〇以前、ある実顕地の学園中等部にいた、依存症の病院の院長をされているというY氏の活動がテレビで放映されたとの情報から、私も参加していたメーリングリスト(※今は閉じられている)に、あるヤマギシ会会員Sさんから次のような投稿があった。
「その人の名前を聞くと、胸が張り裂けそうで一杯です。」
「学園を出発した子どもたちの心の中にどのように残っているのかと思うと、いたたまれません。」
このブログでは山岸巳代蔵や実顕地について、これまでもいろいろな角度から発信してきた。
理想を掲げた集団のありようを検証していくためにも、25年以上生活する中で、一定の期間中心になって進めてきた私自身のことを振り返るためにも、思っていることを書きながら自問自答している。
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〇Sさんの投稿に反応して。
実顕地のより良き成熟を願うとき様々な観点から歴史を振り返ることは大事だなと思っている。
朝日新聞の書評をはじめ話題になった、高田かや(作)『カルト村で生まれました』の著者と同年代の私の子どもや元学園性によると、そこに描かれた体罰、食事抜き、個別研など、ほぼ同じようなことが行われていたそうだ。もちろん実顕地、学園によって様相は違うらしいが、迂闊にも著作にあるような酷い実態にあまり気がついていなかった。
その頃のある実顕地の中等部での、殴るなどの体罰は殊更酷かったそうで、主にそれに携わっていたのがY氏である。
人によって様々な見方があり、どこまでも一面的に捉えることはできません、また、特定の人の行動というよりも、そのころの学園の気風に支えられての行動であり、特定の人を取り上げることは避けたいと思っている。
だが、何人かの元学園生から度々聞かされているこの人に関しては、激しい憤りを覚えている人が多く、一様に恐怖を感じていたという。なかには殺意に近いような思いを抱いている人もいた。
私とは身近な間柄のある子は「私の頭が歪んでいるのは彼に何度も殴られたから」といっている。事実どうであるかというよりも、彼女にとっては実際のことなのだろう、そのようなことがありながら学園生活は面白かったといっている。
だが、25年以上たった今でも未だにその後遺症が残って悶々としている知人の子もいる。
当時の学園では、「子どもを叱る」というのもテーマにしていて、また「怖い人」の存在も大きいという声も聞いたことがあり、主に学園を進めている人たちからY氏は評価されていたと思う。
私は、学園の方針については関わりがなかったが、人事の役割についていて、その辺のことは知っていて、当然他人ごとで通り過ぎることはできないし、責を負っている。
また、学園の気風は、結局のところ、そのころの実顕地の構造とつながっていると思う。
私自身についていえば、主になって学園を進めていた人による支えがあったとはいえ、どうしてそこまでのことをしていたのかと訝しいものを覚えている。
だがそのこととは別に、何回かお会いして連れ子のことなどを話したが、Y氏についていろいろ苦労されている方だなと感じていた。
アウシュビッツの経験を問い続けたプリーモ・レーヴィに、「ありとあらゆる論理に反し慈悲と獣性は同じ人間の中で同時に存在し得る」(『溺れるものと救われるもの』(竹山博英訳、朝日選書)というような表現がある。ごく普通の人たちがナチス体制を支えていたとの記述がいくつか見られる。
自分自身を振り返っても、様々な面があり、〈慈悲・獣性〉あわせ持っていると思っている。(なにが慈悲でなにが獣性であるのかはいい加減な面があるが)
その頃の学園を進めていた方などがつくり上げた学園の世話係の気風が、Y氏のそのような面を引き出していたと考えている。(※むろん各実顕地、世話係によって違うだろうが)
そして、Sさんがおっしゃるように「御本人にヤマギシに関わった当時の事をどのように感じてみえるのか」語ってほしいなと思っている。
これは勇気のいることだし、本人がその気にならないと実現できないことではあるが。