わくらばの記 たまゆら②(17・2)
〈2月×日〉
最近は、食事を摂るのがひと苦労になった。少量の食事にすぎないが、全部食べ終わるまでに時間がかかり、まるで作業をしている感じになる。しかしまた、これが生きるための大事な手段ともあれば、おろそかにすることもできない。ただ、味に関する感覚が次第に失われていくのがなんとも残念である。頭の中に味の感覚は残っているのだが、実際にはほとんど食べることが禁じられているだけでなく、食べられるものであっても美味しさを感じられない。喪失は頭の中で補うしかない。
夜中に目覚めたときなど、ふと自分はなぜこんな文章を書いているのだろうか、と考えることがある。去年の1月以来だからだいぶ長いことになる。文章としては拙いし、考えていることも侏儒の戯言に過ぎない。何人か読んでくれる友人知人がいるからという理由もあるが、そうした知友に甘えて書いているだけであれば、貴重な時間を奪うだけで申し訳ないし、自分にも嘘をつくことになりかねない。出発は、ガンになったことをきっかけに、自分を見つめなおすことにあった。何もしなければ、時間の流れにただ流されるだけで一生を終わってしまう。流されながらも、自分が何者でどこから来てどこへ行くのかを見つめなおしてみたい、そのために書き始めたはずである。あくまで、自分のために書き始めたはずである。昨夜、ふとそのことを思った。
〈2月×日〉
自分の中に、今が進化の最高段階にあって、宇宙や地球の歩みも、或いは生物や人間の歴史も、すべてここに向かって進んできたかのように思っている感覚がある。だから今が最高の段階であり、この先は今という現状の単なる延長線上にあるかのように思ってしまっている。つまり、今が最高の段階だということは、これで進化は終わりで人類こそが進化の最終達成者であるということになる。しかし考えれば、これはかなり疑わしい。これをもっと身近な事例にで考えると、こうした心の状態をもってすれば、自分の今の政治的・文化的、或いは宗教的信条を唯一最高の真理として他を顧みることがなくなってしまう。私の学生時代など、一つ覚えの唯物史観で、人類は奴隷制から封建制、資本制、そして社会主義から共産主義社会へと向かっていると信じ込んでいた。ヤマギシズムを考える場合でも、実顕地の今の形を最終のものであるかのように考えていたら、とんでもない間違いに陥るだろう。そしてヤマギシズムそのものも、自分の考えるそれが本当のそれかどうかはわからないのである。
『地球の歴史』(中・下巻)を読むと、そこには恐るべき冷厳な事実が語られている。約40億年前に地球上に誕生した生命は、現在に向かって一路進化したのではなく、何回かの種の絶滅を経験している。それも誕生した種の9割以上が死滅する「大量絶滅」を過去5億年の間に何回も経験しているというのだ。つまり進化は、直線的・必然的にではなく、偶然的に、断続的に行われてきたのだ。
「逆に言えば、生物は絶滅することで新しい種に生存の場を提供してきたとも言える」
こう蒲田氏は言う。人類も、中生代に1億年以上にわたって進化の頂点を極めた恐竜が絶滅した後、ようやく生き残った哺乳動物から進化を遂げることができた。しかも、恐竜の絶滅は、チリのユカタン半島に激突した巨大隕石による全地球規模の大自然災害の結果だ。
「この衝突で発生したエネルギーは広島型原爆の10億倍にあたる。また、地震の規模で言うと、マグニチュード11に相当する」
これによる津波の高さは300メートルに達し、全世界に押し寄せたという。そのほか、地磁気の逆転やスノーボールアースといわれる地球の全面凍結や火山の大噴火による寒冷化など、生命にとっての幾多の危機的状況に見舞われながら今日に至った。今のホモサピエンスが誕生してからも、12万年前には、地球環境の急速な悪化で総人口が1000人程度にまで減少したと推定されている。ただこうした危機的状況が、人類をアフリカからユーラシア大陸に移動せしめ、それまでの狩猟採集生活から遊牧・牧畜の技術を身につけ、農業技術を開発するきっかけになったそうなのである。
こうして今、地球上には70億人の人間が住んでいる。仲良く平和に暮らしているかといえば決してそうではなく、「アメリカ第一」の「フランス第一」のと、自国中心、自分中心の主張をぶつけ合っている。こうした歴史を顧みれば、「人間は本来仲良く暮らせて当たり前」と簡単に言い切ることもできそうにない。
