広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎山岸巳代蔵や実顕地について、今の時点で思うこと。

○親しくしているBさんから次のメッセージがありました。
《FBでヤマギシというグループ作りました。山口さんのヤマギシの広場のFB版みたいなものですが、是非山口さんの知見もお聞かせくださいませ》
そこで、大事なことだと思うこともあり、簡潔に現在思っていることをブログ「広場・ヤマギシズム」に書いてみました。

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○山岸巳代蔵について
巳代蔵さんはとても魅力のある人で、いろいろな研究対象としてもっともっと取り上げたらいいと思います。しかし、その考え方は特殊ではないだろうか、と今の私には感じます。

○山岸会について
したがって、山岸会は山岸巳代蔵の思考から生まれたものです。今に生かせたら面白いところも多々あります。研究対象としては取りあげたいと考えていますが、やはり特殊な団体だと思っています。

○実顕地について
私は1975年に北海道試験場に参画しましたが、福井さんの『追わずとも牛は往く』にあると同じように、その頃の私には、可能性を感じたし面白い印象が残っています。
それから数年後に、ヤマギシズム実顕地として全国的に展開しました。

そして、私は豊里Gで中心メンバーとして活動していましたが、年々組織の根幹となる研鑽方式がおざなりになっていき、総じて山岸巳代蔵の描く思想とは変容したものになっていったと考えています。
特に1980年頃~2000年頃までの実顕地は、今から見るとお粗末としかいいようのないことも多々あると思っています。

むろんその責任は自分にもあると考えています。
その責任というか、その一つとしてブログ「広場・ヤマギシズム」を立ち上げました。

○「広場・ヤマギシズム」について
「広場・ヤマギシズム」は「ヤマギシ」に関心のある方、研究者に参考になればいいという位置づけで、責任というか、実顕地が変質していた渦中に、中心になって進めていたものとして、記録に残しておく自分の役割はあるのではと思い、随時書いています。

これを書くことで、あのことはどうだったのか、自分が何を考えていたのか、もっとやれることはなかったのか、次代につなげるにはどんなことに焦点を当てたらよいかなど、いろいろな思いも出てくるし、整理しながら記録しています。

○自分の頭で考える
私は実顕地にとどまって一緒に考えていくことが大事だと思い、しばらくそのことも意識しながら同じよう思いをしている人と模索していましたが、家族のことやいろいろな事情で、結局離脱の道を選びました。そのことは個人的にはよかったなと考えています。

離脱して思ったことは、まず、自分の頭でじっくりと考えることが先決で、考えるというのは各種の思い込み、そのとらわれの重力を疑い、思考の自由を得ることからはじまる。安易にグループ化にはしらないことが大事。その人々が集まってやがてグループ化の流れになることもあるとは思いますが。


○「ヤマギシ交流の場」について
Bさんの「ヤマギシグループ」の提言は、面白いものだと思うし、温かく見守っていきたいと思っています。様々な人に門戸を開き、いろいろな人の投稿を読むことで、考えさせられることもあります。

Bさんはよく当時の交流者を「戦友」と表現していますが、寝食を共にした印象もあるのか、いろいろなことがありながら、その仲間意識は根強いものがあり、特に元学園生同士の繋がりにそれを感じます。私もずっと親しく交流を続けている人もいます。

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以上今思っていることを簡潔に書いてみました。続けて発信していきたいと考えています。

<ヤマギシの交流の場>
https://www.facebook.com/groups/334119399658056