広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎吉田光男『わくらばの記』(16)

わくらばの記 ごまめの戯言⑧

 〈12月×日〉

「世界一貧乏な大統領」として有名なウルグァイの前大統領ホセ・ムヒカ氏は、来日した際、自ら希望して学生を対象とする講演を行った。その講演で、氏はこう語った。

「みなさんは物を買うとき、それをお金で買っていると思うでしょうが、実はお金を稼ぐために費やした時間で買っているのです。ここを勘違いしてはいけない。人生の時間を大切にしてほしいものです」

 やたらと消費を煽る今の風潮の中で、この発言には意味深いものがある。政府も財界も、マスコミも世論も、GDPの6割以上を占める消費こそが経済成長の根幹であり、消費を伸ばしてこそ豊かになれるのだと主張している。ここには、消費が人のためにあるのではなく、消費のために人が存在しているかのような倒錯がある。テレビをつければ食べる話や観光の案内ばかり。お笑いタレントから女子アナまで、大口を開けてご馳走をほおばり、中には早食い競争で死ぬ人間まで出てくる。アフリカや中近東ばかりでなく、この日本の足元にもその日の食事に事欠く人たちがいるというのに、全く恥ずかしい話だ。

 ムヒカさんの話を聞いて、最初に思い浮かべたのは、ミヒャエル・エンデの『モモ』の物語である。ここに登場する時間泥棒の灰色人間は、便利・スピード・物的豊かさと引き換えに、人々の生活から時間を奪っていく。物があふれ、何事も早く便利になるにつれて、人はますます時間に追われて忙しくなり、心はぎすぎすして他を顧みることがなくなり、孤独になっていく。これはまさに今の消費社会そのものではないか。

 真の豊かさというのは、心の豊かさを意味し、心の豊かさの続く人生を豊かな人生、幸福な人生というのであれば、現代はそれに逆行している。物を持てば持つほど不足感が増し、食べれば食べるほどもっと美味しいものを食べたくなり、今以上の情報を得るためにスマホを片時も手放すことができない。こうしてどっと観光地に押しかけ、化粧にうつつを抜かし、ポケモンGOのモンスター集めに押しかける。これのどこが豊かなのだろうか。こうした消費を煽りながら、政府はさらにIR法案とかいう総合リゾート施設と称する賭場を作ろうとしている。博打の場貸しが儲かることは昔からの常識であり、それが射幸心を煽るということで長らく禁止されてきた(実際はパチンコや競馬等の博打は公認されているが)。非公認のギャンブルに手を出したスポーツ選手は、オリンピック出場から締め出されたが、今度は国家がそれを公認するというのだ。

 話が横道にそれた。私がテーマにしたいのは、ムヒカさんの言う時間の問題であり、時間とはいったい何かということである。この問題は、昔から哲学者や物理学者がテーマにしてきたことで、難しいことはわからないが、私は単純に時間は二種類あると考えている。一つは、地球の自転と公転によって刻まれる時々刻々の変化を表したもので、カレンダーや時計によって表現できる。もう一つは、人の心を流れる時間で、この方は時計では測ることができない。たとえば、叱られたときや失敗したときなどに、僅か数分がものすごく長く感じられたり、楽しい1時間が一瞬の出来事のように感じられたりする、そうした心の時間である。一方は、外的・物理的時間と言えるのに対して、もう一方は内的・心的時間ということができるだろう。人間はこの二つの時間の中に生きている。もう一つ付け加えれば、空間にも外的・物理空間と内的・心理空間があり、人間はこの二つの時空の中を生きているのであるが、今は主に時間について考えてみたい。

 と、ここまで書いてきて、その先がさっぱり書けなくなった。というのも、私は別に哲学的な時間論を展開するつもりはないし、第一私の貧弱な知識でそんな大それたことができる筈がない。もっと身の丈に合った形で時間について考えてみたいのだ。要するに、幸福とは心を流れる時間が充実している状態を指すのではないか、ということである。では、充実した時間とはどのようなものなのだろうか。

 

〈12月×日〉

 エンデの『モモ』に、こういう話が出てくる。ある日、モモが住家にしている廃墟の石段に、等身大のきれいな人形が置かれている。誰が忘れたんだろうとモモが触ってみると、人形が「こんにちは。あたしはビビガール、完全無欠なお人形です」と喋り出す。モモはぎょっとしてとびすさり、思わず「こんにちは。あたしはモモよ」と答える。するとまた人形は「あたしはあなたのものよ。あたしを持っていると、みんながあなたをうらやましがるわ」と言い、「あたし、もっといろいろなものがほしいわ」と続けるのである。

