広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎「多一論」と山岸巳代蔵

〇中島岳志×島薗進『愛国と信仰の構造』を読みながら、山岸巳代蔵とヤマギシズム運動について考えていた。

 そこで中島岳志は、「明治期に近代化の過程で『自己とは何ぞや』と悩んだ煩悶青年らの潮流が国体論的なユートピア主義に傾倒し、その煩悶青年の一部は、理想的な社会像を『一君万民』、つまり天皇の下での平等な世界に求めた。」と述べる。

「煩悶」とは知的な探求を好む自由な個人の実存的な悩みという意味合いだが、が、1903年に華厳の滝に飛び込み自殺をした藤村操の「我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る」という言葉が書き残されていて、そこから「煩悶」という言葉が流行した。

 1901年生まれの山岸巳代蔵は、煩悶青年として青春彷徨する中で理想社会を描き、その思想から1953年「山岸会」が生まれ、そこに理想社会の雛形を覚えた農民や青年たちが共鳴、参画し、70年後の今も農業法人として、ある程度の人数を抱え実績をあげている。

 だが、山岸巳代蔵没後にヤマギシズム・実顕地運動が勢いをつけ、巳代蔵の影響を受けてもその構想とは大きく変容したもので、理想社会づくりに燃えていた人の多くが離脱し、その独特の形態に注目する研究者もいるが、現在そこに参画する人はほとんどいない。

 『愛国と信仰の構造』の書で中島悟志は「多一論」の概念を提示している。
 そのことから山岸巳代蔵の思想に共通するものがあると思い、ここに一端を述べてみる。
 
『愛国と信仰の構造』の感想は3回に亘って述べた。中島悟志の「多一論」は、➂に掲載した。

 なお感想➀「ユートピア主義と全体主義」、②ユートピア主義と近代科学は、➂多元主義と「多一論」とともに、ブログ・日々彦「ひこばえの記」に掲載した。
 https://masahiko.hatenablog.com/
         ☆

『愛国と信仰の構造』の第七章「愛国と信仰の暴走を回避するために」では、我が国のネット右翼の台頭や世界各地で進む伝統宗教の復興、宗教ナショナリズム、原理主義が存在感を強めている理由から、違いのある他者を尊重する「多元主義」の話題になる。

 そこで中島岳志は「多一論」という概念を提示している。
「多一論」とは、地球世界という相対レベルにおける多様な個物は、絶対レベルにおいてはすべて同一同根のものであり、地球世界における「多なるもの」は「その一なるもの」の形をかえた具体的現れであるという概念である。

 これまで中島岳志は「多一論」について『「リベラル保守」宣言』などで、次のようにのべる。

《「価値相対主義」は「あなたの考え方は、自分の考え方と異なるけれども、ひとつの考え方として認めましょう」という立場である。自分とは相いれない相手の考え方をとりあえずは承認するものの、価値観の共有にまでは踏み込まないのが相対主義である。

 このような立場に立つと、異なる他者との「住み分け」を模索することになる。文明の衝突を避けるためには、相手の価値観には干渉しないが、私の価値観にも干渉しないでくれ、という態度が表面化する。差異性を強調すれば、世界はバラバラになる。しかし、同一性を強調しすぎれば、一緒になることの強制が起こる。

 この二分法を超えるヒントとなるのが、インド独立の父であるマハートマー・ガンディーの議論である。ガンディーは宗教と真理の関係を山登りにたとえて次のように言う。

 山の頂は一つだ。しかし、その登り道は複数存在する。これと同じで、世界の真理は一つであるが、そこに至るための道筋は複数存在する。この複数の「道」が世界各地の宗教であり、それぞれの宗教にはそれぞれの「真理に至る道筋」が存在する。しかし、究極の真理は山の頂と同様に一つであり、相対世界を超えた絶対レベルにおいて、すべての宗教は同じ一つの真理に行き着く。

 ガンディーは「真理」と「道」の違いを勘違いして、世界中で宗教対立が起きている現状を憂い、このように諭したとされる。宗教の単一論、特定宗教の絶対化、宗教の相対主義、いずれの理論も超越している。彼は絶対レベルにおける真理の唯一性と、同時にそれに至る道の複数性を認める「宗教の多一論」を主張したのである。

 仏教に、「多即一、一即多」という考えがある。「多」なるものは「一」なる真理へと収斂し、「一」なる真理は「多」なる存在としてこの世にあらわれるという考え方である。ガンディーの思想はこの仏教思想と通底している。》


 そのことなどから、書評で次のことを述べた
〈中島氏のいう「多一論」は面白い概念で、わたしが関心を持ち続けている、山岸巳代蔵も真理の捉え方やあくなき追求は独特だが、しいていえば、その系譜につながると思うし、その思想から生まれたヤマギシ会運動も、理想社会やユートピアにつながるものと覚えて参画した人も少なからずいると思う。〉
         ☆

