広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎詩集「詩と断章、魂の領分」(福井正之記録⑤)

※『回顧―理念ある暮らしその周辺』では、度々「詩」を取り上げている。2021年5月30日から6回に亘り「わが詩集」、3回に亘り「詩論集」を掲載している。そこに「詩と断章、魂の領分」「今浦島抄」のなかから数編掲載されている。

私のノートに、詩集「詩と断章」全文をのせている。おそらくそれは、詩集「詩と断章、魂の領分」と重なるだろうと思う。

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◎詩集「詩と断章」
〇<雲動説>から<自動説>へ
雲の流れがずいぶん速い
二つの大きなビルにはさまれた空
左手ビルから出てきた雲が右手のビルに消える
雲が次から次へとやってきて消える
ふんわりし過ぎだが、これは飛行機にも見える
そのうち飛行機が、いや雲が静止した
とたんに右手のビルが反対方向に動き出した
左手のビルもいっしょに動いている

どうってことのない子どもの頃から見慣れた光景だが
やはり見とれてしまう――これは何だ
やはり視点がいつの間にか移動しただけのことだ
ということは――あれ!
ビルといっしょにおれも移動しているのではないか
雲<飛行機>から見れば、おれはビルといっしょに
右から左に一瞬に移動して消えていくだけ

ふーむ、これは何というのか、おれ流に名づければ
<動説>から<自動説>への転換といってもいい
しかも難しくない、簡単に実感できることだ
そういえばおれが青春時に多用したことばの一つが
「コペルニクス的転回」だった
この大地が動いているなんて、まるで実感がないのに
そう説明できるという一点だけで

そして今は自分ではとうてい実感できないし
まるで説明できない相対性理論などの4次元法則によって
宇宙ロケットが飛び核兵器がつくられる
それをしも「アインシュタイン的転回」などと
軽々しく言うわけにはいかない
おれがまず手がかりにできるのは
実感できる原始的イメージだけ

「光の速さで光を追いかける夢を見た」
というあの男の少年時のエピソード
それは「落下するリンゴ」のたぐい
でもどんな偉大な発見も、それなしには始まらなかった
だからせめておれは、おれのイメージを忘れないでおこう
<雲動説>から<自動説>へ
簡単に「転回」をいう前に

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<ふぞろいな食器>
いつのまにか食器洗いがおれの専門になっていた
洗うのはかまわないが、片づけがめんどうだ
うちの食器はそろったものがあまりない、模様も大きさもちがう
回天寿司のように同じ種類を積み上げるわけにはいかない
拭いたものを5,6枚広げてもまだ重なるものがない
狭い台所だから後ろの食器棚に1枚ずつ運びかねない

理由は簡単だ、ほとんどがもらい物だ
こんなのはホームセンターにでも行って買いかえたらいい
そろったやつ、それも一皿でおかず各種が入る大きいやつに
そう、一度連れに言ったことがある
すると、もったいない、捨てられない、思い出が、というわけだ
1枚の皿、1個のお椀、それぞれの来歴を語りだしたら切りがない
ここ10年、いやもっと前からの物語を始める

ふーむ、おれは古物保存会の作業員か
おれも、だれにも役に立たない本だ、ノートだとか溜めこんできた
そんなわけで今夜も、狭いテーブルに皿小鉢をいっぱい並べて
いい年こいた娘、息子と家族だんらんの花を咲かす
長いこと別居してきた同士なので、年期が入った話になる
皿のように重ねてほい、とかたずけるわけにもいかない
そんなあれこれで、食器洗いもまんざらではないのである

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<アメンボ 波紋考>
針金よりも微細で長い手足が動くと
アメンボの後方に波紋ができた 
後方というのはその分
アメンボが前進したからだった

アメンボが停止しても
その波紋は広がり続け
しばらくして消えたから
その波紋はきっと過去の証跡

近くで別のアメンボが
ほぼ同時に動いたので波紋同士が重なった
その重なった部分はどちらが上でも下でもない
同じ水面上で作られた複雑な交錯のすがた

ただそれぞれのエネルギーの理に従って
他を打ち消さず、他から打ち消されず
足し合わされた波紋のすがた
それは精妙で美しいと思った

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<制 服>
全国戦没者追悼式というのがあった
なにげなくテレビで見ていたら あれ、なんだ?
参列者に向かって両側に警備員が立っていた
普通の制服制帽姿で