 実は、この人形は灰色人間がモモを誘惑するために置いたもので、モモから時間を奪い取るために仕掛けた罠であった。この人形と遊ぼうとモモはいろいろ試みるが、いつも同じ言葉を同じ順序でしか喋らないビビガールに、モモはどうしていいかわからなくなる。

「しばらくすると、モモはいままでにいちども感じたことのなかったような気持ちにとらわれました。生まれてはじめての気持ちだったもので、それがたいくつさだとわかるまでには、だいぶ時間がかかりました」

 いつものモモだったら、人形と会話しながら、自分の中にたくさんの物語を作り、その豊かな世界に遊ぶことができたはずである。しかし、なまじ人形が喋り、次々と着せ替えや持ち物を要求するために、想像力の働く余地を奪われてしまったのだ。しかしモモは、灰色人間の誘惑に負けなかった。かれらの取り出したたくさんの着せ替えや持ち物を受け取らず、心の世界を守ることができた。

 この本が日本で翻訳されて40年になるが、私たちの暮らし振りはどうなっているだろうか。みんなますます忙しくなり、心がギスギスして落ち着かなくなり、その暮らしは40年前よりもっとひどくなっているのではないだろうか。何事も早く、大量に、便利に、と求められ、スマホが手放せなくなり、SNSなどのアプリを見ていないと不安になる強迫神経症に陥る人が、大人から子どもまで増加している。また聖地巡礼などと言って、人と同じことをすることで僅かに心の安らぎを得るが、人ごみの中にいても孤独に苛まれることから逃れることができない。これはどうしたことなのだろう。

 私は、便利であることを否定したいわけではない。ただ、便利さによって何か大事なものが失われている現実があるのではないか、と思うのだ。もしかしたら、これは現代の灰色人間の仕掛けた罠かもしれない。そしてこの罠があまりにも巧妙に仕掛けられているために、私たちは知らず知らずのうちにそれが罠だとも不自然だとも思わなくなってしまっている。こうして私たちの心から考える力が失われ、現象に振り回される生き方しかできなくなってきているのではないか。

 

〈12月×日〉

 灰谷健次郎氏の編んだ子どもの詩集『せんせいけらいになれ』に、「チューインガム一つ」という詩が載っている。小学3年生の村井安子さんの作品だ。

    せんせい おこらんとって

    せんせい おこらんとってね

    わたし ものすごくわるいことした

    

    わたし おみせやさんの

    チューインガムとってん

    一年生の子とふたりで

    チューインガムとってしもてん

    すぐ みつかってしもた

    きっと かみさんが

    おばさんにしらせたんや

    わたし ものもいわれへん

    からだが おもちゃみたいに

    カタカタふるえるねん

    わたしが一年生の子に

    「とり」いうてん

    一年生の子が

    「あんたもとり」いうたけど

    わたしはみつかったらいややから

    いややいうた

 

    一年生の子がとった

 

    でも わたしがわるい

    その子の百ばいも千ばいもわるい

    わるい

    わるい

    わるい

    わたしがわるい 

    おかあちゃんに

    みつからへんとおもとったのに

    やっぱり すぐ みつかった

    あんなにこわいおかあちゃんのかお

    見たことない

    あんなかなしそうなおかあちゃんのかお見たことない

    しぬくらいたたかれて

    「こんな子 うちの子とちがう 出ていき」

    おかあちゃんはなきながら

    そないうねん

 

    わたし ひとりで出ていってん

    いつもいくこうえんにいったら

    よその国へいったみたいな気がしたよ せんせい

    どこかへ いってしまお とおもた

    でも なんぼあるいても

    どこへもいくとこあらへん

    なんぼ かんがえても

    あしばっかりふるえて

    なんにも かんがえられへん

    おそうに うちへかえって

    さかなみたいにおかあちゃんにあやまってん

    けど おかあちゃんは

    わたしのかお見て ないてばかりいる

    わたしは どうして

    あんなわるいことしてんやろ

    もう二日もたっているのに 

    おかあちゃんは

    まだ さみしそうにないている

    せんせい どないしよう 

 

 この詩は、灰谷さんがまだ教師であった頃の教え子たちの作品の一つで、30年ほど前の初版本で読んだ。そこにはこの詩が誕生するまでの過程が語られていた。おぼろげな記憶をたどると、そこにはこのように書かれていたように思う。本はもう手元にはないので、近くの図書館で灰谷さんの全集から詩を写しとったが、そこには作品誕生のいきさつは書かれていなかった。記憶違いがあるかもしれないが、大筋は違っていないと思う。

