わくらばの記 病床妄語⑤
〈3月16日〉
体調はまずまず、特に問題は感じない。
一昨日、クローズアップ現代でISの女性奴隷市場のことを取り上げていた。実におぞましい現実だ。
エマニエル・トッド氏は、ISはイスラム教という宗教から生まれたのではなく、宗教の崩壊から派生したニヒリズムの現象だという。確かに、イスラム教には男中心の思想が含まれているかもしれないが、性奴隷を肯定するようなものではないと思われる。
しかし、この資本主義社会でも、性の売買が当たり前のように行われている。タイなどの後進国では、はるかにひどい児童性虐待が行われているらしい。ヤン・ソギル氏の小説には、そうした現実がかなりどぎつく描かれている。日本でも、70年ほど前には、従軍慰安婦という形の性奴隷が公然と存在していた。
暴力・貧困・戦争は、性奴隷を必然的に伴うものなのか。これは、人間存在のどこから生じてくるものなのだろうか。
〈3月17日〉
昨日からだいぶ咳が出たが、朝起きてからは治まった。今日は造影剤によるレントゲン検査。
先日、人工知能とロボットによる近未来というすでに一部現実化している社会状況について、クローズアップ現代で取り上げていた。それに関連して、囲碁の世界でトップクラスの棋士、韓国の李セドルさんがAIのアルファ碁に三タテを喰らわされたという事件があった。四局目でやっと一矢を報いたものの、最終の五局目がどうなるか。結果がどうなるにせよ、これに関しては人間の知能の敗北を認めざるをえない。
このアルファ碁は、従来のコンピュータの方式と違って、19路×19路の全局面を計算するのではなく、「深層学習」と「強化学習」という二つの手法で盤面のパターン認識と分類を行い、勝つ確率の高い手筋を記憶するという新たな方法を用いているという。しかもその深層学習たるや、一人の一流棋士が200年かかっても打ち切れない対局数を一瞬のうちにこなし、記憶するという優れたものらしい。何か末恐ろしいことが始まりつつあるのを感ずる。
このような人工知能とロボットの組み合わせによって、生産も流通も将来人手を必要としなくなり、大量の失業が生じるかもしれない、とクローズアップ現代は報じていた。こうした技術革新の中で、スウェーデンでは勤務時間を8時間から6時間に短縮して給与は据え置くという、実質賃金の引き上げに踏み切ったという。またスイスでは、働いても働かなくとも一人月30万円を支給する制度を導入するかどうかをめぐって、5月の議会で審議されるという。
こうしたことが現実化したとき、今の資本主義のシステムは大きく変わらざるを得なくなるかもしれない。問題はこれが人類の繁栄のために利用されるのか、或いは一部支配者の利益のためにのみ利用されるのかということである。
またそれと関連して、いわゆる労働が不要になったとき、人間は何を生きがいとして生きるのか、という問題が生じる。これは、定年退職・余暇・老後、あるいは病床で、働く必要がなくなったり働けなくなったときに、人が何を生きがいとし、どんな目標をもって生きてゆこうとしているかが問われる現実の問題でもある。
以上を書きつけたあと、検査の造影剤のせいかどうか、体の震えがとまらなくなり、栄養剤を中止してからやっと治まったが、そのあと37・8度の熱がつづいた。
〈3月18日〉
朝起きてからは、体調はいくらか回復し、声の嗄れは治まりつつあるが、まだ咳はつづき、微熱が治まらない。食道のレントゲン検査は少し延期になりそうだ。
昨日書いた人口知能の話は、近未来の技術の方向性としてはそうなのであろうが、現実の社会には労働力の使い捨て、切り捨てが横行している。
昨日のクローズアップ現代は、そうした現実にメスを入れ、それに抗して立ち上がる若者たちの自発的な動きを報じていた。
安保法制反対に立ち上がった学生たちシールズの動きや、銀行を立ち上げて地方の中小事業者や起業家に貸し付け、これに中小金融機関が参加する動きもあるという。またブラック企業の従業員でユニオンを結成し、団体交渉を行っているところがあるとも報じていた。実に多様で面白い動きだ。
これらの動きで特徴なことは、若者たちが集団を結成しても集団の方針として動くのではなく、基本はあくまで個人を主体とし、参加者を束縛する組織的制約がないことだという。
これは極めて重要なことだが、この方向がずっと保てるかどうか。またその場合、個が個を保ちながら集団としてどのようにまとまっていけるのか、ということもテーマになる。人間は弱い。個で始まったものが、いつか集団の論理に埋没してしまうことがないかどうか。
