○わたしと同時期(1975-2000頃)に活動した方で、そのような観点で考えていた人で思い浮かぶのは、実顕地に所属しながら亡くなられた吉田光男さんと、実顕地離脱後とあれはどういうことだったのかと問い続けて亡くなられた福井正之さんの二人の方をまず思う。
ここでは吉田光男さんを取りあげる。
(吉田さんについてはいろいろ書いているので重複していることも多いですが)
吉田光男さんとは、8年間(2003年~2011年)にわたる『山岸巳代蔵全集』の編集・刊行委員として時々お会いしていた。その後私は、それの案内書の位置づけで『山岸巳代蔵伝』を書き始め。その過程で頻繁に連絡を取るようになり、出版後も交流を重ねてきた。
吉田さん(1932年生)は1974年に出版関係の仕事を辞め、ヤマギシズムに共鳴して参画され、その後40年余、山岸会事務局や様々な実顕地で生活を送り、その間にたびたび。特別講習研鑽会の世話係をしておられた。
1990年代後半ごろから、実顕地の進めている方向性に疑問を持ち始めた人たちが徐々に増えていき、特に学園の酷い実態が明らかになるにつけ、2000年前後からヤマギシズム実顕地から数多の人が見切りをつけ離れていった。
吉田さんにお聞きしたところ、この時に、深く悩んでいたという。
〈私にとって一番深く悩んだのは、2000年以降の10年である。これまで村の中心で活躍していた何人かの人たちが鈴鹿に居を移し、新しい運動を始めた。—–しかし、自分が十分納得しないうちに、「ここがダメならアッチがあるさ」と簡単に移り変わることなどできない。村に問題があるとしたら、それはどこにあるのか、そしてそれは何なのかを見極めたいと思った。観念の形を変えてみたところで、中身が変わることはないのだ。〉
(「わくらばの記―病床妄語④3・15」)
吉田さんの温厚な人柄と親身になっての対応などに、私を含めていろいろお世話になった方も多いかと思う。
親しく交流するようになってからの吉田さんには、山岸巳代蔵の描いた理想とそれの具体的な実現方法としての「けんさん」に焦点を当てながら、縦横無尽に様々なことを問い続けた人として深く印象に残っている。
私からみて、吉田さんにとって次のことが大きかったのではないかと思っている。
一つは『山岸巳代蔵全集』に刊行・編集委員として関わったこと。吉田さんが捉えていた山岸巳代蔵やヤマギシズムへの見解を大きく問い直し、見直すこととなった、そこから、現実顕地の展開の様相、特に学園問題のことを見過ごすわけにはいかないと思うようになる。
〈学園を遠い過去の問題として片づけずに、たえず現在の問題として振り返らずには、自分自身を前に進めることはできない。〉と、その問題が出てくる実顕地の体質や自分の見方にもメスを入れながら、考察・発言するようになった。
〈幸運にも『山岸巳代蔵全集』の刊行が決まり、その編集にかかわることができた。本づくりの必要上、何回も何回も原稿を読んだ。その時はよく理解できなくとも、何かの折にふと山岸さんの言葉が蘇ってきて、心に深く突き刺さることがある。こうした経験を何度か繰り返しているうちに、自分が固定観念の虜になっていることに気づかされる。自分の考えが正しいと自信のある時には絶対に気づくことはできなかったことだ。人間、時に悩むことの重要性を意識させられた。〉(「わくらばの記―病床妄語④3・15)
〇「わくらばの記-ごまめの戯言」〈6月×日〉より
思想が思想として成立するには、それが世界性を持ち得るかどうかにかかっている。世界性とは、普遍性である。一つの考え方、一つの論理が、何ものかを代表するイデオロギー性を持ちうるとしても、ある地域、あるグループ、ある時代を超えて通用する普遍性を持ちえないとすればそれは思想にはなりえない。
