広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎吉田光男『わくらばの記』(21)

※今回で吉田光男さんの21回に亘った連載『わくらばの記』は最後になります。
 これ以後も、随時その中の文章を取り上げながら、ヤマギシズム関連などの考察を書いていきたいと考えています。
 また、福井正之氏も「わくらばの記」についていくつかの論考をご自分のブログに掲載していました。そのブログは閉じられていることもあり、このブログに載せていきたいと思っています。
 今後ともよろしくお願いいたします。


〇わくらばの記 断想(17・4)

*人間の社会には、偉い人ができやすい。偉い人になりたがる人もたくさんいる。自分にもそうした傾向がある。かつて調正所の世話係をやっていたころ、どこか村人の上に立っているような錯覚を抱いていた。この村とこの運動を正しい路線に導かなければならない、といった思い上がった考え方である。今でも、調正所の係りになると、一段上に立っているように思っている人がいるように感じられる。

 山岸さんは、青本の中で、この社会には指導者や偉い人や特別人間はいない、と何回も言っているのに。


*ある人が見舞いに来てくれて、こんな話をして帰った。

 研鑽会で自分の思っている本当のことが言えない。一度正直に出したことがあるが、〈指導部〉のある人が「まだそんな馬鹿なことを言っているのか」と言い、何となくみんながシーンとしてしまったので、それからは言わないこ とにしている、と。しかし、本当のことが言えない研鑽会で、何が研鑽できるのだろう。 

*研鑽とは何だろう。あらかじめ正しいことがわかっていて、それを広めるためのものであれば、それは講習会であって研鑽会ではないだろう。研鑽会は、本当がどうかわからないからみんなで調べ合うもので、最初から正しいことがわかっていたら、調べる必要はない。「本当はどうか」というのは、そのためのテーマである。

 そしてこれは、みんなの意見を聞きながら、自分が自分で調べることである。他に向かって「本当はどうか」というのは、相手の意見を間違いとして否定することに他ならない。

 
*考えてみたら、ヤマギシでは〈正〉の字を使っている場合が多い。

 私は1974年暮れに参画して、75年正月には春日山の食堂入り口に、新配置が発表されたが、そこにはたしか〈中央調整機関〉と署名されていたように思う。〈調正機関〉ではなく〈調整機関〉であったように記憶している。 当時の古いパンフなどには、ほとんど〈整〉の字が用いられていた。それが、いつしか〈正〉の字に変わった。

 80年代の高度成長期、Sさんを中心とする指導体制が確立した時期である。

 〈整〉が〈正〉に変わって何が変わったのか。

 恐らく、調正所の方針は、いつも正しく、間違いないものとする考え方が込められていたのではないだろうか。少なくとも私の頭にはそんな理解が潜んでいたように思う。

 思えば、これはかなり危険な思い上がった考えである。この危険な思い上がりは、今でも尾を引いている。

 *字は体を表す、というから、正確な字を用いることは大切である。

〈正〉の字でも、「正しくあろう」とする意欲を表すものであれば、それなりの意味を持っている。しかし、意欲や願いを離れて、自己を正しいとするところまで自己肥大すると、もうどうしようもなくなる。

 少し意味合いは違うが、〈聞く〉と〈聴く〉にも、似たニュアンスがある。

〈聞く〉と書くと「何となく聞いている」「聞き流している」というニュアンスになり、〈聴く〉と書くと、「心底聞いている」「真意を聞いている」といっ たニュアンスになる。そうした理解である。

 全集の編集に携わりながら、そんなことにかなり神経を使った。しかし本当は、言葉の形式よりも、その言葉の意味する中身を考えることのほうが、はるかに重要なのではないか。

 山岸さんの『事件雑観』の初期パンフを見ると、〈きく〉は〈聞く〉しか使っていない。表現や形にこだわって、その意味する中身の検討を怠ってはならない。

 
*ヤマギシには〈推進〉という言葉がある。

 特講にも、進行係と推進係がいる。日常の研鑽会にも、推進係や推進役の人がいる。この〈推進〉というのは、どういう役割を指す言葉なのだろう。

 もしこれが、調正所の方針を周知徹底させるための役割でしかないとすれば、〈指導部〉の別働隊でしかない。

 しかし、特講に推進係が置かれたのは、研鑽が横道にそれぬよう、テーマに集中できるよう、そして研鑽が深まるようにするためにこそ置かれたのではないだろうか。

 推進係は、みんなを方向づけるためのものではなく、みんなで真実を探り、研鑽を深めるための役割なのである。

 私は、そう思う。

 
*先日、学園出身のA女が見舞いに来てくれた。

 そのとき彼女が話してくれたことは、若いとき恋愛問題で悩んでいたさい、私の一言で救われた気持ちになった、というのである。

 当時は、学園出身者の恋愛は認められず、すべては結婚調正機関の判断にゆだねられていた。だから、どの調正所の係りも、恋愛に反対であったが、私だけが「相手がふさわしいとは思わないが、どうしても彼がいいというのであれば認めるよ」と言った、というのである。

