広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎福井さんのお便りから(福井正之記録➂)

※福井さんから送られてきた2021年正月の年頭所感、2018年自家出版『追わずとも牛は往く』を刊行し、3年目の年頭所感です。

○福井正之「年頭所感」から
✱自分の人生ということでは、前半はヤマギシ実践、後半その反省記述で、一生ヤマギシ漬けになりました。そのターニングポイントになったのは、街に出て以降の苦境そのもの。夫婦住込み管理員をやりながらそこでしゃにむに書き継いできたこと、それこそ図らずも「自らを養うに足る時間」であり、かつ「自らが往く道」でもありました。

✱ある旧友が伝えてきたG時代の記憶「当時、生身な人間として心が通じ合ったという実感がなかった」は、私も痛感してきたことです。しかしあの頃、イッタイやシンアイは目いっぱいに取り組まれていたはずです。逆に生身の個の発想は無意識に自己抑制され、秘され、忘却されてきたように思います。おそらくほんとうは「取り組まずとも人は往く」はずでした。

✱ヤマギシ体験で今でもすごいと思えるのは「特講」です。その勧誘意思はまるでないが、その方式は見習っていいと思う。そこは「とことん自分に問う」一本。教師なし、参考書なし、複数の相棒が居るだけ。それこそ学育、学究どころか、「究明」一本の場でした。ところが私のヤマギシへの最初の失望は、期待していたそういう研鑽の場はなく、理念体得一本でした。

✱私はムラ出以降「取り組み」化されてきた理念体得を解除し、喜怒哀楽全肯定です。おかげ自分が解り、人のことも少しは解るようになって、おまけに小説もどきも書けるようになってきました。それもまさにどこにも教師がいないからこその自己究明の場でした。

✱年末思いがけず体罰の実態を知らされ、まだまだ無知だったことを思いました。その背景にあったものが、学園拡大による学園生の急激な増加に対し、現場係側の対応困難が一因となっていたようです。したがって当局はもちろん、学園拡大に懸命だった私などはその準当事者でもありました。

✱いうなれば実顕地が思いがけず実現できたことは錯覚の幻影でした。「金の要らない」村が確保した巨額の資金と施設と豊かな暮らし。その帰結は、子どもらへの体罰とその隠蔽とに対応していたのではないか。わが子の事例しか知りませんが、ともかく子どもらはあの傷から立ち直り、どんどん回復していけばいい。またそうやってきたと思いますが、まだどこかでそうでない子がいないともかぎりません。その子にとってそれは決して過去ではありえない。

✱そして忘れ残るのは、親としてあやまちの実態とその顕彰、決済(心の整理)です(FB12/29「決して昔にできない世話係体罰と親の<自己決済>」参照)。私もこれまで自己表現公表による個人的な決済はやってきたつもりでしたが、それで済むものだとはとうてい思えない。できればそれを元世話係、体罰経験者との出会いによって果たせないだろうかという思いが擡げています。

✱ヤマギシのことは、今世間はほとんど忘れていますが、やはり巨大な<社会実験>の場でした。今後も人は「類」としての方向性は外すわけにはいかない以上、ヤマギシが露わにした「共同体というものの功罪」は貴重な史的資料になりうるものです。それは否定マイナス一本の戦争、原爆の検証とは異なりますが、同様にその実態を表し「共に語り継いで」いけるよう心したいです。

〇そこには触れていないですが、私が思ういくつかのこと。

 2019年7月記『回顧―理念ある暮らしその周辺』の再開の弁で、〈自分の年齢に伴う身辺の事情もあります。私は現在78歳でこの4月から2度入院、同時に聞くこと話すことももうかなり準失語状態です〉とあります。
2021年の段階ではますます高じていると思います。

 ブログには、刊行しなかった『米俵も土俵に』『面接』を連続掲載し、ある意味より整理の意味合いが強くなり、ブログはその年の8月まで続きますが、それに付随して身辺のことが多くなったのではないでしょうか。

 このブログは、ヤマギシ関連だけでなく埴谷雄高、E・ホッファー、プリーモ・ㇾ―ヴィ、イリイチなどの論考を鋭く分析し、石原吉郎、吉野弘、石垣りん等の詩にふれながら、ご自分の詩の紹介をしていきます。
 中島敦「李陵の核心」(2021/8/16)が中断したままになります。

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※参照: FB・2018/12/29:★決して昔にできない世話係体罰と親の「自己決済」

先回紹介した中等部係体罰を受けた子供のお母さん(Aさん)のこと。もう十数年以上前のことになるが、その世話係に直接問いかけたことの続きである。その内容の詳細をさらに電話で確認しているうちに、これは問題が大きすぎると感じた。そこで今回はその個々の詳細以前に、この問題全体を整理的に列挙して来年につなげたい。
(1)
✱係の話は普通に淡々と正直に話されたようだが、やはり肝心のことは触れていないという気がして、Aさんは「そのことを全中等部生や親へ公に謝罪してほしい」と要請すると「そこまでは勘弁してほしい」という返事だった。

