広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎野尻四郎さんのこと

〇野尻四郎さんが2019年4月26日お亡くなりました。
 はじめて野尻四郎さんとじっくり話をできたのは、30年ほど前の四国の日和佐実顕地に交流したときでした。それ以来、話を交わすことがありましたが、近年は年賀状だけの交流でした。
 最も親しくされていた一人である竹本広さんの「心の友が逝く」がFacebook4月26日に掲載されました。そこに次の言葉があります。
  
〈彼と会ってからいままで、人に引っ掛かる事を見た事が無い、人を責めることを見た事が無い、落ち込んで暗くなる姿を見た事が無い、本当にこころの底から明るい人だったと思う。
いつもいつも、こころの底の明るさが、私のこころを照らしてくれていた。彼の心の状態が、私の心の蓋を、いつも、ノックしていた。〉

 僕もこころの底から明るい人だったと思います。この弔文は野尻四郎さんを彷彿させる心温まる文章で、竹本さんとの深いつながりも感じました。
 今日竹本さんから贈られてきた、四郎さんが亡くなる前に知人に託していた『お礼状 2019・2・2』の文章は野尻さんの気持ちがしみじみ伝わってきます。 最後の文章が特に心に残りました。
〈私の人生は故郷で18年。ウロウロ各地で5~6年。ヤマギシで31年。鈴鹿で18年。
 72年の潮時を迎えたようです。人生の緞帳を降ろす時が来たのかな、と思っています。
 本当に長い間、皆さんのお世話になりながら、なんとか生きてきました。
 ありがとうございます。
 そして誰より昌子には、言葉に尽くせない、お礼のしようがない。
 本当に申し訳なく思っています。ありがとう。
 鈴鹿の皆さんと生きてきた喜びと、もうすぐやってくる桜の季節にほんの少しの未練を。
『散る桜 残る桜も 散る桜』 (私の好きな良寛禅師辞世の句)〉

 鈴鹿の皆さんというのは、まず、アズワンコミュニテイーの人たちですね。今各方面で注目されているアズワンコミュニテイーは野尻さんのような人たちで支えられ、その展開により野尻さんも支えられていたと思っています。
 そして奥様の昌子さんには、いつも支えられていましたね。
 野尻四郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

〇竹本さんの手紙から
 こんにちは、野尻四郎さんが末期ガンでしたが、4月26日昼ごろ亡くなりました。 亡くなる覚悟をしていたと思いますが、亡くなる前に知人に託していた文章をメールさせてもらいます。 野尻さんの気持ちが書いてあると思いました。 亡くなったら公表してとの文です。 

・「お礼状  2019・2・2」
鈴鹿に来たのは18年前の1月。
その前は神奈川県逗子にいたのですが、鈴鹿に来る日を一日千秋の思いで過ごしていました。
ところが、鈴鹿に来る直前に腎臓ガンが見つかりました。
しかし、思いはガンどころではなくそのまま鈴鹿にやってきました。

鈴鹿に来た正月明け、ガンの手術の前に、目的を同じくする仲間とともに1週間のミーティングをしました。
「お金のいらない楽しい村」を資料に、それぞれがこれからの社会を、自分を語り合いました。
希望と歓喜に輝き、思わずうれし涙がこみ上げてきた。
両隣に座る人に涙を気づかれまいと、奥歯をかみしめ我慢しましたが、涙はあふれ止めることができませんでした。
後にも先にも、こんなうれし涙は人生初めてのことでした。
それから皆さんの中で、あれやこれや、手を出し足を出し、18年。
鈴鹿に来た時も、中央病院5階西病棟。
今も、中央病院5階西病棟。
白く雪をいだいた鈴鹿の山を眺めながら寝ています。

私の人生は
故郷で18年。
ウロウロ各地で5~6年。
ヤマギシで31年。
鈴鹿で18年。

72年の潮時を迎えたようです。
人生の緞帳を降ろす時が来たのかな、と思っています。

本当に長い間、皆さんのお世話になりながら、なんとか生きてきました。
ありがとうございます。

そして誰より昌子には、言葉に尽くせない、お礼のしようがない。
本当に申し訳なく思っています。
ありがとう。

鈴鹿の皆さんと生きてきた喜びと、もうすぐやってくる桜の季節にほんの少しの未練を。

『散る桜 残る桜も 散る桜』 (私の好きな良寛禅師辞世の句)

※参照:各「コメント」から
・H・M: 私より2年先輩の四郎さん。ご冥福をお祈りします。人間の幸せとは!をずっと真剣に考えられた人だと思っています。
・M・F: 信じられない、早すぎる! 彼が逗子での住込み管理員をぼくとチェンジすることで鈴鹿に出発していった。それが互いの決定的な転機となっていったことをジワリと思う。ああ・・・
・K・H: [何しょんな、はははは]いつも、他の人が何かやらかすと、そう言って笑ってた四郎さん。それまで 谷岡さんと呼ばれてた私を和ちゃんとよんでくれたのが、ものすごく嬉しかったです。又、遠からず、お会いしましょう。ありがとうございました。
・K・W: 四郎さんの思い出は1回目のヤマギシを出るとき、部屋まで来てヤマギシで一緒にやろうや〜って言って貰い何かにつけて声をかけて貰いましたね。それから鈴鹿で再会、鈴鹿で一緒に家探しして貰いましたね。私達が決めた家も見て。早かったよ〜野尻さん。ご冥福をお祈りします。
・T・B: 私がGを、離れて、税金に困って居たとき、連絡くださった優しい方でしたー|ーありがとうございました