 ところが当の本人である私自身、何を言ったか覚えていなかった。実にいい加減なものである。

 A女が帰った後、ふっと或る思いが出てきて、首筋が寒くなった。何気ない一言が、一人の人の救いになることがあったとすれば、逆にそんな一言が誰かの心を深く傷つけたことがあったかもしれない、そんな思いが湧き出してきたのである。

 
*Mさんが見舞いに来てくれた。久しぶりに会って、いろいろと話ができて楽しかった。ただ、最後に話してくれた一言が気になった。「最近は研鑽会に出ない。何かすごく不自由感を感じて、出る気がしない」

 同じことをA女も話していたことを思い出した。同じような話を他の人から聞くこともあるから、不自由感はかなり蔓延しているのではないだろうか。

 本来、研鑽は自由の空気の中でこそ成り立つものである。それがなぜ不自由になり、窮屈になっているのか。自分が自分を縛り、不自由になっているのかもしれないし、全体が誰か、あるいは何かに遠慮して、不自由な空気を醸し出しているのかもしれない。テーマを研鑽する前に、この問題を究明することが先決だと思うのだが、どうだろう。

 なお、自由についてはもっと考えたいので、青本をもう一度じっくり読み返してみようと思っている。

 
*雑文を書きながら、けっこう人の文章を引用したりしている。しかし、この〈引用〉というのは、なかなかの曲者である。若かったころ、さまざまな社会主義関係の文献を読むと、もう引用だらけで頭が痛くなったほどである。まさに学問とは、引用で成り立つものかと思わされた。

 しかし、よくよく見てみると、自分の意見をはっきり打ち出して、参考にこの人もこう言っている、あるいはこの人はこう言っているが、自分の見解はこうだ、と明確に言う人もいる。

 しかし、その反対に、人の見解を隠れ蓑に使って、自分はその陰に隠れてしまっている人もいる。その意見が攻撃されたり、否定された場合に、それは自分が間違ったのではなく、あの人が間違ったのだ、と言い訳するためである。まさに、虎の威を借る狐か、虎の皮を被った狐(ちょっと狐に申し訳ないが)である。

 同じことが、日常会話にもよく出てくる。

 「あの人がそう言ってるよ」「みんながそう言ってぜ」

 あの人がそう言ったからどうだというんだ、自分の意見はどうなんだ、と聞きたくなる。そう言ってるみんなって誰と誰なんだ、と聞き返したくなる。

 研鑽会に出た人の報告を聞くと、誰それさんがこう言ったとは言うけれども、それについて自分がどう思ったのかという話はほとんど出ない。

 これは、どうしたことなのだろう。

 
*数日前からだんだん声が出なくなり、人との会話が困難になった。

 医師に聞くと、リンパ節の腫れで言葉を出すのが難しくなってきたためだという。今後はもっぱら筆談に頼るしかない。

 
*今日、坂倉医師と率直な話し合いができた。私にはかねがね二つの疑問点があった。

 一つは、生き物の死は自然現象であり、人間にとっても、戦争や災害を除けば、すべての死は自然死ではないかと思うけれども、法的・医学的には自然死という表現はない。みんな病死として何らかの病名が付けられている。これについて、先生はどう考えるか。

 これについて坂倉医師は、幕末までは死を自然現象と見る見方が普通だったが、近代医学が主流になるにつれて、死という結果に対する原因を明らかにする考え方に変わった、という。死亡診断書には、必ず死因を書かねばならぬ項目があるそうだ。近代合理主義の一つの落とし穴なのだろう。

 もう一つの疑問は、植物的になる前に、自分の判断で自分の人生もここまでと決め、自分で胃瘻チューブをはずしたりした場合、これは自殺ということになるのかどうか、ということである。坂倉医師の見解では、自分を自分で傷つけるわけではないから、自殺にはならないだろう、ということであった。

 すぐにというわけではないが、選択肢が一つ増えた気がした。そして最後に、「今の医療では、生きた時間の長さだけが重視されているが、人生にとって大事なことは、時間の長さよりもその充実度ではないか」という私の意見に、坂倉医師も賛成してくれた。

 いずれにせよ、私の死生観の一端を聞いてもらえたことは、非常によかったと思った。

 
*一つの行為から次の行為に移るまでの時間が、すごくかかるようになった。

 次にこれをしなければ、と思うのだが、面倒であり、しんどいのだ。その間、何かを考えているわけではなく、ただぼーっとベッドに座っている。そのうち、生きること自体が面倒になるかもしれない。

 
*書きたいことは、今思っているだけでも幾つかある。しかし、もう書く気力がない。伊丹十三の映画「大往生」ではないが、「もういいかい」「もういいよ」という感じになってきた。これが、今の心境である。