆になる。私の場合は経済の「無所有」実態は肯定するものの、他の面では無理であるがゆえに離脱した、というのが私の経歴になる。

 ふり返ってみれば私も参画前は、村岡氏同様社会主義者だったのである(<かくれ>の時期が長いが)。だから彼の<経済>、すなわち「生存権保障社会の実現」の観点からヤマギシを取り上げるという試みは大いに共鳴するし、その展開に<さすが―>という感銘しきりだった。(続)


◎私の初期実顕地総括――経済の観点から(下)2020/10/15
(3) 
 その部分の村岡氏の観点は以下のようなものであった。
「不思議なことにヤマギシ会は、自分たちが実現している経済的仕組みについて自分たちの言葉で説明していない」(第8章「生存権保障社会の実現」178p)                                           

「<学育>に関しては、大いにその実態を明らかにし、その意味を宣伝しているが、経済的な仕組みについてはそうしていない」(同185P)                                                 
 という導入と、それについての記述だった。

 すなわち「無所有経済組織」についての説明的紹介とその社会的可能性に関わる展開であった。それは村岡氏のトロツキー経由の第4インターー社会主義者としての経歴、知見、渉猟からの、いわば随意な分野であったろう。そしてそれが同時に、私が離脱後もヤマギシに対してずっと抱いてきたアンビバレンスな感情を刺激し続けてきた内容でもあった。その「無所有経済組織」についての記述を私なりに要約的に紹介すれば、

①   私的所有制度に包囲された現社会のただ中で、将来非私有的な共同体(エコビレッジなど)を創出する際に活用可能な、多くの先駆的な方式が案出されている。税務法制、労働法制など現行法制への合法的適応方式。

②   労働意欲への刺激が現行社会のような所有欲、いわゆる私利私欲においていない。それが可能だったのは「われ、人とともに」の精神やそれにともなう我欲・我執の克服による。その実態は、いわゆる空想的社会主義者モリス流の「生きる喜び」を彷彿とさせ、著者はこれを『友愛労働制』と命名したいとしている。

③   賃労働を廃絶し、貨幣を使わない日常生活を実現している。いわゆる「金の要らない仲良い社会」である。そこでは労働と分配が切り離され、「働かざる者食うべからず」の暗黙の強制もないはずだから、いわゆる『生存権保障社会』とも言える。

(付随して、私はそこでこれまであまり触れたことのない、モリスの<労働の芸術化>論や宮沢賢治の労働観、さらにポラニーの「乞食三日やったらやめられない」の真理性、「労働に対する報酬の期待は、人間にとって“自然的な”ものではない」の指摘などは、経済組織の問題を超えた人間性の深淵に触れてとても興味深かった。)

 ともかく左翼の社会は昔から実態抜きの理論闘争に明け暮れていたようだから、未来のユートピア社会である社会主義・共産主義の構想研究者でもある村岡氏としては、瞠目すべきモデルを<発見>できたということだろう。

  (4)
 ともあれ終わりにヤマギシ及びこの種の<非私有的な>共同体の将来について触れておきたい。何といっても、2010年代の現在および将来はいかなる時代になっていくであろうか? 社会主義者が理念上は私有財産否定を語ることはノンタブーであるが、その実行はとんでもない非合法になる。しかし世に私有財産制を自らの自由意思によって克服・否定しようとする人々が寄って、そのような共同体を創ろうとする試みは容認されうるのではないかと思う。

 ただ、それがどの程度可能かは予断できない。そこに村岡氏が打ち出した『生存権保障社会』という考え方は理念的にきわめて優れた、観方によっては実に巧妙な抜け道になりうる。そしてその観点から現行法制適応のための摺合せ実績があったのがヤマギシだった、という発見につながってくる。

 しかも現今生活困窮者の増大は国家のセーフティーネットのわずかばかりの拡充によっては如何ともしえない状況にある。他方、その背景にある自由競争的欲望充足は限りがない。たしかに村岡氏の言う「<平等と友愛>に反する、欲望の充足は許されない、と考えるべきである」は、けだし名言だと思う。

 とはいえそれも旧社会主義国家的な行き過ぎにならないかの警戒心が走る。ともあれ、これについては種々の試行的実践と百家争鳴による社会的コンセンサスの成立が急がれると考えるしかない。そしてその唯一有力なモデルは今のところヤマギシしかないであろう。

 それを認めた上で村岡氏は「ユ-トピア建設の課題と困難」性を列挙している(196P以降)。この8項目という数の多さはそれだけこの課題の困難性を表していて充分納得できる内容である。ただその第6の組織論テーマで紹介されているヤマギシの「自動解任」(特に指導部の解任)「総意運営」については私の実感だが(形式的にはどこかで辻褄を合わせたかもしれないが)、初期の別海試験場の体験以外はずっと画餅にすぎなかった。この点についても私の別の場での考察に譲りたい。

 私は創始者山岸氏の構想の中で、実現されなかったのは他にもあるが、この指導部の自動解任制と労働時間短縮の2点が最も大きいと感じている。くり返しになるが、いわばその代償として確立していったヒエラルキー的組織体制の事後譚が、マスコミ攻勢から集団離脱へと連動するいわば悲劇的事態につながっていったのである。

 これはしかし、何たる逆説的なことであろうか。そしてこの逆説は極小とはいえ新左翼諸氏周知のトロツキーの「裏切られた革命」の文脈を借りて再構成もできるだろう。

(私事になるが、私は数年前、その主題の本来的な位置も不明ながら『働かざる者食ってよし』という奇妙なタイトルの長編作品を書き上げていた。すべて35歳で参画したばかりのヤマギシ別海試験場での体験がベースになったものである。そしてはからずもその位置めいたものが、この村岡氏の『生存権保障社会』の考察と提言によって明らかになってきたことに驚き、かつ感謝したい。そこは「働かざる者食うべからず」社会の暗黙の強制からの離脱を模索する、試行錯誤に満ちており、私の拙いながらの記録と表現の情熱を呼び覚ましたのである。)

