広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎ (48) 問い直す⑦ <自発的自己抑制>の構造(福井正之)

〇先回、いうなれば「自分以外の何者かになろうとする」願望について考えたが、そこで私は「今ある自分の姿」とは何かが改めて問われたように思う。その過程で、私はどちらかといえば単刀直入に問題に当たってしまう自分の性急さのようなものに気づかされてきたが、吉田さんにはいろんな情報に目配せしながら手順、段階をしっかり踏む慎重さがある。そこにこそ問い直しがくり返しでなく、深まっていく要因があると改めて感じる。「自分」という言葉に関わりがある「私意」について触れた以下の輪述もそうである。 

〈前に私意尊重公意行を考えたところで、私意の尊重がないところで公意は成り立たないと書いた。しかし、私意が尊重されるためには、私意というものがはっきり成立していなければならない。当たり前の話であるが、いつ、どこでも、自分の意思・感情・欲求等を自由に表明できるかと言えば、事はそんな簡単なことではない。(中略)

「こんなことを言ってはまずいのではないか」
「流れに逆らうようなことは出さんとこう」等々

 こういう自己規制のようなものが働いて、自分の意見を出さないことがずいぶんあった。これは私だけでなく、多くの村人の心理を捉えていたように思う。だからどの研鑽会もいわゆる公式発言が多く、中身の乏しい面白くないものになっていたのではないか。

 これは一人ひとりの問題でもあるが、根本は自己規制を促すような村の気風の問題である。調正所を中心とする指導部門がテーマを通じて「これが正しい考え方だ」と方向づけると、どうしもそれに沿って考えようとし、本心とは別の意見を出すことになる。個の自立が妨げられ、それをまた一体と勘違いしていた。しかし個の自立がないところには同化はあっても一体はない。つまり個のないところ私意は存在しない。私意尊重も公意行も成り立たない。〉(112~113p)

 私も当時の自分の私意についての理解について、まったく同様のものを感じていた。私はムラ出後それを単なる自己規制というよりもっとシビアーに「自発的自己抑制、いいかえれば自己感情への自らの意識的ないし無意識的抑制と捉えなおしてきた。ただ当時は全く逆にそれを指導部門に沿っていく<自発的自由の実践>だとみなしていた節がある。

 もちろんそれも純粋な完璧さはなく、そこになんらかの無理があったことは、のちにそのことをイヤーな虫唾が走るような嫌悪として、いやでも思い出さざるをえなかったからである。私もかなり長い間常連だった「経営研」その他の研鑽会(ムラでは〝上級〟と見なされていた)なるものの場面や雰囲気は、今でもありありと思いだしてしまう。忘れようがないのである。そこでは

〈リーダー格の誰かが言いだすと、ほっとしたような首振りがさざ波のように広がるのだった。その沈黙の原因はいうまでもなく自分の発言がその場の“正解”として肯定されるか否かの不安があったからである。こういう“自己検閲”がくり返されると、本来真意を吐露すべき研鑽会では“フン詰まり”状態となり、その場の“正解”なるものに合わせ続けているうちに、自分の本音は何だったのかすらぼやけてくるのである。〉(「ジッケンチとは何だったのか、1」)

  いや、ぼやけるどころではなかった、自分の<本音>すらなかったといってもいい。なんでそんなことになってしまったのか? それももはや信仰者に限りなく近い、いやちょっとちがう節もある。想い出そうとしているうちに、ふと「自由からの逃走」ということばが過った。検索してみるとファシズムの心理学的起源を明らかにしたとされるエーリッヒ・フロムの名がある。名前は著名だが読んではいなかった。語録を探ってみる。

「個人的自我を絶滅させ、耐え難い孤独感に打ち勝とうとする試みは、マゾヒズム的努力の一面に過ぎない。もう一つの面は、自己の外部の、いっそう大きな、いっそう力強い全体の部分となり、それに没入し、参加しようとする試みである。」(『自由からの逃走』)

  ヤマギシはたしかにナチズムではない。発端も、背景も、構造も異なる。しかしある局面で、いわば全身的にかかわってきた私という個の内面で、なんと近似的なのだろうと思わせる。かのアウシュビッツですら精神的自由があったことは『夜と霧』等によって知られた事実である。しかし<心物豊満>といわれる社会のただ中で、逆の心象が見出されるのである。これは辛い。しかし残念ながら、この反転は私のなかでもう何度もくり返されてきた。したがって私はここで舞い上がってはおれないし、そういうふうに見えてくる場の冷静な解析が不可避である。

「孤独感に打ち勝とう」「マゾヒズム的努力」といってもどうもピタリではない。しかし私がのちに思い返された「自発的自己抑制」とは、マイ自我を抑え込もうとしたマゾヒズム的な努力以外の何かだろうか。それが当時そう見えなかったとすれば、それを「自発的自由の実践」とみなす自己粉飾(メッキ化)が成功していたからだと思う。そしてその鼓舞要素となったのは、「力強い全体の部分となり、それに没入」するという日々だったはずである。

 この背景にあるのは、吉田さんご指摘のようにムラの気風とそこでの<調正>指導部門の方向付けの大きさだった。私がそこに見たのは、はじめはそれほど気づかなかった組織の上下感覚の拡大だった。いわゆる特講以来、研鑽会での通例の感覚は、自分を放ち晒し他のそれを受け入れる「一列横」の同志の対等・平等の感覚だった。しかし起こったことは、研鑽会参加者のA、Bの区分け、<見守られているから、監視されているへ>という上下感覚、メンバー間の自他隔離等々、きわめてドラスチックなものでそんな曖昧なものではなかった。 

 しかし、なぜそれを受け入れてきたのか? 私は機会があるたびにそれらの疑問を記述してきたが、どうも一般論で自分の置かれた場の制約を越えてはいなかったと思う。したがってフロムのいうマゾヒズムについては充分思い当たるが、その動機として「孤独感に打ち勝とう」とする動機は生まれなかったと推測する。それなりに身内的な仲間はいたから。しかしそういうシビアーな孤独体験のあるメンバーもいたはずだと思う。そのことも考え、もっと厳密に問い直してみると、私にも「上から認められたい」という欲求はあった。それこそ実はわが孤独感の発条だったのではないかと気づく。

  これらの現実経過は、「私意尊重公意行」の理念(理想)から照らし出してみると、どんなことになってくるのか。<私意抑圧、上意行>になっていなかったのであろうか。しかもその欲求や感情のみではない「私意」を見つめ直す試みは、放棄されることで容易に消滅していくのではないだろうか。そういうことへのこだわりは、しばしば我執だとみなされる集団では特にそうなりやすい。

 そして「私意尊重公意行」の世界はどうしても全体主義的イメージは感じにくいが、あの集団からはどうもその匂いがしてくる。自動解任がほとんど機能しなくなっていたからばかりではなさそうだ。2017/6/16

 参照:◎吉田光男『わくらばの記』(8)(2018-05-03)