広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

〇守下尚暉『根無し草:ヤマギシズム物語1学園編』を読んで④

〇ヤマギシ会は、戦後生まれた共同体として、全人幸福社会の実顕を目指し、無所有・共用・共活を標榜する「実顕地」を各地に展開し、一個人や一家族を越えた一体生活(「財布ひとつ」の生活)体として、農業・畜産・林業を中心とした生産活動を行って、発足後60数年になるが、売り上げ規模では農事組合法人としてかなりのレベルにある。
 また、紆余曲折しながら総参画者も数千人を数え(半分以上離脱している)、その理想に共鳴するかなりの数の会員有志を生み出している。

 ひとつの大集団の「社会実験」として観た場合、ある種の可能性を感じさせるものもいくつかあるが、おかしなことも数々していた。中でも奇妙なのは、およそ1980~2000頃まで続いたヤマギシ学園の展開である。
 むろん、その頃のヤマギシ会、実顕地が力を入れ作り出したものであり、実顕地の持つ体質や構造と切り離すことはできない。

 本書は、1989~1992年(15歳~18 歳)まで学園・ヤマギシ会で育てられた実体験を基にしたノンフィクションで、同時にその過酷な学園生活の中で、上のものに反抗をしない従順に生きてきたところから、自分の足で立ち考える、ひとりの青年の成長物語になっている。

〇本書から当時の学園の実態を簡単にみていく。
▼その頃の学園の方針を実現させる為には何をやっても赦される。
〈『ヤマギシズム学園高等部』では、世話係の言うことが絶対で、何でも「はい」で実行することが求められました。逆に、世話係の言う事を受け入れられないワガママな生徒には低い評価が下され、学園生活における様々な面で冷遇されてしまいます。そして迎えた小さな恋の破局と、世話係による折檻と監禁。〉

▼学園生を実顕地に相応しいものにしようと世話係の意のままに扱おうとする。
〈『他に求めず、他を責めず、全体が良くなることを思って、自分がやる』
 それは予科生の頃、『核研』で出されたテーマだった。
 でもヤマギシは、全体が良くなる為に個人を犠牲にしている。
 そもそもヤマギシの言う全体って何だろうか?
 全体なんて言葉を使いつつ、実はマギシという組織が良くなる事を優先してるだけなんじゃないだろうか。〉

▼研鑽と称して、それらしい理屈を並べて一方的に押し付ける。
〈(人に見て貰って、用意して貰った場所で、ただ思いっ切りやるだけ。そんなヤマギシの生き方は、とてもラクな生き方じゃないかな)
 適性は、人に見て貰って見出すもの?
 用意して貰った場で、ただ思いっ切りやるだけ? それがラクな生き方だって?
 全然ラクなんかじゃない!
 そこにボクの気持ちなんて無いじゃないか!〉

 さらに、母親との対話を見ていると、本人から世話係と同じように見えてしまった。
 また、両親が参画してきて、これはきつかったと思う。しかしながら、このような親はいたかとも思うが、本書を読む限り、私にとってはこのような親がいたのは、少しいぶかしく感じた。
 わたしが知っている親御さん、特に会員さんは、当時の実顕地の方針には熱心であったが、ご自分の子供については愛情あふれていたように思う人が多かった。

 以上のことから次のことを思う。
・実顕地参画者は、ある程度熟慮して、自分の意思でその理想に共鳴し集まってきて、そこを構成する一人ひとりはさまざまな特色があった。
 ところが親に連れてこられた、自らの意思で選び取ったわけではない多くの子どもたち、成長段階にあり、これからいろいろなことを身に着けていく子どもから見たら、実顕地・学園の学育方式が一枚岩のごとく立ちはだかっていた。

・ヤマギシ学園は、教え育てる「教育」ではなく自らが学び育つ「学育」として子どもたちを見ていこうという目標で始まったが、その頃の学園の方針は甚だかけ離れてものとなっていた。
 また、その頃の学育方式は、一人ひとりの違いを認め、個性を伸ばすということよりも、ひたすら学園の方針にかなう子を育てようとしていたのではないだろうか。