 山岸巳代蔵は、「真理」についていろいろな機会に言及していて、晩年に力を注いでいた『正解ヤマギシズム全輯』にも、「真理と人間の考え」についての探求は、ヤマギシズム解明の基本的な考察課題となっている。山岸の口述を奥村通哉が筆記したものを元に編集した〈正解ヤマギシズム全輯を通じての前ことば〉に、「ヤマギシズムについて」の一文がある。

《ヤマギシズムとは一口に言うと、すべてに本当、即ち真なる理は正しいと思う考え方で、何事を考えるにも行うにも、真理に即応しようとする思想である。

 物事を観、聴き、触れ、究める場合でも、そのものをそのまま信じて正しいとキメつけないで「真(ほん)ものに照らした場合、果たしてどうだろう」で、真理主義とでも、真理即応主義とでも、合真理主義と言ってもよいようでもあり、またそういう言葉にすることによって、人により解釈に誤りが起る。真理は正しい。正しいのは真理であり、本当だと思うが、人によって解釈が異なり、誤りやすくなる。

 人間の考えで真理だと思っていることでも、不完全な人間の考えのことだから、絶対間違いないなどと言い切れるものでなく、どこまでも真なるものを求めて、そうかどうか分からないものとして究明していこうとする、固定したものを持たない思想である。》


※「ヤマギシズムとは」から「人間の考えで真理だと思っている」までの部分は、山岸直筆の草稿があり、そこでは「合真理主義」が「合理主義」となっている。

 山岸巳代蔵は、真理に即応した理想社会のあり方と、その実現のための知的革命の理念と方法を模索し続け、その道を歩み続けた。その過程で様々な提言をし、多くの人に影響を与えた。ヤマギシ会もその一つである。


 また、山岸巳代蔵の思想の一端がよく分かる『正解ヤマギシズム全輯 第二輯』の「保ち合いの理」を見ていく。

〇保ち合える真理こそ、愛の無測・無限・無形の力
 ここで取り上げる「保ち合いの理」は山岸らしい特徴ある世界観で、山岸の宇宙・自然観であり、この「保ち合いの理」は「一体観」「愛情観」などの理念へとつながる。

《宇宙、天体、太陽、地球、月等を含む星と星との保ち合い。地球も太陽もどの星も、何ら強固な不動のものに固定していない。空間に点在するのみで、安置の場所もなく、固定した軌条もないのに、時間・距離をほとんど正しく自転・公転等を正しく律動している。この不安定状態の中で安定状態にあることは、引力か磁力か、相互の何かの作用によって保ち合っているためだと思う。

 相互間に、力の測定も契約も、宇宙創生以来なされていないだろうし、各々自律的に、他との関連作用によって、無識の中にそれぞれの場を得ているようだ。即ち、契約も、掟・命令も、指導も、守らねばならないとする軌範もないにもかかわらず、少しも逸脱がない。約束もないのに、正しく保ち合えるもの。保ち合える真理こそ、愛の無測・無限・無形の力だと思う。与えるものでもなし、求めるものでもない。権利も義務もない。領空・区画もない。意志も意欲も思想もない。感情もない。大小軽重の差もない。熱も光も音もない。冷たくもない。温かみもない。念もなし。しかして、宇宙万物何物も作用している。愛の作用のない個は成り立たない。

 真理とか、保ち合いとか、愛という文字・言葉そのものでもない。理論でもない。力というより、保ち合いの作用。中心がどこにもない。頂点がない。特例・特定がない。》(『正解ヤマギシズム全輯 第二輯』「愛と愛情の関連」)


 これは『正解ヤマギシズ全輯』の一つとして、山岸にとって大きな問題意識のあった「愛と愛情の関連」のメモからのものである。同内容のものが多少表現を変えていくつか書かれている未完の一節である。この「保ち合いの理」は、「愛と愛情」だけではなく、一貫して流れているもので、人類一体観、夫婦一体観などの一体観の基盤となる観方である。
 
 個々別々のものが寄り集まって一体になるというものではなく、この世に存在するあらゆるものが、保ち合いの理によって成り立っているという自然全人一体観である。

『山岸会養鶏法』に、「空気や水や草や塵芥(じんかい)が、卵に変わる自然の根本妙手を知ろうとしませんか」との一節があるが、あらゆるものは無縁の関係性(縁)によって生じているという観方であり、同一の論理を共有するから一つになるというような一体ではなく、文化や思想や人種など異質な要素があろうとなかろうと、生きとし生けるものすべて、生物であろうと無生物であろうと、存在すべてがもともと一体であるという観方である。

 この世に存在するものにはすべて「華」とも呼べる命の耀きがあるという、「華厳」の思想では、この世界は「一即一切・一切即一」であるとし、あらゆるものが一つにつながり、関わりあって存在しているという世界観であり、それと相通じるものである。

          • -

 
 参照:『正解正解ヤマギシズム全輯 第二輯』「愛と愛情の関連」→『全集・第七巻』(一九五九年)
    『正解ヤマギシズム全輯を通じての前ことば』「ヤマギシズムについて」→『全集・第七巻』(一九六〇年三月)
    中島岳志×島薗進『愛国と信仰の構造』(集英社新書、2016)
    中島岳志『「リベラル保守」宣言』(新潮文庫、2015)