広場・ヤマギシズム

ヤマギシズム運動、山岸巳代蔵、実顕地、ヤマギシ会などに関連した広場

◎吉田光男『わくらばの記』(17)

わくらばの記 たまゆら①(17・1) 

 2017年の正月を迎え、手記のタイトルをどうしようかと考えているうちに、夢うつつに〈たまゆら〉という言葉が浮かび上がってきた。目覚めてから、言葉の正確な意味を辞書で調べると、「玉が触れ合ってかすかに音を立てる意」で、そこから「ほんのしばらくの間」とか「かすか」を表す語として用いられているという。インターネットには、宝塚で「たまゆらの記」という劇が上演されたとの記録もある。まあ、「ほんのしばらく」というのは、私の病状から言ってふさわしくないことはなく、また「たまゆら」という言葉の響きが好ましい印象だし、これを魂と魂との響きあいと解釈すれば、なお私の求めているものと一致するように思えた。

 

〈1月1日〉

 元旦。久しぶりに、この日に年賀状を書いた。元旦と署名する以上、年賀状はすがすがしい気分で元旦に書くのが本当ではないか、と思ったのである。しかし、しばらくして何人かから送られた年賀状を受け取ると、やはりこの日に読む賀状はいいものだなと思ったりもする。どうも自分の心の置き所によって、感じ方がずいぶん違ってくるものだ。

 もう一つ今年は、村の人や普段から顔を合わせることの多い人には、賀状を出さなかった。何か儀礼的・慣習的になっていて、あまり心がこもっていないように思ったからである。その代り、出した人にはパソコンを使わず、文面から宛先まで全部手書きにした。手書にすると、一人ひとりの顔が目の前に浮かんできて、直接その人に語りかけるような気分になり、自分なりに心がこもった感じになった。

 なお、磯田道史氏の『江戸の備忘録』を読んでいたらこんな文章が書いてあった。

「ちなみに江戸時代は、お正月になってから、年賀の書状をしたためた。このごろは、元旦に届けるため、年末に大忙しで書いているが、年賀状は本来、お正月を迎えてから書くものだから、正月休みにゆっくり書いても一向にかまわない」

 

〈1月2日〉

 この日、息子一家が来てくれた。しばらくみんなで話し合っているうちに、孫の一樹から鋭い質問が飛び出してきた。こうした真正面からの問いかけには、ごまかしたり、はぐらかしたりはできないなと思い、こちらも真剣に答えることにした。 

 ――年を取って体が衰えても筋肉は鍛えられるというから、筋肉ムキムキになる運動をしたらどうか。

「皮膚がたるんで皺だらけの体で、筋肉だけ鍛えることはできそうもない。鍛えることよりも、できるだけ衰えないようにするための足腰の運動はつづけている」

 ――もっと長生きしたいとは思わないか。

「生きられるだけは生きようとは思うが、より長くとは考えていない。薬や生命維持装置で、生きる時間を少しでも長くとは考えていない」

 ――もっと幸せになろうとは考えないか。

「その‟もっと幸せ”というのは、どういうことだろうか。幸せに普通の幸せ、もっとたくさんの幸せ、といった区別があるだろうか。幸せにAランク、Bランクという区別はないのではないか。もしあるとすれば、前のは本当の幸せではなかったということになる。幸せを感ずる中身は日々違っているとは思うが、その時その時を幸せに生きることが大切だと思っている」

 ――じゃあ、幸せって何か。

「その質問に全部答えることは難しいが、最近考えたことを言うと、自分を知るということが大事な一歩かと思っている。宇宙の話を聞くと、宇宙空間に存在する物質やエネルギーはほとんどが未知なるものだと言われている。その90パーセント以上は、不明な物質やエネルギーで、それを暗黒物質とかダークエネルギーと言っている。同じように、人間の心の宇宙もわかっていない。つまり、人は自分が何者であるのかわからぬうちに、一生を終えることになる。それにもかかわらず、みんな自分は自分だとわかったつもりになっている。じゃあ、何を以て自分だと思っているかというと、自分以外の何か――例えば財産とか名誉とか地位とか知識とか――そういうものが自分であると思っているのではないか。しかし、そうした自分以外のもので自分を幸せにはできない。それでは、おじいちゃんは自分がわかっているかと聞かれると、とうていわかっているとは言えないけれども、わかっていないことがわかったとは言うことができる。だから、自分の心の中を旅する努力をしているが、それが楽しい。そこに生きがいを感じている」 

