○吉田光男『わくらばの記』は、失敗学的考察をするに際して一級の資料だと考えている。
「なぜ、と問うことを続けている。」というのが『わくらばの記』に一貫して流れている特徴だと思っている。
本書は、食道癌による入院前の2015年12月25日から書き始めている、年明けて、84歳の誕生日の1月3日に次の記録がある。
《『1★9★3★7』はずしりと重い。しかし、逃げるわけにはいかない。これを読むと、自分が書いている「学園問題」についての手記は、チンケで底が浅く、とうてい書き続けることができなくなった。もっと自分に向き合わなければ、書く資格も意味もない。
辺見庸は、「なぜ」と問うことを続けている。
物事の重要性は、説明や解明にあるのではなく、問うことであり、問いつづけることの中にこそ存在する。説明、解明、解釈、理論づけ、……それらはそれ以上の究明を放棄するときの弁明にすぎない。終わりのない過去を、つまり現在に続く過去に区切りをつけ、ごみ袋に詰めて捨て去るときに用いるのが、説明であり解釈である。説明の上手下手は、ごみ袋が上物か屑物かの違いにすぎない。》
(「わくらばの記」2016年1月3日)
2017年3月頃からまとまった思考が困難になってきて、思考の断片をノートに書き綴ったものを「断想」という名でまとめた。その中で、「問い続けること」について述べている。
《大きく問うものは、大きく考え、小さく問うものは、小さく考え、問うことのないものは、何も考えない。ただ、この問うということは、批判したり、攻撃したり、反対することではない。批判・攻撃・反対は、すでに何がしかの結論をもってそうするのであるから、そのときにはもう問うことも考えることも止めている。問うとは、ただただ問うことである。問い続けることである。その過程で何がしかの結論を得ることがあったにしても、それは〈とりあえず〉の結論であり、疑問符つきの結論にすぎない。》
(『わくらばの記』-「断想」2017年3月)
何か大事だなと思えることを、「問い続ける」ことは、その対象をあらゆる角度から見つめると同時に、それを見つめる自分の見方・考え方、さらにはその見方・考え方を下支えしている深層の心理までをも調べていくことの果てしない連続となるのではないか。
基礎的なことを探求している科学者などは、ほぼ対象をつぶさに探り、あるいは実験をしていくことである程度究明していくことが可能だが、人間や社会のもろもろのことを探求していくには、外にある対象に向かう力とともに、内なる自分の見方、心の在り方に向かう力が同時に働いていくことが必要だと思う。
何かを考え始めるのは、ある種の驚き(戸惑いなども含めて)から出てくる。対象が何であれ、自分の心の反応から生じるのだと思う。その驚きを、通り一遍の解釈でやり過ごしていくことが多いのだが、その場合、驚きの新鮮さは日常生活の中で失われていくことが多い。
最初の驚きから、「なんなんだろう」と問い続けることで、視界がぐっと広がっていき、そこからさらに問い続けることで、自分の見方、考え方を見直す端緒となり、持続した課題となっていく場合もある。いずれにしても、自分の心のありようが、問い続けていくときの起点となるのではないだろうか。
人は、自分の見たいようにしか見ようとしない、聞きたいようにしか聞こうとしないもので、これはいいも悪いも、そのような傾向があり、普段はそれで円滑に生きていける面でもある。
だが、深く問う、探る、調べるときには、その自分のもっている傾向に対する自覚が伴っていかないと、思いたいように思うことになり、問い続けるとはなりにくいのではないだろうか。
このことについて、御自身の心の状態に引き付けて吉田さんは問いつづけている。
《最近つくづく思うことは、事実と認識とのズレという問題である。どうしても認識は、事実のずっと後にやってくる。
例えば90年代末に、村は学園問題でマスコミからの総攻撃を受けた。特にテレビでは日本テレビが、週刊誌では「週刊新潮」が、「ヤマギシの子どもたち」についての報道を繰り返した。これらの報道にはかなりの悪意が含まれてはいたものの、真実の部分も少なからず含まれていたように思う。しかし私たちは、それを認めようとはしなかった。認めるようになったのは、ずっと時間が経過してからである。
私たちは、やはり事実そのものを見るよりも、自分の見たいようにしか見ようとしないものなのだ。その事実がどれほど真実であろうと、それがその時の自分にとって受け入れがたいものであれば、それを拒否しようとする無意識の心理が働く。そして、こうした無意識の心理が働いていること自体を認めようとしない。自分の認識の経過を振り返ると、そのことが痛いほどよくわかる。しかもまだ、その誤りやすい認識の罠から抜けきることができないでいる。だから山岸さんが、どれほど研鑽しても「である」と断定できるものはなく、あくまで「ではなかろうか」とする以外にないのだ、と言っているのだろう。》
(『わくらばの記』―「病床妄語」2016年2月20日)
日常の暮らしでは、ある段階で、一応「こうではなかろうか」と、それをもとに動いていくことも多いだろう。そういう場合でも、そこに何らかの余白を残し、疑問符をつけておき、いつでも見直しできる、やり直しできる心のゆとりが必要だなと思う。
だが、このことについては大事だなと思っていることについては、問い続けることが肝要ではないだろうか。
晩年の吉田さんは、「問い続ける」ことが生き方となっていたように思う。
今の私にとって、とても困難なことではあるが、このことを心においておきたいと思っている。
それには、わからないことをわからないままに問い続ける知性の耐久力、理解不能なものをいまのじぶんの理解可能な枠に押し込めようとしない心の在り様が大切ではないだろうか。