✱当時体罰を受けた中等部生は相当激昂していて、中には係の車をボコボコにしてやるという話も聞こえ、それでのちに係は郷里まで引っ込んだという話もあった。

✱わが子のやられ方も相当ひどいもので、その治療が何とかなって以降も悶々とするものが続くらしく、うちの中で窓や照明をたたき割り、係だけでなく親も罵倒してきた。

✱実顕地の担当係や「上層部」とも謝罪や賠償等で話す機会が出てきた。裁判を危惧するようなG側の探りや保身的感覚もそれとなく感じた。ただこちらも身近に相談相手もない。

✱いつまでもこういうことばかりで決着がつかないという思い。それでここではやっていけないと決断し、参画を取り消した。当然これからの自分たちの暮らし向きのことも多くのしかかってきた。
(2)
問題の大きさというのはこの傷害の程度の大きさと、あまりにも当然だろうが<被害―加害>の構図(および自他がその当事者であること)が歴然としてくることだった。だから私はこういう場合は、可能ならば裁判に訴えても可であると認めざるをえない。

ただこの事の大きさを特別視しなければ、これは当時体罰下にあった学園の多くの子どもらとその親にとっても同じことになる。その体罰には当然係による「個別研」も含まれていい。しかも起こったことはかなり昔のようだが、2016年例のコミック『カルト村で生まれました』によって再確認できたというより、初めて知らされた親が多いかもしれない。

こういう<事件>に時効なるものがあるとは思われない。それは<被害―加害>当事者としての意識の免除であろうが、実質忘れるか忘れたふりができるのは加害者の方である。被害者は死ぬまで忘れないだろう。ただ意識をいつまでもそこに集中し込められない以上、そこに何らかの「決済」が必要になる。
(3)
私たちヤマギシ関係者にとって問題が微妙なのは、そこに理念上の「自他一体」ないし「罪責なし」の考え方が出てくることである。しかしそれは「大臣も乞食も、みな同格で出席」という相当純度の高い「幸福研鑽会」が存在するならば、である。実顕地初期にはそういう雰囲気の研鑽会もなかったわけではないが、まずみな「青本でしっかり読みながら」ほとんど経験がなかったといっていい。

さらに学園親にすれば、実際学園のそのような実態を知ることもできなかった。それはあえて知らせなかったという学園側(上層部も)の感覚も大問題であるが、それだけで済むわけがない。「親を怨む」とか「この世に親はいない」という子どもらの叫びや呪詛が伝わっているからである。これは親の側の<罪責>に当たるだろう。

したがって実顕地離脱家庭(G内は知らないが)で2016年で体罰(ないし個別研)が判明した家庭では、親子の向き合い、親子の<研鑽>が始まった。わが家でも娘とずいぶん話し合いが続き、その内容の一端はブログでも公開した。ずっと長いこと現場から離れていたのに、娘の話は詳細だった。当時は親の自己責任の感覚で何とか納めた感があるし、家庭的にも和やかではあるが、私のなかではずっとくすぶったままのものがある。娘もおそらく完全に納得していないと思う。そのような過程だからこそ、今回のAさんの語りがずしりと響いたのであろう。
(4)
以上を踏まえて今の私に残るのは、
✱元参画者に在るある種の<身内感覚>のようなものである。このような体罰世界とはいわば「身内の出来事」といってもいい。もっとも事態の前向きの解決には、それが障害にもなりやすい。ただ、だからこそ普通常識にとらわれない前向きの解決も模索してみたいとも思う。

✱前にFBのコメントにも紹介したが、NHK・クローズアップ現代(2015年4月20日放送)「いのちをめぐる対話 ~遺族とJR西日本の10年~」のことである。これは福知山線での列車脱線事故(乗客と運転士合わせて107名死亡)を扱ったもので、通常の交渉とは別の被害者家族が「責任追及したいんだけれども、本当は真実を明らかにするのを優先するために、責任追及を横に置くという、これを会社側との間で合意したうえで議論した」(解説者)という。へ―そんなこともできるんだと、これがかなり心に響いている。さよう規模はちがえ、私らの体罰問題も真実を明らかにしないでは済まない。

✱「親の決済」という表現はかなり便宜的に使ったが、要は「心の整理、顕彰」のことである。しかもこれは一回で済む話ではない。子どもらはどうしていくかは分からないが、親にしてみれば自分の生涯に渡ることであろう。そこでたまたま私の小坊主時代の経験から想い出すことであるが、例の「祥月命日」の考え方である。それは人の死を記憶、顕彰するための見事な知恵のように感じる。それは死とのみに限らない。

✱その祥月命日には関係者が寄る場合もあるだろう。同じように、親のその「決済日」には関係者が寄ってもいい。実はこの発想の出発点は、母親Aさんが加害者世話係のもとに逆に「寄っていった」ことから来る。もちろんその成果は危うい。しかし事実実態の一端は判るはずだ。

✱親と元世話係は、例のように「責任追及はまず置いて」とは言いたいが、言わないし、言えない。「責任」の感覚も、話し合ってみなければわからない。来年はそこを何とか描いて確かめてみたい。

 願うべくんば、互いの心中を吐き合って笑える初夢が見たい。