広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

異質の大人がいない共同体で何が育つのか(ヤマギシズム学園考24)

〇2015年8月にK市の娘と同じマンションに暮らすことになった際、「今までお父さんと暮らしたことがないから、楽しみにしている」と聞いたとき、そんなこと考えたこともなかったので、気にかかっていた。
(※娘は1980年9月に「ヤマギシの村」で生まれ、19歳のとき「村」を出て、ある地域で暮らしていた。むろん家庭研鑚で数日間一緒になったことがあるが。

「一つ財布」のもとに、大家族と称する実顕地に参画してきた親ではあるが、実の子どもに対する感情は様々であったと思う。
 だが、実顕地の気風が醸し出す力が、私たち親の見方にも影響を及ぼし、自分もそうだったが、おそらく多くの親も、世間の高校ではなく、せっかく私たちで作りあげた非認可の学園、高等部への入学を願っていたのではないだろうか。

 ただ、実顕地の学育方式では、<どの子もわが子><任せあい>の一体理念の下、実親の役割を過小に評価しがちであり、実親もそれを当然として任せっきりになっていたきらいがある。学園世話係という立場の人がいたが、子どもの扱いに困ったとき、親もとに帰すというようなことで始末をつけていた。

 留意しておきたいことは、実顕地は全国にわたって多くの職場があり、そこの経営理念のもとで、私のように主になって進めている人がいて、一つになって取り組んでいたことでは似たような面があるが、そこを構成する一人ひとりは、自分の意思で集まってきた人たちで、また、当然のように違いがあり、実顕地全体の気風は影響していても、各地、各職場それぞれの特色があった。
 ところが親に連れてこられた、自らの意思で選び取ったわけではない多くの子どもたち、成長段階にあり、これからいろいろなことを身に着けていく子どもから見たら、実顕地の学育方式が一枚岩のごとく立ちはだかっていたのではないだろうか。

 このことは、人は異質な様々な人(他者)との出会いを通して成熟し、社会性を身に着けていくという観点からみて、児童教育的にも、発達心理学的にも、人類学的にも奇妙な構造だったということになる。
 私は、知性とはいろいろなことを知っているということではなく、一つの問題をいくつものの補助線を引きながら複眼的に調べていける能力だと思っている。その力を、いろいろな出来事、他者との出会いを体験していくことで、その人の見方に奥行ができ、社会性を身に着け成熟していく。

 内田樹はレヴィ=ストロースの「親族の基本構造」に関して次のことを述べている。
【「タイプの違う二人のロールモデルがいないと人間は成熟できない。
これは私の経験的確信である。
この二人の同性の成人は「違うこと」を言う。
この二つの命題のあいだで葛藤することが成熟の必須条件なのである。
多くの人は単一の無矛盾的な行動規範を与えれば子どもはすくすくと成長すると考えているけれど、これはまったく愚かな考えであって、これこそ子どもを成熟させないための最も効率的な方法なのである。」(内田樹の研究室 2,007年11月より)】

 私がレヴィ・ストロースの「親族の基本構造」の知見から考えたのは、人は、異質な人との出会い、捉え方の異なる人との交流を通して、自分の考えを形成し、奥行をまして成熟していくのではないだろうかということ。
 児童教育学、発達心理学の知見でよく言われる、父が厳しく、母が優しく受容していくことの生来的に持っている役割の違い、その大きさ。おじさん・おばさんがいれば、親はあんなこと言っているが、「わたしはそう思わない、こう思う」という人が身近にいる。この中で、はたしてどうなんだろうかと、考え始めることができる。

 一般的に子どもの成長過程は、母親から始まり、父親が視野に入ってきて、圧倒的に親(親の役割をしている人)の存在が大きい。次に、現在の核家族化では薄れてきたが、じいさん・ばあさん、おじさん・おばさんが身近にいればその役割も大きいものがある。やがて兄弟姉妹、友達、その家族、近所のひと、学校では先生や同級生と人のつながりが増えつづける。
 当然一人ひとり考え方も感性も違うので、ときにはけんかをしたり、仲良くなったり、好きになったり、嫌いになったり、迷ったり、その葛藤の中で、人格的な厚みを増しながら成長していく。
 その点、実顕地学育方式での実親の役割の過小評価、場合によってはほとんど実親不在の実態は、子どもたちの育ちにとって、とても大きな欠陥をかかえていたのではないだろうか。

 そのような学育方式でも、ある程度こなしていけた子にとっては、その子の持っている力やその他の要因で、ある種の逞しさを身に着けた人もいるが。
 しかし、その学育方式についていけなかった子に対しては、あまりにも非道なためなおしや、ここにいる資格がありませんなどの切り捨てが安易に行われていた。そのことで押しつぶされ、いまだに悶々としている人も少なからずいる。

 要するにこの学育方式は、ジッケンチを担う養成所だったのである。
 大人が実顕地に参画するときは、偏った情報であれ、状況は様々だが、大方は一人ひとりの熟考の末参画した。どこかの組織のように、強引にだまして連れてこられたというより、調べる期間が長くとってあり、それぞれが選択して参画してきた。
 ところが学園生の参画については、熟慮も何も、高等部をでたら参画するのが当たり前に扱っていた。そのように願っていた〈村人〉も多いのではないだろうか。

 一応参画の研修期間(2週間研鑽学校)を設けて、一人ひとりの意思を確かめてはいたが、娘によると、〈村人〉になる手続きぐらいに思っていて、参画したとか取り消したという感覚が全くないそうである。
 私も参画受付を担当していたので、その経緯はある程度掴めているが、娘と同じような感じで手続きしていた人も多かったと思う。
なかには、〈村〉を離れて、独自の道を歩んだ人もいるが、およそ8割近くの人が参画の手続きをしたのではないかと思っている。なお、娘と同期の人60人程のうち、現在も〈村〉で暮らしている人は2人だけだといっている。

(※これらのことについて、私も責を負っていると思っている。
なお、私がここで書いているのは、実顕地を離れる2000年頃までのことで、その後いろいろな面で改良されてきたらしいが、いま実顕地がどうなっているのかは、よく分からない)

参照:吉本隆明『ひきこもれ――ひとりの時間をもつということ』より。
「でもぼくは、一般社会の中にいて、不登校的な生き方を貫いていくべきだと思うのです。自分たちが優れていると思っている人も、その逆の人も、一般の人たちとは別に自分たちだけの社会を作ろうとは思わない方がいい。なぜかというと、閉じられた集団に身を置くことは決していいことではないからです。スタートの時点から、一般社会と自分を区切るようなことをしてはいけない。自分を特別な位置においてしまうと、世の中には色々な人がいて、考え方が違ってもみんな平等なんだ……ということが成り立たなくなってしまいます。それに同質のものが集まって作る社会は傷つくこともなく快適ですが、先が閉じています。発展していく余地がないのです。いくら立派な理由があって作った集団でも、始末におえないものになってしまう恐れがあります。」
(吉本隆明『ひきこもれ――ひとりの時間をもつということ』大和書房)