広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

(44)問い直す③ 真理って?、だが真実なら(福井正之)

 私自身の2000年当時の<真理観>については、その時期からかなり経った『ジッケンチとは何だったのかⅡ部』(2009、左上資料編参照)において次のように記述している。

〈たしかにもともと人間は、どこまでも理想・真理を求め、理念自体に化すことができる。私はそこに人間の偉大さがあるとどこかで考えてきた。その結果がヤマギシ参画とそこでの取り組みだった。ところがその真理とはどうして知りうるのか?

 それは普遍的であり個々の主観的感覚を超えたものだから、感覚からは知ることは困難である。またそれは俗人ではない真人こそ知りうる、と。ならば真人を目指すべきだろうが、私には「真理」なるものは「特別人間」の所管に見えてきた。ならばまたその特別人から学び、あるいは信仰すべきだろうが、その気も起らない。〉(8、「特別人間」ではなく普通人として)


 これは当時の私の精一杯の認識であった。念のため吉田さん自身の<真理観>を確認しておきたい。彼の真理観についての記述は多いが、私の上の文脈に近い部分に限ってあげてみると

 
〈かつて私たちはよく「真理」を口にし、「真理にそって」などと言っていたが、自分たちの行為が真理にそっているかどうか、誰が検証し誰が保障するのか、みんな自分たちがそう思い込んでいたにすぎなかったのではないか。〉(89p)

〈中島(註、岳氏)氏によれば、ガンジーも、鈴木大拙も、西田幾多郎もこの多一論(註、いわば多神教)で、「一なるもの」は言語化できないとしている。つまり、それが真理である以上、人間の相対的な言語によっては表現できず、人間は真理の影しかとらえられないという。〉(91p)


 真理についてのこのような認識から、私はいわば「かなり開き直ったともいえる方向に転身して」いった。以下はその認識の発端となった文章である。

〈だから与えられ学ぶべき「真理」は私には縁がない世界だと思うことにした。私が手掛かりにできるのは、今のところわが全心身で嗅覚でき、かつ実感できる真実しかない。聖人君子なる「特別人間」(山岸氏はその言葉を否定的に使ったが、私は彼こそ「特別人間」であると断ずる)になりたい人は勝手にやったらいいだけである。普通の庶民感覚からすればそれは<ヘンな人>である。そしてこの思いは私の二十年のジッケンチ体験が齎す慙愧の思いであり、自分のなかでわずかに残しうる感覚的な智恵に属すると思っている。

 もちろん私は歴史上理念に準じた偉大なる人の存在を否定できるとは思わない。ただ彼らの偉大さはその思想・事業・実績にも拠るが、あまり表面化されないその<「特別人間」としての矛盾>を極限まで生き貫いたことにある、と考える。山岸巳代蔵も然り。〉(8、「特別人間」ではなく普通人として)

 私が「山岸巳代蔵」氏への、このような批判的言辞を公開文書で吐露したのは、これが最初で最後である。「特別人間」とはいうまでもなく青本の「幸福研鑽会」の中で、「特別人間や、神や、仏は仲間入りして居ませんから、或る人を盲信し、屈従迎合しない事で・・・・・・」(「5.命令者はいない」)とある。今わが拙文を読み返してみると、山岸さんに「そういうお前こそ特別人間じゃないか」と断定しているのである。こっちが一方的に彼を<特別人間>化しておいてのこのような指摘は、今から考えれば無礼、無分別極まりない言辞かもしれないが、この部分を撤回したり隠匿する気はない。その時の私は事実そのように在ったというしかない。

 逆に言えば、それまでずっと彼を「特別な人」として<自発的に>「盲信し、屈従迎合し」てきた部分もなかったとは言わない。もちろんそこに特講も大きく介在する。その流れで後継幹部諸氏への迎合も続いたが、逆にいえばそういう幹部諸氏への反発が山岸氏への幻滅へと突き進んだ。

 その後、私が依拠してきたのは、上述のように「わが全心身で嗅覚でき、かつ実感できる真実」しかなかった。そこで私は時には「ひととともに」あろうとする心情(真情といってもいい)に出会うことができたが、それはしばしば自己保存の危機に基づく打算との葛藤のさなかであった。


〈ただなにかに触れたような気がする/やさしさの磁場というのか/それはたぶん悲しみと不幸の場に虹のように架かり/触れるとやさしさが吹き出す/ふだん 疲れ固まっているぼくにでも/ やさしい人に育たなくとも/やさしい人になろうと取組まなくとも/やさしい人になれと強持てに 迫らなくと/その場に触れたらだれにでも吹きだすやさしさ〉
                            

〈そのような自己保存のための葛藤が乏しい環境で実践される理念は、一見華々しいがどこか空疎・上げ底で<理念のための理念>と化していった。語彙不足の貧しいイズム用語で研鑽すればするほど、実感を欠いた思い込みの固定になっていなかったろうか。参画者が街に出てみたくなる動機の一つは、私がそうであったようにまさに<実感を求めての旅>にあった。〉(同上8、「特別人間」ではなく普通人として)(続く)
2017/3/19

参照・(連載)吉田光男『わくらばの記』(7)2018-05-03