「安子ちゃんは母親と一緒に来て、経過を話した後、もう悪いことはしません、と話していた。公式的な謝罪で、これでは子どもの心は変わらないのではないかと思い、残って作文を書いてもらうことにした。最初のうちは表面的な謝罪の言葉だけだった。私は『本当のことを書こうね』とそれだけを言って黙って待っていた。何時間かして、涙ながらに書き上げた詩がこれだ」

 私が初めてこの詩を読んだとき、子どもの心の深さに思わず涙がにじみ出て仕方がなかった。安子ちゃんはどれほど苦しかったろう、悲しかったろう、辛かったろう、だけど自分の心の底をしっかりと見据えることができて、本当によかったね、と言いたくなった。この苦しみの時間、悲しみの時間は、決して時計で測ることのできる時間ではない。なぜならそれは心を流れる時間であり、また心の空間に広がる心象の世界でもあるからだ。「いつもいくこうえんにいったら よその国へいったみたいな気がしたよ」。本当にそうだったろうな、と思う。

 盗みが悪いことは、誰でも知っている。盗んだ本人だってよく知っている。それを「悪いことをしました。もう致しません」と反省の言葉を並べるだけでは何も変わらない。本人が自分の心の底を見つめ、そこに自分の本当の姿を見い出す以外に変わるきっかけはつかめない。

 今回、この詩をもう一度読み直してみて、安子ちゃんが変わるためには、そこに灰谷健次郎という若い教師の存在が不可欠であったことを強く感じた。「本当のことを書こうね」という一言以外に何もしゃべらず、じっと待ち続けられる教師の存在なしに、この詩は絶対に生まれることはなかったはずである。とすれば、この詩は、灰谷さんと安子ちゃんの二人の心の時間が織りなした共同の風景であり、共同の作品だということができる。

 これを書きながら、もう一つの作品についても思い当たることが出てきたが、それは明日考えることにする。

 

〈12月×日〉

「チューインガム一つ」の詩を書き写しながら思い出したのは、大道寺将司氏の句集である。句集は、4年前の2012年に『棺一基』の書名で出版された。そこにこういう句が載っていた。    

    先行きのあてどは読めず蜷の道 

 2000年問題以来、自分の先行きもヤマギシの先行きも見えない状態の中で、この句には私の心を捉えるものがあった。さっそく買ってきて読み出した。

 大道寺将司氏は、「東アジア反日武装戦線‟狼”」のメンバーとして、1974年、丸の内の三菱重工業爆破で8名の死者と百数十名の負傷者を出して逮捕され、死刑判決を受けた。実は、大道寺氏たちには、三菱重工爆破の直前にそれよりはるかに重大な計画があった。それは天皇のお召列車を荒川橋上で爆破する計画であった。「日本による侵略と植民地支配の加害責任を、戦後の今も天皇は果たしていない」との論理で、この〈虹作戦〉と名づけられた計画が立てられ、実施寸前までいく。1974年8月13日未明、大道寺たちは導火線方式の爆弾用電線9巻900メートルを現場に敷設し終える。そして最後の爆弾を接続する段階で、複数の「正体不明者」に見られていることがわかり作戦を中止するのだが、もしこの作戦が実行されていたならば、戦後の歴史に大きな変化をもたらしたことだろう。

 逮捕・死刑判決後、その時の状況を思い浮かべながら詠んだ句が、次のものである。

    大逆の鉄橋上や梅雨に入る

    時として思ひの滾る寒茜

 子ども時代の大道寺氏は、正義感にあふれる心優しい少年であったという。その心優しい正義感が一つのイデオロギーと結びつくとき、それはテロルへと一直線に走り出してしまい、一般庶民多数の死傷者を出す惨事を引き起こしてしまった。そして死刑判決を受け、東京拘置所に拘置されるに及んで、自分の為したことを振り返り、心の風景を見つめる果てしない苦しみの時間を持つこととなった。こうして氏は、俳句の中に自分の今の姿を映し出し、それをさらに見つめ直す作業の中に今を生きている。    