 そんな話をして、多分よくはわからなかったと思うが、真面目に答えたことの何かは伝わったかもしれない。

 

〈1月×日〉

 娘の迎えにバス停まで車を走らせたが、T字の曲がり角で目測を誤り、縁石に前輪をぶつけてパンクさせてしまった。車の運転にはある程度自信があったが、それが揺らぐ瞬間であった。その時何よりも嫌らしいのは〈パンクしたために縁石に乗り上げた〉という言い訳が出てきたことである。未だに自分を素直に認めようとしないものが巣くっているのか、と我ながら情けない思いであった。しばらくして、山本さんがパンク修理に駆けつけてくれた。

 翌日、ロビーで新聞を読んでいると、山本さんが来て今日研鑽会をしたいということで、夕方石角君を入れた3人で研鑽会を持つことになった。昨夜の仲良し研で、私の事故のことが話題になったのだと思った。

  やはり話はそのことで「そろそろ運転をやめたらどうか」ということだった。「昨日は今月のテーマの〈気になることを出し合う実顕地〉というテーマで研鑽したが、その中でみんなが吉田さんの運転について心配している。最近の高齢者による事故の多発というニュースもあり、みんなが心配する気持ちをわかってほしい」。そういう話だった。

 私もみんなが心配してくれる気持ちはわかるし、自分でも運転に固執するつもりはないが、ただ「はい、止めましょう」では何も研鑽したことにはならないのではないかと思い、次のように話した。 

「最近、高齢者の年齢を65歳から75歳に引き上げる提言が出ている。これには年金の支給と関連した政治的な意図が含まれているかもしれないが、一般に元気な高齢者が増えていることは間違いない。一般的に年を取るにつれて体力も知力も衰えることは間違いないが、これにはかなりの個人差がある。だから、何歳以上が高齢というのは、一つの目安にはできても絶対的な基準にはなりえない。若くても危ない運転をしている人はかなりいる。もし、安全な運転ということがテーマであるなら、年だけを基準にするのではなく、個別的な運転の点検やそれに基づく研鑽をしてほしい」

 ということで、近々実際に運転状況を見てもらうことになったが、ではこれで研鑽になったかといえばとうていそうは思えない。これは事柄の処理であって、問題は事柄の処理を通して〈本当はどうか〉と検べ合うことであり、検べ合う関係を深め合うことでなければならない。しばらく話し合っているうちに、少し研鑽できたかなという感触を得ることができた。

 しかし、今の実顕地の研鑽会というのは、事柄をどう処理するかに終始しているように感じる。〈気になること〉を出し合うのはいいとして、みんなそれだけで研鑽が成り立っているように思っているのではないか。そんなものは話題の出し合いにすぎず、それをどう処理したところで研鑽とは言えないのではないか。出し合ったことを研鑽に結びつけることがテーマであり、それこそが一番大事なことだと思うのだ。

 テーマにそってさまざまな話題が出てくるが、まずそれを考える自分の考え方が常識や既成観念にもとづいていないかどうかを調べる必要がある。例えば「75歳以上は運転をやめるべきである」あるいは逆に「本人ができると言う以上、止めさすべきではない」と、予め決めたものを持っていたら研鑽にはならない。常識や決め事にもとづく考え方にとらわれている限り、自分の頭で考えることをしていない、つまり思考停止の状態になっているからである。そして研鑽のないこの状態には、自己変革の契機は含まれていない。

 私も、自分の事故という失敗を通じて、これを材料に研鑽機会を増やしていきたい、といま思っている。

 

〈1月×日〉

 鎌田浩毅氏の『地球の歴史(上)』(中公新書)を読む。地球史研究の最先端の書ともいえるのではないかと思った。宇宙の話や地球の話は、昔から興味があり、松井孝典氏のものを始め何冊か読んでいるが、どうも頭に残っていない。その時はわかったつもりでいても、翌日には忘れている。どこか記憶装置に欠陥があるらしい。鎌田氏のこの本も同様なのだが、それはともかくとして、この本には地球というこの星の生成の偶然から消滅の必然までが一望のもとに描かれている。