といっても普通の民間警備員じゃないだろう
ああいう格式が高い場だから上級警察官か、儀仗兵か?
と思うのも、いつの頃からか制服姿の評判は地に落ちている
ガードマンなる職種が全国に蔓延してから

私もやったことがあるからよくわかる
不況時代に低給与長時間でどんどん増え、しかも高齢化してきた
いまじゃラフに白衣をつけたサンダル履きのお医者さんより
金ピカの立派な警備員の方が下の下の格

なんでかって、要するに警察があてにならない
個々にガードしなければならない物騒な世になってきた
おかげで失業者が減り、私らも助かった
それだけ不穏分子が生まれる環境がなくなってよかったってこと?

昔中国の王朝で、物騒な山賊どもを制圧するために兵士を急募した
それに山賊がもぐりこんで山賊がいなくなる
それで兵士を解雇したらまた山賊が跋扈したそうな
要は、山賊しないでも食っていける仕事があればいいだけなんだが

大量の警備員が要る社会ってのは、守るものと奪うものとの対立がある
奪うものといっても、もともと失った者たちだった
日本じゃ目立たないが、世界ではこの山賊がテロリストになっている
そういえば、戦没者というのは多くは国家のガードマンだった

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<天命>
風がやみ気がつくと、 階段の溝のいつも同じところに砂だまりができる
しかもかたちはいつも同じ波形
あんなにも漂っていた羽や綿毛すらが そこに落ちているではないか

そう すべて根のないものたちにも 落ちていく定めの場所があるようだ
なべて根を持とうとした人生を生きたつもりだが 

ただ風に逆らい漂って お決まりの位置に墜ちているだけかもしれない
 (「今浦島抄」より)                  

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<人生の主題>
人生の主題はいわば二度現われる
一度目は自らの意志、選択によって
二度目は一度目の流れと帰結の総括によって

いうまでもなく それは初発の挫折や虚妄を告げる
それに基づく主題の修正こそ
彼にとってより現実的かつ固有なものになる

それにしても一度目の主題の中には
彼にまつわる出生や風土や伝承がねじれたまま刻印されているが
本体の多くは意味不明のものである

それが解答を求めて立ち現われるとき
おそらくそれが彼の人生を統合する第三の主題となる
ただし彼の生がそこまで届くかどうかはたぶん偶然による

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<天気予報>
たとえ風雨であっても 予報どおりならば
不思議と安堵する

時にはずぶ濡れになっても快感だった
たとえ晴れていても 予報から外れるなら
不思議と落胆する
時にはふざけるなと思う

それはたぶん
抗いがたい真実の持つ力と似ている

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<幻想 2>
私は自分が書いたものを何度も読み返す機会があった
それは推敲のためだと考えていた
しかしそれをさせるものは何かとふと考えた時に
奇妙な実感の残存に気づいた

それは実は執念のごときものではなくて
自分の書いた文章に酔えるからだという発見
すなわち何度読んでも飽きない部分が少なからずあるからなのだ
そしてもっと酔いたいのである

こんないわば自己陶酔的な感覚はちょっとやばいのではないか
とはいえあたかも自分の選んだ銘柄の焼酎の温度や調合を詮索しながら
もっといい酒として飲みたいかのようだ

それは文章に限らず、実はあらゆる創造と
それをヒントとする<生産的>というものにつきまとう慰藉であり
それが自己幻想というものを継続させる力なのであった

<幻想 1>
挫折の前には熱狂と興醒めがあり
それらの前に幻想があった

人間は幻想を生みだし 幻想を享受し
その幻想を真実に化そうと働くこともできる

またその幻想を夢と知りながら
いつしか真実と錯覚することもできる

だからそれが幻想であることを暴くことは容易である
だが人間に幻想を紡ぎだす力があることを誰が責めることができよう

いうまでもないことだがこの幻想の力なしに何事も始まらなかった 

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<私の思想>
「自分の住む所には 自分の手で表札をかけるに限る
精神の在り場所も、ハタから表札をかけられてはならない。
石垣りん。それでよい」(石垣りん)

