広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎福井正之の処女詩集「今浦島抄」(福井正之記録④)

○福井正之氏の新ブログ『回顧―理念ある暮らし、その周辺』の9月6日に、〈⑯「今浦島抄」から わが初発の感覚と認識〉が掲載された。
 その詩集「今浦島 抄」について、思うことを書いてみる。

 福井さんは1976年35歳の時、独特の理想を掲げた山岸会の初期のころの北海道試験場(北試)に共鳴して一家を伴って参画した。
 その共同体は徐々に社会的にも認められるようになりヤマギシズム実顕地としては参画する人も増えていったが、福井さんはは数々の疑問を覚えるようになり、1999年そこから離脱した。60歳を迎えようとしていた。


 その後、それは自己の人生にとって、どういうことだったのかと、書くことをとおして旺盛な文筆活動を始めるようになる。

 私自身は、現象としては氏と同じような歩みをすることになり、離脱後の文筆活動に様々な刺激を受けてきた。
 特に処女詩集「今浦島 抄」は氏の文学活動の初々しい原点となると思っていて、一部抜粋とはいえその再録を嬉しく思っている。
 
 特に、このブログに紹介された「私の思想」につながるはじめの何篇かは特に印象深く何回か読んでいる。
 このブログに、わたしのノートから挙げてみる。

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 〇詞 集 <今浦島 抄> 番 一荷

 <序 詞>天命(1)
おまえは書くことを断念して飛んだ 
あのような生活をしたくて  なろうことならあのような人たちになりたくて
やれないことはない  そう信じて飛びつづけてきた
そして1999年春  おまえは行動を断念して書いていた
あのような生活とあのような人々が帰結するものについて
どのようにやっても  こうしかやれなかったことについて
(1976年春)

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竜宮城の二十年も 終ってみればあっという間だった
楽しい時間というものは記憶に残らぬ あるいはふんわり単調な時間も同じ
あんなに長い一日 生活丸ごと保障でなんの不安もない
あったかも知れぬ危機はすべて タイやヒラメが舞い踊った一体のお芝居
帰ってみて玉手箱を開ければ
にわかに襲いかかった幻滅の老後  なんの稼ぎも蓄えもない
残ったのは覆ったお伽噺の残骸
(今 浦 島)

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周囲の発するすべてのセンテンスに  クエスチョンマークをつけていた
どこからもピリウドが返ってこなかった
そのうち自分が巨大なクエスチョンマーク自体となり  
ふわふわと宙に漂いはじめた
どこかにピリウドがないか 
Yは巨大なピリウドだった  大地であり安息所だった
二十年たってそこもまた  
いくつものクエスチョンマークをつけないではいられなくなった
いままた振り出しに戻る  
子どものように嬉々として巨大なクエスチョンマークを繰り出したいが 
エネルギーに欠ける
いまはピリウドを探さない  自分でピリウドを打つのだ
小さなピリウドでいい 自分の全身を振り絞って  打てないところはそのままに
クエスチョンの酩酊も  ピリウドの安息も  きわどく避けながら
(ピリウド)

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あそこで―――わたしの転換が変わりばえしなかったのは  
どう視点や眼鏡をかえても 見ていたのは同じ穴蔵の同じ風景 
おまけに幸福一色の世界に居るはずと思い込んで
いちまいの風の不安や ふとよぎる徒労の感覚も 
すべて間違いとして抹消してきたようだ
そのうちわたしの感情の配線がそれを感じないように 
無意識の訓練を積み重ねてきたのかもしれない
だからわたしの不幸感の片鱗でも  敏感にキャッチし目をそらさないこと
そしてまず私の全感情を肯定してみること
(<転 位>いまのままでよい)

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<自分の住む所には自分の手で表札をかけるに限る 精神の在り場所も、ハタから表札をかけられてはならない。石垣リん。それでよい>(石垣りん)

ところが住むところには同居もあれば貸室もあって
他人の表札が下がっている場合がある
貧乏でやむを得ずそうしていることもあるが
身を隠すために好んでそうしている場合もある
私は
その主人に相共鳴したばかりでなく
さらに一体化せんことをねがい
自分の表札を外した
その方が大きな目的だったし
また安楽だったのだ
それは精神にとって、つまり“私の思想”にとって危機なのだといつしか思うようになった<大事なのは他人の頭で考えられた大きなことより、自分の頭で考えた小さなことだ>(村上春樹)

