広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎一人ひとりの主体性のある一体とは

※一人ひとりの主体性のある一体について、二つの論考から

〇「吉田光男『わくらばの記』(2)」から
〈1月29日〉
『1937』の中で、辺見庸氏は、堀田善衛の『時間』を引用しながら、南京虐殺の死者について、死者の数が問題なのではなく、一人ひとりの死が問題なのだ、と強調している。一人ひとりの死が、10万なり20万なりに達したのであって、一人の死は10万分の1、20万分の1のものではありえない、と。死者の一人ひとりには、その人だけの人生があり、物語があるのだ。

 私たちはよく数、数量を問題にする。しかし、一人ひとりの死は、そしてその人生は決して数に還元することはできない。
 それに関連するかどうか、村の暮らしの中でよく「みんな」という言葉が使われる。
「みんながやるからできます」というテーマとか、「みんなの力を一つにして」とか。

 しかし、「みんながするからそうする」という生き方は、本当に主体的な生き方なのだろうか。この考え方は、もしかしたら自分を放擲して付和雷同、ロボット的な生き方に転落することではないか。「お手てつないでみんな一緒」というのは、一体の生き方と同じなのだろか。

 10年ほど前に、村人の一人と話をしていて、何回かこんなやりとりがあった。
「みんなそれが良いって言ってるぜ」
「みんなって誰や?」
「みんなってみんなよ」

 そのうちに、自分だけがみんなから外れているような気分になって、黙ってしまった。しかしこの「みんな」という言葉は曲者である。うかうかすると、自分も他もごまかされてしまう。

 山岸さんは、こうした「みんな」の寄る一体を「便宜一体」と言い、「便宜一体」は何かあればすぐ崩れる、とも言っている。


〇「『わくらばの記』に触れて」から抜粋
 吉田光男さんの日録に取り上げている「みんな」については、その人の主体性が全く感じられず、吉田さんの違和感も当然だと思う。
 この事例や私の体験から、その頃の実顕地について、一人ひとりの主体意識の欠如、喪失という視点から、その内実をみていくこともできるような気がする。

※広辞苑などの辞書でみると、次のようになっている。
「主体」:自覚や意志に基づいて行動したり作用を他に及ぼしたりするもの。
「主体性」:自分の意志・判断で行動しようとする態度。
「主体的」:ある活動や思考などをなす時、その主体となって働きかけるさま。他のものによって導かれるのでなく、自己の純粋な立場において行うさま。

 ヤマギシズム生活の理念に共鳴して、それぞれの主体性をもって参画した人たちだが、そこでの暮らしを通して、自己の主体性にもとづいた意志や判断よりも、組織の方向性に導かれ、影響されていた人も少なからずいたのではないだろうか。

 特にヤマギシズム実顕地は、かってない社会の標榜のもとで、独特の言葉遣い(理念)、対話形式(研鑽)、生活様式(提案と調正)、運営方法(任しあい)などが独特のものであり、それに慣れるにしたがって、自己の主体性にもとづいた思考方法というよりも、組織の志向性にあうような感性、考え方にそまっていく面もあっただろう。

 そこから、Yさんの事例にあるような、「研鑽会で決まった」「みんながそういっている」「村ではこうしてきた」のような表現がうまれる。

  自己についての自己とともに社会に対する自己という面があるので、ある程度周りの状況にあわせていくことはあるだろうが、実顕地のような特殊な運営方式と生活形態で構成された集団では、よほどの自覚がないと、組織に対する自己と自己にとっての自己が混然としてくる。

 あわせ方は一人ひとり異なっているが、疑いの目を挟まず短絡的に組織の掲げる方針にあわせて、あるいは組織がもつ気風の「いきほひ」(次々と賛同者、参画者が増えていくこともあいまって)に押されて、だんだんと組織べったりの人間になっていく人もいただろう。
 だが、その頃の実顕地がどうあろうとも、自己の主体性をないがしろにしたのは、自分自身だと思う。

 どこまでも主体的であろうとしていた人たちもいただろうが、だんだん息苦しくなってきて、そこから離れたり、Yさんのように違和感を覚えつつ向き合い続けていたりしているひともいるが。

 私のことを振り返ると、自分特有の見方や感じ方を、主体性をもって表現する場合でも、どこかで実顕地ではこのように考えている、このような方針であるのではないかなどの声に、多かれ少なかれ左右されるものがあったと思う。

 さらに問題になるのは、自らの主体性とは関係なく親の意向で村に来た子ども達、学園生たちに対して、一人ひとりの主体性を豊かに育むことの重要な時期に、それぞれの主体性をそぎ落とし、実顕地の方針(中心になって進めている人たちの方針)に相応しい人へと無理強いをしていたことが、徐々に明らかになってきつつある。

参照:◎吉田光男『わくらばの記』(2)( 2018-02-01)
   ◎『わくらばの記』に触れて(2018-02-04)