広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎「心あらば愛児に楽園を」

〇「心あらば愛児に楽園を」は『ヤマギシズム社会の実態』(通称「実践の書」・青本)にある言葉で、その書は山岸巳代蔵の代表的な著作で、参画者にとって、ヤマギシ会に深く関わって人にとって、もっとも馴染みのある本だと思う。

 本書は、養鶏をはじめ実際家としての生業から見つけ出した、山岸の考える理想社会(ヤマギシズム社会)の構想やその実現方法を、包括的に、具体的に、初めて正面から発表したものである。極めて短時間のうちに綴られた未完成のものであるが、青年期に構想しその後再検討を加えてきたものが端的に提案されている。

 また、ヤマギシ会の入り口である「山岸会特別講習研鑽会」(特講)の唯一のテキスト・研鑽資料として使用され、今もなお「ヤマギシズム特別講習研鑽会」において使用されている。

『ヤマギシズム社会の実態』は、「解説ヤマギシズム社会の実態(一)」、「知的革命私案(一)」、「知的革命の端緒・一卵革命を提唱す」の三論文からなる。
 その三番目の最後の論考として「二 本旨 心あらば愛児に楽園を」がある。

〈「二 本旨 心あらば愛児に楽園を」
1 源泉の涵養
 いま日本は精神的に物質的にまことに乏しいです。
 この日本を最も豊かにするものは、人間の持つ知能であり、一人の知恵は世界一の日本にするかも知れませんし、決して奇蹟でも僥倖でもありません。その知恵は何処にあるか、何処かにあっても引き出すことが出来ずじまいになるかも知れません。(中略)

 その構想計画のうちには、重要にして一日たりとも忽せになし得ないもののみではあるが、私は国民全般の福利を普遍的に増進する、今日の重要施策と同時に、今一つ、今ただちに着手しなければならぬ、基本的重大方策があることを強調したいのです。
 今日の問題に忙殺されている中にも、明日の破綻防ぎ、光彩輝く将来を画策・施工しておくことで、今日は苦しくとも、むしろそれに総てを賭ける方が、賢明だと信じています。私は、今日はどうにか生きて働けてさえあれば辛抱し、今日に於て明日のために勉学し、十年後のために果樹の種を下して肥培し、百年、千年後のために植樹を行い、道路・水路の整備を強行し、明日・次代の児孫の豊かさを念うものです。

 自己の延長である愛児に楽園を贈ることは、間違いのない真理であり、自分に尽す結果になり、今日自己一代の栄華や、自己の子孫のみのために囲いの中に営み貯える、いつ侵され崩れるか図られぬ不安全さを思えば、ひとと共に力を合わせて行い、みな血の繋がる人間同属の児孫の幸福のために、致すことが真実です。〉

 この文章が、一週間の特講の最後の方で読むことになる。
 特講で一週間通して時間をかけてとことん考える、自分一人でも考えるし、他者とも一緒に考える。男女性別・年齢・育ちの異なる人々と、徹底的に話し合う体験を通して、様々な人々が密室的なそれでいて親密な空間で寝食をともにし、一週間何でも出し合える気風の中で、徹底的に話し合いを続けていくと、係りも含めて参加者同士の一体感が深まっていき、自他の隔たりが薄れていく。

 ものの見方・考え方が、従来は自覚のないままキメつけた判断で見ていたことが、はたしてそうなのか、本当はどうなのかというように、物事を根底から検べる「けんさん」及び「幸福研鑽会」の楽しさ、厳しさ、大事さを味わうことになる。

 それと共に、独特なテキストの本意が親身に入ってくるようになり、「心あらば愛児に楽園を」にインパクトを覚える。

 むろん、特講の進め方やテーマなどは、開催時期によって違ってくるが、その目的や全体の枠組は一貫して同じ質のものが流れていると思われる。
 また、その捉え方は一人一人違うものだと思う。
 ここでは、特講、研鑽学校などの研修部門に携わった私の体験から述べてみた。

 こうして、ヤマギシ会の趣旨「われ、ひとと共に繁栄せん」に共鳴した山岸会会員となる人も多かったと思う。

 私の推測になるが、「心あらば愛児に楽園を」が新島淳良氏による幸福学園構想につながり、そこからヤマギシズム学園が生まれたと思っている。
(※ヤマギシズム学園は、初期の構想とは甚だ違った展開をすることになるが、ここでは触れない。)


 参照:鶴見俊輔「ヤマギシカイとヤマギシズムについて」(一九九五年一一月)
 私はヤマギシカイの本部に行って、七日間のけんさん(「特講」 のこと)を受けた。
 テキストがわたされ、それをめぐって、自分の考えるところをただいってゆくうちに、はなしはぐるぐるめぐるという、めずらしい形のあつまりだった。人間は自分の底に、他の人と一緒に助けあって生きてゆこうという気組みをもっている(それは私の中にもある)。それをどうあらわしてゆくか、そのうちに、どこかで道からそれてしまうのだ。スターリンにしても、なみはずれた体力にまかせて、家庭で皿をあらい、掃除をすることを日課とし、その上でスターリン言語学の論文を書くようにしたら、彼の持つ天分を、圧制にふりむけることなしに、共産主義の成就のためにつくすことができただろう。言語によって命令することに終始すると、無害な活動に終らない。とざされた大学をつくるのも、圧制の準備になる。
ヤマギシカイにおいては、その可能性はどのようにふせがれているのか。

 ヤマギシカイについて知ってから四十年、その会員とつきあいをもつようになってから三十年以上もたっており、その間、二度、ヤマギシカイの本部に行った。とにかくつづいているというのが事実であり、何よりも、この事実が重い。

 ソ連という共産主義国家はレーニンという最初の指導者がつくり、その国家はスターリンの独裁のもとにおかれた。ヤマギシカイは、これをはじめた山岸巳代蔵がなくなってからすでに一世代をへた。その間に何度も、中央の管理を受け持つ人の交替があった。これまでのところ権力者の固定をふせぎ得たことは、ひとつの達成である。同時にけんさんという集団会話の入り口を示すテキスト以外に、一つの固定したテキストをもたず、このテキストで対話をはじめると、相手の言うことをよくきく、怒りのトゲをぬいてきくということをとおして、七日間の対話をともにできる。この方式が、とざされた体系をつくることからかろうじて、この集団を今もまもっている。その中心には、山岸巳代蔵が戦争中自分の内部にかくしていた「ダレノモノデモナイ」という理念が生きている。

 シャカムニがあらわれる前に、無数のブッダが世界にはいた。
 おなじように、山岸巳代蔵の前にはいくつもの村があり、その村にはヤマギシズムと相通ずる理想があった。それをうけついでヤマギシズムがあらわれたのであろう。村を、欧米の近代文明よりもおくれたものとしてとらえる明治以降の日本にも、この理想はなじまないし、米国による敗戦と占領以後の日本にも、この理想はなじまない。しかし、原爆をつくって脅迫する国家制度をうけいれ発展する近代に対して、どのように対してゆくかの根拠地をここに求めるためには、山岸巳代蔵の戦中の理念をうけつぐことが、今も大切であるように私には思える。
(『山岸巳代蔵全集 第二巻』所収)