 ビッグバンによる宇宙の誕生から太陽系の誕生まで、その太陽系の質量の99パーセントを太陽が占めていて、地球を含む他の惑星全部を集めても質量はその1パーセントにも及ばないなどと知らされると、なんとまあ地球は小さいのかと思わされる。しかも、地球はその大きさと太陽との距離の関係で、唯一水を持つ惑星として存在することができ、生命を誕生させることができた。その地球も、48億年の歴史の中で変動を繰り返し、超大陸の形成から分裂、再形成という過程を繰り返し、超大陸「ヌーナ」から始まって「ロディニア」「ゴンドワナ」「パンゲア」という4つの超大陸の形成と分裂の後ようやく今の5大陸が生れたというのである。そして今の5大陸も分裂と再形成の過程にあり、やがてアメリカ大陸が北上し、ユーラシア大陸と北極付近で衝突する、そのさいオーストラリアはインドの隣に寄り添いながら最後に合体するというのである。

 これは、カナダの地質学者ツゾー・ウイルソン教授の新たなプレートテクトニクス理論(ウイルソン・サイクル)に基づく2~3億年後のシュミレーションということであった。2~3億年後まで人類が生き延びているかどうか、そのとき日本列島はどうなっているのかわからないが、こういうものを読んでいると何か壮大な気分になってくる。尖閣は固有の領土とか南シナ海は固有の領海などと言っている現代の政治家どもの頭の構造を疑いたくなる。地球は地球自身の運動(プレートテクトニクス)に基づいて島を作ったり、無くしたりしているではないか。

 しかしまた、億単位の地球時間から人間の生きているこの僅かな人生の時間に軸足を移すと、明日どうなるかといった目先のことが優先されてくる。人間は、この巨視的な時間と微視的な時間とのはざまで生きる以外にないのか、といったわかったようなわからないような気分を味わっている。

 

〈1月×日〉

 今の日本の経済を扱う論説は、ほとんどが成長こそが豊かさをもたらすものと言っている。そしてそれを受け取る私たちのほとんどが、疑問を抱くことなく、そんなものかと何となく納得している。しかし、経済成長なしに豊かさや幸福は得られないのだろうか。このことは、ここ10数年、疑問としてずっと頭から離れなかった。しかし、新聞・雑誌はもちろん、それに答えてくれるような回答には出会うことなく(というか、小難しい経済書は読んでいないということだが)、ヤマギシ周辺の誰に聞いてもまともに考えている人はほとんどいなかった。

 だいたい洋服など次から次へと作る必要はどこにもなく、トマトやキュウリを去年よりたくさん食べよと言われても困る。にもかかわらず、成長こそが繁栄のカギだと、安倍さんから労働組合までが歩調をそろえて唱える。本当にそうなのだろうか。もしかしたら、これは経済の仕組み自体が間違っているのではないか。自転車ではないが、走っていないと倒れてしまう経済が、今の資本主義のシステムなのではないか。と、ここまではよく考えるのだが、じゃあそれに代わるものが考えられるのか、というところでいつもわからなくなる。

 20世紀の末までは、社会主義が資本主義のアンチテーゼとして考えられた。しかし、ソ連が崩壊した後は先行きが全く見えなくなった。ヤマギシの無所有経済と言っても、一気にそこへジャンプできるわけではなく、そこに至る道筋が見えない。

 そんな時、ふと手に取ったのが水野和夫氏の『資本主義の終焉と歴史の危機』である。20世紀の末以来、すでに資本主義の終わりが始まっているという論説はかなり説得的で理解しやすい。急いで水野氏の他の著作『国貧論』(太田出版)、『株式会社の終焉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を読んだ。

 水野氏によれば、資本主義とは「資本の自己増殖運動」を基本とする経済体制である。そして資本の利潤率は国債の利子率と最終的に一致する。日本の10年もの国債の利率がゼロになり、日銀がマイナス金利を採用するに及んでは、すでに資本の自己増殖は不可能な段階に入っている。つまり、資本主義は資本主義として存続不能な段階に入っているというのである。それでもなお資本が利益を上げているのは、生産やサービスの提供で得られた売り上げの内から、当然支払うべき従業員の賃金や下請け企業への支払いを切り下げ、実質賃金の切り下げを行っているからだ、という。そのための手段が、派遣労働、非正規雇用の増加である。ここに貧困が定着する根本原因がある。

