広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

元学園生の手記を読んで 吉田光男(2)(ヤマギシズム学園考19)

〇学育理念について最初に書かれた資料がある。山岸さんが書いたと言われている「百万羽子供研鑽会」という子ども向けの研鑽資料である。その資料は、次の言葉で始まっている。
「研鑽会は、先生やおとなの人、みんなに教えてもらうものではありません。また、教えてあげるものでもありません。自分の思っている考えをそのまま言って、間違っているか、正しいか、みんなの頭で考えます。ですから、先生が言うから、みんなが言うから、お父ちゃんが、お母ちゃんが、兄ちゃん、ねえちゃんが言うから、するから、そのとおりだとしないで考えます」

 この文書には昭和33(1958)年8月の日付があり、春日山に百万羽が発足した当初、参画者の子どもたち用に書かれたものとされている。ここに言われている「先生やおとなの人」という言葉は、「学園の係や村の大人」と言い換えることもできる。つまり、係の言うことも「そのとおりとしないで考える」ということである。学育や学園という仕組みができる前に、学育の考え方が既にはっきりと示されていたのである。

 しかし現実は、学育とは全く違った指導・育成の方向にいってしまった。おねしょをしたら裸にして立たせる、あるいは水をかける。個別研と称して狭い部屋に閉じ込め、反省文を書かせる。しかも自由に書くはずの作文に「こう書け」と言わんばかりの指示を与える。こうした指示や体罰は、「教えない、自ら学び・育つ」という学育とどこに一致するところがあるだろうか。押しつけ・強制・体罰は、本来ヤマギシズム学育とは無縁のはずである。

「子供研鑽会」資料には、続いてこう書かれている。
「みんながそうだとわかるところまで考えて……その中でそうでないと言う人や、わからないと言う人が一人でもいれば、みんなでもっと考えます。
 こういうようにして、一つ一つみんながそうだと言うところまで考え、正しいことを実行していきます。間違っていたらすぐあらためます。
 そこで、人がしないからしない、あの人に言われるからしない、あの人がするから自分もする、というのではなく、人のことを言わずに正しく考えて、自分から進んでするのです。
 こうして自分自分が考えて、正しいことを実行していくのですから、ごまかさずに、だまさずに、わからないことはわからない、知らないことは知らないと言って、だれの言うこともよく聞き、一生けんめい考えます」(全集三巻・356頁)

 学園問題を論ずるときに、よく学育理念そのものがおかしかったのだ、という人がいる。しかし、決してそうではないだろう。学園のあり方・運営が、学育理念と懸け離れていたことが、躓きのもとになったのだと思う。
そして、こうした躓きのもとは、学園世話係や学園事務局だけにあったのではない。本庁をはじめとする当時の指導部門、そしてその方向を無条件で信じ支持して学園運動を展開してきた私たち村人一人ひとりにその大元がある。したがって、“自分は関係なき第三者”という立場を装って、学園世話係の責任だけを追及する人もいたが、そこからは問題の本質が浮かび上がることはないだろう。

 しかし、学園世話係の多くが、学園生から恨みをかっていたのは事実である。学園出身者の一部には、仲間同士で集まると、「あいつだけは許せない」と今でも言っているそうである。よほどひどい仕打ちや暴力を振るわれたのであろう。そういえば、学園崩壊が始まった2000年前後に、「あいつが実顕地に戻ってきたらボコボコにしてやる」と息巻く子どもたちがいたと聞いたことがある。その係は実顕地の外に緊急避難して、遂に村に帰ることがなかった。そしてまた、当時の多くの世話係や学園関係者は、いま村を離れている。自分が、自分たちが行ってきた学園運動が何であったのかを振り返ることなしに。これは悲しい。

 この学園運動のたどった道は、敗戦後の日本の歩みとよく似ている。敗戦の責任を誰もが取ろうとせず、一部に責任のすべてを押しつけて、「我ら民衆は何も知らなかったのだ、騙されていたのだ」と、みんなが善良な市民を装ってきた。アメリカの原爆投下に抗議もせず、「二度と過ちは繰り返しません」などと、あたかも自分たちが原爆を投下したかのような碑を建てている。要するに歴史に学び、過去を自分の今として省みる力が弱いのである。そして今、再び憲法を改正し、戦争のできる“普通の国”にしようとし、あれほどの災害にも関わらず、原発=核の再稼働に向けて動き出している。

 話を元に戻す。I さんの手記について何人かで話し合っているとき、「学園の係が相当ひどいことをやったのは間違いないけれど、一人ひとりの係を思い起こすと、そんなに悪い人はいなかったね」ということで一致した。普通の意味では“いい人”ばかりだった。そのいい人たちが、しつけと称して体罰を加えたり暴力を振るった。しかも、それが子どものためだと思っていたのである。

 人間は観念の動物である。自分が正しいと信ずれば、何を仕出かすかわかったものではないし、また状況に強いられれば、最悪の事態さえ引き起こしかねない。親鸞は『歎異抄』の中で、善悪の基準などあるのではなくて、業縁(ごうえん)がなければ一人も傷つけることがないけれども、業縁がもよおせば「百人・千人をころすこともあるべし」と語り、「われらがこころのよきをばよしとおもひ、あしきことをばあしとおもふ」自力の考え方を退けている。

