◎第四巻について
この巻に収録した文書は、一九六〇(昭和三五)年秋頃から、翌一九六一年五月に旅先の岡山県興除村(現岡山市)で山岸巳代蔵が逝去するまでの、八ヵ月足らずの間に語られた口述録及び研鑽会記録等である。
この時期、山岸自身は、三重県の津市や名古屋を拠点としながら、ヤマギシズム理念を検べていく研鑽会を開催し、実際にヤマギシズム運動やヤマギシズム生活実顕地づくりに向けての様々な活動を行いながら、著述としては主に口述筆記によって、多数の記録を残している。
その中には、未発表のものや、未整理のものが含まれていて、現段階ではまだ公刊できないものも多い。したがって、この第四巻では、この時期の口述著作及び研鑽会記録の中で、一応何らかの形で世に出たものの他に、未発表記録のうちから整理の出来たものを加えて刊行することにした。
山岸会事件(一九五九年七月)以後、表立った組織的活動こそ見受けられなかったものの、山岸会員は地道な活動を続け、和歌山県、三重県、山口県、長崎県などでの一体経営を目指した動きや、東京に出向いてヤマギシズムを社会に広く紹介していく活動などが活発に行われていた。
一方で、ヤマギシズム生活実践場春日実験地も、山岸会事件やその後の伊勢湾台風等の壊滅的な打撃による窮乏生活を乗り越えて、次第に一体生活の顕現へと向かって歩き始めていた。そんな時期に、山岸が口述したのが、本巻に収録した『体質改造に想う』、『山の鶏のあり方』、『一体生活について』、『聴く態度について―夫婦のあり方』である。
また、一九六〇年後半頃から、春日実験地のように家屋敷を売り払って一ヵ所に集合する形態でなく、現状そのままで生活そのものを一つにしていく、財布一つの、金の要らない「ヤマギシズム生活実顕地」への動きが各支部間に広まり、一九六一年一月末に、実顕地第一号として兵庫県に北条実顕地が誕生、その後、各地に実顕地が次々と誕生することとなる。
「ヤマギシズム生活実顕地」構想については、既に第三巻に収録した『金の要らない楽しい村』、及び『ヤマギシズム生活実顕地 山田村の実況』の中で触れられている。『山田村の実況』では、実顕地はこのように生み出されてゆくであろうとする見取り図を、架空の村を舞台にして描き出しているが、現実も、無いはずの「山田村」と同じように進行し、具体化していった。
本巻に収録した『ヤマギシズム生活実顕地について―六川での一体研鑽会記録から』(一九六〇年一〇月・和歌山県金屋町)と、『実顕地養鶏法発表会』(一九六一年五月・岡山県興除村)は、共に、当時まさに実顕地をつくろうとしている会員やその周囲の会員に対して、ヤマギシズム生活実顕地だけでなく、研鑽学校・試験場・振出寮など一体生活を成立させるための機構と、その元となる心のあり方について、山岸が詳しく語った貴重な記録である。
「山田村の実況」は、第三巻発行の後に口述筆記の原本が見つかり、そこにはこれまで未発表の、続きの部分があって、ヤマギシズム生活実顕地調正機関のことも書かれていたので、本巻冒頭に『山田村の実況(続)』として収録した。なお、研鑽学校については、山岸が口述した「ヤマギシズム研鑽学校案内」があり、それを収録した。
実顕地造成が進む一方で、社会に向けて広くヤマギシズムを打ち出していく活動も、同時に展開されている。一九六〇年八月には山岸会事件後最初の特別講習研鑽会(特講)である第八八回特講が東京で、翌年三月に三重県津市で「法政産経Z革命特講」が開催された。この「法政産経Z革命特講」に向けて全国都道府県で日を定めて一斉に配布されたのが、『Z革命はあなたの身辺に』であり、この特講の参加者に向けて送られたメッセージが『理想社会を目指して―一粒万倍に』である。
