広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎青春彷徨と、その時代背景(新・山岸巳代蔵伝⑤)

2 青春彷徨と、その時代背景
 この稿では山岸巳代蔵の青年期二〇歳前後の社会状況をみていく。
『山岸会養鶏法 農業養鶏編』「六 本養鶏法の沿革」(一九五四年二月)は次の記述から始まる。

《六 本養鶏法の沿革
・月界への通路
 私は一九歳の時、或る壁にぶつかり、苦悩の内に一生かけての仕事を始めたのです。そして人生の理想について探究し、真理は一つであり、〝理想は方法によって実現し得る〟という信念を固め、只今ではその方法を「月界への通路」と題しまして記述し続けております。

・養鶏への動機
 この仕事をなすために、別に職業を必要とした訳で、ふとしたことから養鶏を職業としたのです。

・滋賀県時代
 さて養鶏も職業となると、なかなか容易なものでなく、一九二二年人工孵化を、養鶏未開地滋賀県の僻村で小規模に始めました。》
(『山岸会養鶏法 農業養鶏編』「六 本養鶏法の沿革」より)


「私は一九歳の時、或る壁にぶつかり、-----」のことは、折に触れて語っているが、それ以外二〇歳前後のことは、あまり語ったものが見つからなく、主に関連のありそうなことをあげてみる。

 なお、どの様な歴史記述であろうと、著者の視点から主観的になることは否めないが、いくらかのものを参考にしながら記録した。
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 ある人の性格、感性や思想は、その人の生まれ育った風土と家庭環境や時代状況に影響されながら育まれていく。山岸が二一歳で方向が定まるまでの時代状況について見ていく。山岸の青少年期は一九〇一年(明治三四)から一九二二年(大正一一)頃までである。

 昭和天皇もこの年に生まれ、この年生まれの日本人は、大正時代の息吹のなかで、育ち青春期を過ごしたことが一つの特徴となるだろう。

 小学館発行の『日本の歴史 全十六巻』は〝「いのち」と帝国日本〟というタイトルで第十四巻(小松裕著)をあてている。著者は「本巻が対象とする時期は一八九四年(明治二七)の日清戦争から一九二〇年代までである。
 これまでの通史ではありえない時期区分を行なった理由は、近代国家権力の本質とも言うべき『いのちをめぐる政治』が、この時期にこそ明確に出現してくるからである」と述べている。

 それを生み出し、支えたものとして、①明治維新後の文明開化にはじまる「文明意識」、西洋化・近代化の流れ。②日本人としての「日本民族意識」の高揚。③日本国民としての「国益」「国家目的」という考え方。を大きな要因として挙げている。それは政治的に展開される一方、民衆側からも根源的なデモクラシーの主張がなされてきたとする。

 この資料などを参考にして、山岸の青年期にひきつけてこの時期について見てみる。

「日清戦争」、「日露戦争」(一九〇四年)を経て、近代日本人としての民族的高揚感とともに、「台湾支配」、「韓国併合」などアジアへの植民地支配、同化政策がすすむ。一方、公害運動の原点である「足尾銅山鉱毒事件」(十九世紀末頃)、日露講和条約反対の「日比谷焼打ち事件」(一九〇五年)、当時の社会主義者が一挙に逮捕される「大逆事件」(一九一〇年)などの思想的な流動があり、大正に入り吉野作造の「民本主義」(一般民衆の意向尊重による民衆のための政治)が支持され、様々な民衆運動、社会運動が展開する中で、富山で米騒動(一九一八年)が起こり全国的に拡大する。

 
 諸国では、ロシアで十月革命(一九一七年)、翌年に第一次世界大戦中のシベリア出兵があり、朝鮮では反日感情から三一独立運動が起こり、中国北京で五・四運動が起こる。
 
 この時代の民主主義運動は国民的一体感(ナショナリズム)と日本型デモクラシーの相補関係をもちながら展開していった。

 また、社会全体の大きな変化の一つとして、文化の大衆化が挙げられる。中央公論社(一九一二年)、岩波書店(一九一三年)、改造社(一九一九年)が続々と設立され、雑誌文化が花開き円本ブームを迎えることになる。

『中央公論』一九一六年新年号掲載の論文で、吉野は「民本主義」という言葉を使った。それ以後同紙に次々と論文を発表し、新しい考えを求める人々に受け容れられることになる。

 このような時代背景の下で、山岸の青春彷徨があり理想社会の究明がなされた。

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「引用文献」
『山岸会養鶏法・増補改訂・ 農業養鶏編』「六 本養鶏法の沿革」→『全集・第一巻』(一九五五年七月)
小松裕著〈『全集 日本の歴史 第14巻「いのち」と帝国日本』(小学館,二〇〇九年)
〈書籍の内容 :日清戦争に始まり、10年ごとに繰り返された対外戦争で失われた無数のいのち。帝国日本の発展の陰で犠牲にされたこうした人びとの「生」の実相に徹底的に寄り添うことで、国益や国家目的の名の下に、人びとのいのちに序列をつけ、一方は優遇し一方は抹殺するという、いのちを選別し、管理し、支配し、動員してきた国家の実態をあぶり出す。さらには、この時代の「いのちを生き抜いた」人びとの言葉に耳をかたむけ、具体的には、兵士が見た戦争像や米騒動の実態、アジア諸国の人びととの関係、つまり戦争・デモクラシー・アジアの三つの視角から新たな近代史像を掘り起こし、いのちの基盤が弱まりつつある現在社会を考える手だてとする。〉