・当時の学園世話係の少なからずの人は、反抗的であろうとなかろうと、どの子にも、ひとりひとり精神的な人格者として見ることをしなかったのではないだろうか。
 私から見たら、取り立てて悪意のある人は少ないように感じていた。だが、本書に出てくるような傾向の人が少なからずいて、しかもその頃の学園を仕切っていたのではと思う。

・各種研鑽会が行われていたが、その研鑽がヤマギシズムが目指していたものと真逆のことをしていた。
 ヤマギシ会の初期の頃に作成した『百万羽子供研鑽会』では次のようになっている。
「研鑽会は、先生やおとなの人、みんなに教えてもらうものではありません。また、教えてあげるものでもありません。自分の思っている考えをそのまま言って、間違っているか、正しいか、みんなの頭で考えます。ですから、先生が言うから、みんなが言うから、お父ちゃんが、お母ちゃんが、兄ちゃん、ねえちゃんが言うから、するから、そのとおりだとしないで考えます。」

 その意味では、三重、四重にもわたるおかしなことをしていたともいえる。
 本書のあとがきで次のことを述べる。
〈『ヤマギシ会』は全人幸福親愛社会の実現という綺麗事を唱えていますが、その理想を子供に押し付けるあまり、人を好きになる事の意味、人間の根源的・本質的な欲望や汚い側面に蓋をし、私が受けた性暴力を含むイレギュラーな出来事を直視しようとしない、未成熟な社会なのです。それでいて、『研鑽会』によって真理の核心に迫ったつもりになってしまう。自分が間違っているかもしれない。と思うことが正しいと信じている。即ち、自分が間違っているかもしれない。と思っている自分は正しい。となる訳です。少なくとも、私が居た頃の『ヤマギシ会』はそうでした。当時まだ未熟だった私は、そのまやかしを信じていたのです。いま思えば、すぐにでも警察に駆け込んで、社会に助けを求めれば良かったと思いますが、そんな引き出しなど、当時は思い付きもしませんでした。〉

 おそらく、当時の学園出身者にそう捉える人も多いかと思う。そのように思わせる実態があったと思う。
 むろん、本書は当時そこで育った著者から見た、一つの断面ではある。「あとがき」は苦しい思いをしつつ書き続けた、著者としての「ヤマギシ会」「学園」に対する見解である。

 わたしの子どもや著者と同じ頃学園にいた数人とも交流していて、「特殊な体験をしたと思っている」「あれはあれで面白かったよ」「あれは酷かった、許せない」「思い出したくもない」などいろいろ聞く。それぞれの今現在のものの見方が反映する面もあるだろう。
 わたしが聞く限り、学園出身者の少なからずの人が、特殊な環境の中で仲間同士の結束・連携などにより、たくましく育っていることを知ることもある。一方、当時の学園のやり方に耐えられなくて自殺した子を産みだし、いまだに悶々としている人も少なからずいると聞く。


〇おしまいに
 現在のヤマギシ会、実顕地についてはよく知らないが、それなりの評価している研究者もいるし、その入り口である特別講習会も続いていて、熱心な会員さんもいる。また一度離脱した人が戻っているケースもある。
 わたし自身今でも現実顕地で活動している何人か親しくしているし、何人かの会員さんとも交流している。

 ②で触れたように、戦後生まれの共同体として、数々の興味深い試行錯誤もあり、ヤマギシズム学園などおかしなことも数々行われ、その影響の大きさを鑑みて、理想集団がどのように変容していったのか、様々な視点から考察することで、今後に生かしていければいいかなと考えている。

 また、「ヤマギシ会」に限らず、独特の理想を掲げた集団、組織が、原初の方向性から極端に逸脱してくるのはよくあると思う。
 指導的立場や経験豊富な人など、影響力の強いリーダー、それに賛同する人たちに支えられて、組織の精神的な風潮になっていて、一個人としてはいろいろな考え方はあっても、一つの組織として、周りを組織の思い描くように、構成員を思い通りに動かそうとする組織ぐるみの思いが気風になっている、当時のヤマギシズム学園のようなケースもある。