とにかく地球の歴史は、今が最終段階でも到達点でもないし、人類もまた生命史の最高・最終の到達点にいるわけではない。地球科学者の推定によれば、今から10億年後には、地表の水は全部マントル内部に運び込まれ、火星のように海が無くなるという。もちろん生命は存在できない。
「地球史は想定外の歴史だ」という鎌田氏の言葉を噛み締めながら、この地球・生命史の大パノラマから目を身近なところに移そうとすると、しばらくボーっとして頭が回らない。しかし、自分というものが流れに浮かぶうたかた(泡沫)に過ぎぬとしても、生命史の一部をなしていることを思えば、やはり何か自分のできることをしておきたいと思うのも当然だと思う。そして今できることの最高を願うのは、生命というものの本能なのかもしれない。ただ自分が「最高と思う」ことと「最高である」こととは全く違うことを、心しておきたいと思った。
〈2月×日〉
いま経済界では「働き方改革」ということがテーマになっている。これは、電通の高橋まつりさんという新人女性の自殺をきっかけに、長時間労働に対する内外からの批判を受けて始まったものだ。残業、時間外勤務の短縮が、その主な内容とされている。私の孫の一人も、ある外食チェーンで働いているが、労働時間はかなりのものらしい。
しかし、経済環境の厳しい今の状況では、「働き方改革」も結局は掛け声だけに終わってしまうだろう。それよりも、もっと根源的な、人はなぜ働くのかという労働観について考えてみる必要があるのではないだろうか。つまり、働くとはどういうことか、何のために働くのか、働くことを通して人と人とがどういう関係を取り結ぶのか、といった問題である。前に引用したことがある吉本隆明氏と春日山Sさんとの対話を、吉本氏の『中学生のための社会科』から再度引用してみよう。
質問(吉本)それぞれの会員はユートピアに叶うためにどんな等価労働をしているのか。
答(山岸会の会員)自分の得意な労働をすればよい。掃除が得意な者は掃除、洗濯の好きなものは洗濯、大工仕事の得意な者は大工といった具合だ。
(それでは等価労働にならないのではないか。たぶん経済的に成り立つには主催者は別の等価源が要るはずだ)
ここで吉本さんが「等価労働」といっているのは、何を指しているのだろうか。おそらく資本制社会の中で行われている労働力の売買、自分の労働力を売って、労働力の再生産に必要な賃金を得るという労働形態、さらには山岸会という共同体を維持するための産業形態とそこでの労働とその対価、そういうことを言いたかったのではないかと思う。そういう意味で、洗濯や掃除は等価労働にならないと言ったのだろう。しかし、ヤマギシズム社会は資本制社会の中にありながら、労働力の売買というこの社会の根源を超える内容を持っている。たとえば食堂、もし愛和館が世間一般の食堂と同じものであったならば、毎回お金のやり取りだけでも大変なことになる。毎日何百人もの人たちが、好きなものを好きなだけ食べるということは、とうていできるものではない。洗濯でも同じだ。
要するに吉本さんのヤマギシ批判は、資本制社会の法則がすべてに貫徹されている状況を前提としたものだということができる。とはいっても、実顕地が資本主義社会という大海に浮かぶほんの小さな一点に過ぎない以上、社会の法則を逃れることはできない。自動車も、トラクターをはじめとする農業機材も、電気もガスも各種建設機材も、すべて一般社会で作られたものを購入しなければならない。当然、それに見合う収入をもってそれに当てる必要がある。吉本さんが「それでは等価労働にならないのではないか」と言ったのはその意味であろう。ただ、「等価的産業形態」があるということと、その中での労働が「等価労働」であるということとは別のことではないかと思うのだが、どうだろうか。
〈2月×日〉
吉本さんの「等価労働」というのは、おそらくマルクスの労働価値説に基づくものではないかと思う。商品の価値は、それの生産に投下された社会的必要労働時間によって決まり、交換は等しい労働時間によって作られた物同士の間で成り立つということである。だから、「各自が自分の得意な仕事をするだけでは、等価労働にならないではないか」「等価源として別の労働が必要ではないか」と批判するわけだ。その点は、先に書いたように実顕地が「等価源」としての産業形態を、養鶏・養豚・養牛・蔬菜等の産業として備えていることは間違いない。しかし問題は、「等価源としての等価労働」ということではなく、実顕地での労働が資本制での労働力の売買に基づく「等価労働」というものであるかどうか、ということである。