    還らざる人の影立つ年の夜

    枯野ゆく胸にひとつの灯を点し

    なほ残る未練の嵩や帰る雁

    病み伏して他の痛み知る浅き春

    悪行も善根もまた蜷の道

    消え失せて漸う気づく花野かな 

 2011年の東日本大震災の報道を知ってから、次のような句も詠んだ。

    加害者となる被曝地の凍て返る

    原発に追はるる民や木下闇    

    暗闇の陰翳刻む初蛍

    初蛍異界の闇を深くせり 

 自分の死を見つめつづけて詠んだ句が、本の題名にもなった次の句であった。

    棺一基四顧茫々と霞みけり

  人は生きていく過程でさまざまな過ちや失敗を侵し、幾多の悲しみも経験する。決して成功と喜びだけではない。大事なことはそれをどう受け止めるかにかかっているように思う。決して急ぐことはないのだ。じっくりゆっくりそれを受け止め、心の底まで落とし込むときに、そこから自分の本来の姿が浮かび上がってくるのではないだろうか。その本来の姿こそ、幸福と言えるのではないかと思われる。今の私にはまだその姿が垣間見えるにすぎないが、そこを目指して残りの人生を過ごしたいと思っている。

 大道寺氏は、今(多分今も)多発性骨髄腫というがんに侵され、苦しみながら東京拘置所に生きている。外界との接触は許されていない。句にうたわれた蛍も風景も、実際に目にしたものではない。にもかかわらず、そこに浮かび上がる景色は現実以上に生き生きとしている。私の目にするものと彼の心象に去来するものとの違いに圧倒される。

 

〈12月×日〉

 エンデの『モモ』は、私の好きなファンタジーの一つだが、後半の物語には不満が残る。それは、モモがみんなの奪われた時間を取り戻すために、時間の国へ出かけ遂にそれに成功するからである。奪われた時間が心の時間であるとすれば、それは誰かが取り戻してあげることなどできない。一人ひとりが自ら取り戻す以外にないからである。モモができることといえば、心の時間を取り戻そうとする一人ひとりに寄り添い、その手助けをすることだけだ。もし、話がそのように展開していたならば、物語はもっと面白くなったのではないか、と勝手に想像している。

 ただ、物語の後半で面白い話が二つほど出てくる。灰色人間に追われるモモがある地区の通りに入ると、そこは急げば急ぐほど先へ進むことができなくなる通りで、車で追跡する灰色人間たちはモモに追いつけなくなる。また少し先に進むと〈さかさま小路〉というところに出る。そこは後ろ向きに歩かないと先へ進めない通りなのだ。このあたりはエンデが、急ぎすぎる現代を風刺して書いたのだろう。

 いま『モモ』を読み返してみて、大切に感ずることが一つある。浮浪児で勝手に廃墟に住み着いたモモが、どうして近隣の人たちと仲良くなったか、という話である。

「小さなモモにできたこと、それはほかでもありません。あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって」

「でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は。めったにいないものです」

 モモに話を聞いてもらっていると、急にまともな考えが浮かんできたり、迷いが晴れて自分の意思がはっきりしてきたりする。自分が一人で喋っているにもかかわらず、モモと二人でよく話し合ったと思えるのだった。

 こういう話の聞き方ってできるだろうか、と考えてみる。黙っているけど聞いている。聞きながら一緒に考えている。話が深い水底に吸い込まれていく。けれども温かく受け止められている。そこには拒否するものも否定するものもない。そんな聞き方。

 特講の時の自分の聞き方を振り返ってみる。「なんで腹が立つのか」と聞く。聞いて、こちらからは何も言わない。けれども、本当に聞いていただろうか。参加者の悩みを、迷いを、怒りを。形として聞く姿勢をとっていただけではないだろうか。あるいは、ただ跳ね返していただけではなかったか。テーマを出すだけで、一緒に考えてきたとはとうてい思えない。要するに参加者の一段上に立っていたのだ。これを「聞く」とは言わない。

 そんなことを考えているとき、急に、そうだ河合隼雄を読んでみようと思い立った。さっそく『心の最終講義』と『河合隼雄自伝』の二冊と最相葉月の『セラピスト』を注文した。

 

〈12月×日〉

 耳が聞こえずらくなって10年以上になる。最初は相手の声が小さい、話し方が悪いなどと考えていたが、他の人がちゃんと聞こえているのを見ると、問題が自分の方にあるとはっきりする。年々聞こえずらくなってきて、最近ではそれが日を追って進行してきている。やがて、まったく聞こえなくなる日が来るかもしれない。そうなったとき、人の話をどう聞いたらいいのだろうか。今年の8月6日、広島の原爆慰霊祭の日に、新聞のコラムにこんな話が載っていたのを思い出す。

