広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎「〈在ったこと〉を〈無かったこと〉と為す」について

〇回顧―理念ある暮らし、その周辺』2019年07月08日投稿の〈在ったこと〉を〈無かったこと〉と為す」は中国の天安門事件に触れながら、実顕地の在り方に触れていく。

 そして次のように論を展開する。
〈かつて私もある集団(学園)に属し、「学生たちに暴力を振るったのではないか」とマスコミに連日責められたことがありました。私はその集団の理想とリーダーたち(私もその近くの一人)を信じていましたから、そんなことはあるはずはないと抗議しました。
しかしのちにこれも《在事を無事と為す》事件の一つと知ったときは愕然としました。そのリーダーたちはそこでは賢く誠実で人々の模範となるような人々であり、多くのお世話もいただきました。それ以来、かれらから、またその集団から離れ、私自身を責めるしかありませんでした。かれらは理想を守るためにやむなくそうしたんでしょうが、組織は一時的には守れても、理想は守れたのかどうか?〉

 このブログは、時空遍歴2014/6/8記載だが、最後に註として今時点の見解を添える。

〈もっともこの後の流れ、その規模の大きさとその深刻さは想定外のものでした。私はその体罰の深刻な実態を最近ようやっと「三重県アンケート」で知りえましたが、それらはもうすでにかなり既知化されており、つくづく自分の孤独を感じたものです。改めて団体や組織が「組織上の秘密に」に拘ること、そこに自分たちの生活防衛の生命線があること、さらにその家族や個人の防衛まで付きまとうこと、そのことをまざまざ知らされています。この部分を取り上げるのは青年の幼い血気にすぎないかもしれない。それだけ私は恵まれた位置にいたのかもしれない。しかしここでも取り上げることはやめるわけにはいかないと今も思う。〉

 それについて、実顕地に所属しながら 一貫して、山岸巳代蔵およびヤマギシズム運動が目指したものからみて、現実顕地がおかしな方向に進んできたことを、忌憚なく問い続けている吉田光男さんの当ブログ「吉田光男『わくらばの記』(9)」の記事からコメントを寄せた。

〈振り返ると、村(ヤマギシの村)には書かれた歴史の記録がない。数年前にやっと年表が作られただけである。なぜ歴史が書かれないのか。それは恐らく、村が無謬性の神話に捉われているからではないかと考えられる。しかし、一つの集団がいつも正しく誤りのない歴史を刻んできたなど、とうてい言えるものではない。歴史を書くということは、自分たちの正当性を主張するためではなく、自分を正直に振り返り、そこから正しからんとする次へのステップを見出すためである。

 歴史が書かれないもう一つの理由は、「歴史は今、今、今の連続であり、過ぎ去った過去はテーマにはならない」とする考え方である。確かに私たちにとって、「今」こそが問題である。それは間違いのないことではあるが、その「今」は過去の蓄積の上に成り立っており、当面する「今」が未来を動かす出発点になるということを忘れてはならない。「今」をどう見るか、それにどう対処するかは、過去の反省や検討、未来への展望なしには出てこない。これがないと、私たちは目先の現象だけに一喜一憂するその日暮らしの生き方しかできなくなる。
  
 しかし、歴史をまとめるということは大変な作業である。それを可能にする人材も資料の蓄積もない。むしろ今やるべきことは、一人ひとりが辿ってきた自分の個人史を書いてみることではないだろうか。村の歩みのひとこまひとこまで、自分が何を思い何を願って行動したか、また今それをどう思うかについて、正直に書いてみる。そうした個人史、自分史の蓄積が、村の歴史なのだと思う。〉

参照①:「吉田光男『わくらばの記』(9)」(2018-08-13)
②:「言葉のお守り的使用と三重県アンケートとヤマギシズム学園について」(2019-04-28)