そのへんを考えるために、大昔に読んだマルクスの『経済学・哲学草稿』をざっと読み返してみた。ここには場が資本制社会の出発点になったこと、そして労働力という商品は労働によって自己の再生産に必要なもの以上の価値を生産物に付け加えること、しかしその生産物は労働者の所有にはならず、それが新たな資本となって自分たちと対立せざるを得なくなること、つまり自己の外化が自己の疎外として表れること等が書かれている。
「労働は商品を生産するだけではない。労働と労働者とを商品として生産する」
「労働の生産物は、労働が対象のうちに固定されて物となった姿であり、労働の対象化だ。……対象の獲得が、対象の疎外ないし外化としてあらわれる。……この疎外は、労働者が対象を生産すればするほど、所有できる対象はそれだけ少なくなり、かれは自分の生み出した資本にそれだけ大きく支配される……」
こう書いた上で、マルクスは労働者の状態を次のように描き出す。
「だから、労働者は労働の外で初めて自分を取りもどし、労働のなかでは自分を亡くしている。労働していないときに安らぎの境地にあり、労働しているときは安らげない」(以上長谷川宏訳・光文社文庫版より)
どうも自分でもよくわからぬ古典的な文章を、長々と引用してしまった。ただ言いたかったことは、吉本さんの「等価労働」という言葉には、こうしたマルクス主義の労働観が前提になっていて、ヤマギシもその例にもれないという考え方が潜んでいるように感じられるということである。この労働観が、資本制社会一般に今でも当てはまるのかどうか、またそれは実顕地の労働観・仕事観及びその実態と一致するものなのかどうか、そして今の過渡的な段階の村でこれからどういう働き方を目指していったらいいのか、そうしたことを考えてみたい。
〈2月×日〉
マルクスは「労働者は労働の外で初めて自分を取り戻し、労働のなかでは自分を亡くしている」と書き、それが資本制社会での疎外された労働の実態だと書いている。この言葉は、今の社会状況にもよく当てはまるのではないだろうか。よく自己実現ということが言われるが、大半のサラリーマンが仕事の中にそれを見出せず、仕事が終わってからようやく自由の気分を味わえる。が、その自由の中に自己実現を見出せるかといえば、決してそうではないだろう。だから、仕事以外のグルメやファッションや旅行や趣味に、つまり自分以外の外的な飾りを自己実現の代わりとするのである。今の社会での労働は、労働の中でも、労働の外でも自己疎外として現れざるを得ない。こう考えると、「働き方改革」として、労働時間を多少短くしたところで、労働者やサラリーマンの労働の実態が良くなるとは考えられない。
私は会社勤めをしていた昔、一年ほど産業教育ソフトの製造販売会社に出向していたことがある。この会社にプロの営業専門集団が入ってきた。彼らは、毎朝朝礼をし、スローガンを声高に叫んでから出かけていく。私ら制作部門に何ら注文も提案もせず、与えられたものを恰も最高の作品であるかのようにして売りに出て行く。要するに売れさえすれば何でもいいのだ。世の中にこういう人種もいるのか、と驚いたものである。
しかし、考えてみれば資本制社会での労働の実態は、ほとんどこのようなものかもしれない。自分の労働の対象が何であるかは問題ではなく、仕事が終わった後の時間だけが自分の人生なのである。マルクスが疎外された労働と言い、自己疎外と表現したのはこうした実態を指してのことであろう。
では、ヤマギシズム社会としての今の実顕地における労働は、どうなのだろうか。
〈2月×日〉
マルクスは、資本制社会での労働生産物は自己の外化であり、自己の疎外された労働である、と語っている。単純化して言えば、一足の靴を作るのに1時間かかるとすると、一日8時間で8足の靴を作ることができる。出来上がった靴は、自分が労働力を支出して作ったものであるにもかかわらず、自分のものではなく自分を雇った資本のものであり、自分は売り上げのごく一部を報酬として受け取るに過ぎない。利益は新たな資本として、労働者の前に現れる。労働力の支出・外化が、自分にとってよそよそしい生産物、つまり疎外された対立物にならざるを得ない。こうして労働によって自分自身が疎外される。