 資本主義は自己の周辺に絶えず拡大し得る地理的・物的空間を必要とし、17~20世紀は植民地の拡大に、20世紀後半はアジア・アフリカなど後進地域の商品市場獲得に鎬を削ってきたが、やがて電子・金融空間に新たな活路を見い出そうとしてきた。しかしそれも今や行き詰った。つまり、無限空間への拡大として始まった近代が、有限空間にぶつかった、それが現代だというのである。

 水野氏の言わんとするところを大雑把に要約すれば、以上のようなことになるのではないか、と思われる。では、資本主義に代わるべき社会はどのようなものか。それはわからない、と水野氏は言う。資本主義が中世から近代にいたる長い時間を経て熟成されたように、次の社会は恐らく2~300年という長期のスパンでやっと姿を現すのではないか、というのである。「では、どうしたらいいか」。こう述べて、氏は次のように続ける。

「一つだけ言えることがあります。近代というものはより速く、より遠く、より合理的にということでしたので、この三つはやってはいけないことになります。したがって、よりゆっくり、より近く、より寛容にという延長線上で考えていくことだと思います」(『国貧論』221頁) 

 

〈1月×日〉

 どうも経済の話というのは、数字や図表がたくさん出てきて、それだけで頭が痛くなり眠くなってしまう。ここ数日、机に向かって居眠りしている自分を何回も発見した。それでも資本主義の命運から関心が離れないものだから、理解力のほどはさておいて、何冊か読み通してしまった。

 水野氏によれば、中世から近代へ、つまり封建制から資本主義体制への移行には「長い16世紀」と言われる長い時間を要したように、資本主義から次の時代への移行も「長い21世紀」という長期の時間を必要とするだろうという。そして、次の時代への移行のためには「よりゆっくり、より近く、より寛容に」という在り方が大事だという。つまり、今の時代の真逆な在り方こそが求められているというのだ。

 恐らく次の時代は、今の時代の中に静かに胚胎しているのではないだろうか。中世の12世紀にイタリアのフィレンツェで秘かに始まった金利というものが、貨幣を資本(カネがカネを生む貨幣)に変える出発点になったように、今の資本主義社会の中にも秘かに次の時代への飛躍を約束するものが準備されているかもしれない。それがヤマギシの実顕地であるか、鈴鹿のアズワン・グループであるか、それとも木花グループであるかはわからない。いずれにしても、それは「より速く、より遠くへ(さらに言えばより大量に)、より合理的に(そしてより科学的に)」という方向とは逆の方向でなければならないだろう。私たちは、自分たちが楽しく生きるというだけの自己満足に終わることなく、今の生き方の中に次の時代を準備する新しい芽を見い出し、育て上げるようにしなければならない。果たしてそれは何なのか。

 

〈1月×日〉

 病気になってから実顕地を離れることはなくなったが、東京へ行ったときなど一番強く感じるのは、実顕地の外では鍵なしには生活できないということである。一人ひとりがみんな孤立していて、互いに不信感を基に生活している。この不信感は、共同性と相容れない。その昔、文化生活の最先端としてあこがれの的であった公団住宅や田園都市住宅には空き家が目立ち、住むのは老人ばかりになってしまった。こうなると、プライバシーを守れる最も先端の住宅と言われたものが、老人の孤独死を防ぐことのできない陸の孤島と化してしまった。いまはやりの高層マンションなども、やがてはバベルの塔のように廃墟と化す日が来るのではないだろうか。

 次の時代を考える上での社会形態としては、このへんのところは非常に重要だと思う。住民同士の信頼関係を基とした共同性の確立、これ無しに鍵のない豊かな楽しい暮らしは実現できない。実顕地は、その最先端を行くものと言えるのではないか。もちろん、居住形態などは将来変わっていくし、多様化するとは思うが、元になる考え方としては、これしかないのではないだろうか。

 ただ、次の時代を考える際に幾つかの重要と思われる問題がある。そうした問題について、少しずつ考えていきたい。そのさい、山岸さんの発言の中から、実顕地に関するものと、理念研に関する全発言を読み直しておきたいと思いながら、その前に読んでおきたいものもあって、少し時間がかかりそうである。だから、これから書くものは、すべて今の自分の思いつきにすぎない。