 ヘレンケラーが来日して広島の原爆資料館を訪れたとき、目が見えず、耳が聞こえず、口がきけないヘレンのために、一人の原爆被災者がケロイドに被われた自分の顔をそっと差し出したというのである。ヘレンはその人の顔を静かになぞることで、原爆が人間にとって何であるかを一瞬にして理解したというのだ。そのことを謳った詩(であったか短歌であったか)が紹介されていたが、うかつにも切り抜くことを怠ったために忘れてしまった。

 河合隼雄さんの講演録『こころの最終講義』には、面白い話が幾つも出てくる。一つは、長新太の絵本『ブタヤマさんたらブタヤマさん』の話である。ブタヤマさんは蝶を追いかけるのに夢中で、後ろからどんな怪物が出てきても、前の蝶だけを見て追い続けている。絵本には、次から次へとさまざまな怪物が登場する。しかし、ブタヤマさんは蝶しか見ない。そして最後に「何、どうしたの、何か御用」と後ろを振り返るのだが、その時は既にそこには何もいない。河合さんは、そこが大事なところだという。つまり、一つを追いかけるのに夢中だったり、何かに固執して他を顧みようとしない態度でいると、周囲の気配を感じ取る能力を失い、大事なシグナルを見落としてしまう。心理学や臨床心理学をやるものが最も心すべきことだ、と河合さんは言う。これは、特講や研学を進めるものも、同じように心すべきことではないだろうか。

「聞く」ことが本当にできたなら、『モモ』で描かれたように人は変わりうるものなのだろうか。私には精神病理のことはよくわからないが、たいていの人には問題解決の能力が備わっているのではないか、と思う。そしてそれは、自らが問題を発見し、自らが解決の糸口を発見することによってのみ解決する。聞き手は、その人が自らの心の中を旅して、糸口を発見するのをじっと見守ることができる人でなければならないだろう。答え(らしきもの)を言ったり、助言や指示を与えることは、その人の自発性を奪うことになる。しかし、この「聞き」「見守る」ということは、とても難しい。聞き手の絶えざる自己変革なしにできることではない。特講や研学の世話係に要請されるのは、このことだ。子どもの世話係は特にそうだ。だから、子ども自らが学び育つ意味の「学育」という言葉が用いられてきたのであるが、実態は大きくずれてしまった。聞けない人間に学育の係はできない。

 しかし、自分に立ち返ると、耳が聞こえなくなり、記憶力が衰え、眼にも霞がかかってくると、どうしたら人の話が聞けるだろうかと考えてしまう。その上、周囲の気配や言葉ならざる言葉、沈黙の言葉にも心するとなると、もう能力をはるかに超えてしまう。

 

〈12月×日〉

 会話は言葉と言葉のやり取りで成り立つ。しかし、日常の自分の会話を振り返ってみると、自分の思っていることの半分も喋っていない。せいぜい2割から3割ぐらいだ。それでいて、腹ふくるる思いがするわけではない。恐らく他の人もそうなのではないだろうか。話したくないこともあるだろうし、必要を認めないこともあるだろう。話したいけど話せないこともある。あるいは、もやもやしてまとまらない話もある。心の氷山は深く海中に沈み、水面に出たほんの表面でのみ会話を成り立たせているのかもしれない。本当に人の話を聞くのは難しいし、自分の本当の思いを人に伝えるのも難しい。空振りに終わることがほとんどだ。山岸さんが死の直前に「みんな誤解や」と言ったのは、真意の伝わらない嘆きが思わずほとばしり出たものであろう。しかし、その後私たちは、真意をきちんと聞き直しているかどうか。

 河合さんは、創造的市民大学というところで「アイデンティティの深化」と題する講演を行い、そこでこう語っている。

「非常に大事なことばというものは、一言にしていえないということが多い……。一言でいえるようなことだったら、あまり大事だということにならない、すぐわかってしまう……」

 同じように、自分が本当に大事だと思っているようなことは、やすやすと人には言えない。言えないからこそ悩み、苦しんだりしている。それを聞き取るには、大変な人間力がいる。特講や研学の係には、そうした能力が求められている。ただ、特講や研学は研鑽方式をとっているため、受講者同士の意見のやり取りで自ずから深め合う可能性を持っている。係りはその進行を妨げないよう心掛けねばならないだろう。係りが一定の方向性や予断を持っている場合は、受講者の思考の深化を妨げ、浅いところでの理解に終わってしまうことになる。私には或る一人の女性についての苦い記憶がある。彼女は、特講の最後に「山岸は天国です」と言っていた。少し宗教じみているなと心配だったが、そのままで特講を終わらせてしまった。その後、彼女は参画したが、2000年問題の後、自殺してしまった。