理解の仕方に誤りがあるかもしれないが、私の解釈は以上である。その点、昔の職人の仕事には、外化が疎外に終わらず、労働力の外化を通して自己の中に培うもの、内化するものをもたらした。それは、技であり、精神であり、天地自然に通じる何物かである。職人の仕事のかなりの部分が、人間的・文化的な豊かさをもたらす面を持っていた。
〈自己に発し、自己に還る〉
こう山岸さんは言ったが、外化がそのまま内化につながるような生き方、働き方を指しているのではないかと考えられる。この言葉は、決して因果応報的な道徳律を意味するものではないだろう。ところが、資本制社会での労働には、内化されるものがない。疎外された自分を補うためには、仕事外の自由な時間に、グルメなり、ファッションなり、観光なりの代償行為で自分の空白の内面を補うしかない。しかし、これも一時的な満足感だけの消費的行為にほかならない。こうして資本制下の労働では、仕事中も仕事が終わってからも、労働者・サラリーマンは疎外状態から逃れることができない。
では、ヤマギシの実顕地での労働・仕事・作業はどうなっているか。村人一人ひとりは何を目指し、何を意識して働いているのか。
〈2月×日〉
私は参画1年後に、ヤマギシ内部の改変に伴って、参画先を中央調正機関から実顕地本庁に切り替え、山岸会本部から恵那中野方実顕地へと移った。ここで初めて山岸養鶏に触れることになり、その奥深さの一端を垣間見ることができた。その時よくはわからなかったが、後になって「なるほど」と納得させられるものがずいぶんあった。餌箱の数や配置の仕方、3個の水鉢への水の入れ方、鶏の観察のポイント等、恵那での養鶏の中心にいたSさんから話を聞きながら毎日が勉強になった。特に鶏の寝かせをまかされて、鶏が自発的に止まり木に上がるにはどうするか、何日か取り組んで遂に全棟の寝かせに成功したときの嬉しさは今でも忘れられない。このとき学んだことは、鶏でも、果樹でも、子どもでも、飼育者や世話係が強制的に働きかけても反発を招くだけで、けっして受け入れられることがない、ということである。鶏が自分から止まり木に上がるよう仕向けえること、果樹であれば木が太陽を求めて伸びたいと思う方向やそのバランスをどう見極めるかが大切であり、子どもには一人ひとりの可能性にそってそれを自ら学び育てるには何が大切かを世話係が学ぶ努力である。もちろんこれらは、恵那でのわずか1年未満の生活で身についたものではなく、その後の暮らしの中で反省と共に徐々に熟成されてきたものだ。ただ「外化」は一方的な支出ではなく、「内化」を伴うものでもありうる、とどこか心の中に思うものがあった。
もうひとつ恵那での養鶏で心に残っていることは、鶏の鳴き声で鶏の状態が少しわかるのではないか、と思った経験である。餌を食べ終わり、或いは砂浴びなどで満足した時の”グルグル”というような鳴き声、水が切れて水が欲しいと催促する声、何かを警戒する声、餌を求める声、退屈だなあといった感じの声、鳴き声ひとつにいろいろな表情があるのだなあと感心させられた。
しかし、恵那での生活は長続きせず、1年未満でまた山岸会本部に呼び戻され、特講拡大に専念することになった。その後また内部川と野田で養鶏をやる機会はあったが、そのころの養鶏はもう拡大一路の機械的作業の連続状態になっていた。いかに効率を上げるかがテーマで、人と鶏との交流というものはなくなっていた。一棟30分で餌をやることを競うのでは、鶏を観察することなどできない。ここには外化はあっても、内化するものはない。働くことを通じて人が豊かになることがないのである。
80年代に入ると、高度成長に伴う中産階層の増大により、生産物の供給はどんどん伸びていった。多摩供給所に始まった活用者によるグループ拡大が、大阪供給所を中心とするする余供、つまり移動販売に重点が移り、生産物を通して人と人とが繋がるのではなく、お金を媒介とする物のやり取りに取って代わられることとなった。実顕地生産物は、単なる商品になった。20万円余供、30万円余供が称揚された。しかし、こうしたお互いに顔の見えない商取引は、いったん消費者にそっぽを向かれると、落ち目になるのも早い。もちろんこの背景には、高齢化や生活環境の変化も関係しているが、活用者を切り捨てた生産や供給のあり方も大きく影響していると思う。このへんはぜひ供給関係者で研鑽して欲しいものだ。
