広場・ヤマギシズム

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矢野智司本かじり歩き(1)感動体験の意味 

※ブログでは『福井正之記録集1』からヤマギシの実顕地の課題について考えていくつもりですが、同時に、福井さんの論考を掲載していきたいと思います。
しばらく2014年頃述べている「矢野智司本かじり歩き(1)~(5)を紹介します。

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○矢野智司本かじり歩き(1)感動体験の意味「贈与と交換の教育学」より 
はじめに
私はこのところずっと矢野智司の「贈与と交換の教育学」という著述に付き合っていた。付き合って、というのも教育専門書としてとても一読では読解不能な部分もあり、それでもたしかに私の関心を刺激する多くの共鳴を感じたからである。

これまで乙武氏の「自己肯定感」と付き合ってきて、ヤマギシ学園での<個別研>や<親子分離>問題について多くの示唆を与えられた。矢野氏の問題意識はそれとは質的に異なってはいるが、私が過去において気にはなったが見過ごしてきた課題、すなわち<ヤマギシ学育>とは教育学全体の中でどのような位置に包摂されるのかについて、あらためてもっと大きな視点から見直し可能な理論的な枠組みを提供されたように思えた。

それも当然かもしれない。<ヤマギシ学育>とはおそらく既成の教育学からすれば継子的存在であり、あのようないわば不祥事がなくとも正当に評価されることはなかったと思う。
矢野氏が「(現代の制限された教育経験の限界を乗り超えるには)あらためて、思考実験として人間学的な想像力を駆使して、『教育の起源』から問い直すことが必要である」というわけであるから、「学育」「実学」等の体験部分を根幹とする教育世界に関わってきた私などの問題意識も、どこかで引っかかってくるにちがいない。

そこで私のような学についての俗人・素人が、このような壮大な体系の一端なりとも参入しうるために、私にとって解りやすく、かつ興味の引いた部分から齧っていくしかない。まるでネズミのようなものである。そこでこの書の体系に基づく順序に必ずしも沿わず、まずあちこち齧り歩いてみるところから始める。

*感動体験の意味

この書のメインである「贈与」とか「交換」とかいうややこしそうな用語は後回しとして、まず私なりに「感動体験」というところから入る。なぜなら<感動体験>というのは、教育学上のみならず人間性および人生形成において大きなテーマであるとは、ずっとどこかで思ってきた。
ただ学校の授業ないし教育の一環としてよりは、いわばその外での個々の体験として感じられてきたことが圧倒的に多い。そこで、この書でもそうだが宮沢賢治童話や子どもの遊び等の検討から入っている。

この書では必ずしも「感動体験」という呼称で取り上げているわけではないが、明らかに随所に「感動とは何か」について語っているように思える。その点矢野氏の以下の詩についての解説が、私には最も簡明で解りやすかった。これはスポーツ詩というのか、小学校教育関連というのか、おそらくよく知られた詩だろう。

鉄棒
僕は地平線に飛びつく
僅に指さきが引っかかった僕は
世界にぶら下った
筋肉だけが僕の頼みだ
僕は赤くなる
僕は収縮する
足が上ってゆく
おお 僕は何処へ行く
大きく世界が一回転して
僕が上になる
高くからの俯瞰
ああ 両肩に柔軟な雲
(村野四郎、1939年)

 私の目を引いたのはまず「世界」という言葉、ついで「地平線」。
「鉄棒」というのはタイトルだけである。いいかえればこの主人公が感じていたのは鉄棒という物体のことではなく、おそらく初めて体験する未知の「世界」、さらのその「地平線」というしかないものだった。だからそれに「飛びつき」「ぶら下がる」。したがってそれはとてもスリルに満ちた「おお」「何処へ行く」という感覚だった。

そして「大きく世界が一回転して/僕が上になる」。小生はもう何十年も鉄棒に乗っていないが、あの子どもの頃の体験をまざまざと思い出す。そして上からの眺めと肩に感ずる雲によって「世界」に溶ける、あるいは一体化したと感じる。おそらくそれが感動というもののすべて、その本質的属性だろうと思う。

この詩を矢野氏は、教育における「体験」と「経験」の次元を腑分けしながら、前者を「生成としての教育」、後者を「発達としての教育」と整理する。
この詩に限らず氏はあらゆる教育素材を使ってこの2側面の峻別に照明を当てる。日本の教育はずっと後者が中心だったというのが、氏の基本的な視座である。彼の専門用語を駆使しながらの詳細な解説もあるが、ここはあえて私なりの説明を加えた。