さらに、実顕地に関連して、「ヤマギシズム社会式養鶏法」が発表された。この養鶏法は、これまでの農業養鶏法とは違い、無所有・一体、完全分業の「ヤマギシズム生活実顕地」を基盤とする養鶏法であり、『山岸会養鶏法・増補改訂・農業養鶏編』(本全集第一巻所収)にその発表を予告していたものであった。これに関わる資料として残っているのが、一九六一年四月二日に山岸自身が参加して名古屋の八事園で行われた『ヤマギシズム社会式養鶏法について』の座談会記録であり、一九六一年四月一六日に名古屋で行われた「ヤマギシズム社会式養鶏法」発表会に向けて山岸が送った『社会式養鶏法発表会に寄せて』のメッセージである。また、同年四月の『ヤマギシズム』紙〈意見の広場〉欄には、研鑽によって個々の囲いを無くし、ヤマギシズム実顕地の造成をと呼びかける趣旨の原稿を掲載している。
こうした著作や記録からは、最晩年の山岸巳代蔵が、胸に秘めていた幸福社会実現の具現方式であるヤマギシズム実顕地構想を、情勢を見ながら、その受入れ準備の出来る段階に応じて打ち出してゆく姿を読み取ることが出来る。
ヤマギシズム実顕地造成、そしてそれと併行しての、社会に向けてのヤマギシズムの提案といった動きの渦中にあって、山岸は次第に身体の健康を損なっていく。にもかかわらず、自分の思想や具現方式を出来るだけ伝えて、全人幸福社会の実現に尽したいという思いからだろうか、山岸は体力の許す限り各種の研鑽会に出席した。
そして、四月末に当時の居宅であった三眺荘(三重県津市)で行われた『さびしがり研鑽会』及び『会いたい見たい研鑽会』の後、山岸はその終焉の地となる岡山へと旅立つ。なお、この二つの研鑽会記録は、長年人目に触れることがなく、今回初めて公開されるものである。
山岸は、五月一日から岡山県興除村に於て持たれた『科学・研鑽態度について』、『実顕地養鶏法発表会』等の研鑽会に出席した後、五月三日に引き続き当地で行われた『一体高度研鑽会』に出席していたが、午後五時三〇分、発言中に頭痛に襲われ、くも膜下出血で倒れた。そして一九六一年五月四日午前零時五〇分、そのまま帰らぬ人となった。享年五九歳であった。
なお、本巻巻末資料として、山岸の死後に発表された『ヤマギシズム生活中央調正機関』、『ヤマギシズム世界実顕試験場機構』などを紹介した。これらの発案が山岸によることは間違いないとしても、最終的な文書の作成にどこまで関わっていたかは不明である。
また、実顕地造成の記録として、一九六三年の六川の記録と、北条実顕地の荒瀬崎次の当時を振り返っての談話を収録した。そして、岡山で山岸が亡くなった直後に現地で行われた追悼研鑽会の記録も併せて収録した。
本巻に収録した資料のうち、名古屋での『ヤマギシズム社会式養鶏法について』の音声記録を別売付録CDに収めた。当時の生の声は貴重な資料である。併せて味わっていただきたい。
二〇〇五年一〇月
山岸巳代蔵全集 刊行委員会
○第四巻編集を終えて
山岸巳代蔵全集は、順調に年二回のペースで刊行することが出来た。
しかも嬉しいことに、山岸巳代蔵と生前関わりある人々から貴重な資料がこの間続々と寄せられてきている。本巻冒頭に収録されている『ヤマギシズム生活実顕地 山田村の実況』なども、最近口述筆記の原本が見つかったものであるし、『一体生活について』、『聴く態度について―夫婦のあり方』など、山岸作と伝えられてはいたが、原本が見つかっていなかったものも、今回原本を寄せていただくことが出来た。やはり「山岸巳代蔵全集刊行委員会」という一つの受け皿が整いつつあるからなのだろうか。こうしたみんなで守り育てていこうとする心からの動きを、まずは一番にお礼かたがたご報告申し上げたいと思う。