 

〈1月×日〉

 最初に思ったのは、〈無所有〉についてである。理念としての〈無所有〉は、特講を受けたものなら誰でも理解できるだろう。では、誰もが無所有の生き方ができるかと言えば、そうは言えない。多かれ少なかれ、所有観念を免れていない。研鑽学校で「誰のものでもありません」と言った口も乾かぬうちに、お小遣いや提案金額でひっかかったりしている。私もその一人である。理念と実態とは一致しない。それが現実である。にもかかわらず、あたかも〈無所有〉の生き方をしているような、あるいは〈いかなる場合にも腹の立たない人間〉であるかのような、あるいは〈無我執一体〉の生き方ができているようなふりをする。ここに、嘘・偽りがある。嘘・偽りがある以上、それは真実の生き方ではない。

 では、真実の生き方に近づくためにはどうしたらいいのか。そこに求められるのが、研鑽であろう。研鑽は、理念と実態とが一致しないからこそ必要なのであり、その研鑽は事実を事実として認めることからしか始まらない。

 〈無所有〉について思い出すのは、春祭りのことである。山岸さんの墓前祭から始まって、春まつりになり、散財まつりになり、タダのまつりになり、社会まつりになった。この祭りでは、タダで食事をふるまい、卵などを大量に配って大盤振る舞いの饗宴を繰り広げた。準備研でテーマとして言われたのは「タダの社会気風をつくる」ということであった。しかし、これによってタダの社会気風は醸成できただろうか。意図に反して、我がちの囲い込みの風潮をもたらした面はなかったろうか。つまり、所有観念を満足させる結果になっていなかったか、ということである。

 では、祭りをやっている自分たちの方は、祭りを通して本当に無所有を深めることができていただろうか。参加者の多さをイズムの広がりと錯覚する独りよがりの考え方に陥っていただけではなかったか。その後に続発した財産返還訴訟などを見るまでもなく、私たちの日常生活そのものがとうてい無所有と言える域に達していない。この未到達の自分を素直に認めるところを出発点として祭りを考え、組み立てていくことが大切だったのだと思う。それがどういう形の祭りになるかはわからないが、こうした生き方を地道に行おうとする実顕地の気風に触れることで、この生き方を共に行いたい人が増えていくのではないだろうか。そこにこそ真の拡大があるのだと思う。物をタダで配ることで無所有の社会気風が拡がるなどというのは、誤った幻想にすぎなかった。しかし、今なおこの幻想から私たちは自由になっていない。「安く」そして「大量に」という成長路線・量的拡大路線から自由になってはいない。

 

〈1月×日〉

 1980年代だったと思うが、豊里に配送センターが作られた。北海道から九州まで日本全国の供給所を結ぶ生産物の配送指令所である。それより少し前には、全国の養鶏所を一律管理する本庁養鶏部が作られている。どちらも大きく、大量に、素早く、需要に応ずるための管理システムである。まさに成長路線に沿ったシステムであった。当時は、これでヤマギシズム社会化が大きく進むと考えられていたし、私たち自身も諸手を上げて賛成した。                      

 しかし、今そのどちらもが村には存在しない。それがなぜなのか、村の中で真剣に考えられてはいない。一時全国に増え続けた活用者は、みな高齢化してグループは解消し、供給所は次々と閉鎖を余儀なくされた(単なる高齢化というだけでなく、その背景にヤマギシに対する不信感もあるようだが、それについては直接話を聞いていないのでここでは触れない)。供給に代わって、ファームという直売方式の店が、豊里に始まって名古屋、堺、町田と各地に作られているが、これが次の時代への先駆けとなりうるのかどうか。「よりゆっくり、より近く、より寛容に」という水野氏の次世代への予測を参考にしながら、考え続けていきたい。

 経済問題とは違うが、本庁養鶏部、配送センターが作られた時期は、特講拡大・活用者拡大・楽園村拡大・学園拡大・研鑽学校拡大、そして全員参画という実顕地拡大の時期と重なる。いずれも量的拡大を目指したもので、これによってヤマギシズム社会化が進むと考えられていた。しかし、現実は違っていた。「より速く」とか「より大量に」とか「より遠くに」という考え方の中に決定的に欠けていたものがあったのである。それが何であったのか、今それを考えることが次の時代を考えるきっかけになるのではなかろうか。