 私自身はこの親鸞の絶対他力の考え方にそのまま従うわけではないが、予め善悪・善し悪しを決めて、それで事を済ますことはできないと考えている。学園世話係が悪い人だったり暴力的な人だったから、体罰や強制的なしつけを行ったのではなく、それが良いと信じ、それが子どものためなのだと無条件に思い込んでいた結果なのである。ただ、ここには、自分の観念と子どもの心の世界との懸隔、そのギャップを理解し埋めるだけの知性・感受性に大きく欠けるものがあった。そしてそれは、学園の係だけでなく、村人の大半を捉えていた考えであり感覚でもあった。

  あれから十数年を経過した今、それでは当時の状況は払拭できているだろうか。できていない、というのが私の正直な実感である。確かに、全体的にソフトになり、「Z革命を私一代で成し遂げます」などと叫ぶ狂信的なムードはなくなった。しかし、その一面、どこか目標を見失った腑抜けた感じがあり、それは自分自身にもある。第一、学園運動が何であったのかを問う研鑽が何もなされていない。過去を不問に付す、そして振り返らない、こうした歴史を省みない生き方からは未来を切り開くことはできないのではないか。

 しかし、過去をあれは間違いであった、理念そのものがおかしかった、と一刀両断するだけでは何も見えてこないし、無責任でさえある。間違いだとすれば、自分は、そして自分たちは、なぜ間違ったのかを追究しなければならない。過去に間違いないと信じていたことが間違っているとすれば、今間違っていたと断定する考えが間違っていないかどうか。

 とにかく人間は誤り多き存在である。間違いだらけ、失敗だらけの人生だと言ってもいいくらいの存在に過ぎない。しかし、失敗や間違いは、貴重な財産でもある。そこを振り返り明日の糧にすることでより正しい道を歩むことができる。それには何が必要かといえば、一人ひとりが謙虚になって研鑽生活をする以外にない。「ヤマギシズム生活の絶対条件・生命線は研鑽である」と言われながら、実態は単なる話し合いや打ち合わせに堕していないだろうか。そして妥協や迎合に終始してはいないだろうか。

 先の「子供研鑽会」資料には、研鑽の本質が描かれている。
「本当に自分も良くなろうと思えば、みんなが良くならなければ、自分が良くなることが出来ませんから、みんなが良くなることは正しく、そうでないものを間違いとしてきめていきます。そうしてみんながそうだとわかるところまで考えてきめます。その中で、そうでないと言う人が一人でもいれば、みんなでもっと考えます。……ごまかさずに、だまさずに、わからないことはわからない、知らないことは知らないと言って、だれの言うこともよく聞き、一生けんめいに考えます」

 実に簡単明瞭に研鑽の本質を描き出している。「先生の言うこともおとなの人の言うことも」、つまり本庁の係であろうと学園の係であろうと、古い参画者であろうと、学識のある人であろうと、「だれの言うこともよく聞き」「ごまかさずに、だまさずに、わからないことはわからない、知らないことは知らないと言って、一生けんめいに考える」ことが研鑽だと山岸さんは言っている。しかし私たちのやってきたことは、「わからないことをわからない」と言わず、「知らないことを知らない」と言わずに、「あの人が言うのだから間違いなかろう」とか「こう考えるのが本当らしい」と、何となく正しいらしいと推測したものに進んで自分を合わせてきた。研鑽・けんさんと言いながら、もっとも研鑽から遠い生活をしてきたのではないか。学園問題の本質も、結局は研鑽の不在にあったのではないかと思う。

 では事は簡単、本来の研鑽生活に立ち戻ればいいだけである。と言いたいのであるが、そうは簡単ではない。山岸会発足から60年、春日山がスタートして55年、その間どれだけ多くの研鑽、研鑽会が行われてきたことか。しかしながら、実顕地の暮らしが真に研鑽に裏打ちされているとは言いがたい。これが現実である。私たちは、まずこの現実を正直に認めることから出発する以外にない。

 研鑽を妨げる考え方や気風には、何となく「みんなに合わせるのがいい」「全体の流れに逆らってはいけない」といったムードが働いている。反対や異論を嫌うのである。そこから、“全員一致”あるいは“一枚岩”の思想が生まれてくる。しかし、自分の中でもさまざまな相反する考えが浮かぶように、大勢の人の間に多くの考えの違いが生ずるのは当然のことである。「違って当然、しかも一致している」。では、何が違って、何が一致しているのか。

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※この論考は知人のブログ『ビジョンと断面』(現在このブログは閉じられている)に掲載された元学園生Iさんの手記を読んで、吉田さんがそのブログに投稿したもので、その後私宛にメールで送られてきたものの一部である。

 この学園の「個別研」について、私の子ども、その友人たちから聞く機会が何度かある。特に中等部時代(彼らの1990年代)の酷さは聞くに堪えられないような話が多い。手記にあるような話は特別のことではない。男の子たちは、特にある男の人に、絶えずびくびくしていたそうである。その人は精神科医でもあり、実験材料にされていたのではないかという子もいた。

 付け加えておきたいこと。もっとも恨みをかっていた人は、当時の学園全体を見ていた指導的な人たちに、怖い存在の役割を任されていて、重宝されていたことである。
 実際にあったことは、実顕地を離れてから聞くことが多く、とにかく酷いなと思うようなことの連続である。

 私自身は、学園、学育の方針などについてほとんど関わっていなかったが、ある期間、指導的な立場の人と様々なことを考える機会が度々あり、そのことを含めて当然、私も責任を負うべきであると思っている。