さて、第四巻は、一九五三年三月に「山岸会」が京都府向日町に発足してから、一九六一年五月、岡山県興除村において山岸巳代蔵が逝去するまでの、年代順に編集してきた山岸の著述や記録の最後の部分にあたる。
思えば、「山岸会」発足から約八年という短い歳月の中で、一人から始まったヤマギシズム運動が日本全国に急速に拡がり、ヤマギシズムに共鳴した一人一人の活動が作り上げていったものを改めて振り返ってみると、その拡がりと深まりには驚嘆の念を禁じえない。そこには、人の心を打つ本質的な何かが含まれていたからには違いないだろうが、やはり方法の面においても相当に考え抜かれたものがあったからではなかろうか。
ヤマギシズムは、単なる思想や社会構想にとどまらず、その実現方法を伴った思想であるという点で、非常に独特のものがあると思う。幸福研鑽会、特別講習研鑽会など、様々な方法が打ち出され、運動の原動力となってきたが、その最たるものが、本巻で採り上げた「ヤマギシズムの実顕地」であり、「試験場」「研鑽学校」であろう。
実際、保守的と言われた日本の農村に、無所有・一体の「金の要らない楽しい村」が一年にも満たない期間のうちに、十ヵ所ほども誕生したのである。それは、いくら理念を説き、研鑽を重ねても、どうも分からない、通じないという人にも、目に見える形で本物を示して、「ああ、これだったのか」と誰もがじかに触れて分かる、生き方の提案であった。
「金の要らない楽しい村」をこの地上の一角に一点打ち立てることで、それを見、聞き、伝えた世界中の科学者達の研究課題になり、人間の本質、社会のあり方などについて関心を寄せられる人々の注目が集まり、実行家が続出する姿が、そしてその先のことも、山岸には見えていたことであろう。
山岸の死後もヤマギシズム社会構想は受け継がれていったのだが、天がいま少し山岸に余命を与えていたら……。
さて、山岸の死をもって全集の仕事もひと段落、というわけにはいかない。冒頭に触れたように、刊行委員会発足後に見つかったり、寄せられた未整理の資料がかなりの量にのぼっているのである。この後は「ヤマギシズム理念研鑽会」などの研鑽会記録や「正解ヤマギシズム全輯」の草稿や、私信などの未発表・未整理資料を、確認・整理作業を終えたものから順次刊行していくという作業が待っている。
○第四巻目次より
◆金の要らない楽しい村
ヤマギシズム生活実顕地 山田村の実況(続)
◆ヤマギシズム生活実顕地について
――六川での一体研鑽会記録から
◆一体生活について その他
〇体質改造に想う
〇山の鶏のあり方
〇一体生活について
〇聴く態度について――夫婦のあり方
◆法政産経Z革命特講に向けて
〇Z革命はあなたの身辺に!
〇理想社会を目指して―一粒万倍に
◆ヤマギシズム社会式養鶏法について
〇ヤマギシズム社会式養鶏法について
――名古屋での座談会記録から
〇 「意見の広場」から
〇社会式養鶏法発表会に寄せて
◆ヤマギシズム研鑽学校案内
◆津での研鑽会の記録より
〇さびしがり研鑽会の記録
〇会いたい見たい研鑽会の記録
《参考》春日山の食堂の張り紙
◆岡山での研鑽会の記録より
〇科学・研鑽態度について
〇実顕地養鶏法発表会
〇岡山一体高度研鑽会の記録
◆ 第四巻関連の資料から
《資料Ⅰ》ヤマギシズム実践諸機関について
〇一体社会の具現方式発表さる
〇解説・ヤマギシズムの各種実践活動体について
《資料Ⅱ》ヤマギシズム生活中央調正機関
《資料Ⅲ》ヤマギシズム世界実顕試験場機構
《資料Ⅳ》一体化による私達の農業経営概要六川実顕地の実例から
《資料Ⅴ》北条実顕地の始まりと山岸さん
《資料Ⅵ》山岸巳代蔵追悼研鑽会の記録
山岸巳代蔵 著作・口述等 資料目録
用語・人名解説
索引/凡例