広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎本来の仕事とは(新・山岸巳代蔵伝⑬)

第四章 日常の総ての現れはもとの心の顕れ
4 本来の仕事とは
 一九歳の時に「ある壁」にぶつかり、三年間の究明を経て一つの方向性を見出し、養鶏を初めたのが二一歳。
 試行錯誤を繰り返し、結婚して二児を授かり、京都に進出したのが三〇歳。
 昭和恐慌の時期の二年間、養鶏に心身ともに打ち込み独自の養鶏法を編み出す。
 一〇年ほど要職にもつき、ある事件をきっかけに養鶏を廃業したのが戦争末期の一九四四年。
 敗戦をはさんで、自活農業をしつつ本来の仕事に専心し、一九五〇年のジェーン台風で和田に見出されるのは四九歳の時である。
 その後、激動の一〇年余に山岸の思想の一端が開花し、一九六一年五九歳で亡くなる。

 では、その「本来の仕事」とはどういうものなのか。
 これについて山岸は、次のように述べる。

「真理は一つであり、〝理想は方法によって実現し得る〟という信念を固め、只今では「その方法を『月界への通路』と題しまして記述し続けております。」

 しかし、『月界への通路』はどこにも見当たらないのである。
「今全部を発表する時機でもなく、時間的にも不可能な事で、歿後に気づいた人達によって、二百年以内には完成される予想の下に、余命のある間に書き綴っているのです」とも書いている。

 これについて、山本英清は(『懐想・メーポール』)で次のように述べている。
「その内容はどんなものでどこにしまってあるのか、私は山岸さんから一度も聞いたことも、まして見てもいない。そこで私はこう思った。これは山岸さんらしく、はたち代の頃から夢だにも離れぬこの構想を、くわしく頭の中に丹念に記述し、これを一生涯続けられたのではないか。……山岸さんの、その後の四十年の生涯のあらゆる生活をつらぬいて一貫する生き方一切、その著述の表白でなかったのかと思ったことであった」


 現代社会では、不完全な人間の考えでは真理を確かめようがないというのが、科学者や哲学者の一般的な共通感覚となっている。

 わたしは、人間の究極の問題として、自分がまちがっているという可能性は、科学的に考えて排除することはできないと考えている。

 J・デューイがマチガイ主義(fallibilism)で述べるように、私たちは仮説から出発して、より確かな仮説にいたることしかできないのである。

 あとで修正するかもしれないけど、私が考えている真理はこうでなかろうか、そこからものごとを考えていくことは可能である。

 また、真理を求めて、瞞着なしに真摯に探求を続けている研究者も少なからずいて、さまざまな成果、示唆などを社会に及ぼしていることもある。
 

 ニーチェの「真理とは、それがなければ或る種の生きものが生きられないような誤謬のことである。生きることにとっての価値が最終的な決定を下す」(『力への意志』)との、穿った表現もある。


 山岸は、「真理」についていろいろな機会に言及していて、晩年に力を注いでいた『正解ヤマギシズム全輯』にも、「真理と人間の考え」についての探求は、ヤマギシズム解明の基本的な考察課題となっている。山岸の口述を奥村通哉が筆記したものを元に編集した〈正解ヤマギシズム全輯を通じての前ことば〉に、「ヤマギシズムについて」の一文がある。

《ヤマギシズムとは一口に言うと、すべてに本当、即ち真なる理は正しいと思う考え方で、何事を考えるにも行うにも、真理に即応しようとする思想である。

 物事を観、聴き、触れ、究める場合でも、そのものをそのまま信じて正しいとキメつけないで「真(ほん)ものに照らした場合、果たしてどうだろう」で、真理主義とでも、真理即応主義とでも、合真理主義と言ってもよいようでもあり、またそういう言葉にすることによって、人により解釈に誤りが起る。真理は正しい。正しいのは真理であり、本当だと思うが、人によって解釈が異なり、誤りやすくなる。

 人間の考えで真理だと思っていることでも、不完全な人間の考えのことだから、絶対間違いないなどと言い切れるものでなく、どこまでも真なるものを求めて、そうかどうか分からないものとして究明していこうとする、固定したものを持たない思想である。

※「ヤマギシズムとは」から「人間の考えで真理だと思っている」までの部分は、山岸直筆の草稿があり、そこでは「合真理主義」が「合理主義」となっている。


 山岸巳代蔵は、真理に即応した理想社会のあり方と、その実現のための知的革命の理念と方法を模索し続け、その道を歩み続けた。その過程で様々な提言をし、多くの人に影響を与えた。この後に展開する山岸会もその一つである。


