広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎山岸巳代蔵の思想、真理について

※わたしが持っている資料や『山岸巳代蔵伝』から山岸巳代蔵の著作を随時紹介していこうと考えています。なお、『山岸巳代蔵全集』は大きな図書館にはあると思うので、原文および関連するものはそちらを調べてください。


〇『正解ヤマギシズム全輯 第二輯』「愛と愛情の関連」
4 保ち合える真理こそ、愛の無測・無限・無形の力
 これから取り上げる「保ち合いの理」は山岸らしい特徴ある世界観で、山岸の宇宙・自然観であり、この「保ち合いの理」は「一体観」「愛情観」などの理念へとつながる。

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〈宇宙、天体、太陽、地球、月等を含む星と星との保ち合い。地球も太陽もどの星も、何ら強固な不動のものに固定していない。空間に点在するのみで、安置の場所もなく、固定した軌条もないのに、時間・距離をほとんど正しく自転・公転等を正しく律動している。この不安定状態の中で安定状態にあることは、引力か磁力か、相互の何かの作用によって保ち合っているためだと思う。
 相互間に、力の測定も契約も、宇宙創生以来なされていないだろうし、各々自律的に、他との関連作用によって、無識の中にそれぞれの場を得ているようだ。即ち、契約も、掟・命令も、指導も、守らねばならないとする軌範もないにもかかわらず、少しも逸脱がない。約束もないのに、正しく保ち合えるもの。保ち合える真理こそ、愛の無測・無限・無形の力だと思う。与えるものでもなし、求めるものでもない。権利も義務もない。領空・区画もない。意志も意欲も思想もない。感情もない。大小軽重の差もない。熱も光も音もない。冷たくもない。温かみもない。念もなし。しかして、宇宙万物何物も作用している。愛の作用のない個は成り立たない。
 真理とか、保ち合いとか、愛という文字・言葉そのものでもない。理論でもない。力というより、保ち合いの作用。中心がどこにもない。頂点がない。特例・特定がない。(『正解ヤマギシズム全輯 第二輯』「愛と愛情の関連」)〉

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 これは『正解ヤマギシズ全輯』の一つとして、山岸にとって大きな問題意識のあった「愛と愛情の関連」のメモからのものである。同内容のものが多少表現を変えていくつか書かれている未完の一節である。この「保ち合いの理」は、「愛と愛情」だけではなく、一貫して流れているもので、人類一体観、夫婦一体観などの一体観の基盤となる観方である。
 個々別々のものが寄り集まって一体になるというものではなく、この世に存在するあらゆるものが、保ち合いの理によって成り立っているという自然全人一体観である。
『山岸会養鶏法』に、「空気や水や草や塵芥(じんかい)が、卵に変わる自然の根本妙手を知ろうとしませんか」との一節があるが、あらゆるものは無縁の関係性(縁)によって生じているという観方であり、同一の論理を共有するから一つになるというような一体ではなく、文化や思想や人種など異質な要素があろうとなかろうと、生きとし生けるものすべて、生物であろうと無生物であろうと、存在すべてがもともと一体であるという観方である。
(『山岸巳代蔵伝」第七章より。※『山岸巳代蔵全集」第七巻所収)


〇『山岸養鶏の真髄』「真理から外れて、真果は得られない」
 出発点においても、その過程においても、真理に即したものでなければ真果は得られない。また、小さくても本質的なものが実れば、燎原(りょうげん)の火の如く、おのずから世界中に拡がっていくというのが山岸の基本的なコンセプトである。
 山岸の思想の根幹となる考え方に、「真理から外れて、真果は得られない」がある。

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〈栗の実を稔らそうとするには、一個の本当の栗の実を土に捨て、芽がふき、根を張り、幹をのばし、三年、五年を待たねばなりません。実からすぐに実が生まれるものでなく、小さい本物の実を得るためには、直接用のない枝葉まで繁らさねばなりません。
 この文章も、実を急ぐ人には廻りくどいでしょうが、求められる物とは縁遠くて、不必要に見える部分も根であり、枝葉、幹ですから、山岸養鶏の真髄を会得する上に、最も重要欠くことのできない条件として、気永に一句も余さず読み、かつ役立てていただきたいです。そして枝にたわわに成り下ったからとて、木に攀(よ)じ、痛いイガに触れる無理しなくとも、実は自然のままにはぜて手に帰するように、実を実を、利を利を、と余り焦らなくとも―焦らない方が、労少なくてよい実が得られます。
 真髄さえ掴めばすべてが簡単に解り、いちいち手を下さなくとも、苦労知らずに、年ごとに豊かな秋の稔りが満喫できます。
 物には順序があり、踏み外さない途を知ってから進むことで、この養鶏法では言われるまま、説かれるままに、自分の考えもみんなと共に研究して練り直し、ただ一筋に素直に進むことが真髄です。
 自己断定で一足跳びに幼稚園から大学へ行こうとしたり、横道へ外れては失敗します。永久に続く、動かぬ真理の一本の途を、一歩一歩踏み締めて行くことで、この道こそ安全保証が出来ますし、責任を持って推奨するに足るものです。
(『山岸養鶏の真髄』「真理から外れて、真果は得られない」)〉

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(『山岸巳代蔵伝」第十二章より。※『山岸巳代蔵全集」第二巻所収)