いうまでもなくこの詩は、「生成としての教育」の優れた表現事例として取り上げている。なぜ優れているか(詩作品評価とは一応区別)といえば、こういう感動体験というものは自分自身が世界と溶解してしまうから「おお」とか「ああ」としか言いえない。したがって言葉にならないものを「言い当てる」という意味であろう。

こういう感動はスポーツに限らず、遊びや、自然探索や、芸術作品の鑑賞等、文字通り自己を対象「世界」に没入させる体験を通してもたらされる。
これらを矢野氏は「生成としての教育」の根幹に置く。氏のそのような試みがどういうものに結実するのか、以下の展開で探っていきたいが、それを考えるといささか高揚する。

それは、これまで取り上げてきた自己肯定感のテーマがしばしば方法論に傾き、元気づけ自信持たせの<良いとこ探し>になりがちだという問題と関わる。
しかしこのような子どもらの感動体験の積み重ねは、子どもら自らの自己肯定感をおそらく根拠ある内からの価値として深く意識させることになるのではなかろうか。

身近な死に人はなぜ涙するのか?
 以上は矢野氏に触発されながらも私自身の問題意識に即して書いたものである。ところで矢野氏自身の表現ではどうなるか? 「遊び」についての記述を引用する。

「私たちは深く体験することによって、自分を超えた生命と出会い、有用性の秩序を作る人間関係とは別のところで、自己自身を価値あるものと感じることができるようになる。未来のためでなく、この現在に生きていることがどのようなことであるかを深く感じるようになる。このことが一番理解しやすい例は遊びであろう。遊びこそ、有用な活動にあてるべきエネルギーと時間とを、非生産的な事柄に惜しげもなく蕩尽することによって溶解の体験を生みだし、世界との連続性を取り戻す体験である。」

ここで登場する「自分を超えた生命」「有用性の秩序」「世界との連続性」等の用語によって、感動体験の持つ意味がもっと整理され、深められていると思う。この「生命」とか「世界」とかは不可視、無現象ではあるが、体験者にとってはこの「現在」において確実に存在する(した)何かである。
氏のこの思考、論理は「生成としての教育」の根幹ではあるが、この考え方はこと<子ども><教育>問題の範囲に止まってはいない。人間が<体験>するすべての分野に及ぶだろう。

私自身の問題意識を狭めないためにも、ここで唐突かもしれないが矢野氏の「死」についての考察を紹介する。「死」こそ、まさに誰もが不可避的にぶつかる体験である。しかも普通に言う<感動>の喜び方向とは対極の悲しみ方向になるが、心揺るがされる体験であることにはかわりがない。

「最も強度な脱自と恍惚の瞬間をもたらす体験とは死であろう。いうまでもなく、死は誰も経験することはできない。できるのは他者の死にすぎない。しかし、たとえそれが他者の死であっても、死んでいく存在と同一化するとき、私たちはその不可能性=外部に触れることになる。模擬的なものであるにもかかわらず、その他者の死を通して私たちは非―知(non-savoir)の体験をする。死の避けがたさという観念をもっていても、またそれが他人の死であっても、死という日常の営みではありえない不可能な出来事(奇跡)として体験するからこそ、私たちは我を失い泣くのである。そのとき、私たちは世界との境界線を失い、世界との連続性を体験する。死の体験とはこの連続性の体験である。意識が裂け自己が自己でなくなるとともに、この世界が世界でなくなる体験である。しかし、連続性は私たちの存在の源郷であり、私たちはこの連続性へと立ち返ることを求めているのだ。」

 身近な死に人はなぜ涙するのか? この問いに対する答えは「悲しいから」「切ないから」と言うしかない。しかしここではさらにその先の領域があることが明示される。すなわちこの太字(福井付)の用語を駆使しての考察は、先述の遊びの考察と同様、ないしそれ以上の「世界」の深みと広がりを感じる。

このような場面は私にも何度かあったと思い返されるが、もっとも鮮明なのは60年も前の幼い妹の死だった。その時棺桶が小さくて葬儀屋が蓋で上から押さえつけるという不作法も含めていっそう凄絶、鮮明な記憶として残る。その時私たち家族は明らかに「未知の外部」に触れ、その「世界」に引き込まれ、「自己を失って」さめざめと泣いたのである。

そして今に至っても私は時折、その世界から呼びこまれ、解答不能な問いをささやかれるのである。
そしてその答えにならない答えの一端が私の人生コースの痕跡の一つとどこかでつながってきたと思う。さらに最近、98歳でほぼ確実に直近の死を前にした母との交流は、その感を深くする。
(2014・4・19)