 

〈1月×日〉

 韓国の朴槿恵大統領が弾劾訴訟で職務停止の処分を受け、慰安婦問題の協約が機能停止の状態になった。さっそくソウルの日本大使館前には慰安婦像が持ち込まれ、釜山の領事館前にも新たな慰安婦像が設置された。この問題をめぐって、日韓の亀裂が深まっているが、これは政府間レベルではなく、もっと民間レベルで考えていくべき問題であるように思われる。

 思うに、私たち日本人はあまりにも歴史認識が浅い。日本と韓国(朝鮮)をめぐる近代史について、あるいは中国を含むアジア近代史について、ほとんど知らない人が大部分を占めているのではないだろうか。

 例えばここに、写真に写った一人の青年がいる。彼は韓国・朝鮮では民族の英雄であり、日本では犯罪者・テロリストである。彼の名は安重根という。1909年10月、ハルビン駅頭で前韓国統監の伊藤博文を殺害し、翌年2月、死刑に処せられた。彼は果たして英雄なのか犯罪者なのか。こうした問題は、国家レベルでいくら考えても答えは出ない、というか双方の主張の隔たりが大きくなるばかりである。一人の人間としての立場から考えていかない限り、本当のものが見えてこないだろう。

 私が初めて韓国を訪れたのは、88年のソウルオリンピックの後だから、多分89年か90年だったと思うが、大韓航空の機内に置かれたパンフレットを見て驚いたことがある。そこには豊臣秀吉の朝鮮出兵が、日本の侵略として大きく取り上げられていた。文禄(1592年)・慶長(1597年)の役として知られるこの事件は、私の頭ではとっくに歴史のかなたに消えていた。しかし、韓国の人の中ではつい先日の出来事としての現下の記憶なのである。朝鮮半島が他国の支配を受けたことは度々ある。唐の支配下に置かれたことがあるし、元の支配下で軍船の製造と兵士の出兵を命じられ、二度にわたる元寇の役で多くの命を奪われたこともある。しかし、これらの事件は既に歴史の一頁と化している。だが、秀吉の出兵は歴史上の過去の出来事にはなっていない。なぜなのだろうか。

 私が韓国実顕地の配置になって、韓国のメンバーとだいぶ親しくなったと自負していたが、時折心の底にあるものを覗かせてこちらをどぎまぎさせてくれることがあった。黄(ファン)さんだったか、張(チャン)さんだったか、ロビーでこんな話をしてくれたことがある。

「日本時代(日本の植民地下に置かれた1910~45年の時代)にね、韓国のハルモニ(おばあさん)たちは、孫たちにこういう話をしていたんだ。昔倭奴(ワヌ、日本人のこと)たちは何も知らないものだから、葬式には何を着たらいいかと聞きに来た。あまりにも無知だから、本当は白い着物を着るのだが、黒いのを着るのだ、と教えてやった。だから今でも日本人は黒を喪服にしている。また、食事には何を使ったらいいかと聞きに来たこともある。本当はスッカラとチャッカラ(スプーンと箸)を使うのだが、チャッカラでいいと教えてやった。それで日本人は食事に箸しか使わなくなったのだ」

 貧しい薄暗い灯の下で、孫たちにこんな話をしていたハルモニたちの姿を想像すると、民族の誇りを抑圧された恨みが植民地下の民衆の間に根深く伸び広がっていたことを感じさせられる。そしてこの感情は今なお消えることなく、何か事があれば吹き出るマグマとして存在しつづけている。慰安婦問題をめぐって日韓両政府が「最終的かつ不可逆的に解決した」といくら強調したところで、民衆の心はこんな政治的文言や10億円の拠出で解消できるものではない。

 梶山季之のデビュー作となった小説『李朝残影』は、直木賞候補になった優れた小説であるが、日本植民地下で妓生となった美しい韓国女性の悲しくも激しい生きざまを描いたものである。そして同じ文庫に収められたもう一つの中編小説(題名は失念した)は、創氏改名という日本化政策の下で氏名を日本風に改めなければならなくなって、自殺する地主の話であった。これらの小説を読み直したいと思って探したが、既に絶版になっており、四日市の図書館にも置いてなかった。