なお、予供という言葉は、「予備供給」の略で、多摩供給所のKさんが生産物のグループ供給を始めるさい、30キロ単位の仲良しグループづくりを目標に、それに至らぬ10キロ、20キロのグループへの供給を、本供給に至る前の予備供給と名づけたのである。だから、移動販売を予供と名づけるのは意味をなしていない。
〈2月×日〉
実顕地に参画して一番感じたことは、これまでのサラリーマン生活と違って、ここではお金のために働くことがない、他と競争して地位・名誉を競うことがない、何時から何時までという時間に縛られることがない、ということであった。
〈無所有〉〈無中心〉〈無重力〉〈無時間〉〈権利なし〉〈義務なし〉〈賞罰なし〉……こういう言葉を聴くとその奥深さに心うたれる感じがした。だが、実際の生活の中で、これらの意味するものを探り深めることはなく、日常に流されていった。
今これらの言葉の意味するものを、もう一度問い返してみると、ここには資本制社会での労働を乗り越える大きな可能性があるように思う。例えば、自分
にこのように問うてみたらどうだろう。
「自分は何のために働いているのか」――
「何を目指し、何を目的に働くのか」――
「働くことを通してどんな人間関係・社会関係を築こうとしているのか」――
この問いに“正しい”答えがあるわけではなく、自分の中でこの問いを問い続けることが大事なのだと思う。それをなくすと、ただ何となく惰性で働くことになって、集卵や餌やりの単なるロボット的作業者になってしまうか、売り上げの多寡を競う商人になってしまう。もうここには働く喜びはなく、労働という外化を通じて内化するものもない。
私たちは、ヤマギシズム実顕地という山岸さんが残した恵まれた環境の中にいる。これを生かし切ることができるかどうか、あるいは資本主義体制の一般社会の中に拡散させてしまうかどうか、今その岐路に立っているように思われる。よく「拡大」がテーマになるが、何を、どこを、拡大しようとしているのかわからないことが多い。しかし、もしこの働くということの意味を実顕地が問い続けることができるとすれば、世の多くのサラリーマンや労働者に、「一緒に考えてみませんか」と呼びかけることができる。拡大というのは、単に特講に来ませんかというのではなく、今一般社会で人々が何に当面して苦しんでいるのかを探り、それを共に考える姿勢をまず村人自身がつくることから始まるのではないだろうか。
〈2月×日〉
年をとり、その上ガンなどという病気にかかると、だんだんやせ細っていく。1月に43キロ台だった体重が、いよいよ42キロ台に落ちた。それでもけっこう元気なのは、これまでに蓄えた自分の細胞を自分が消化・再利用しているためなのだろう。大隅良典さんがノーベル賞受賞記念講演で語ったところによ れば「人体は毎日200グラムのタンパク質を作る。食事で取るのは70~80グラム」だという。必要とするタンパク質の6割以上が、自分の古い細胞の再利用だというのである。人体が人体として存在できるのは、このオートファジーという自己再生能力のおかげであるらしい。
このように体のほうはこれまでに内化された細胞を自己消化することで維持されるとすれば、心や精神といった人間のもうひとつの機能はどうやって維持されるのだろうか。もし内化されたものが非常に乏しいか無に等しいとすれば、老後の生活をどのように過ごすことができるのだろう? 年をとれば当然さまざまな機能は衰える。目も耳も、足も手も、衰える。その中で「ますます蘇る老蘇の生き方」とはどういうことなのだろうか。これは恐らく年をとってから考えたのでは遅いのかもしれない。それまでの生き方、考え方、それを通して自分に蓄積されたもの、つまり内化されたものによって決まってしまうのだろう。心のオートファジーと言っていいものが、あるのではないかと思う。
