広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎ある元学園生のブログから

〇ブログ「広場・ヤマギシズム」ではヤマギシズム学園のことに度々触れている。
 私は学園の運営などに直接関わっていなかったが、様々な部門で中心になって動いていた。その構造からさまざまな学園問題が生じたこともあり、当然私自身の課題になってくる。

 親の意向で、たまたま村、学園で暮らすようになった子ども達への扱いには、その後の育ちにも影響してくることもあり、そこに大きく焦点をあてていくことは必要だが、そのような学園・学育を作っていったのは、紛れもなく参画した大人たちであり、中心になって動いていた自分たちである。その体質、構造に迫っていかないと、集団のもつ危うさは見えてこないと思っている。

 一方、学園で育った子どもたちを見ていて、学園の同期生や仲間たちとの関係は、とても親密なものがある。同じ釜の飯を食ったというような半端なものでない深さを感じることが多い。

 特殊な観念の学育方式のもとで、実際に身体を動かすことの多い種々の活動の中で、仲間たちで切磋琢磨しあいながら、ときには助け合い、ときには言い争いしながら育ってきたのだろう。

 現在娘は、知人と小さな会社を立ち上げ、そこの全体を見る立場にあり、会社の人事的なことも担っていて、積極的に元学園生を採用し、その仕事ぶりにかなりの信頼をおいている。ヤマギシの村で育った元学園性に対して、会社全体がヤマギシそのものに好感触を持っているという。

 他にも、魅力的な活動を展開している元学園生もかなりいる。

 私の子ども達は16~18歳のとき、村を離れた。20数年ほど前である。子ども三人の村や学園の印象は、夫々違っていて、大雑把に言えば、一人はとても批判的、もう一人はあまり触れたくない、そして、高田かやさんと同期の娘は、それなりに面白かったといっている。

 私が触れた元学園性たちでも、様々なとらえかたをしている。その中で、精神的なダメージを抱え続けた人も少なからずいるので、これは見過ごすわけにはいかない。いずれにしても、その負の要因をのりこえて、幸せに生きていってほしいと思っている。。

 私の課題として、その頃の学園問題のことに触れていくが、元学園生が特殊な体験をしたことで、その人ならでは人間形成につながり、少なくてもそこに在籍したことに負い目を感じることなく、今の人生を前向きに暮らしていけることを願っている。
          ☆

 友人の元学園生から教えてもらった、あるブログを紹介する。

 そのブログ『根無し草、風に吹かれて。』は「ヤマギシの村育ちです」というテーマで1980年代後半から2000年頃の話を2017年に、3月から5月まで26回綴っている。

 わたしの子どもたちと同じ時期にヤマギシの村、学園で育った方で、子どもたちから聞くことと重なっているところも多々あり、客観的に捉えているように感じた。

 本来なら、当人の確認が必要だと思うが、方法がよく分からないので、その中の3回から抜粋する。

▼「カルトの村で育ちました」(2017-03-28)
https://ameblo.jp/tezu1979/entry-12260581786.html

〈(高田かや『カルトの村で生まれました』は)最近、買って読んだ本です。とても面白かったです。
 ヤマギシの村で生まれ育った著者が自身の体験をもとに描いた自伝的マンガです。
 すでにブログで書いている方も多くいらっしゃいますが、この本を読んで、ヤマギシ会についてもっと知りたいという方のために、補足目的で書きたいと思います。
 というのも、僕自身が「カルト村〜」の著者、高田かやさんと同じく、ヤマギシズム学園出身者だからです。〉

〈高田さんが女子目線で描かれていることと、彼女の性格が穏やかなためか、ほんわかした雰囲気の作風に仕上がっていますが、男子部、特に中学生男子の世界はもっと苛烈なものでした。〉

〈本部では、一人の世話係が恐怖支配によって、中学生男子100人余りを統制していました。
 十代前半の僕らにとって、彼がどれほど恐ろしい存在であったでしょうか。
 彼に比べれば、熱血体育教師なんてかわいいものです。
 中学生時代に優等生を演じていた少年の大半が、後にコースアウトしていきました。
 つまり、優等生を演じる目的を失ったとき、彼らの中に「自分」というものが見つけられなくなってしまったのです。
 僕はヤマギシ会自体を批判する立場ではありませんが、ヤマギシズム学園の方針は明らかに間違っていました。
 一人一人の意見を尊重し、真実を探究するというポリシーを掲げながら、子どもの個性を認めず、価値観の植え付けを行っていたのですから。
 世間に「洗脳」だと言われても、仕方がないと思います。〉

〈そういった体罰や価値観の矯正が行われていることを、学園生の親たちも黙認していたという事実があります。
 親は、それが子どものために良いことだと盲信し、子離れしなければならないという強制観念から、学園の世話係を非難することは一切ありませんでした。
 疑問を感じたとしても、間違っているのは愚かな自分の考えだと思い込んでいたのです。
 教育現場には、どこでも多かれ少なかれ洗脳まがいのことはあるのかもしれません。
 しかし、ヤマギシ会の教育は行き過ぎでした。〉

〈僕と同じように学園で育ち、世間に出てから、低学歴と無知のために苦労している輩は数多くいます。
 彼らは僕にとっては兄弟のような存在です。
 文字通り「同じ釜の飯を食って」育ったわけですから。
 思想は自由ですし、理想に向けて活動するのも自由です。
 でも僕は、子どもたちに価値観を押し付けることだけは、あってはならないと強く思います。〉