私はこの時に重要になるのが、「公」という考え方ではないかと思う。
「私」を尊重しながら「公」を目指す生き方、このところは次にもう少し考えてみたい。
〈3月19日〉
今日はいくらか体調が戻った。熱も下がった。しかし、咳はつづいて痰もよく出る。
娘、妻来る。そのさい、Sさんからの差し入れで漫画の『わたしはカルト村で生まれた』が届けられた。数日前の新聞書評欄を読んで、もしかしたらヤマギシのことではないかと想像していたが、まさにそのとおりだった。
学育や学園の実態は、この10年の間に私自身がかなり知ることにはなったが、子ども自身の目にそれがどう映っていたのかはあまり知ることがなかったので、改めて「やはりそうだったか」という思いを新たにさせられた。
また元村人の一人が「日々彦通信」なるブログでこの本についての書評を寄せており、その中で当時の村の実態とそれについての意見を書いていた。このブログではやみくもに一部指導層を非難するのではなく、村人やその集団が生み出す暴力性について語っており、妥当なものと思われた。
これは単にヤマギシの村だからというのではなく、人間の集団の持つある種の恐ろしさ、危険性について語っているように思われ、私自身のテーマでもある。一人ひとりが個としての自分を生かしながら、集団として存続することがどうすれば可能なのか。
個がばらばらのアトムに分解されては人間の結びつきが失われ、社会の存続は難しい。といって、一つの方向だけに収斂されるのは、もっと恐ろしい。個と集団、あるいは個と社会、それはどうあるのが望ましいのだろうか。
〈3月20日〉
咳はまだ治まらない。朝は37・2度の微熱だったが、午後は36・5度に下がる。
今日は、静かにテレビを見ながら過ごした。
〈3月21日〉
夜間、ひどい咳で胸の筋肉が痛くなる。薬としてトローチが出たので何個かなめたが、一向に効果がない。
『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」にさしかかったところで、また点滴が詰まり、新しいのに取り換えられた。もう毎日、血管に針を入れられている。針地獄とはこのことか。
〈3月22日〉
相変わらず咳がひどく、造影剤によるレントゲン検査は中止となる。代わりに、喉の治療として薬液の噴霧が行われることになった。午後、その第1回、少し効果があるように感じられた。夜8時に2回目を行うという。
〈3月23日〉
咳はつづいているが、昨日よりは減ったようだ。しかし、夜中に下痢、喉の風邪の菌が胃腸まで降りて、下痢の症状を引き起こしたのではないかと思われる。
村上春樹の小説には、しばしば「失われる」とか「失われていく」という表現が出てくる。「失う」ではなく「失われる」なのだ。最初ちょっと違和感を覚えたが、最近は自分の体を通してこの言葉が入ってくるようになった。最初に感じたのは、聴力のことである。耳が聞こえなくなった当初は、聞こえないのは相手の声が小さいからではないかと思っていたが、他の人にはちゃんと聞こえている。とすれば、嫌でも自分の聴力が衰えたことを認めざるを得なくなった。
この聴力の喪失は、自らが「失った」ものではない。自分の意志や過失ではなく、老いによって自然と「失われた」ものなのだ。聴力に次いで記憶力が、そして筋力や体力など体のあちこちが衰え、やがては自分自身が「失われていく」ことになる。
村上春樹の若い読者の中には、この喪失感に惹かれるという感想が多い。今の時代には、何か大事なものが失われつつあるのかもしれない。
〈3月24日〉
咳は相変わらず止まらない。耳鼻科で喉の声帯部分の検査を受けるが、異常なしとのこと。
昨日、新しい「けんさん」紙が届けられたのでざっと目を通した。2面のSさんの論考の中で「稲と鶏」の「と」についていろいろ書いていたが「と」という接続詞に特別の意味を持たせることに何か違和感を感じた。この「と」については、昔水沢の理念研でも取り上げられたことがあるが、まだそれがテーマになりうるのかという不思議な感覚なのである。
接続詞としての「と」は、同一概念、または類似概念を並列的に並べるときに使われるし、また反対概念、対立概念を並べるときにも用いられる。というだけの話であって、「と」という言葉にヤマギシズムの何かが含まれるようなものではない、と私には思われる。そのことよりも、山岸さんが農業養鶏を通じて何を実現しようとし、またその後の実顕地造成と共に始まった社会式養鶏では何を願い、何を実現しようとしていたのかを解明することが大事なように思われる。