しかし、年をとってからでもできることはある。若い人のようにはできなくても、自分の頑固観念をはずし、決め付けや諦めをはずすことで、自分の頭を使う練習をしていくことだと思う。そのためには、自分が関心を持つこと、興味を抱くことを大事にすることだ。関心の無いことに頭は働かない。頭が働かなければ、自ら発するものがなく、自ら発するものがなければ自分に還るものもない。外からの刺激にただ流されるだけだ。少しでも自分に蓄積するものがあれば、その蓄積したものを再活用しながら、自分の老後を楽しく過ごすことができるのではないだろうか。村は環境は用意できても、一人ひとりの幸せを用意することはできない。老蘇の生き方というのは、私たち一人ひとりのテーマなのである。年をとったからといって、老蘇になれるわけではないだろう。このへんも、村全体のテーマとして取り組んだら、今の社会への強烈なアピールになるはずだと思う。
〈2月×日〉
今月は、働くとは、労働とは、どういうことかといったことを中心に考えてきた。ところで、この「働くこと」と「労働」という言葉には、何かが少しばかり違ったニュアンスがあるように感じられる。例えば、植物の働きとか、手の働きとは言えても、植物の労働とか手の労働とは言わない。つまり「働く」とは、それそのものの持つ機能が正常に作用している状態を指すのではないだろうか。植物が水や栄養を求めて根を伸ばし、枝や葉を広げて太陽を目指すのはまさに植物が働いている姿そのものである。また動物が餌を求めて草を食べたり、他の小動物を追ったりするのは動物の働きであろう。20万年前に誕生した今の人類ホモ・サピエンスも、自然界の他の動物と同じように食べられる植物を漁り、動物の狩などをして生きのびてきた。これを働きとはいっても、労働とは言わないのではないか。労働は、人間の世界だけに生まれたもののように思われるが、では人間界に労働はいつから始まったのだろうか。
このへんは、私の乏しい知識ではよくわからない。ただ、文字が発明され、歴史が書かれるようになったときには、すでに労働は始まっていた。人間の社会に支配するものと支配されるものとの区別が生じたときには、労働が生まれていたのである。古代メソポタミア、古代エジプト、古代中国、いずれも王侯貴族の支配下にたくさんの奴隷労働が置かれていた。『創世記』を読むと、アダムとイヴが神が禁じた木の実・知恵の実を食べたことで楽園を追放されるが、そのとき神はアダムにこう言う。
「君のために土地は呪われる。
そこから君は一生の間労しつつ食を獲ねばならない。
土地は君のために荊(いばら)と棘(おどろ)を生じ、
君は野の草を食せねばならない。
君は顔に汗してパンを食い、
ついに土に帰るであろう。
君はそこから取られたのだから。
君は塵だから塵に帰るのだ」(岩波文庫版『創世記』)
このように旧約聖書によると、労働は神からの罰として人間に課されたものと描かれている。古代ローマにキリスト教が浸透してからは、この労働観がヨーロッパ世界に広く認められていったのであろう。神からの罰である汗苦労働として。これは、支配者である領主や国王や司祭階層にとって都合のよい考え方であった。
とにかく、労働というものは、働かせるものと働かされるものとの間で成立したと言っていいのではないだろうか。近代に成立した資本制社会では、企業や株主という働かせるものとそこで働く労働者・サラリーマンとの間で労働関係が生まれる。労働者・サラリーマンは、お金のために働くのである。
そうすると、労働は自分のためにではなく、誰か他のため、何かのために働く状態を指しているように考えられる。昔の農民は領主のために、今のサラリーマンは企業のために。では、ヤマギシの村で私たちが働くのは、金のためではなく、地位や名誉や出世のためでもなく、誰か長に命じられているわけでもないとすれば、何で働くのだろうか。誰のために、何のために、働いているのか。それは、自分の真の幸福に結びつくものなのだろうか。そしてそれはまた、新しい時代を切り開く可能性を秘めたものなのだろうか。
〈2月×日〉
昨日、病院へ行った。血液検査の結果は、あまり思わしくなかった。3種類のガンマーカーの数値が、いずれも上昇しているのだ。終局が近づいていることを受け止めざるを獲ない。ただ、残された時間をどう過ごすかは、自分だけの自由に任されている。あまり関心が拡散しないようにしたいと願いながらも、どこかに絞り込むこともできそうにない。生来の拡散型なのかもしれない。もうしばらくは、自分の関心の赴くままにあれこれ考え続けることになりそうだ。