〇ブログ「広場・ヤマギシズム」の記事(◎ある投稿から、ヤマギシズム学園問題に触れる・2017-01-24)に、守下尚暉さんからコメントをいただきました。
そこに、ヤマギシズム学園高等部を卒業した四期生の学園生で、1994年に村を離れ、今はインディーズ作家として本を出版しているとあり、『根無し草: ヤマギシズム物語1 学園編 Kindle版』の紹介があり、すぐに読みました。
〈本書は、その学園を卒業した著者が、当時実際に経験したことを未熟な少年の視点から描いた、真実の物語である。〉とあります。刊行は昨年のことです。
Kindle版は初めて利用しました。少し戸惑いもありましたが、すぐにわかり、読み始めたらとまらなくなり、悲しい思いを感じながら一気に読みました。
一読して次のことを思いました。
・よくこれだけのことを書き、また文章も伝わってくるものがあり、そのことに感嘆を覚えます。当時の厳しい辛いことを書くことは、大変だったと思います。
・私の子供たちや、元学園生や学園世話係をしていた友人からいろいろ聞いていていました。そのことも含めて、当時の学園の実態がまざまざと描かれていたように思いました。
・「あとがき」に〈今の私ではなく、当時の私の視点を大切にしました。四十代になった今の私の思いや考えは一旦棚に上げて、十四歳から十八歳の頃の私の視点で、その愚かさや未熟 さも含めて、当時の思いて、当時の思いや考えを丁寧に書き綴る。そうする事によって、当時の『ヤマギシ会』の実態がより鮮明に浮き彫りになり、読む人にも分かり易くなるのではないか。そう考えたのです。〉とあります。
これは大事な視点だと思います。それもあるのか、当時の学園の実態が余分な解釈を入れず、率直に現れていると感じました。
さらに、15歳から18歳までの多感な時期、特異な体験の中で、自分の足で立ち考える、ひとりの青年の成長物語になっているとも思いました。
・本文の中から。
〈『他に求めず、他を責めず、全体が良くなることを思って、自分がやる』
それは予科生の頃、『核研』で出されたテーマだった。
でもヤマギシは、全体が良くなる為に個人を犠牲にしている。
そもそもヤマギシの言う全体って何だろうか?
全体なんて言葉を使いつつ、実はマギシという組織が良くなる事を優先してるだけなんじゃないだろうか。〉
など、素直な思いが紡ぎ出されていきます。
・「あとがき」に次の言葉があります。
〈それは、自分の心を深くえぐり取るような、非常につらい作業でもありました。正直に申し上げると、私は自分の人生を狂わせた『ヤマギシ会』に対して、強い嫌悪感のような並々ならぬ思いを抱いています。そんな私にとって、この本を書くことは、相当な覚悟を決める 必要がありました。実際、執筆作業は捗らず、書き始めてから完成まで実に三年もの年月を 費やしました。
記憶に時効はありません。
執筆中、当時のことを鮮明に思い起こしてしまい、何度も涙を流したものです。これは むしろ、私にとって忌まわしい記憶。本当は誰にも明かしたくない過去 でした。〉
私の知る限り、ヤマギシズム学園高等部に在籍していた生徒が、当時の実態をありのまま書き綴った書籍は、本書しかないと思います。
・本書は、題材としては特異な学園での体験をもとにしたノンフィクションですが、青少年の成長、成熟にとって欠かすことのできない大事なテーマがいくつかあること、描写力など、かなり水準の高い作品だと思いました。
(つづく)