 とにかく心の問題にはわからないことが多い。大脳学者は、心は意識であり、意識は大脳の働きであるから、大脳の科学的解明によってすべて明らかになる、と言ったりしている。「全脳論」などという本もある。

 しかし、自分の実感からすると、意識と心が全く同じとは思えないし、その上、河合さんがユング派の説を持ち出して、「アニマ=たましい」の重要性を語り、「アニマは『たましい』で、アニマ像はそのイメージ。たましいそのものをわれわれは知ることはできないけれど、それを何らかのイメージとして把握できる」と語ったりすると、ますますわからなくなってくる。

 脳、意識、心、魂、とさまざまな言葉で語られる心の問題は、私などにはよくはわからない。しかし、それが自分にとっても人にとっても、最も重要な問題であることは理解できる。あまり早わかりすることなく、これからもじっくり考えていきたいテーマだ。

 

〈12月×日〉

 いつ頃だったか、「自分らしく」とか「その人らしく」という言葉が頻繁に使われた時代があった。それまでの村の暮らしが「自分らしさ」「その人らしさ」を奪っていたのではないか、というニュアンスを含んでいたように思う。だから「自由」のテーマと共に、この言葉が流行したのであろう。しかしその当時、この言葉に私はもう一つ同調できなかった。というのは、それを唱えている人を見ていて、自分の我を主張しているようにしか見えなかったからである。ええっ、それが「自分らしく」ってことかい? という疑問である。我執丸出しの生き方が「その人らしい」生き方なら、そんなもの一般世間にいくらでもいるじゃないか、と思った。

 いつの間にか「らしさ」を強調する人もいなくなって、すっかり忘れていたが、心の問題を考えるようになって、やはりこれは大事なテーマだなと改めて思うようになった。

 近年はやりの「アイデンティティ」というのは、要するに「自分が自分であること」の確認ということであろうが、これは簡単なようで簡単ではない。私たちは、自分以外のさまざまな飾り物を身にまとって、それがあたかも自分であるかのように錯覚しながら生きている。宇宙論で、いまわかっている宇宙の質量は、全体の僅か4パーセントほどで、残りの96パーセントの物質とエネルギーの実体はわからず、それを「暗黒物質」とか「ブラックエネルギー」と名づけているという。それと同じように、自分という宇宙についても、わからない部分、自覚できていない部分が大半を占めているのではないだろうか。だから、「自分らしく」生きようとすれば、まず自分を知ることから始めなければならない。我執だらけの自分をそれが自分だと押し出していたら、世の中から争いはなくならない。「自分らしく」生きるためには、自分という宇宙を自分で開発する以外にないように思う。そうすることによって、自分に付着しているさまざまな自分以外のものや飾り物をはぎとっていくことではないだろうか。「チューインガム一つ」の村井安子ちゃんのように、「棺一基」の大道寺将司氏のように。

『河合隼雄自伝』に興味深い話が出ている。それは影について語った次の言葉である。

「影というのは、簡単に言えば『その人の生きてこなかった半面』と言えます。私の生きてこなかった半面です」

 人は、自分の生きてこなかった半面と共に生きている、ということなのか。よくはわからないけれども、どこか響くものがある。そういえば村上春樹さんの小説『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』には、影を失う世界が描かれている。それは、もしかしたらオウムのような〈陽の当たる場所〉なのかもしれないし、またもしかしたら、ヤマギシのような‟幸福一色”の世界なのかもしれない。今回、アンデルセン文学賞受賞のためデンマークを訪れた村上さんは、受賞講演でこう語っている。

「小説を書いていると、暗いトンネルの中で、思ってもみなかった自分の姿、つまり影と出会う。逃げずにその影を描かなければいけない。自分自身の一部として受け入れなければいけないのです。……あらゆる社会や国家にも影がある。私たちは時に、目をそむけようとします」

 しかし「自らの影、負の部分と共に生きていく道を、辛抱強く探っていかなければいけない」と結んでいる。(11月21・22日、朝日新聞より) 

 私たちは幸福一色の世界を目指しながらも、その過程で起こったさまざまな事象について、その影の部分、目をそむけたくなる事象についても、しっかりと受け止めていかなければならないということなのだろう。自分自身についても当然そうしなければならないのだ、と思う。