広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

吉田光男『わくらばの記』より(ヤマギシズム学園考16)

〇実顕地に所属しながら、ヤマギシズム学園について問い続けた人として、2017年4月に亡くなられた吉田光男さんを思う。
その個人記録『わくらばの記』は、食道癌による入院前の2015年12月25日から書き始めて、度々学園について語っている。その中からあげてみる。

〈2016年2月9日〉《私たちは、学園を遠い過去の問題として片づけずに、たえず現在の問題として振り返らずには、自分自身を前に進めることはできない。》

〈2月11日〉《私たちは学園に期待していた。そして自分自身はといえば、最後の最後まで学園を信ずることをやめなかった。学園出身者がどんどん村を去り、学園を閉ざす村が出始め、ついには学校法人設立の申請を取り下げざるをえない事態になって初めて、「これはどういうことか」と考え始めた。なんとも鈍い話しである。
 それはやはり信じていたからである。外部の批判や内部の一部の人たちによる疑問提起に一切耳を傾けず、盲目になっていたからである。これをしも妄信というのであろう。
 全集編集の過程で、山岸さんの「百万羽子供研鑽会」という文書を繰り返し読んでみた。そこにはこう書かれている。
「研鑽会は、先生やおとなの人、みんなに教えてもらうものではありません。自分の思っている考えをそのまま言って、間違っているか、正しいか、みんなの頭で考えます。ですから、先生が言うから、みんなが言うから、お父ちゃんが、お母ちゃんが、兄ちゃんが、ねえちゃんが言うから、するから、そのとおりだとしないで考えます」
 先生やお父さん、お母さんの言うことも、ましてや世話係の言うことも、その通りだとしないで自分の頭で考えること、ここに自ら学び育つ学育の本来の姿が謳われている。そしてこれは教え、教えられることを排除することではなく、教えられたことをそのまま鵜呑みにする教育というものを否定したものである。ここに新しい教育の原点があるはずであった。
 しかし実情はどうであったか。世話係と違った意見を出せば、生意気だ、反抗的だと批判され、個別研や体罰の対象になった。このどこに「学育」の理念があっただろうか。》

〈2月12日〉《昨日は学園問題を理念の面から考えてみたが、学育理念はこの間どこかに消え去っていたのだろうか。そんなことはないはずである。なぜなら私たちの誰もが「子どもは教え育てるのではなく、自ら学び育つものだ」と口にしていた。ではなぜ、口にしていたことと現実との間に、これほどのギャップがあったのだろうか。これはかなり深刻な問題である。
 理念はいくら言葉で覚えたり、口にしたところで、現実の場で実証しないかぎり、絵に描いた餅にすぎない。私たちはみんな理念を神棚に供えて、ありがたがっていただけなのである。まことに愚かなことであった。》

〈2月13日〉《ところで、ヤマギシズム学園は全く意味のないものだったかと言えば、決してそんなことはない、と私は思っている。学育理念に基づく全く新しい学園ということで、私たちは諸手を挙げて賛成したし、教育界に一石を投ずるものと期待もしていた。
 しかし、方向がずれていったということのほかに、学育理念を理解し実践しようとする人材にも乏しかった。子どもを大人の小さなものとしてしか見ることのできない世話係や村人によって育てられることになってしまったのだ。(略)
 子どもはみな、どこかに天才を持っている。何かわからないけれども、何かになりうる可能性である。しかし、その天才を見い出すのは容易なことではない。よほど子どもから学ぶことのできる柔らかくしなやかな能力を持ち、努力できる大人でなければならないだろう。十分な能力はなくとも、そのための努力と研鑽を惜しまぬ人間でなければならないと思う。》