〇「イズム、イデオロギーなるもの」への問いかけは私にとってかなり根が深い。今回はイズム体系全体への受容のこともあるが、より身近な日常的なジッケンチの「イムズの言葉」の受容、吸収の過程について取り上げる。それも吉田さんの以下の記述に出会ったからである。
〈前に私は、「自分が自分であろうとするよりも、自分とは違う何者かになろうとしていた」と書いた。自分が自分であるよりない存在なのに、なぜ自分以外の何者かになろうとしていたのか。
自分は自分が卑小な存在であることを知りながら、それを素直に認めたくなかったのだ。本来の自分ではない存在であるかのように自分を示そうとして、自他を偽るのである。しかし他は偽れないので、結局は自分を偽り通すことになる。
教養主義や向上志向などもその表れだ。そして参画してからは、例えば「あるべき姿があるはずです」というテーマの「あるべき姿」に自分を見せかけようとする。テーマに向き合いとりくむのではなく、見せかけの方に力を入れるのだからバカな話だ。しかし、これは私だけのことではなく、多くの村人にも見られた傾向である。(中略)
人間は今ある自分の姿をそのまま認め、そこから出発する以外にない。自分を隠す、自分を飾るということは、他の評価によって自分を位置づけようとする、風まかせ、波まかせの実に不安定な生き方に他ならない。〉(30p)
この文章はどうも表現は易しく解りやすいが、考えだすとよくわからないところがある。しかしどうも見過ごすわけにはいかない肝心なことに触れているような気がする。
「自分が自分であるよりない存在なのに、なぜ自分以外の何者かになろうとしていたのか」という問いである。少々漠然としているが、思い当らないこともない。
「自分は自分が卑小な存在であることを知りながら、それを素直に認めたくなかったのだ」とは少々ドキリとする。自分のことも含めてお書きであれば、よくもこうはっきり書かれたものだ。言われるまでもなくよくあることである。おそらく無意識の習性にまでなっているはずだ。韜晦とか自己欺瞞とか。
<な―にちっぽけな人間ですよ>と卑下、謙遜しながら、逆にそのことで自分をもっとよく見られたいとねがっているのだから厄介なことだ。それだけではないが、そこから「偽り」が始まるというのである。「自他を偽る」ということが。<いやそれは飛びすぎだよ、人間の日常的な習性だよ>とも言いたいが、論理的には人間の「偽り」の発生源と見なされても致し方ないとも思う。
この指摘がコワいのは、「しかし他は偽れないので、結局は自分を偽り通すことになる」というところまで届いていることである。「自分のことを自分が一番知っている」はずなのに、自己欺瞞の部分が自己イメージのかなりの部分を占めることになって、そのまま自分を認知してしまっていることもないとはいえない。
どうも大それた話になってくるのだが、それにふさわしくまず事例も「教養主義や向上志向」のことになる。ところが例えば教養主義や向上志向」のどこが問題なのか? <教養主義>はたしかにいかがわしいと感じることもあるが、私には向上志向がそうとは考えにくい。ただそれも度を過ぎると問題が多いと思う。
しかしこのことをいったん<ことばの外部注入>という観点で捉え直してみると、別の巨大な問題群が登場する。いわゆるイデオロギーの受容の日々の主たる営みは、まさにその「教養主義や向上志向など」と密接しているのである。その淵源は私の場合少年時代から始まるもので、以前に吉田さんが自分の少年時代の回顧から「いつも自分以外の何者かになろうとしてきた」と述べられている(19p)ところは私にも大いに思い当たる。
私は少年時から抱え持ってきた鬱屈した意識から<解放され救われた>と感じたのは入学した大学での学生運動によってだった。それからマルキシズムが私のバイブルになった。その内実は運動もあったが、学習会、読書などのいわば<外部注入>の部分が大きなウエイトを占めた。偉大な世界思想に触れるという感激とともに。
それは結果的に<疑似救済>でしかなかったと総括できたが、そのイデオロギー性から離脱できたわけではない。その後より<土着的庶民的イデオロギー>としてのヤマギシに<幻惑>してしまった、というのが私の参画の経緯であった。その問題意識は前々回の論考「問い直す④」の中でも書いたが要点をくり返す。
〈「大事なのは他人の頭で考えられた大きなことより、自分の頭で考えた小さなことだ」(村上春樹)/“私の思想”とはどうもその小さなことに関わりがあるようだ/でもこれまで「他人の頭で考えられた」ことがいっぱい詰まっていて/それ以外のことはぼんやりしている〉(「今浦島抄」)
ある意味で悔しいが、私はマルクシズムからの離脱過程と同じことをヤマギシの離脱の場合にも考え出していたのである。しかしヤマギシには「特講」というものがあったはずではないか。あそこで私は初めて自他融合の境地というものが、そうしようと努力しなくとも自己内に存在しうることを発見したという感触を得た。それも頭で考える疑似インテリの私などとちがって、自分に向き合って先に開けていった人々に触発されつつであった。
参画して後、私が期待していた「特講的けんさん」の場はどこにもなかった。研鑽学校や生活法などの研鑽会はほとんど<注入IN>の場だった。特講のように自分に向き合いながら「出し合い、探り合い、気づき合っていく世界」(いわば表出OUT)ではなかった。
ところで吉田さんが次に取り上げているのは、参画してからの例えば「あるべき姿があるはずです」のテーマのことである。私はこのテーマについて最初は真理・真実を直接言わないある謙虚さを感じたが、次第にその<思わせぶり的な理念信仰>の感触に嫌気がさしてきた覚えがある。それも「テーマに向き合いとりくむのではなく、見せかけの方に力を入れるのだから」というのは重々思い当たる。
そして締めくくりとして吉田さんは次のように提示される。「人間は今ある自分の姿をそのまま認め、そこから出発する以外にない」と。このことばは重い。しかもよく解っているようで解らない。
〈今ある自分の姿をそのまま認め〉の「今ある自分の姿」とは何か?
さらに「自分が自分であろうとする」とは何か?
はっきりしてくるのは、それについて私はしっかり考えつめたことがないということである。参画時、あんなにも「われ、ひととともに」の「われ」、「我当然執抹殺」の「我」に着目しながら。先回紹介した吉田さん自身の記述の中の、「それにもかかわらず、みんな自分は自分だとわかったつもりになっている」が念頭に浮かぶ。
イズムの言葉を吸収しひたすらそれに合わせていく生活。そのように強いさせてきたジッケンチの組織構造もなかったとは言わないが、吉田さんはそれによって自ら埋没し隠していった<個の主体性>の貧弱を俎上に置かれていると思う。その「われ」を何とかして回復すること、それは「みんな」や「だれか」の世界ではない。
「自分の思っている考えをそのまま言って、間違っているか、正しいか、みんなの頭で考えます。ですから、先生が言うから、みんなが言うから、お父ちゃんが、お母ちゃんが、兄ちゃん、ねえちゃんが言うから、するから、そのとおりだとしないで考えます。」(「百万羽子供研鑽会」より)
子どもにすら解りそうな表現が、なんと困難なことだろう。どこかでそうしてしまった<偽り>が累積してきたというしかない。(続く)2017/6/6
参照・◎吉田光男『わくらばの記』(3)(2018-02-17)