 また、山岸巳代蔵の思想の一端がよく分かる『正解ヤマギシズム全輯 第二輯』の「保ち合いの理」を見ていく。

▼保ち合える真理こそ、愛の無測・無限・無形の力
 ここで取り上げる「保ち合いの理」は山岸らしい特徴ある世界観で、山岸の宇宙・自然観であり、この「保ち合いの理」は「一体観」「愛情観」などの理念へとつながる。

《宇宙、天体、太陽、地球、月等を含む星と星との保ち合い。地球も太陽もどの星も、何ら強固な不動のものに固定していない。空間に点在するのみで、安置の場所もなく、固定した軌条もないのに、時間・距離をほとんど正しく自転・公転等を正しく律動している。この不安定状態の中で安定状態にあることは、引力か磁力か、相互の何かの作用によって保ち合っているためだと思う。

 相互間に、力の測定も契約も、宇宙創生以来なされていないだろうし、各々自律的に、他との関連作用によって、無識の中にそれぞれの場を得ているようだ。即ち、契約も、掟・命令も、指導も、守らねばならないとする軌範もないにもかかわらず、少しも逸脱がない。約束もないのに、正しく保ち合えるもの。保ち合える真理こそ、愛の無測・無限・無形の力だと思う。与えるものでもなし、求めるものでもない。権利も義務もない。領空・区画もない。意志も意欲も思想もない。感情もない。大小軽重の差もない。熱も光も音もない。冷たくもない。温かみもない。念もなし。しかして、宇宙万物何物も作用している。愛の作用のない個は成り立たない。

 真理とか、保ち合いとか、愛という文字・言葉そのものでもない。理論でもない。力というより、保ち合いの作用。中心がどこにもない。頂点がない。特例・特定がない。》(『正解ヤマギシズム全輯 第二輯』「愛と愛情の関連」)


 これは『正解ヤマギシズ全輯』の一つとして、山岸にとって大きな問題意識のあった「愛と愛情の関連」のメモからのものである。同内容のものが多少表現を変えていくつか書かれている未完の一節である。この「保ち合いの理」は、「愛と愛情」だけではなく、一貫して流れているもので、人類一体観、夫婦一体観などの一体観の基盤となる観方である。
 
 個々別々のものが寄り集まって一体になるというものではなく、この世に存在するあらゆるものが、保ち合いの理によって成り立っているという自然全人一体観である。

『山岸会養鶏法』に、「空気や水や草や塵芥(じんかい)が、卵に変わる自然の根本妙手を知ろうとしませんか」との一節があるが、あらゆるものは無縁の関係性(縁)によって生じているという観方であり、同一の論理を共有するから一つになるというような一体ではなく、文化や思想や人種など異質な要素があろうとなかろうと、生きとし生けるものすべて、生物であろうと無生物であろうと、存在すべてがもともと一体であるという観方である。

 この世に存在するものにはすべて「華」とも呼べる命の耀きがあるという、「華厳」の思想では、この世界は「一即一切・一切即一」であるとし、あらゆるものが一つにつながり、関わりあって存在しているという世界観であり、それと相通じるものである。

          • -

 
参照:『正解正解ヤマギシズム全輯 第二輯』「愛と愛情の関連」→『全集・第七巻』(一九五九年)
『正解ヤマギシズム全輯を通じての前ことば』「ヤマギシズムについて」→『全集・第七巻』(一九六〇年三月)

         ☆
          
 真理について、ブログ【日々彦「ひこばえの記」に、◎多元主義と「多一論」(中島岳志×島薗進『愛国と信仰の構造』から)➂】にふれたので、その一部をあげておく。


▼インド独立の父であるマハートマー・ガンディーは宗教と真理の関係を山登りにたとえて次のように言う。

 山の頂は一つだ。しかし、その登り道は複数存在する。これと同じで、世界の真理は一つであるが、そこに至るための道筋は複数存在する。この複数の「道」が世界各地の宗教であり、それぞれの宗教にはそれぞれの「真理に至る道筋」が存在する。しかし、究極の真理は山の頂と同様に一つであり、相対世界を超えた絶対レベルにおいて、すべての宗教は同じ一つの真理に行き着く。

 ガンディーは「真理」と「道」の違いを勘違いして、世界中で宗教対立が起きている現状を憂い、このように諭したとされる。宗教の単一論、特定宗教の絶対化、宗教の相対主義、いずれの理論も超越している。彼は絶対レベルにおける真理の唯一性と、同時にそれに至る道の複数性を認める「宗教の多一論」を主張したのである。

 仏教に、「多即一、一即多」という考えがある。「多」なるものは「一」なる真理へと収斂し、「一」なる真理は「多」なる存在としてこの世にあらわれるという考え方である。ガンディーの思想はこの仏教思想と通底している。》