 特に「世界に唯一の学園」と銘うち、あれほどわたし(たち)参画者、会員、活用者、そして一部教育関係者の期待を集めた学園が、このような内実のものであったことを、過去のこととせず、現在の問題として考えていきたい。

 学園や実顕地本庁の打ち出す方針を「任し合い」というある場合には無責任のもとに、おかしな兆候を問うことなしに無条件で信じ込み、自らの頭で考えようとしない、主体性のない自分たちの生き方をこそ、深く自省することを大事にしたい。

 その意味で、本書は著者の当時の視点で思いや考えを丁寧に書き綴ることで、ヤマギシズム学園の実態がまざまざと描かれていたし、成長物語としても興味深い。
 著者ともども、学園出身者が、そこであったことを正視しつつ、今後に生かしていくことを願っている。


 改版作業をする中で著者は次のことを述べる。
〈しかし今回、『根無し草』の改版作業を進めていく中で、私はこの作品を、初めて「普通 の物語を読むような感覚」で読むことが出来ました。言葉にすると変ですが、要するに「おもしろい」と思えたのです。自分の自伝を「おもしろい」だなんて、おかしな事だと思いますが、自分の自伝という枠を離れて、より客観的な視点から『根無し草』を読めるようになったのだと思います。〉


【参照資料】
※(2016・3・16)のブログ「集団のもつ危うさについて」のなかで触れた「ヤマギシズムの本質を探る」(『ボロと水』第1号)に掲載された鶴見俊輔氏の発言から。

鶴見:「集団には集団の限界がある。集団は自然に集団の暴力性ってのを持ちやすいんだ。つまり強制するっていうかな。集団の多数による強制って、出ると思う。そうするとね、考え方の枠が決まっちゃうの。ちょっと違う考え方をしようとする人間を、何となく肘を押さえる形になって危ないんだ。それはね、その集団のいき方は間違いだっていうふうなことをいい得る強い人間をつくらなくなってしまうわけよ。だから集団だけに固執するとすればよ、だんだんとより多くの集団である国家に閉じ込められちゃってね、国家が「中国と戦争しよう。これが自由のためだ!」といえばね、集団だけに慣らされた人間はね、山岸会員であっても、のこのこと一緒にくっついていくような、去勢された人間になっちゃう危険性がある。」 

W:「でも個人の意志が尊重されればね、集団であっても別にかまわないと思う。」

鶴見:「そのところは、とても、非常に難かしいねえ—-」
「集団は集団で暮らしている中に限界があるので、個人でなければやっていけないような、つまり、集団から離しちゃう個人というのを、繰り返しつくって、個人でも立っていけるような人間っていうのを、繰り返し突き放してやっていかなきゃ—-。春日山でしか生きられないように人間になったら、危ないわね。これは結局ね、日本の政府に飼い馴らされちゃう。」
「だから個人にも限界があるわけ。集団にも限界がある。そういうふうに両義的にとらえて欲しいんだな—-。」
「だから原則はいいんだ。このテキスト(『ヤマギシズム社会の実態』)に書いてある限りは原則ってあるんだ。だが実際問題の運営でいうとね、研鑽会でもさ、やっぱり多数の暴力っていうのか、やっぱり、各所に現れてきているね。」

・「研鑽のよって立つところ」
鶴見:「ひとりで生きられない人間が、こう、たくさん寄るとねえ、そこに集団の暴力性が出てきますねえ----。」
「そういう人間ってのはねえ、他の個人より多く狂信的でねえ、「この意見は決まった。正しいんだ!なぜ分らんのか」と、いたけだかになる形の人が多いんですよ、それは。威張り返るってのは大体そうですねえ。自分の考えを自分でやるという、こう考える人間ってのはねえ、そういうことを普通はしないもんなんですがねえ----。(中略)
 集団が一枚に固まっちゃったら、もう集団そのものが自滅しますよ。そういう問題があるわけ。だから、集団をつくろうと思ったらどうしても、こう、個に返すということを、繰返し繰返し突き放してやっていかなきゃあ----。そうしないと普通、集団の自己陶酔が始まるんですよ。」
(「ヤマギシズムの本質を探る」『ボロと水』第1号、ヤマギシズム出版社、1971より)】