いま卵の売れ行き不振から養鶏はどんどん縮小されてきているが、そういう時期での社会式養鶏の真価とは何なのか、ぜひ研鑽したいものである。そしてその研鑽は誰かが論ずることで終わるのではなく、職場の一人ひとりが仕事をとおして観察し、考え、研鑽するものでなくてはならないと思う。
〈3月25日〉
咳はまだ止まらない。しかし、睡眠時間が長くなっていることを思えば、咳と咳との間隔が開いて、回数が減ったせいかもしれない。
窓の外を見ると、青空の下に白い雲がぽっかりと浮かんでいる。大きいものもあれば小さい塊りもあり、東西に長く延びたものもある。じっと固定しているようでいて、しばらく目を離していると、互いにくっついたり離れたりして一瞬たりともじっとしてはいない。
「雲はある。しかし無い」と、山岸さんはどこかで言っていたが、味わい深い。人間はいる、しかしいない。私はいる、しかしいない。生も死も、青空に浮かぶ一片の雲のようなものかもしれない。
そういえば、昔テレビドラマで見た水滸伝の主題歌は、こんな歌詞であったと記憶している。
――人生は知れたも~のさ、
うまくい~っても
一片の雲のよ~うに
流れ去るだけ――
〈3月26日〉
咳はまだ続いているが、少し下火になったようだ。多分来週には検査可能になるだろう。
確か「中日」の論評だったと思うが、内山節氏が「公」という考え方が今の時代に必要だと書いていた。ちょうど私自身、「公」の思想について考えていた時期だったので共感を覚えた。
ヤマギシではこの「公」の思想は出発当初から大事にされてきて、研鑽学校では「私意尊重公意行」がテーマとして用意されてきた。だが、2000年以降、このテーマに違和感が生じてきて、一部には公然と反対の声を上げる人も現れ、何となく中心テーマになりにくいような感じになってきた。その理由は、「公意」というものがその時々の実顕地の方針に合わせることだとする雰囲気があったためではないかと考えられる。鈴鹿問題や裁判問題を通じて「公意」を「押し付け」と受け取っていた人たちが結構いたのである。
しかし、本来「私意尊重公意行」という考え方は、そんなものではないだろう。このテーマを考えるさいの重要なポイントは、「公」と「私」の関係をどうとらえるかにかかっているように思う。つまり、「公」と「私」を対立概念としてとらえるか、共通概念としてとらえるか、である。
「私意尊重」というのは、一人ひとりの「私」が納得しないうちは「公」が成立しないということである。だから山岸さんは「一人でも反対のあるうちは結論は出さずに次に持ち越す」と言っている。
しかし、実際の運営上では、大多数が賛成し少数の反対者があった場合に、「みんなが賛成しているではないか」と有形無形の圧力がかかる場合が多かった。「それが調正所の方針だ」とか「研鑽部の誰それがそう言っていた」とか、そう言われるとそれに賛成できない自分はイズム理解が浅いのではないか、とかえって自分を責める方向に向かってしまう。自分の「私意」を自分自身が尊重しないことにもなる。振り返ると、そうした動きに私自身が陥ったり、逆にその動きを推進していたのである。これは戦中の「滅私奉公」と同じで「私意尊重」ではなく「私意抹殺」につらなる。
本来のヤマギシの「公」は、あくまで「私」を尊重し生かすものでなくてはならない。「公」と「私」は対立するものではなく、「私」がやがては「公」に高まり、それに含まれるようになる。もともと「公」とされる考え方も、最初は誰かの「私意」にすぎなかったものが、同調する人が増えて「公」になったのである。その意味で調正所の見解といえども、それは調正所の「私意」に過ぎない。研鑽を経て「公意」にまで高める努力を怠ってはならないのである。
しかし、日々動いている現実の活動体にあっては、何日もつづけて議論に明け暮れるわけにはいかない。そこで、「とりあえずこれでやってみて、その結果をまた研鑽しよう」と、一時保留を含む公意が成立することになる。だから、「公意」といっても絶対的なもの、永続的なものではなく、たえず振り返り、反省、検討を加えるべき対象である。
山岸さんは、公意に関して次のような発言を残している。
「公意そのものが、いい加減なものだとしてかからんと、危ない。……『まあまあ』で『せめて』というのが入るのやぜ」
