広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

理想社会を求める人や集団の留意点(ヤマギシの<失敗学的>考察11)

※先日ヤマギシズム学園のことを考えるに際して年表を作った。それは、幸福学園運動から始まり、1975年から始まった子ども楽園村開催の発展により、ほどなく学育構想が生まれ、幼年部から大学部まで順次生れることになり、1999年「やまぎし学園」設立認可申請取り下げ迄、実顕地の動きと共に簡単な年表をつくってみた。その年表で、学園やジッケンチの華々しい動きが、徐々に各種問題点が現れてくる過程が具に出て来て、その渦中で推進メンバーと活動していたこともあり、作成していて、いろいろ思うことがあり、そのことで考えてみた。(その記録は「ヤマギシズム学園変遷」としてブログに掲載した。)

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〇理想社会を求める人や集団の留意点
 28歳から25年ほど暮らした実顕地生活を振り返る中で特に思うことは、私のなかに、ヤマギシズム運動、実顕地活動は、かってない社会を目指しているという根拠のない倨傲が心のどこかにへばりついていて、おかしなところが多少あるにしても、いずれ正されていくだろうという、あまりにもお粗末な甘さもあったのだろう。

 むろん、疑問を覚え、見切りをつけ離脱したのだが、25年ほどそこで暮らし、しかも長い間私は、そこでは様々なことを進めていく立場にあり少なからず影響を与えていたのではないか、また疑問を感じることもありながら、あまり突き詰めることをせず、もっと自分のやれることがあったのではないかなど、後悔のようなものも感じている。
 同じようなことを繰り返さないために、失敗から学ぶことや学びほぐすことを欠かすことができないと思っていて、ブログに「広場ヤマギシズム」を立ち上げている。

 ここでは、自分のあるいは組織の描く理想像への過信というか、自分(たち)はかってない社会を目指しているという奢り高ぶりともいえる傾向への知性のあり方について見ていく。
 ヤマギシ社会に限らないが、理想主義者の『理性・知性への過信』、独りよがりなものの見方、自分の描く理想像に酔っていて、それと違う見解を受け付けようとしない傾向ともいえる。
 といっても特別難しいことではなく、次のことなどを心しておいたらいいと考えている。

1.自分の見方は、自分がそう思っているに過ぎないこと。
2.どのような思い方も、自分はそう思う、その人にはそう見えているということ。
3.人間の究極の問題として、自分がまちがっているという可能性は、科学的に考えて排除することはできない。
4.人間が誤り多い動物であり、その集団も不完全で当然誤りやすいものであること。
 上記の基本的なことを抑えて、大事だなと思うことに対処していく。幾つか思いつくことをあげてみる。
5.どんな人でも間違いや過ちはあり、人間のできることは、間違いや過ちを謙虚に認め、そこから冷静に分析し学び、少しずつ方向を改めてゆきながら、むしろ間違いや過ちから学ぶこと。
6.したがって、他からの批判に対しては、まず謙虚に耳を傾け、共によきものを目指していく。
7.人は誰でも、その時代、社会状況、身近な環境の影響を受けながら、考え方、感性などを培い身につけていく。その自覚の中で、特にこれは大事なことだと思うことは、まず今の自分の見方はどうなんだろうと一旦留保しながら、問い返すことを大切にしたい。
 他にあるかと思うがここまでにする。

 自分の手掛けていることに、やりがいや意義を感ずることは、その人の自己肯定感からも大事なことだし、現在、わたしの共鳴する活動については何らかの応援もしたいと考えている。
 しかし、ひたすら有意義なことをしている、自分の善意に紛れ込んでいる欲望を意識化できていない、自分のものの見方に対する疑いを感じさせない論考にはついていけないものがある。

○理想を高く掲げた人と集団の、他を思い通りにしたいという心の働き  
 自分の思い描くように自己の内面を深めようとする意欲・心の働きは、その人の成長につながるもので、そのように自己を誘ってきた人も多いだろう。
 しかし、理想を高く掲げた人は、その理想の実現に燃えていて、そこに疑いや問いを発することなく、その実現に邁進することに躊躇するものがない状態に陥りやすい傾向がままある。特にある理想を掲げた人々が、共鳴者を得て集団化・組織化すると、ますますその傾向が強くなる場合がある。

 その結果、その理想に沿うように自己の内面を深めていくと同時に、あるいはそれ以上に、周りを自分の思い描くように、ひどい場合は、他を思い通りに動かそうとする意欲が言動に現れる。
 理想を掲げた組織に共鳴した人の、その理想に合わせるような傾向が強いと、集団として構成員を、意識下でそのように仕向けていくようなことも生みやすい。
 指導的立場の人が、本人の自覚がないまま発した言動から、受け取る側の姿勢、態度から影響を及ぼすこともある。厳密にみていくと「他を思い通りに動かそうとする」心理が働いていることも多いが。

※この記事は「理想社会を描く人のある種の傾向について➀②」を編集したもの。