▼「ヤマギシの村の良かったところ」(2017-03-30)
https://ameblo.jp/tezu1979/entry-12260872746.html

〈前回、ヤマギシ会の良くない点について書いたので、逆に良かったと思う点について書きたいと思います。
 先に言っておきますが、僕が村を出たのは15年前のことであり、変化の激しい時期でもあったので、現在の村の暮らしとは随分違うと思います。
 僕の知っているのは、あくまで80年代後半から2000年頃の話です。〉、

〈誤解の多い点ですが、ヤマギシ会は宗教団体ではないため、布教活動のようなことはしません。
 生産物購入を勧めたり、定期的に行われるセミナー受講を勧めたりすることが、ある意味、布教活動に近いでしょうか。
 毎月、1週間子どもたちに合宿生活をさせ、農作業等を体験させる「子ども楽園村」の開催もありました。(長期休みを除き、子どもは学校を休んで参加します。)
 僕は村に入る前に、何度も「子ども楽園村」に参加し、少しずつ村の生活に慣れていきました。
 今考えると、参画を決意した母親が(我が家は母子家庭でした)、僕ら子どもを少しでも村の生活に慣らしておくために行かせていたのだと思います。〉

〈村の子どもたちは、基本的に子どもたちだけで暮らし、働き、遊んで育ちます。
「子どもは群れの中で育つ」というポリシーによる教育です。
 父親も男兄弟もいなかった僕は、村の子どもたちの群れの中でもまれ、様々なことを学び、身に付けていきました。
 都会暮らしからは想像もつかない遊びや仕事の仕方を彼らは知っていました。
 山遊び、川遊び、相撲、竹細工、ターザンごっこなどの遊びや、農作業の手伝いを通して、村の子どもはたくましく育っていきます。
 上級生に殴られて痛い思いをすることもありましたが、かぎりなく兄弟に近い関係の子どもたちと共に暮らし、僕は少しずつ男らしさというものを学びました。
 そして、漠然と、たくましく頼りがいのある男になりたいという願望を持ち始めました。
 少年時代の僕が抱いた憧れの男性像は、ヤマギシズム学園の高等部生が、畑で額に汗しながら鍬を振るう姿に投影されました。
 小学生のときから僕は、そんな男らしい姿に憧れを抱き、高等部進学の意志を固めていきました。
 あのときの憧憬は、大人に操作されたものでなく、極めて純粋なものだったという感覚があります。〉

〈学園の子どもたち同士の関係は、一般社会の友人関係とは全然違います。
 孤児院で育った子ども同士の関係に近いものがあると思います。
 また、学園生は親と過ごす時間は短いものの、愛情を受けていないわけではありません。
 子どもの群れの中に、ちゃんと居場所もあるので、心に闇を抱えることも少ないと思います。
 むしろ逆に、素直で、感性が豊かで、忍耐強い人間に育ったのではないでしょうか。
 親や他の大人とのコミュニケーション機会が少なかったことや、異性との関わりが極端に少なかったこと、世間の情報の多くが遮断されていたことなど問題も多々あるものの、ヤマギシズム学園の在り方そのものが間違いではなかったと思います。
 おかげで、初めて一般社会に出たとき、自分がおそろしく世間知らずであることに気付かされましたが。〉


▼「ヤマギシはカルトじゃない」(2017-03-31)
https://ameblo.jp/tezu1979/entry-12261020288.html

〈高田かやさんの「カルト村」シリーズ、なかなかの反響があるようですね。
 村から出たことで、彼女の才能を生かした仕事をすることができてよかったと思います。
 さて、本のレビューを見ていて残念に思ったのは、感想が作品に対してではなく、作品の舞台である村(ヤマギシ会)の批判につながっていることです。
「カルト村」という表現を使っている時点で既に肯定的とは言えないわけですが、高田さん本人も、決してヤマギシ会を批判する意図はなかったと思います。
 なぜなら、自分の育った環境を否定することは、自分の人格を否定することにも繋がってしまうからです。
 村で育った僕たちにとって 、ヤマギシはカルトではありません。
 村の外の世界に出て初めて、世間一般ではカルトの類として見られていることに気づくのです。〉

〈本に描かれている内容はネガティブなことが多い気もしますが、僕にとっての村での生活は一般社会と大差ありません。
 良いこともあれば、良くないこともあり、自由、不自由があり、気の合う人、合わない人がいました。
 村では基本的に個人でお金を持たないので、欲しいものが手に入らないことが多かったですが、それは一般社会でも一部の金持ちを除けば皆同じようなものでしょう。
 規律や制限に関しては、一般社会で会社勤めする人の方がむしろ多いと思います。
 村にいれば安定した生活が保障されていたにもかかわらず、僕が外の世界へ出たのは、安心や安定の確保よりも、自分の可能性を試してみたかったからです。〉

〈ヤマギシの村で育ったことで、僕は物事を人と違った視点から見られるようになりました。
 僕は「カルト集団」と見られている団体の内と外、また、日本という異色な国の内と外からの視点を持っています。
 僕がヤマギシの村で育った過程も、村を出てからの過程も、今に至るまでのすべてが、自分という人間を形成するのに役立っており、そのどれもが自分の人生に必要だったものだと信じています。
 そして、僕らのように少し変わった経歴を持つ人間も、この社会を豊かにするために役立っていると思うのです。
「カルト村~」を読んで、ヤマギシ会を批判する人も、間違っていると信じる基準はどこにあるのでしょうか。
 単に、今自分が属している社会が正しいと錯覚しているに過ぎないかもしれません。〉


「付記」
 高田かや『カルトの村で生まれました』について当ブログに記事を掲載しています。
 ・◎高田かや〈作〉『カルト村で生まれました』について
https://hibihiko-ya.hateblo.jp/entry/2016/03/02/000000

 ・◎理想を掲げた集団や実顕地についての覚書(2)(2016-07-07)にも触れています。