公意は参加者全員の一致によってのみ成立するのである。しかし、その一致が雰囲気に押されたものであったり、多数に呑み込まれて成立するものであったりする場合もある。あるいは、単に反対でないというだけのものかもしれない。だから、山岸さんはこうも言っている。
「意見が違うならば、なおさら寄って話し合う。しかし同意見の時は、なおなお注意する。みんなの意見が一致した時は最も注意すると、こうなるのと違うやろか」
研鑽学校のパネルの最後には、「公(おおやけ)に生きる私の生き方」というテーマがあった。ここでいう「おおやけ」は、実顕地での思考・行動様式としての「公」というだけでなく、社会全体、世界全体を通じての「公」であって、人間の人間としてのあるべき生き方・あり方を意味するものと思われる。内山節氏の言う「今の時代に求められる公」とは、そういうものではないかと思った。
〈3月27日〉
咳も痰もだいぶ減り、睡眠時間が長くなった。回復に向かっている実感がある。
昨夜、「精霊の守り人」の第二回を見たが、まったくお粗末だった。原作を読んでいない人には、前後関係がよくわからないだろうし、読んでいる人にはすごく物足りない。それは、テレビがCGを駆使して映像化することで、かえって視聴者の空想力を制約してしまったからである。空想力の働かないファンタジーなど面白くもおかしくもない。綾瀬はるか演ずるバルサも、短槍を振り回しているだけで、原作の短槍の名手としてのバルサのすごさが少しも伝わってこない。ファンタジーの映像化には、原作者と同等以上の力量が必要なのかもしれない。あるいは、すっかり分解して、アニメ化するかだ。
昨日は「公」と「私」について考えたが、もう少し蛇足を加えるならば「公」と「私」は相互に移行したり転化したりするものだと考えられる。例えば、戦中の「滅私奉公」などという当時の公的スローガンは、今では一部ウルトラ右翼以外には見向きもされない。逆に敵対思想として摘発された個人主義が、公的思想として支持されている。
このように「公」と「私」は時代状況によって変わるものであるが、いかなる時代にも変わらぬものが「公(おおやけ)」という考え方・生き方ではないだろうか。磯田道史氏の『無私の日本人』を読んでいると、そんな感じがしてくる。
〈3月28日〉
咳、喉を含め体調はいい。
「公」と「私」を考える上でのもう一つのポイントに、多数決主義がある。戦後民主主義の浸透とともに、この多数決主義が正しいものとして広く認知されるようになった。この考え方は私たちの間にも深く入り込んで、どこか常識化している。しかし、ヤマギシでの公意は、全員一致であって多数決ではない。にもかかわらず、「みんなが賛成しているのに」とか「何で一人だけ反対するのか」といった多数決主義が無意識のうちに通用している。恐るべきことだ。数の論理は力の論理でもあることを忘れてはならないと思う。
造影剤検査のあと、栄養ジュース(150ml)と食道の薬が与えられたが、ジュースを飲んだとたんに胃がパンパンに張り、両目の間隔が狭まって目まいに似た症状になった。2時間ばかりダウン、ようやく4時過ぎに回復したが、夜のジュースでも同じ状態になった。2か月以上胃に何も入っていなかったので、胃が突然の侵入物に驚いたのかもしれない。
〈3月29日〉
今朝は体調良好。7時にジュースと薬を飲む。まだ多少の違和感はあるが、昨日のようなことはなくなった。
「私意尊重公意行」で考えておかねばならないもう一つのことは、私たちの間にある上下感(観)の問題である。私の場合、どうも小学校時代にこれをしっかりと植え付けられたらしい。軍国教育の下では、上下のケジメは特にやかましかった。敗戦後、自由だ、平等だと教えられても、心の底に染みこんだ上下感(観)はなくなりはしなかった。だから、参画してから後も、村の中枢部門(調正所、研鑽部、経営部等)にいる人の意見は正しいものと、予め決めてかかっていた。こうした予見の下で、どうして徹底的な研鑽ができるだろうか。
山岸さんは『ヤマギシズム社会の実態』の中で、こう書いている。
「私の言動や所説や、このヤマギシズム社会構想に対しても、……これを以て最上決定的なものと思い込まずに、又貴方の今持って居られるものと、一致しないから駄目ともしないで、相対者と、条理とを、切り離して考察される事が大切で、人物を通さずに、盲信しないで、厳正な批判の目で検討し、容赦なく叱正され度いです」
このように「相対者と条理とを切り離して」「人物を通さずに盲信しないで厳正な批判の目で検討」することが、研鑽の最も大切な要件であると述べている。