ところが住むところには同居もあれば貸室もあって
他人の表札が下がっている場合がある
貧乏でやむを得ずそうしていることもあるが
身を隠すために好んでそうしている場合もある

私は
その主人に相共鳴したばかりでなく
さらに一体化せんことをねがい
自分の表札を外した
その方が大きな目的だったし
また安楽だったのだ

それは精神にとって、
つまり“私の思想”にとって危機なのだといつしか思うようになった
「大事なのは他人の頭で考えられた大きなことより、
自分の頭で考えた小さなことだ」(村上春樹)

“私の思想”とは
どうもその小さなことに関わりがあるようだ
でもこれまで「他人の頭で考えられた」ことがいっぱい詰まっていて
それ以外のことはぼんやりしている

そのなにかが蘇るために
貧しく不安多くとも あえて別居し
いまだ何もない小さな部屋の表札に
番と記す
 (「今浦島抄」より)

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<理想の挫折>
理想というものに魅入られてのち
その挫折を知らないという人は少ないのではないか
それはどこか恋の始まりと終わりに似ているかもしれない

もう二度と恋なぞしたくないように
二度と理想の顔なぞ見たくないのである
そこに投じられた膨大なエネルギーを伴う全身的な自己投棄

その後に残る虚脱、幻滅と痛恨
したがってその問いかけも悲痛である
「何でこんなことになってしまったの!?」

これに答えるには恋は必ずしも哲学を必要としないが
挫折には哲学が不可欠だ
それも<自己哲学>が。
(「HP巻頭言」より) 

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<離 脱>
人生晩年で<理想郷>を離れた
そしてみじめな事実から みじめな真実を見いだす
しかしそのみじめさも 変容可能であると知った
今となってみれば なんとそれは簡単なことか

みじめならみじめだと告白すればいい それがはじまりだった
辛いなら辛い 苦しいなら苦しい むかつくならむかつく  と
幼い子どもはよく解っている
そんな時にはわんわん泣くだけである 最後は眠ってしまう

そのように内にあるなにかを 外に出すだけで
その分だけ確実に みじめさが減っていくようだ
相手が居ればいいが 相手がなくともよい
いやむしろはじめは なくてよかったのである

咆哮は次第に言葉になり
壁に向かって 終わりのないモノローグをくり返す
 なにも返ってこないので その“自答”を 書いてみた
頭がズキズキしたが 思いがけない快感に変わることもあった

そのことを「自己哲学」と打ったら 「事故哲学」と出た
それでよい 事故から始まって人生に 青春に 故郷に及んだ
なるほど 特別なことはなにもなかった
いつしか こだわってきたみじめさが影のように薄らいでいた

さよう あの事実は 幻視されたみじめさだった
事実はなくならないが 自分にとってより必然
かつ真っ当なものへと組み直すことができたようだ
それも より大いなる幻想の渦中かもしれないが

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<怒 り>
あらゆる普遍的正当性に対し
すみません、でも私は・・・なんて殊勝面をやめよ
我思う なんてもんじゃない
おれはそう思う そう思って何が悪い!
むしゃむしゃする むかつく 腹が立つ
ゆえに<われ>があった
怒りこそ相対化できない絶対だった
塵埃の一片にすぎないおれが 世に対等に立った一瞬だった

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<ポインセチア>
贈られた花の名を
何度も忘れ また思い出す
ポ・イ・ン・セ・チ・ア
名は忘れても忘れられない姿だ

尖った真っ赤な花びら
下の葉も同じ姿で尖っていたから
葉がそのまま花になったのか
重心が上のせいか冬の突風にしばしば倒れた

冷気に何度も晒され 水遣りを時には忘れても
その姿は頑なに変わらなかった
3週間たって気がつくと
下の葉から少し萎れはじめた

一か月半ばたち 申し訳わけないが
しだいに手当てがぞんざいになっても
葉は明らかに乏しくなっていたが
上の花群れは立派に真っ赤だった

葉はどうあれ
おそらくこの花は 枯れても
真っ赤なままであるような気がした
顕示したいものを最後の一片まで顕示できるように     

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<季節外れの花>
10月の雨に打たれて
ちびた小さなアジサイが輝いていた

そんなこともあるのだ
そんなこともあっていいのだと思った

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