〇元学園生が描いたもので、朝日新聞日曜版の書評などで取りあげられ大層評判になった、高田かや作『カルトの村で生まれました』とのコミックエッセーを読んでみた。元ヤマギシズム学園出身者が当時の自分たちの生活を描いたコミックエッセーのことである。
その本や関連する様々な記事から、まず私が感じたのは、現在著者が夫とともに豊かに楽しく生きていられるのを感じて、とても嬉しかった。
著作では、コミックの特徴である「吹きだし」「地の文」を、美しい手書き文字で重層的に配分し、一コマごとに初々しいエネルギーを注ぎ込んでいて、特異な体験を柔らかく包んでいることが伝わってくる。
そこに描かれた体罰、食事抜き、個別研など、ほぼ同じようなことが行われていたそうだ。もちろん実顕地、学園によって様相は違うらしいが、迂闊にも著作にあるような酷い実態にそれほど気がついていなかった。
私はその村のいくつかの部門で中心的な役割を担っていたこともあり自責の念もある。
特に、親の意向で村・学園で暮らすようになった元学園生の村を離れてからの暮らしに、屈折した思いが伴っている。
著者は、カルトの村(ヤマギシの村)で結婚した両親のもとで生まれ、19歳のときに村を離れた。
家族も同じ頃に村を離れたそうである。現在は35歳。表面的には、私たちや下の娘と同期で、重なっていることも多々あるのではないかと思われる。
私の子ども達は17歳、18歳のとき、私たち夫婦も著者たち一家と同じ時期に村を離れた。24年ほど前である。
子ども三人の村や学園の印象は、夫々違っていて、大雑把に言えば、一人はとても批判的、もう一人はあまり触れたくない、そして、かやさんと同期の娘は、鍛えられてそれなりに面白かったといっている。
私が触れた元学園性たちでも、様々なとらえかたをしている。その中で、精神的なダメージを抱え続けた人も少なからずいるので、これは見過ごすわけにはいかない。いずれにしても、その負の要因をのりこえて、幸せに生きていってほしいと願うのみである。
著者は自分のことを近況で次のように紹介している。
・「2015年2月から掲載させて頂いた「カルト村で生まれました。」ですが、この度単行本として出版して頂けることになりました。 温かく見守ってくださった皆様に心から御礼申し上げます。おかげさまで、心配してくださったような身の危険など一つもなく、村の話が好奇心で楽しめる時代になったのだなぁと、のんきに喜んでいます。どうぞお手にとって頂けましたら幸いです」
・「寒さも落ち着き、そろそろ春の山菜が気になりますね。単行本を読んでくださった大勢の皆様、本当にありがとうございました。パソコンで皆様の感想を読み、一人一人に柏手を打ってお礼を述べています。感想を見ていると、悪い子供だったからきっと非難されるだろうと思っていたのに優しい反応が多くてびっくりです。子供の頃のふてくされていた自分に教えてあげたいですー」
※高田かや『カルト村で生まれました』文藝春秋、2016年2月12日発売。
【参照資料】
〇実体験元に描く内側の世界
外から見ればカルトの村だが、中から見れば農業を基盤としたコミューン。そんな共同体の中で生まれ、19歳までそこで過ごした著者によるコミックエッセー。絵柄はほっこりだが、綴られている特殊な暮らしはカルチャーショックの連続だ。
子供は親と離れて集団で暮らし、食事は1日2回。世話係の機嫌を損ねたら食事は抜きで、労働、体罰当たり前、村では所有のない世界を目指しているため小遣いはなし。漫画は禁止、テレビは『漫画日本昔話』のみというから厳しい。
では、著者は暗く辛いばかりの幼年期を送っていたのかといえば、そうとは言い切れない。
通学路は食材の宝庫とばかりにアカツメクサの花の蜜やノビルを食す。空腹の自衛手段として食べられる物を探す中、蓄積されていく知識や逞しさも同じトーンで描かれており、ニャッとさせられる。そこでの営みや背景とは無関係に「カルト」という言葉が持つイメージのみを抽象化しては、感情のスイッチが切れてしまい、無関心や断絶しか残らない。そういう意味で本書は、よく知らない相手を身近に感じるきっかけをくれる。
ゆっくり丁寧に引かれたであろう描線と描き文字も健やかでいい。麺棒と繭玉を使ったというやわらかな効果も内容にあっている。
(「山脇麻生・ライター。2月14日朝日日曜版の書評より」