では、ヤマギシズムは思想たりうるか。山岸さんは、ヤマギシズムを「前進無固定の思想」であるとし、その中身をこう説明している。
「なんでもこれが真正だ、最上だとキメつけてしまって、それを信じこみ信じこませて、それを絶対間違いなしと断定して、考え直そうとしないで従い、或いは教え信じさせ従わそうとする宗教形式の反対の考え方で、どんなことでも、或いは間違っているかも分らないとし、或いは未熟ではなかろうかと、検べ、検べつつ、即ち真正・最上なりと信じこまないで、最も真正ならんとし最上ならんとして、真正最上を探ね乍ら、省み省みして真正へ最上へと進んで止まぬ前進無固定の思想である」
これを山岸さんは「研鑽形態の思想」と言い、さらにこう続ける。
「ヤマギシズムを知り、これこそ絶対だという人が沢山あるが、そうキメつける処に宗教・信仰・盲信形態が生れる恐れがあり、そう思いこんでキメつけるなれば、既にヤマギシズムではなく、こうしたヤマギシズムの考え方そのものをも、正しいか正しくないか分らないから、尚調べていこうとする考え方がヤマギシズムだと思う。ヤマギシズムがよいとキメつけない処がヤマギシズムだと思う」(山岸会事件雑観)
一切の決めつけを持たない研鑽形態の思想というのだから、実に頼りない。これこそが真理だとする頼るべきものが何もない思想、それがヤマギシズムだというのである。では、何が思想を思想たらしめる根本かと言えば、それが研鑽である、と山岸さんは言う。つまり、ヤマギシズムが思想としての世界性を持ち得るかどうかは、研鑽の有無にかかっている。”研鑽”という名の話し合いの方法ではなく、真理探究の生き方、あり方としての研鑽を行っているかどうかが問われているのである。
私は何年か前に『山岸巳代蔵全集』の刊行に関わっていて、編集を進めながらある山岸さんの言葉に衝撃を受けたことがある。それは、次の発言である。
「どうもはき違い、聞き違いが多いわね。正確に聴き取ったという人は一人もない。みな、謂ったら誤解や。それがずいぶん邪魔するということね。……誤解が全部であり、曲解が相当あり、逆解釈もずいぶんあるということでかなわんが」(全集6巻、318~319頁)
これは、山岸さんが亡くなる1か月ほど前の、名古屋で開かれた第9回「ヤマギシズム理念徹底研鑽会」での発言である。
「正確に聴きとったという人は一人もない」と山岸さんは言い切っている。これは単に研鑽会に参加した会員だけに向けて言われた言葉ではないし、また当時の参画者だけを対象とした言葉でもないだろう。今の私たちはヤマギシズムの提唱者の発言を、どれだけ正確に聴き取っているか、聞き取ろうと努力しているか、と反省してみる必要がある。
他人のことはさておき、自分を振り返ってみれば、私自身が「これこそがヤマギシズムだ」と信じ、決めつけてやってきたことばかりではないか。決めつけの上に立って、自他を律してきたのではないか。「誤解が全部であり、曲解が相当あり、逆解釈もずいぶんある」という山岸さんの言葉は、他ならぬ私自身に向けての言葉なのだ。と同時に、今の村人一人ひとりに向けての言葉でもある。山岸さんのこの嘆きを、私たちはもっと真剣に受け止める必要があると思う。
ヤマギシズムが思想としての世界性を持ち得るかどうかは、決めつけのない、前進無固定の、研鑽形態の思想として、私たちがヤマギシズムを再生しつづけることができるかどうかにかかっている。
※『わくらばの記』:山口編集の2017年4月の自費出版。「広場・ヤマギシズム」に連載を掲載している。発注すると、欧文印刷から配送先住所に後払いの請求書とともに送られてくる。
ブックID: E00171975。印刷コード番号: 171975-20170407231645-LWZ。価格は1冊・並製本3032円+送料660円=3692円。