 ところで私たち日本人は、こうした韓国併合とか、創氏改名とか、朝鮮語使用禁止とか、もっと前の閔妃(みんび)殺害とか、そうした出来事についてどれだけ知っているだろうか。またもし仮に、私たちが明日から日本語の使用を禁じられて韓国語でしか会話できなくなったり、名前を韓国風の3文字に変えよと強制されたら、何を思うだろうか。こうした想像力を働かせない限り、韓国の人たちの心の底にあるものを理解することはできないだろう。

 しかし、私のような考え方は、一部からは「自虐史観」と非難される。そして、彼らはアパルトヘイトを叫び、憎しみを掻き立てる。もちろん、韓国にも反日を掻き立て、真逆なアパルトヘイトで自らのナショナリズムを満足させている人たちもたくさんいるだろう。しかし、侵略・植民をした側とされた側と、過去の歴史にどちらが責任を持つべきものなのかと言えば、もちろん侵略した側なのである。だから、された側が、もうよかろうと言ってくれない限り、慰安婦問題は解決したことにはならない。

 

〈1月×日〉

 日韓をめぐる近代史について、私たちはあまりに知らなさすぎる。そのことについて、村で話したことがあるが、ある人から「知らないからいいのだ」と批判されたことがある。つまり「あなたのように考えていくと、逆に何にもないところに差別感情を生み出してしまう」というのだ。そして「韓国の特講の係りに行った人の話では、参加者の誰にも反日感情など少しもなかった」というのである。それはそうかもしれない。もし、言わないことが無いことならば、である。

 しかし、知らないこと、無知であることが仲良しの条件なのだろうか。知ろうと努力することが無駄なことなのだろうか。相手を理解する、心の内を知ろうとすることが、差別を生み出すことなのだろうか。

 人と人とが仲良く楽しく平和に暮らすためには、相手に対する理解は欠かすことができない。そしてどんなに相手を知ろうと思っても、なかなか相手の心の底を知ることはできない。そんな程度の自分たちであることを自覚しながら、進む以外にないのではなかろうか。

 

〈1月×日〉

 トランプ氏が、いよいよアメリカ大統領の座についた。次々と打ち出される大統領令を見ると、なんともまあすさまじい。世界は、自国中心のナショナリズムむき出しの争いの場と化するのではないか。これまでのオバマ政権の下でも、自国中心主義の考え方がなかったわけではない。しかし、ある程度の国際的協調がなければ、自国の利益も守れないことを知っていた。それが今やむき出しの自国中心、白人の利益中心主義に代わった。

 トランプ大統領の出現は、ヨーロッパ、特にフランス・ドイツ・イタリア・オランダ等の右翼勢力に勢いを与えた。しかし同時に、ヨーロッパの人々に警戒心をも呼び起こしているようで、今年前半の各国の重要選挙でどのような結果をもたらすかわからない。だがいずれにせよ、ナショナリズムというものは、ナショナリズム同士で結束することはありえず、必ず各国間の対立を引き起こす。これからの世界は、国家間の対立に加えて、民族・人種間の対立、宗教・文化間の対立を不必要に激化させることになるだろう。特に恐ろしいのは、イスラエルにおけるアメリカ大使館の移動である。テルアビブからエルサレムへ、これはアラブ民族の猛烈な反発を引き起こす。イスラエルとアラブ諸民族との対立は、これによって頂点に達し、第三次世界大戦の発火点となるかもしれない。

 このようなトランプ氏の政策を見ていると、昔よく見た西部劇を思い出す。やくざ集団を率いた悪徳地主が、力ずくで周囲の土地を奪って囲い込み、西部開拓を行っていくのであるが、今の地球上には開拓すべき西部は残されていない。資本主義発展途上の西部と資本主義末期の今の西部とは、まったく事情が異なるのである。しかも今の時代は、シェーンのような正義の拳銃使いで事が決着することはありえ

 これからイギリスに続いて、カナダ・メキシコ・日本・ドイツ・フランス・ロシア等との二国間交渉が始まる。力の恫喝によってフロンティアを獲得しようとするトランプ・アメリカに、各国がどう対応するか、目が離せない世界情勢になった。