広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎『わくらばの記』に触れて

※吉田光男さんの『わくらばの記』『病床妄語』は私の関心事と重なることも多々あり、随時その日録から抜粋し、そのことで思った私の雑感を載せていこうと思っている。(2016年9月記録を改訂)

〇個々の主体意識と実顕地の暮らし

「病床妄語(1):入院していると夜中によく目が覚める。特に明け方に目が覚めると、もう 寝つくのは難しい。そして頭の中をさまざまな妄念がうごめき回る。その妄念の一つをつかまえて、翌日のノートに書きつける。すると翌日には次の妄念が浮かんでしばらく消えることがない。そしてそれをまた書きつける。前日の続きのこともあれば、全く違うこともある。この記録は、そうした妄念の記録であり、「わくらばの記」の一つとして特に「病床妄語」と名づけた。」

「病床妄語」〈2016年1月29日〉

『1★9★3★7』の中で、辺見庸氏は、堀田善衛の『時間』を引用しながら、南京虐殺の死者について、死者の数が問題なのではなく、一人ひとりの死が問題なのだ、と強調している。一人ひとりの死が、10万なり20万なりに達したのであって、一人の死は10万分の1、20万分の1のものではありえない、と。死者の一人ひとりには、その人だけの人生があり、物語があるのだ。

 私たちはよく数、数量を問題にする。しかし、一人ひとりの死は、そしてその人生は決して数に還元することはできない。

 それに関連するかどうか、村(ヤマギシズム実顕地)の暮らしの中でよく「みんな」という言葉が使われる。
「みんながやるからできます」というテーマとか、「みんなの力を一つにして」とか。
しかし、「みんながするからそうする」という生き方は、本当に主体的な生き方なのだろうか。この考え方は、もしかしたら自分を放擲して付和雷同、ロボット的な生き方に転落することではないか。「お手てつないでみんな一緒」というのは、一体の生き方と同じなのだろか。

 10年ほど前に、村人の一人と話をしていて、何回かこんなやりとりがあった。
「みんなそれが良いって言ってるぜ」
「みんなって誰や?」
「みんなってみんなよ」
 そのうちに、自分だけがみんなから外れているような気分になって、黙ってしまった。しかしこの「みんな」という言葉は曲者である。うかうかすると、自分も他もごまかされてしまう。

 山岸(巳代蔵)さんは、こうした「みんな」の寄る一体を「便宜一体」と言い、「便宜一体」は何かあればすぐ崩れる、とも言っている。

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「みんな」ということばに関連して、「私たち」ということばについて考えてみる。少し意識して私(たち)とすることもあるが。その意味するところをあまり考えずに安易に使っているかもしれない。

 ことばは大まかに抽象化する働きがあるので、繊細さを求める文芸作品はともかく、その使い方について文脈を離れて事細かくとりあげることもないと思うが、私はこう思っている、このように見ているといえばいいことを、自己の主張をより正当化するように意識的に使っている場合や、他の人も「そう思え」というような恣意性を感じることもあり、気をつけていきたい。

 厳密にいえば、〈私たち〉という複数形は、一人ひとりの全く異質な〈私〉の異質性の省略、簡略のもとで、おそらく他の人もそのように思っているのではないかと想定したうえで成り立つことばではないだろうか。

「われわれは」、「実顕地は」、「日本人は」などではじまる表現でも、同じようなことはいえるのと思う。いずれにしても「今の段階で私はそう考える」との自覚が基本となるだろう。

 

 先日のブログでも触れたが、現在の私は、自己にとって他者は根源的に置き換え不可能な存在であり、根本的に異質な存在であるという見方をしている。

 他者のことはどこまでも一面的にしか知りえない関係で、その知りえたと思っていることも、あくまでも自分にはそのように見えたということにすぎない。

 そのようなお互いの違いを受け入れ、共通するところや歩み寄れるところを見出しながら関係を構築していくのだろう。

 一つの例として、私と妻が夫婦になって25年になる。今はほどほどの安心感と信頼感のもとに、この先も共に手を携えていくだろうと思っているが、どこまでも異質な人としてみている。

 生まれも育ちもかなり違うお互いが、別々の駅で同じ列車に乗り合わせ、偶然的に意気を感じ夫婦になり家族をつくったが、やがて別々のプラットホームで分かれていく。

 思い方、感じ方など一見同じように見えることも、仔細にみると違っていて、極端に違っていることもある。
 そこに違和感を覚えたり、ムッとしたり、アッレと思うこともあるが、そこに面白さを感じることもある。

 Yさんの日録に取り上げている「みんな」については、その人の主体性が全く感じられず、Yさんの違和感も当然だと思う。
 この事例や私の体験から、その頃の実顕地について、一人ひとりの主体意識の欠如、喪失という視点から、その内実をみていくこともできるような気がする。

※広辞苑などの辞書でみると、次のようになっている。
「主体」:自覚や意志に基づいて行動したり作用を他に及ぼしたりするもの。
「主体性」:自分の意志・判断で行動しようとする態度。
「主体的」:ある活動や思考などをなす時、その主体となって働きかけるさま。他のものによって導かれるのでなく、自己の純粋な立場において行うさま。

 ヤマギシズム生活の理念に共鳴して、それぞれの主体性をもって参画した人たちだが、そこでの暮らしを通して、自己の主体性にもとづいた意志や判断よりも、組織の方向性に導かれ、影響されていた人も少なからずいたのではないだろうか。

 特にヤマギシズム実顕地は、かってない社会の標榜のもとで、独特の言葉遣い(理念)、対話形式(研鑽)、生活様式(提案と調正)、運営方法(任しあい)などが独特のものであり、それに慣れるにしたがって、自己の主体性にもとづいた思考方法というよりも、組織の志向性にあうような感性、考え方にそまっていく面もあっただろう。

 そこから、Yさんの事例にあるような、「研鑽会で決まった」「みんながそういっている」「村ではこうしてきた」のような表現がうまれる。

 

 自己についての自己とともに社会に対する自己という面があるので、ある程度周りの状況にあわせていくことはあるだろうが、実顕地のような特殊な運営方式と生活形態で構成された集団では、よほどの自覚がないと、組織に対する自己と自己にとっての自己が混然としてくる。

 あわせ方は一人ひとり異なっているが、疑いの目を挟まず短絡的に組織の掲げる方針にあわせて、あるいは組織がもつ気風の「いきほひ」(次々と賛同者、参画者が増えていくこともあいまって)に押されて、だんだんと組織べったりの人間になっていく人もいただろう。
 だが、その頃の実顕地がどうあろうとも、自己の主体性をないがしろにしたのは、自分自身だと思う。

 どこまでも主体的であろうとしていた人たちもいただろうが、だんだん息苦しくなってきて、そこから離れたり、Yさんのように違和感を覚えつつ向き合い続けていたりしているひともいるが。

 私のことを振り返ると、自分特有の見方や感じ方を、主体性をもって表現する場合でも、どこかで実顕地ではこのように考えている、このような方針であるのではないかなどの声に、多かれ少なかれ左右されるものがあったと思う。

 さらに問題になるのは、自らの主体性とは関係なく親の意向で村に来た子ども達、学園生たちに対して、一人ひとりの主体性を豊かに育むことの重要な時期に、それぞれの主体性をそぎ落とし、実顕地の方針(中心になって進めている人たちの方針)に相応しい人へと無理強いをしていたことが、徐々に明らかになってきつつある。