 そのことについて、島園進は半分共鳴するものの、鋭い疑問を提示している。
〈宗教多元主義の議論で、「一なるもの」に相当するものを持ち出すと、楽観的で危ういと思う。さまざまな宗教、さまざまな思想があるが、根本で一致できる何かを提示しようとすると、一元的な何かを見つけようとして、結局「他者性」を軽んじることにつながることが多い。つまり、多様性を超えた「一なるもの」というものはなかなか是とできない。

 多様なものの一つひとつは、共通の生活実践の中で育まれてきたもので、伝統や文化、生活形式と切り離せない。共同性から生まれる豊かさそれ自体の価値を重視しなければいけないと考える。しかし、それに縁遠い人たちが多くいる。
 そのように考えると、多様な価値から共通の土台を引き出せるという論理は楽観的になりがちである。〉


 それについて中島は次のことを述べる。
《南方熊楠、柳宗悦、西田幾多郎といった「多一論」に連なる思想家は、「一なるもの」は言語化できないとしている。つまり、それが真理である以上、人間の相対的言語によっては表現できず、人間は真理の影しかとらえられないとしている。

 カントによれば、その絶対平和の理念は「統制的理念」と「構成的理念」とから成り立っているという。「統制的理念」とは絶対平和のような「人間にとって実現不可能な高次の理念」で、「構成的理念」というのは、「政治的に実現可能なレベルの理念」。
 人間にとって実現不可能な高次の世界を措定し、そこに向かっていくためには、実現可能な「構成的理念」が必要と考える。》


 一と多の問題もこれに似ていると中島はいう。
 そして、世界を一色にしてしまうことに猛然と反対した民芸の創設者である柳宗悦は、世界は多元的であるがゆえに、複合的な美を内包している。そして個別的な美は、常に「一」なる超越的存在のあらわれであり、その美はそれぞれのトポス(存在根拠としての場所)において開花する。と中島は述べる。

 柳宗悦は、1919年朝鮮半島で勃発した三・一独立運動に対する朝鮮総督府の弾圧に対し、「反抗する彼らよりも一層愚かなのは、圧迫する我々である」と批判した。
 当時、ほとんどの日本の文化人が朝鮮文化に興味を示さない中、朝鮮美術に注目し、1920年6月『改造』に「朝鮮の友に贈る書」を発表、総督政治の不正を詫びた。1924年、京城(現ソウル)に朝鮮民族美術館を設立した。

 
 それに対し、島薗は述べる。
《どこかで人類は一致したいという願いをもち続けているし、一致できる前提に基づいて政治的な理念や行動も構成されることを願っているが、そのときに「一つ」のような形而上学的な前提を置いていると、「多」の方が貧弱になるし、場合によっては、超越的な理念が暴走しかねない。
 私自身はポリフォニー(多声)という考え方に共鳴していて、多様なものが存在すること自体を受け入れ、かつ一致できるものを最大限求めていく立場があり得ると考える。》

 
 わたし自身は、島薗氏の見解に共感する。真理の影と表現しようが、真理は一つという考え方には疑問符をつけておきたい。

 中島氏のいう「多一論」は面白い概念で、わたしが関心を持ち続けている、山岸巳代蔵も真理の捉え方やあくなき追求は独特だが、しいていえば、その系譜につながると思うし、その思想から生まれたヤマギシ会運動も、理想社会やユートピアにつながるものと覚えて参画した人も少なからずいると思う。

 中島氏は、自らの「『「リベラル保守」宣言』で、《人間が理性を存分に使って正しく設定すれば、未来はよい方向に変革できるはずだと考える。つまり、未来にユートピアをつくることが出来ると考える左翼的な主張に対して、「リベラル保守」の立場は、「理性万能主議」には懐疑的で、人間の理性だけでは、未来に理想社会が実現するとは考えない。長年の歴史の中で蓄積されてきた経験知や良識、伝統といった「人智を超えたもの」を重視するべきだと考える。「保守は過去にも未来にもユートピアを求めない」と述べ、その理由として「絶対に人間は誤るものである」、そして「人間が普遍的に不完全なものである以上、人間の作るものは不完全である」》と語っている。
 また、中島氏のいう「多一論」の帰結は、結局のところ、絶対的なもの、例えば完全無欠な幸福社会としてのユートピアはありえず、人間に可能な社会は「より良くより正しい」ものを求め続ける「永遠の微調整」だけ、ということになるのではと思う。

 わたし自身は、島薗氏が述べるように、「多様なものが存在すること自体を受け入れ、かつ一致できるものを最大限求めていく立場があり得る」ことを大切にと考える。

https://masahiko.hatenablog.com/entry/2021/02/15/173000