ところが、である。現実には、この研鑽の最も基本中の基本が歪められていた。誰によってかと言えば、自分たち自身によってなのである。そのさいの心理的要因に、上下感(観)が大きく作用していたのではないだろうか。
しかし、上下感(観)を無くすことは、尊敬の念を排除するものではない。村にも世間にも尊敬に足る人物はいる。ただ、尊敬することが、その人の意見を信ずることにつながってはならないということなのである。
〈3月30日〉
夜、多少咳は出るものの体調はいい。ジュースも薬も楽に飲めるようになった。食道の狭い部分が少し広がった感じがする。今週か来週、再び胃カメラの検査をするという。嫌だが仕方がない。
ところで私たちを捉えていた上下感(観)だが、それは村人を上位にあるものと下位にあるものとを二分するだけではなく、さまざまな階層的なヒエラルキーを成立させることにつながっていった。
例えば村の隠れた指導者であったSさんとその周辺にいた人たち(本庁調正所・研鑽部等)は正しく、各地実顕地の調正所は次に正しいといった暗黙の合意である。だから、90年代末には地方の実顕地内で解決すべき問題でも、すべて本庁に問い合わせるというおかしな構造が出来上がった。
この上下感(観)がヤマギシ会活動に適用されると、村人、会員、活用者という上下のヒエラルキーとなって表れる。村人が口にする「会員さん」という呼称の中には、会員をどこか一段下の存在として見る風潮があった。そのさいよく口にされた言葉が「資格」という言葉である。
80年代始めに、ようやく一般活用者が特講に参加し出したころ、Sさんが「やがて村人は実顕地にいるだけで、光り輝く存在になるだろう」と言ったという話を、間接的にではあるが聞いたことがある。事実、村が拡大に拡大を重ねていた当時は、多くの人がそんな気分になっていたのではないだろうか。やがて、特講→研学→全員参画の方針が打ち出され、村は新参画者であふれた。多くの会員が村人の「資格」を得ようとして参画したのである。
しかし人間は、村に移り住んだからといって急に中身が変わるわけではない。やがて脱会者が相次ぎ、財産返還訴訟も続出することになった。
2000年代に入って、私はこうした事件に振り回され、何を考えていいかわからぬ事態になったが、今考えるとこれがなければ自分自身を振り返ることも、実顕地のあり様を考え直すこともなかっただろうと思う。その意味で貴重な経験であった。
これから考えると、良いことが良いのではなく、悪いことも失敗したことも良いことなのだ。逃げ出さず、放り出さず、向き合いさえすれば。
〈3月31日〉
夜中も咳はほとんど出なくなった。ジュース、薬とも楽に飲めるようになった。多少のひっかかりはあるが。先生に聞くと、水やお茶は飲んで差支えないという。
上下感(観)を促すもう一つの要因に、秘密主義のヴェールがある。公開されないことによる秘匿の重みのようなものである。情報を知っているものと知らないものとの格差といっていいかもしれない。だいたい秘密というものには、それが何であれ、知りたい触れたいという、人の願望を誘う何かが含まれている。そして、それを知りうるものと知りえないものとの間には、大きな格差が生まれる。
オウムの麻原彰晃もそうであったが、教団が大きくなるにつれて、彼は取り巻きに囲まれ、次第に奥の院におさまり、そこから直近の部下を通じて指令を出すようになった。その方が麻原の神秘性とカリスマ性を高める効果があるからだ。そして失敗すれば、部下の失敗として事を納めることができる。
ヤマギシにも同じような秘密主義があった。それを言葉でいえば、村人として「知っておくべきこと」と「知る必要がないこと」という区分である。
「知る必要がないこと」を知っているのが、指導部門に携わる人たちである。もちろん専門部として一般に知らせる必要のない事柄はあるだろうが、それが極端になると知らしめないという特権に居座ることになる。また一時、専門部門間、あるいは試験場と一般の職場の間で「立ち入らない、立ち入らせない」という言葉が強調されたことがあった。ヤマギシズム学園では「学園は親たちの我執に染まらない無重力空間である」と、その運営に学園生の親たちが意見を言ったり介入したりすることを阻んでいた。
こうした秘密主義は、部門間の交流を阻み、村人同士の自由な交流や意見交換をやりにくくする。しかし、村人同士の自由な交流や活発な意見交換、つまり日常的な研鑽体制の確立なしには村の発展は期待できないのではないだろうか。