ひとはパンのみにて生きるに非ず 
されどパンなしには生きることはできない
人智の巧妙によって
パンを万人がたやすく得られるしかけをいったん確立せば 
ひとすべてにそなわる崇高本能によって
ひとりひとりが持てるテーマを見いだし
咲かせ 全うできるという 永劫の夢想 だがいつの世か
パンのみによって生きなくともよかった生涯を
互いに 寿ぎたいものだ
(2013/3)

(後註)ご想像通り私の著作『追わずとも牛は往く――労働義務のない村で』の公刊は、2018年4月になる。その原作に当たるのが『働かざる者食ってよし』だった。今このタイトルに向き合ってみて、なんとあけすけなタイトルだろうと思う。生存権でも、社会保障でもありそうだが、それを一線超えた何か――

 1976年私たち一家が迎えの車で、別海町の雪原を山岸試験場まで移動したとき、地名表示はみな「番外地」だった 。すなわちあの頃の夢想は「番外地」でしか実現できなかったものらしい。今その<必要>はもはや「番外地」どころではないようだ。

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「参照」
○「人間集団の在り方について思うこと」吉田光男 
 村岡到氏さんの言う〈友愛労働〉について、〈友愛〉という言葉は、恐らくフランス革命の〈自由・平等・友愛〉からもってきたのだと思います。実顕地で使われる〈仲良し〉と関連づけて思いついたものでしょう。その言葉はともかく、村岡さんの考えの中には、マルクス以来の労働観があります。労働を、生きるためのやむを得ざる労働力の支出であるとする見方です。労働を疎外として、生命力の一方的支出と見ているのです。これには、代償としての収入が必要となります。確かに市場経済の下での労働は、パンのための労働であり、労働力の売買に支えられています。しかし、労働=働くことにはもう一つの大事な側面があります。人間が何かをすること、対象に働きかけることは、一方的な支出であるのではなく、働きかける過程そのものが同時に受け取る過程でもあるということなのです。生命力の外化が同時に生命力の内化でもあるという自然の理があるように思います。

 歩くという労働力の支出が、肉体の維持健康につながり、植物を育てることが直接心身の充実となって返ってくる。働くことは生きることそのものなのです。この外化=内化という本来の労働過程が資本主義経済の下では切り離され、労働の一方的支出と貨幣による代償という二分された形になってしまいました。これをこそ疎外というのでしょう。

 ヤマギシでの労働は、この二分された機能を一つに回復するべく考えられたはずであり、友愛労働も義務労働もあったものではありません。しかし、本来の労働を回復するには、ただ代償がない、義務・拘束がないというだけでなく、働く自分と働きかける対象とが一体になること、つまり山岸さんの言う「真の農人」「真の教育者」「真の商人」に自分がなる以外にありません。育てることが育てられることであり、教えることが教えられることであり、もたらすことがもたらされることである、といった生き方。これも口で言うほど簡単なことではなく、絶えざる研鑽が必要です。自分たちの実態をみると、ただ何となく働いている、金もうけのために働いている、ヤマギシを広めるために働いている、といった段階にとどまっています。
【「人間集団の在り方について思うこと」吉田光男 『広場・ヤマギシズム』2013-05-30より】
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○「村岡到『ユートピアの模索』に触れて」山口昌彦
 2013年に村岡到『ユートピアの模索―ヤマギシ会の到達点』が出て、現実顕地の構成員やヤマギシに関心のある方に注目された。

 著者は2012年、ほとんど知らなかったヤマギシ会と初めて接点を持つ。実際に実顕地を何度も訪ね、そこでは、現在の資本主義日本では考えられない生活を実現していることを知ったことが本書を書く契機となる。その特徴を五つにまとめている。

・お金のためではない働き方を実現
・お金を使わない〈無所有〉の生活
・農業を土台とした共同生活を実現
・子どもの創造性を生む〈学育〉
・高齢者の生活・医療を完全に保障

 著者が、五〇年に及ぶ社会主義をめざす実践を支えた思想に立って、本書を書き綴ったことが特徴である。
 しかし、触れた時間の短さのこともあるのか、多くのことを現実顕地で活躍している人への聞き書きによるものであり、当時の実顕地の長所が前面にでていて、その陰の問題点がよく考察されていない印象がある。

 さらに、山岸巳代蔵およびそこから生まれたヤマギシ会は独特のものであり、それまでの社会主義思想などだけではよくつかめないと私は思っている。
 その頃の実顕地をよく捉えていると思う反面、そうだろうか? と思うことの多い一書である。

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 2000年前後に、疑問を覚えた人たちによる多くの離脱者を生み、実顕地でもいろいろな見直しがされたらしい。以前ほどではないが、その後も一部には注目されている。
 村岡氏が本書を刊行した2013年にも、実顕地の規模は最盛期の半分程度になったものの、依然として農業産業として健在であり、『週刊東洋経済』「農業で稼ぐ」(2012年7月28日号)という特集を組んだとき、農事組合法人のランキングを載せていたが、ヤマギシズム生活豊里実顕地農事組合法人は第2位にランクされていた。

 実顕地在住の友人によると、最近ますます勢いをなくし、参画者もほとんどいない状況で運営の根幹である「研鑽方式」もおざなりになっているらしいが、農業関連の共同体としてそれなりの実績をあげているらしい。
 ※村岡到『ユートピアの模索―ヤマギシ会の到達点』(ロゴス、2013)
【「広場・ヤマギシズム」の役割。(村岡到『ユートピアの模索』に触れて)2020-11-21より】