〇ブログ「広場・ヤマギシズム」ではヤマギシズム学園のことに度々触れている。
私は学園の運営などに直接関わっていなかったが、様々な部門で中心になって動いていた。その構造からさまざまな学園問題が生じたこともあり、当然私自身の課題になってくる。
親の意向で、たまたま村、学園で暮らすようになった子ども達への扱いには、その後の育ちにも影響してくることもあり、そこに大きく焦点をあてていくことは必要だが、そのような学園・学育を作っていったのは、紛れもなく参画した大人たちであり、中心になって動いていた自分たちである。その体質、構造に迫っていかないと、集団のもつ危うさは見えてこないと思っている。
一方、学園で育った子どもたちを見ていて、学園の同期生や仲間たちとの関係は、とても親密なものがある。同じ釜の飯を食ったというような半端なものでない深さを感じることが多い。
特殊な観念の学育方式のもとで、実際に身体を動かすことの多い種々の活動の中で、仲間たちで切磋琢磨しあいながら、ときには助け合い、ときには言い争いしながら育ってきたのだろう。
私の子ども達は16~18歳のとき、ヤマギシの「村」を離れた。20数年ほど前である。子ども三人の村や学園の印象は、夫々違っていて、大雑把に言えば、一人はとても批判的、もう一人はあまり触れたくない、そして、コミックエッセー『カルト村で生まれました』で著名になった高田かやさんと同期の娘は、いろいろな思いはあるだろうがそれなりに面白かったといっている。
私が触れた元学園性たちでも、様々なとらえかたをしている。
今では、魅力的な活動を展開している元学園生もかなりいる。
その中で、精神的なダメージを抱え続けた人も少なからずいるので、これは見過ごすわけにはいかない。
いずれにしても、その負の要因をのりこえて、幸せに生きていってほしいと思っている。
私の課題として、その頃の学園問題のことに触れていくが、元学園生が特殊な体験をしたことで、その人ならでは人間形成につながり、少なくてもそこに在籍したことに負い目を感じることなく、今の人生を前向きに暮らしていけることを願っている。
-
-
-
-
- -
-
-
-
ここでは、私も少なからず関わりのある、ヤマギシズム学園高等部を卒業した四期生の元学園生の著作を取りあげる。
それは、2019年に刊行された、守下尚暉(著)『根無し草: ヤマギシズム物語1 学園編 Kindle版』である。
一読して次のことを考えた。
よくこれだけのことを書き、また文章も伝わってくるものがあり、そのことに感嘆を覚えます。当時の厳しい辛いことを書くことは、大変だったと思う。
「あとがき」に〈今の私ではなく、当時の私の視点を大切にしました。四十代になった今の私の思いや考えは一旦棚に上げて、十四歳から十八歳の頃の私の視点で、その愚かさや未熟 さも含めて、当時の思いて、当時の思いや考えを丁寧に書き綴る。そうする事によって、当時の『ヤマギシ会』の実態がより鮮明に浮き彫りになり、読む人にも分かり易くなるのではないか。そう考えたのです。〉とある。
これは大事な視点だと思う。それもあるのか、当時の学園の実態が余分な解釈を入れず、率直に現れていると感じた。
さらに、15歳から18歳までの多感な時期、特異な体験の中で、自分の足で立ち考える、ひとりの青年の成長物語になっているとも思った。
・本文の中から。
〈『他に求めず、他を責めず、全体が良くなることを思って、自分がやる』
それは予科生の頃、『核研』で出されたテーマだった。
でもヤマギシは、全体が良くなる為に個人を犠牲にしている。
そもそもヤマギシの言う全体って何だろうか?
全体なんて言葉を使いつつ、実はマギシという組織が良くなる事を優先してるだけなんじゃないだろうか。〉
など、素直な思いが紡ぎ出されていく。
「あとがき」に次の言葉がある。
〈それは、自分の心を深くえぐり取るような、非常につらい作業でもありました。正直に申し上げると、私は自分の人生を狂わせた『ヤマギシ会』に対して、強い嫌悪感のような並々ならぬ思いを抱いています。そんな私にとって、この本を書くことは、相当な覚悟を決める 必要がありました。実際、執筆作業は捗らず、書き始めてから完成まで実に三年もの年月を 費やしました。
記憶に時効はありません。
執筆中、当時のことを鮮明に思い起こしてしまい、何度も涙を流したものです。これは むしろ、私にとって忌まわしい記憶。本当は誰にも明かしたくない過去 でした。〉
本書は、題材としては特異な学園での体験をもとにしたノンフィクションだが、青少年の成長、成熟にとって欠かすことのできない大事なテーマがいくつかあること、描写力など、かなり水準の高い作品だと思った。
(つづく)