“私の思想”とは
どうもその小さなことに関わりがあるようだ
でもこれまで<他人の頭で考えられた>ことが
いっぱい詰まっていて
それ以外のことはぼんやりしている
そのなにかが蘇るために
貧しく不安多くともあえて別居し
いまだなにもない小さな部屋の表札に
番正寛と記す
(私の思想)

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社会を変えようとするなら自分が変わることだ
ただ、今は自分を変えようとは全然思わない
その前にもっと自分を知りたいのだ
自分を知るとは、たぶん自分の変わらないところを
明らかにすることだと思うから
 
これまであまりにも当座の必要に合わせて、
色々なことをやりこなしてきた
『何でもやれる人』を目指していたからそれも後悔しないが、
結局自分が何をやりたいのか、自分にとって何がかけがえのない仕事なのか、さっぱり分らなくなっている
昔やってた教師の仕事もすっかり忘れてしまった

しかし……精神といい自我という、それらはなにゆえに、
かくも執拗に問いかけてくるのか? お前はなにもので、
お前の本当にやりたいことはなにか、と。たとえ生活や生命が
十二分に満たされても、満たされずうごめくそれら! 
(自分を知りたい)
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※以下様々な詩が続く。
ここに、「回顧―理念ある暮らし、その周辺』(2019年9月6日)〈⑯「今浦島抄」から わが初発の感覚と認識〉でとりあげた詩 を加える。なお、(私の思想)(自分を知りたい)は上記に掲載していて割愛する。


〇「今浦島抄」から わが初発の感覚と認識

(『今浦島抄』2011/4)

予定ではなかったが、私の処女詩集『今浦島抄』のことを書いておきたくなった。前項のパスカルのことは2011年2月に書かれたものだが、これは同年4月に公表した。東北大震災を挟んでいる。もっともその後の推敲、追加もある。

ちなみにこの「浦島」のことで、暗唱していたはずの唱歌の終わりが全く出てこない。調べてみたら「――心細さに蓋とれば/あけて悔しき玉手箱/中からぱっと白煙/たちまち太郎はお爺さん」とあった。悔しいという中身が白煙のこともあろうが、老齢の実態判明にあったことはまことに意味深い。

そこに盛られているのは、私の村出以降の初発の感覚、初発の認識の雑居的な集大成といっていい。したがって以下は私自身にとって印象の強かったフレーズ、一端を抜き書きする。

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食はテーブルに満ちても 居心地が悪ければ
たぶんそこに居る理由が破綻しているのだ
原理と頭だけでそれを繕うことに疲れたら

/「きみがイギリスしか知らないとしたら イギリスを知らない」
(「距離」)

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 ドキューンと胸を刺し貫いたある盟友からの言葉
「お母さんのいう全人幸福社会にぼくは入ってるの?」
以来ずっと胸が痛い

一番身近な人を幸福にできないで なにが幸福社会か
そういう倫理的・道徳的な感触が ずっと嫌いだった
順序があるよ 世界中が幸福にならないうちは
わが身、わが身内のことはあとだよ、と

そのぼくの中に   わが子がおりわが親がいた
その中にもっとも身近にいたヤツ
わが妻が入っていたのかどうか
(「全人」)

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「……生命は/ その中に欠如を抱き
  それを他者から満たしてもらうのだ
  世界は多分/他者の総和
しかし 互いに/欠如を満たすなどとは/ 知りもせず/知らされもせず
 ばらまかれている者同士/無関心で / いられる間柄
  ときに/ うとましく思うことも /許されている間柄
 そのように 世界が/ ゆるやかに / 構成されているのは / なぜ? ……」
(吉野弘「生命は」)

だからぼくは  世界を構成しようなどとは思うまい
革命というその<性急な構成願望>を喪失した「今浦島」のぼくに 
もしねがうことが許されるなら
この「ゆるやかに構成されている」と観える
ひろやかであたたかな 視線がほしい
(終詞「世界のゆるやかな構成」)

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註)全く自然にできていた詩。自分の位置をどんどん客観化していけばおそらくこうなるだろう。捨てがたいのであえて紹介する。

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風がやみ気がつくと、 階段の溝のいつも同じところに砂だまりができ
しかもかたちはいつも同じ波形
あんなにも漂っていた羽や綿毛すらが そこに落ちているではないか

そう すべて根のないものたちにも 落ちていく定めの場所があるようだ
なべて根を持とうとした人生を生きたつもりだが 
ただ風に逆らい漂って お決まりの位置に墜ちているだけかもしれない
(「天命2」)

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