広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

(45)問い直す④ 「人生」への眺望を組み込んで(福井正之)

※福井正之さんは吉田光男さん逝去後、『わくらばの記』や吉田さんの論考などから、ご自分に引き付けて、「問い直す」というテーマで10回に亘って論を展開し、自身のブログに発表してきた。
 随時それを取り上げながら、主にそれに関連したこと、及び、そこから派生してくる実顕地、ヤマギシズム運動を見ていこうと考えている。


〇 先回は、わが「実感できる真実」からの典型的な発想事例を紹介した。ただ私のメインテーマは「問い直し」である。しかしその問い直しに入る前に、もう少しその対象の全貌を明らかにしておく必要がある。それはやはり<真理観>と対置してきた<自己存在観>のことになる。その特徴は、これまでの私にとって「かなり開き直ったともいえる方向」への転身として一応釘を刺しておいた。

 それはもちろん「実感できる真実」の流れであるが、「自分とはいったい何者なのか?」という問いに関わる。ただもちろん一挙にそうなったわけではない。その出発点は私の場合、ジッケンチを離れたからこそ生まれた認識だった。ムラを離れていなかったら、そういう問いは生まれなかったであろう。その発端は「村―町」運動で寄り合ったGメンバーとの交流だった。ここで私は初めてこの間メンバーが抱えていた様々な「本音」に出会った。G内でのこれまでの習性や警戒感が外れたせいもある。私はこれこそ(かつて夢には見たが出会ったことのない)「幸福研鑽会」ではないかと実感していた。...

 ここでその内容に触れるゆとりはないが、私にはそこはその後の思索や究明の坩堝であり源泉のような場になっていた。その活動は2年近くで挫折したが、そこから以降私のなかで胚胎してきた問題意識は<自分のいた場への同調と違和感><自分を知りたいという欲求><「私の思想」の模索>ということになるだろう。それに当たる表現をいくつか紹介しておきたい。やはり詩形式が簡明だろう。


〈わたしはどこに居たのか/(中略)おそらくそこが息苦しく空気が薄ければ/空気がまともにある場を 探すだろう/たまたまそこを降りてみると次第に楽になる/そこまで来て初めて私の居た山の/酷薄な高さを知るのだ/「きみがイギリスしか知らないとしたら イギリスを知らない」(『今浦島抄』―距離)

〈社会を変えようとするなら自分が変わること/しかし今は自分を変えようとは全然思わない/その前にもっと自分を知りたいのだ/自分を知るとは/たぶん自分の変わらないところを/明らかにすること/(中略)
 精神といい自我という/それらはなにゆえに/かくも執拗に問いかけてくるのか?/お前はなにもので/お前の本当にやりたいことはなにか、と/たとえ生活や生命が十二分に満たされても/満たされずうごめくそれら!〉(同上―自分を知りたい)

〈――「大事なのは他人の頭で考えられた大きなことより、自分の頭で考えた小さなことだ」(村上春樹)/“私の思想”とはどうもその小さなことに関わりがあるようだ/でもこれまで「他人の頭で考えられた」ことがいっぱい詰まっていて/それ以外のことはぼんやりしている/そのなにかが蘇るために/貧しく不安多くともあえて別居し、いまだなにもない小さな部屋の表札に/番正寛と記す〉(同上―私の思想)


 このような表現は私の数編の手記的小説とともに2003~5年頃のマンション住込み管理員の暮らしの中で<噴出>しているが、これは私の人生にとってもただならないことだった。これまでも人生の岐路に立って考え抜いてみたことは幾度かあったが、文章表現として一貫できたのは初めてのことだった。

  ただそれも前述のようにムラを「離れた」というより、そこから<逃亡した>人間だったという自覚が大きかったと思う。やはりそこが「息苦しく空気が薄かった」という危機感が先行し、それはどうしても「強いられた」という感覚として残る。このことはたびたび思い返すが、吉田さんがジッケンチに留まりながらも、なぜあのような広闊な思索と究明が可能になってきたのか、に想いを馳せざるをえない。そこではそれこそ直接的な様々な不条理や違和感に包囲されていたであろうに。

  私はそこから直ちにジッケンチ批判の方向に進んだわけではない。ふり返ってみればその方向は、私が2008,9年の「ジッケンチとは何だったのか」論考以来のことである。ただそれでも最初のHP(2012年)のタイトルが、以前の感覚を引きずった「挫折体験と自己哲学」だった。その後の物を書いてきた動機は、ヤマギシ批判を織り交ぜながら罪責感、自己批判、自己決済、清算等々の、誰しもちょっと身を引きたくなるような、おどろおどろしい内容だったと思う。

 その間、吉田光男さんから個別研についての「元学園生の手記を読んで」(2013年)の重厚かつ示唆的な論考を頂いた。特にその中で紹介されていた山岸語録に触れ、私はジッケンチと山岸さんを一応分離して考えるようになってきた。そもそも青本とジッケンチとは内容を異にする部分が多々あり、またそれ以来吉田さんやYさんのような『山岸巳代蔵全集編集』に関わってきた人の知見に触れる機会が増えてきたからでもある。

 さらに昨年初頭世に出たかやさんコミックへの衝撃は大きく、HPタイトルを「反転する理想」に変更した。この間の私の認識の基調は、やはりヤマギシは「正しくなかった」、同時にそれとほぼ一体だった私は「正しくなかった」という認識、いいかえればより<真理観>(真実観といってもよい)に近くなってきたと思う。それもわが「実感できる真実」からであった。そのことは厳密にいえば吉田さんも同様だろうが、やはり彼の広範な知見と究明による真実表現ということでは学ぶべきところが大きい。それは吉田さんが一貫して問い続けてこられた内容であり、その「問い直し」についての吉田さんの深刻な反省を、困難ではあるが可能な限り受け継ぎたいと考えている。

 経過説明に時間を取って恐縮だが、ようやっとここで私自身が「問い直し」たいと考えてきた主題に入る。それは私がこの間ずっと着目しながらも、なかなか胸にすっと落ちるような了解には至らないテーマだった。すなわち私のなかで割り切れないのは、この課題はあの2003~5年ごろの「自分とはいったい何者なのか」という究明とはどのようにかかわってくるのかという問いである。そのわが<自己存在観>に関わるテーマBとヤマギシ批判=自己批判テーマAとはたしかに一線を画しているようでもあるが、そこにどうしても深い連関を意識せざるをえない。そしてその方法としてAは「究明」(情報、学理の吸収IN)といってもいいが、Bはやはり「表現」(自己表出OUT)になると考える。

 そこで大雑把な連関感覚をあげてみると、ムラ離脱当初の<自分のいた場への同調と違和感>とか<「私の思想」の模索>の中では、もうすでにAの意識は自明のことだった。またそのAの究明のただ中でもBの「表現が慰謝と救済になりうる」という感覚がついて回っていた。そこにはもちろん「人生」のにおいが漂っている。つまり巨視的に云えばヤマギシも私の人生の中の一コマであるし、逆にいえばヤマギシ的(ヤマギシに限らないが)社会構想の中で個々の人生は不可欠な要素でもある。

  このような機微を含めた問題群が私の「問い直し」の主題になる。大胆とも粗雑ともいえるかもしれないが、私が企てているのはこのAとBとの統合である。これまで幾度か取り上げているが、成功したとはいえない。(続く)
 2017/5/25

参照・本ブログ◎「元学園生の手記を読んで」 吉田光男 2013-10-30